第5話 執着

「オーガソースってのは元々調味料じゃないんだ」


「舌がひりひりするぅ⋯⋯でもあと引くぅ⋯⋯」


「オーガってのは昔、集団内で序列を決める為に殴り合いの決闘をしてたんだ。最近は廃れてるみたいだけどね」


 俺がソースの豆知識を話している間も、カレーナは懲りずに、再びスープを口に運んだ。


「ただ彼らは、頑丈だから殴り合いで死んだりはしない。勝負は相手を気絶させたら勝ち。その時に気付け薬として使ってたのが、香辛料から作られた赤い液体──オーガソースさ」


「やっぱりこんなちょっとなのにかーらーい!」


 カレーナが悲鳴と共に、スプーンを置く。


「それを酒好きのドワーフが『辛い? ならそれで料理したら酒が進むだろう!』って、肉に調味料として塗り始めたのが⋯⋯って、聞いてるかい?」


 俺の確認に、カレーナはビルから飛び降りた時以上の、鋭い視線を向けてきた。


「ヒド、いわ、シモンったら! そんなの、知ってたら、入れるの、止めたわ!」


 ちゃんと喋れてはいないが、しっかり聞いていたようだ。

 無駄にならず良かった。


「君がそこまで辛いのが苦手だなんて思わなくて。ごめん」


「苦手も何も、気絶した人を起こす為のソースなんでしょ!?」


 まあ、それはそうなのだが⋯⋯。


「えっと、この話には続きがあるんだ」


「⋯⋯続き?」


「ああ。オーガソースを塗った肉を食べたドワーフは驚いた。なぜだと思う?」


「それは⋯⋯辛かったからでしょう?」


 彼女の答えに、俺は首を振った。


「逆だよ。そこまで辛くなかったからさ。ドワーフにとっては、ちょっとピリッとして、素材の臭みを消す程度の効果だった」


「⋯⋯どういう事?」


「ドワーフ達は、あの屈強なオーガが気絶から目覚める程の代物なら、ソースは相当辛いのだろうと身構えていた。でも実は、そこまで辛くなかった」


「えっ、でも」


「つまり、オーガは頑健な印象とは裏腹に、辛さにとても弱かった。だから他種族にとってはちょっとした辛さでも、彼らにとってはとんでもない刺激だった、って事さ」


「それって、つまり⋯⋯?」


「俺のスープみたいに、真っ赤にすればそれなりに辛味はあるけど、君のスープに入れた程度なら、子供でもそんなにヒーヒー言わないよ、普通は」


「⋯⋯」


 そう。

 普通なら彼女のようにはならない。

 実際オーガソースは少量なら臭み消しとして有効で、安い肉をそれなりに美味しく食べる為の調味料なのだ。


 辛党なら、大量に入れればそれなりに辛さも楽しめる。


「つまり、他人や他種族を先入観やイメージで判断するべきじゃない。このソースはその教訓って事だ」


「なるほどね⋯⋯」


「あとは、強そうな奴ほど、意外な弱点を抱えてる、とかね」


「示唆に富んだ話ね。面白いわ、シモン⋯⋯貴方の話」


 基本的に好奇心や知識欲が強いのだろう。

 先ほどまでの怒りはどこへやら、カレーナは一連の話に関心した様子だ。


「ご満足頂けたなら嬉しいね」


「とりあえず、私の舌がオーガ並みって判明した訳ね」


「そうなるね」


 話は一段落し、各々がまた食事に戻る。

 カレーナも頑張って食べてはいた、が。


「ごめんなさい、とっても美味しいけど、休みながらじゃないと⋯⋯ちょっと時間が掛かりそうだわ」 


「なら、良い方法がある。『おまじない』をしよう──失礼」


 俺はカレーナへと手を差し出し、彼女の頬に触れた。


「えっ、ちょっと⋯⋯シモン?」


 突然の事に、彼女は驚きと戸惑いを顔に浮かべる。


「このまま食べてみて」


「う、うん⋯⋯」


 カレーナがスープを口に運ぶ。

 これこら襲って来る辛味に備えているのか、彼女の頬から緊張が伝わるが⋯⋯。

 スープを口に含み、飲み下したカレーナは不思議そうに眉を寄せた。


「どうだい?」


「あれ⋯⋯? 確かに、辛いは辛いけど⋯⋯続いたりしないわ」


「そうだろう? このまま食べるといい」


「う、うん」


 少し恥ずかしそうにしながらも、彼女は食べ進めた。

 皿の中身が半分ほどに減った頃。


「ねえ。どうして辛さが後を引かないの?」


 あまり引っ張ってもしょうがない、答え発表だ。


「回復魔法を掛けている」


「えっ? 回復魔法を?」


「ああ。辛さってのは、舌が感じる痛みなんだ。それを回復魔法で中和してる。だから辛味を感じても、次の瞬間には消えるというわけだ」


「あ、私が驚いたのはそこじゃなくて⋯⋯ううん、そこもだけど⋯⋯シモンは回復魔法も使えるの?」


「ああ」


「それなら、病院や救護院で高給で働けると思うんだけど⋯⋯」


「ありがたい事に、金への執着が薄くてね」


 俺としては、何気ない冗談のつもりだったが⋯⋯その瞬間、カレーナの瞳が好奇心と、狙いを定める狩人のような雰囲気を帯びた。


「⋯⋯じゃあ、貴方が執着するものって、なに?」


 真っ直ぐに見てくるカレーナは、声の印象も含め、何か真剣さが伝わってくる。

 雑談の一つで聞いた、という感じではない。


「今日会ったばかりの男に、ずいぶんと突っ込んだ質問だな」


「恋人同士なら、普通でしょ?」


「そうだな」


 そのまま、カレーナと見つめ合う。

 よくわからないが、引く気は無いようだ。

 俺はカレーナの頬から手を離し、彼女のスープを指差した。


「回復魔法無しでこれを飲み干せたら、その質問に答えるよ」


「⋯⋯これを?」


 先ほどまでの苦行が頭をよぎったのだろう。

 カレーナの視線はスープと俺をしばらく往復し、逡巡する様子を見せたが⋯⋯。

 ふぅ、と一息吐き、その視線は再び俺へと定められた。


「わかったわ。はぐらかしたりするのは──ナシよ?」


「もちろん」


 俺が答えるのと同時に、カレーナはスープを次々に、休むことなく口に運び始めた。

 そのペースは、一口ごとに辛いと弱音を見せていたとは思えない早さだ。


 それほど時間を置かず、皿は空になった。


「飲ん、だわ、さあ聞かせ、て、貴方が、何に執着してる、のかを」


 一仕事終えたカレーナが、額に汗を浮かべながら、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 まあ、実際は子供でも苦にならない程度の辛味に耐えただけだが、彼女の勝利に水をさすのは野暮だろう。

 

 彼女は俺の言葉に従い、試練を乗り越えた。

 それには報いなければならない。


 まあ、それはそれとして。


「その前に」


「はぐらか、さない、って」


「ああ。ちゃんと答えるよ」


 再び彼女の頬に手を当て、回復魔法をかける。

 そのまま、カレーナに聞いた。


「別に君が答えなくても、俺は答えるが」


「うん」


「なぜ、俺が執着するものなんて知りたいんだ?」


「それは⋯⋯」


 彼女の口は、俺の手の横で震えるように動き、逡巡を伝えてきた。

 だが、カレーナは意を決したのか、やがて俺の手に、何か話し出そうとする予兆が伝わってきた──その時。


 店の入り口が、激しい音を立てて開かれた。

 同時に、数人の男が店内になだれ込んでくるやいなや、先頭の男が声を上げた。


「全員動くな!」


 警告した男の手には銃が握られていた。

 抜いているのは一人だけだが、侵入してきた連中は全員、銃を持っている事が制服で分かる。


 この帝都で銃を装備している組織は、裏社会の人間で無ければ、一つだけだ。


 そして、彼らが身に付けている制服は紺のスーツ、胸元には二丁の銃がクロスした刺繍。


 ──帝都治安維持騎士団だ。


 彼らは店内を見回していた。

 その内の一人、警告を飛ばした人物が俺たちの席へとやってきた。


「よお、シモン。取り込み中に悪いな?」


 騎士団における最小単位は五人一組。

 チームの長となる五人ペンタチーフは顔見知りだった。


「全くだ、ベリス。もう少しで彼女をオトせそうだったのにな」


「へっ⋯⋯お嬢さん、こんな奴を相手にしちゃダメだぜ?」


 ベリスはカレーナに笑いかけると、再度俺へと向き直った。


「シモン、さる高貴な方の失踪に、お前が関わってるってタレコミが入ってな⋯⋯身に覚えは?」


「さぁ? 知らんな」


 しばらくベリスと視線を交わす。

 ややあって、彼は銃をしまいながら言った。


「そうか、ならもう一ついいか?」


「なんだ?」


「お前をレンタルしたい。捜査に協力しろ」


「是非協力したいが、今日は予定がいっぱいだ」


「ふぅん⋯⋯今日いっぱいか」


 ベリスは俺とカレーナを見比べ、ニヤリと笑ったのち、俺に念を押すように言った。


「わかった。今日1日だな? 信じるぜ?」


「ああ」


「お嬢さん、では今日はせいぜいコイツを連れ回してやって下さい」


「⋯⋯あ、はい」


 カレーナは緊張からか、言葉少なく返事をした。

 ベリスは彼女の返事に頷いたのち、俺の耳元に口を寄せた。


「カルミッドの野郎がお前を追っている。見つけた場合は現場の保全を頼まれてるが⋯⋯奴が来る前に、ここは任せて出ろ」


 俺も小声で返事をした。


「いいのか?」


「俺が忠誠を誓ってるのは陛下、ひいては皇家だ、あの野郎じゃねぇ。今日1日ならのらりくらりと対応する⋯⋯いいか、1日だぞ?」


「ああ」


「今は詳しく話せないが、結構ややこしい状況みたいだ⋯⋯カレーナ様を頼む」


 飲み干されたスープ皿と、まだ残っている赤いスープに未練を残しながら、俺たちは店を出た。


 

 

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