第4話

「アッレェ……おっかしいな」


 部屋の中のトリぬいぐるみは、ベッドの上に置かれたまま微動だにしていない。トイレに入ってみたり、フロントまで降りてソファに座ってブラブラしてみたりしてしばらく撮影を続けてみたが、決定的瞬間の撮影には至れない。


「エェー、じゃあ動いてないの? 今までのって気のせい?」


 もう少し検証を続けたいが、時間がそれを許さない。ブッコローの両翼には有隣堂の多摩地域制圧がかかっているのだから。解消し難いモヤモヤを抱えたまま、ブッコローは有隣堂聖蹟桜ヶ丘店へ向かう。時間に余裕があったので、トイレで用を足してから会場に入った。


 トラブルも無く平穏無事に進む新刊発売記念イベントの最中、ことあるごとにチラチラと仕事用バッグの方へ目をやる。トリぬいぐるみはついてきていない。心のなかで大きく安堵のため息をついて、今回は真面目にサインを書いた。


 昨日とは違い気がかりなことが無いので打って変わったように明るい気持ちになり、ファンとの交流も盛り上がり写真撮影にも応じた。撤収作業後の飲み会も大いに楽しみ、ホテルに戻ってきたのは日付を超えてからのことだった。


「いやー、楽しかったわ。多摩の地酒ってそれ程期待してなかったけど、いい意味で裏切られたわーまたあの店行こ」


 酔いも回っていい気持ちでベッドに飛び込んだブッコローは、出掛ける前クローゼットに放り込んだ忌々しいぬいぐるみのことなどすっかり忘れていた。明日の朝にはチェックアウトして、待望の我が家に帰れると思うと口元が自然とほころぶ。大変な日々だったとうつらうつらしていると、着信音が流れる。


「全く、こんな時間に誰だよもう。はいもしもし?」


 不機嫌そうに出ると、有隣堂スタッフからだった。


「もしもしブッコローさん? 今日のイベントで忘れ物があったと聖蹟桜ヶ丘店の方から預かってて。今下まで降りてこられます?」


「忘れ物? はいわかりました、取りに行きます」


 寝ぼけていることもあり、二つ返事で電話を切ったブッコローの頭の中には疑問符が浮かんでいた。


「こんな時間に来るなんて、そんな大事な物忘れてきたかな……?」


 財布やスマホ、家の鍵などの貴重品はきちんと手元にある。眠い目を擦りながらホテルのフロントまで降りていくと、スタッフから忘れ物として渡されたのはトリぬいぐるみだった。急激に酔いが覚めブッコローの顔色は青ざめていく。部屋に戻ってクローゼットを開けると、そこにいるはずのトリぬいぐるみがいなかった。ブッコローは慌ててスタッフを追いかけ、捕まえる。


「あの、スタッフさん。お願いがあるんですけど! 大至急!」


 ブッコローは詳細を伏せたままとにかく頭を下げて頼みに頼み込んで、スタッフから動画撮影に使用しているカメラを借りて動画を撮ることにした。クローゼットが映るようにベッドへ設置して録画ボタンを押してからトリぬいぐるみをタオルで包んでバッグにしまって、クローゼットに押し込んで扉を締め、更に取手にタオルを通して結び目を作った。


「ここまでやったんだから、ずっと録画してれば絶対に動く瞬間が取れるはず! もう今夜は寝ないで見張ってやるぞ!」


 目が冴えてしまったので、目撃できるならその瞬間を是非とも抑えたい。ブッコローは一晩中起きていようと決心をして、五分後には椅子にもたれかかって夢の世界へ落ちていた。しまったと思い起き上がると、既に外は明るく小鳥のさえずりが窓越しに聞こえる時間になっていた。


「ど、どうなった!?」


 クローゼットの方を向くと、タオルが解けて床に落ちている。クローゼットの扉は開けられて、バッグの口も開いている。周辺を見渡すと、肝心のトリぬいぐるみはベッドに置かれていた。丁寧に枕を当てられて、掛けシーツも被せてある。部屋の窓も扉もきっちり閉まっていることから、誰も入ってきてないことは明らかだ。


「カメラは……動いてる。撮影止めてっと」


 停止ボタンを押して、ブッコローは一旦深呼吸をして自分を落ち着かせる。ぬいぐるみが動いているだけでなく、とんでもない異形の化け物が映っていたら。むしろ見知らぬ人間が堂々と入り込んでいたら。想像力は良くない未来を思い描く。緊張と恐怖が混じり合い、見たい気持ちと見たくない気持ちがせめぎ合う。


「覚悟を決めろブッコロー、お前はやればできる子だ」


 ブッコローは自分に言い聞かせて録画された映像を再生した。ベッド横の明かりがついている以外は暗い室内ではしばらくは何も起こっていなかったが、五分を過ぎた辺りから画面外から物音が聞こえて、何かの影が段々クローゼットに近づいてくる。


「エッ……嘘でしょこれ」


 そこには衝撃的な瞬間が映っていた。

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