第2話 恋人兼ボディーガード
「恋人⋯⋯ですか?」
「はい」
カレーナ様の表情から察するに、どうやら冗談ではなさそうだ。
取りあえず一息つくため、俺も茶を飲む。
うん、美味い。
我ながら良くできた。
求めている味に近づいてきたな──という現実逃避はともかく、もう少し詳しく話を聞いてみよう。
「依頼内容はわかりました。事情を詳しくお話し頂けますか?」
「そうですね⋯⋯どのようにお話すれば良いのか」
俺の問いに、彼女は考えながら視線を巡らせていたが⋯⋯。
何かに気が付いたように立ち上がり、俺のデスクから新聞を取った。
再びソファーに座ると、テーブルの上に新聞を広げ、先ほど俺がチラッと見た、婚約破棄の記事を指差した。
「この記事は読まれましたか?」
「見出しだけですね」
「
「いえいえ、人並みには。読もうと思ったちょうどその時、貴女がいらしたんです」
「なるほど⋯⋯では説明させて頂きます」
彼女は記事の中から『スリダイアール』『リーブレント』の二つの単語をそれぞれ差し示した。
「私の家、つまりスリダイアール家と、婚約相手となるリーブレンド家の関係はご存知でしょうか?」
「元皇族と、元王族ですね?」
俺が答えると、彼女は頷いた。
彼女が挙げた家名は、いわゆる『御三家』のうち二つ。
御三家とは、皇家スリダイアール、王家リーブレンド、そこに公家ウェルサンスが加わる。
元々は皇家とその分家だが、御三家に属する人間には皇位継承権がある。
帝政末期には婚姻や養子縁組みなどで、それぞれから皇帝を輩出している名門だ。
基本的に男子が上位なら婚姻、男子が下位なら婿入りだ。
その伝統は今も続いており、今回のケースでは下位の家から上位の家、つまりリーブレンド家からスリダイアール家への『婿入り』となる。
「はい。私の婚約相手ヴァイス様とは幼少期からの知り合いで、いわゆる
「ただ?」
「私は今、大学に通っておりまして。そこで知り合ったアンナ⋯⋯彼女は、その、恋多き女性で、私に言うんです」
「⋯⋯大体察しが付きます」
「えっ?」
俺は女性の声色や話し方を意識しながら『架空のアンナ』の物真似を披露した。
「『あら、このご時世に許嫁だなんて。恋を知らず結婚するなんて、お可哀想な事。女にとってこれほどの不幸があるのでしょうか? もったいない事ですわ』⋯⋯みたいな感じでしょう?」
「⋯⋯よく、おわかりですね」
「まあ、良くある話といえば、良くある話です」
名家、あとは郊外の庶民の間では、見合いや許嫁は今でも珍しい事ではない。
ただここ最近、いわゆる『自由恋愛』こそが男女にとって望ましい事だ、という風潮が帝都にあるのは事実だ。
「それで、私は急に不安になり、置き手紙をして家を出てきてしまいました。『二、三日で戻ります』と書き添えたのですが⋯⋯どうやら捜索願いが出されてしまったようで」
そこまで聞いて、俺は新聞を指差した。
「それでこの『婚約破棄』騒ぎになってしまった、と?」
「はい、そんな騒ぎになっている事を、私自身今朝新聞で知りまして⋯⋯どうしようかと途方にくれていたところで⋯⋯」
カレーナ様が新聞をもう一枚捲る。
新しい記事、その下にある広告を指し示した。
「この広告が目に入りまして」
『レンタル魔王──当代随一の魔法のエキスパートが、あなたのお悩み、トラブルを解決致します! 日々の雑用から魔法の家庭教師など、幅広い依頼に対応可能、お気軽にご相談ください!』
宣伝文句の下には、ここの住所が書いてある。
あー、これか。
以前新聞社の社長が抱えたトラブルを解決した際に、報酬として広告を載せてくれるって約束をしたな。
広告枠に空きがある時って言ってたから、リップサービスだと思ってたが⋯⋯実行してくれたのか。
しかし、タイミングが良いんだか悪いんだか⋯⋯。
「それで⋯⋯他に当てもなく、こちらに参った次第です」
「なるほど、つまり貴女はご学友の言葉に心を
俺が話の内容を纏めていると、カレーナ様の表情が次第に曇ってきていた。
「どうしました?」
「いえ、その⋯⋯『浅はかだ』と指摘されているような心境で」
その通りだ、なんて事はもちろん言わない。
「⋯⋯まあ、貴女のお立場からすれば、こんなところに単身でいらっしゃるのは、その
「そうですよね⋯⋯」
俺の言葉に、カレーナ様はシュンとしてしまう。
いかんな。
これじゃ口うるさい執事か、じいさんみたいだ。
俺は『こほん』と咳払いして、話を変える事にした。
「恋人⋯⋯というか、恋人役って事だと思うのですが」
「ああ、はい。なんせ私は、その、殿方と二人で街を歩いた経験もなく⋯⋯」
「そうでしょうね」
「はい、なのでせめて一日、恋人同士のように振る舞っていただき、普段私が足を運ばないような場所を案内していただければ、と」
「⋯⋯荒事について聞いたのは?」
「
「恋人兼ボディーガード、って事ですかね?」
「そうですね⋯⋯そう言われてみれば、お願いする依頼は二つ、となりますね」
ふむ、と考えるフリをしながら彼女の表情を盗み見る。
彼女は俺の視線を感じたのか、目を伏せた。
その態度に何か引っかかるものを感じる。
これは完全に俺の勘になるが⋯⋯彼女の物腰や話し方、何より滲み出る知性的な雰囲気と、衝動的な理由に端を発した今回の依頼が、なかなか俺の中で結び付かない。
まあ信頼関係が無い中で、依頼人が『本当の理由』を伏せる事はままある。
逆にいえば、信頼関係を構築する前に、その辺を詮索しても仕方ない、とも言える。
まあ、今は取りあえず「1日恋人希望」という事にしておこう。
彼女を取り巻く事情を考えれば、ハッキリ言って厄介な依頼だ。
『皇家の令嬢を、普段魔王を僭称する男が、街中を連れまわしている』
もう、字面だけでヤバい。
下手を打てば、間違い無くこんな事務所吹き飛ぶ。
損得で言えば、受けたくない。
損得勘定抜きにすれば、力になってあげたい。
一番良いのは、心変わりしてもらう事だ。
「差し出がましい事を申し上げますが」
「はい」
「個人的な経験で言えば、恋や愛などというものは、男女が同じ目標を持ち、互いを尊重しながら身を寄せ合って過ごせば、自然と生まれる物だと思ってます」
「⋯⋯はい、そうなのかも知れません」
「いわゆる情熱的な恋愛への羨望は分かりますが、それが二人を幸せにするかどうかは、また別の話です。しかも今回は、その真似事にしか過ぎません」
「はい⋯⋯仰る事はわかります。ただ、なにぶん経験が無いので、本当の意味で理解できるとまでは言えませんが⋯⋯」
俺の意見を受け入れつつも、カレーナ様の表情は晴れない。
つまり、心変わりは難しいだろう。
もしかしたらそこに、今は話していない何かの事情があるのかも知れない。
俺の考え過ぎ、という事も当然あり得る。
仕方ない。
現状で俺が選べるのは一つだけだ。
「──いいでしょう」
「えっ?」
「依頼を受けます──ただし」
受けると言った瞬間、表情が華やぐカレーナ様を、間髪入れず手と言葉で制し、続ける。
「私がこれから出す条件を守って頂くこと。これを約束して頂けない場合、申し訳ありせんが御希望には添いかねます」
俺の言葉に、カレーナ様は強く頷く。
まあ、彼女にとってみれば、背に腹は代えられないだろう。
「承知しました。では、その条件を教えてください」
「まず、依頼料は不要です」
「えっ? そんな、それは⋯⋯」
「以前から決めてました。そんな日は恐らく来ないと考えてましたが」
「そんな日、とは?」
「もし万が一、皇族の方が依頼に来られた際は、初回は無料で引き受けよう、と。そして予想は外れ、今日そんな日を迎えました」
「⋯⋯良くわかりませんが、何か理由が?」
「理由はあります」
「どんな?」
「それは言えません、と言いたいところですが⋯⋯もし貴女と今日一日過ごし、その上で話す必要がある、と私が判断すれば話します」
正直、話す必要がない方がありがたい。
必要だと思えば、話さざるをえないが。
ただ少なくとも、まだ彼女がどんな人物か見極める前に、それをベラベラと話す気もない。
まあそこはお互い様って奴だ。
彼女も、今はそれにこだわっても無駄だと判断したようだ。
「分かりました。他には何か?」
うん、話が早くて済む。
そう言わず今聞かせろ、などという駄々を捏ねられたら面倒だった。
「では次に、その指輪を外してください。私がお預かりします」
「⋯⋯指輪を?」
「はい。その指輪には⋯⋯」
りーん、りーん。
──俺の言葉を遮るように、来客を告げる魔法呼び鈴の音が事務所内に鳴り響いた。
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