知能指数という名の筋肉

青キング(Aoking)

知能指数という名の筋肉

 筋肉というお題を見て、自分は脳の重要性を再びこの場で書き起こすことにした。

 小説執筆の力量を上げる方法として、昔から言われていたのが、


・読書

・模写


 の二点である。

 メモリースポーツを知る前の自分も、以下の二点には大いに納得していたのだが、記憶のコツを会得してから自分の中では納得できかねる上達法になっている。


 最近つくつぐ思うのは、脳は小説執筆の筋肉、だというロジカル。

 脳が鍛えられることを考えれば、読書と模写だけに捉われない上達法があるはずだと信じているのだ。

 

 古今東西の作家というのは概して知能指数が平均より高く、自身の頭の良さを自覚せずに読書やら模写やらを妄信しているのだ。

 生まれもった知能指数の高さを有していて、知能指数高くないもしくは低い人がうまくいかない理由を努力不足だと即断するのはお門違いだ。

 

 そもそも知能指数が低い人間というのは努力量に脳が追い付かないのだ。

 そのことを頭のいい奴らは知らないから、このような努力信仰が起きてしまう。

 最高時速一〇〇キロしか出力できない自動車に、一五〇キロを出せと命令しても不可能なのだ。

 しかし不可能を可能に変える方法がある。

 自動車そのものを改造してしまうのである。

 エンジンを改造して最高馬力を引き上げてしまえば、一五〇キロあるいはもっと速度を出せるようになる。

 最高時速が上がれば流し走行での平均速度も引きあがり、自動車のパフォーマンスは底上げされる。

 たとえ少し調子が悪くとも、ある程度の速度で走行できるようになる。


 こんなことを言っても、まだ自分の理論を逃げだとか努力できない人間の良いわけだとか吠える保守的な人間は絶えないのだが、自分は何と言われようと自説を曲げる気はない。

 実際、読書の時間を割いて脳トレに時間を掛けるようにしてから、読書、執筆、仕事、もろもろのパフォーマンスが向上しているのだ。

 映画や読書の内容をメモしなくても大方覚えられるようになり、執筆スピードも上がり、文章力も改善し、仕事でも疲れにくくなった。

 記憶力を鍛えるようになってから文章がスラスラ出てくるようになったのは、特に大きい効果だと思っている。

 長い時間頭を捻らなくても、海から浮上してくるように言葉が脳裏に出現するようになった。これはおそらく毎日のクロスワードによるアウトプットトレーニングの成果だろう。

 

 近頃になって、更なる脳の力の向上のため新しい脳トレを始めた。

 それが


・〇✕ゲーム

・色水の並べ替え

・利き手じゃない方で絵の模写をする

 である。

 効果があるのかの実例はおそらくない。けれど自分が前例になるために信じてやるしかないからやっている。

 記憶力はだいぶ改善できたため、記憶力とは違う能力を鍛えることにシフトチェンジしている最中である。

 脳トレなんかしている暇があるなら読書しろよ、と思うかもしれないが、読書だけしていても馬鹿は馬鹿のままである。

 読書では鍛えられない部分を鍛えないと、どこかで絶対に成長が頭打ちになる。

 

 自分の高校の頃の友人にクラス一位の成績を誇る男性生徒がいたのだが、彼は読書などほとんどしない生徒である。それでも彼の言葉遣いというのはすごく知性に溢れており、馬鹿のくせに本ばかり読んでいた頃の自分よりも文章力があるように思えた。

 結局は文章力の根幹は知能なのだ。

 本をよく読むくせに語彙力ない奴もいるし、本読まないくせに語彙力のあるやつもいるのだ。彼らの差は記憶力に起因している。

 覚えている物を最大限に引き出せるか、それが文章力有無の大きな差を生んでいる。

 

 段々と書いている内容がマンネリ化してきたように思うから、ここらでこの稿は終わりにしようと思う。

 また逢う日までチャオ。

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