フェアウェル

黒猫館長

「一夜の夢」

 スコットランドはイギリスの属国だ。昔ながらの街並みが残る旧市街と新市街が混在する首都エディンバラなどは多くの観光客でにぎわっている。美しい石造りの建造物で作られた街並み、数百年前に建てられた宮殿や大きな博物館、賑わい笑顔のあふれる人々、ここは完成された楽園に見える。そんな世界の裏側に僕たちは済んでいた。


「お駄賃頂戴。」


 わざとぼろぼろの服を着て、上目遣いに両手を差し出す。すると豊かそうな大きな荷物を持った大人は少し困ったような顔をして、お金をくれる。そしたら僕はこういうのだ。


「ありがとうございます!良い一日を!」


 そう笑顔を見せれば、知らない外国人はまんざらでもないような顔をして、またどこかへ歩いていくのだ。きっとあのおじさんはここに来たのは初めてなのだろう。まだ初々しい。ああいう人は結構たくさん渡してくれるのだ。これからきっと大変な目に遭うだろう。


「ママもきっと喜ぶぞ。えへへ。」


 普通の子供は学校とかに行くらしい。親には仕事があるらしい。でもそれからこぼれた人間はいる。この先進国イギリスですら4万人以上の宿無しが日々暮らしている。そんな宿無しから生まれた子供が補助も受けられず暮らしているなんてことも別におかしな話じゃない。今は結構減ったらしいけど。


 そんな僕にも友達がいる。同じように貧しくて、パン屋のごみ捨て場で出会った女の子だ。ブロンド色のくせっけで、そばかすが少し目立っているけど明るくて楽しい女の子だ。僕も女の子が気になり始める年頃だったから、プレゼントの一つでもしてみたいのだ。あの子の笑顔を想像するだけで、心が温かくなる。もらったお金の中から1ドルだけこっそり抜き出しポケットにしまう。これをためていつかプレゼントをするのだ。でも、最近あの子の顔を見ない。


「なんだこいつ全然しゃべらねえ。」


「何か伝えたいことがあるんじゃない?なんか手を振ってるし、行ってみようよ。」


「わかったわかった。つってもこの後約束あっからちょっとだけだからな。」


 シニアハイスクールの生徒たちだろうか。ママからあんまりかかわるなといわれているから、遠くから彼らを眺める。彼らの視線の先には僕と同じくらいの女の子がいた。


「あの服…あの子の?」


 その女の子はあの子じゃない。髪はどこかピンク色がかった白っぽいものだし、そばかすもない。目はパッチリとしていて人形のようにも見えた。しかし彼女が来ている黄色のジャンバーはあの子が来ていた服とよく似ていた。


「やっぱり別の子だよね…でも知ってるかな?」


 女の子は手招きをしながら二人を連れて歩いてゆく。もしかしたらあの子のことを知っているかもしれない。そう思った僕は旧市街の路地裏に歩いてゆく彼女を追いかけた。


「待って!はあ…はあ…ちょっと話が…。」


 女の子はこちらを向いて笑っていた。まるで漫画のキャラクターがこちらを見て笑っているみたいに間断しているような笑顔だ。僕は背筋がこわばる心地がしながら、女の子に問いかける。


「ごめんいきなり。あのえーと聞きたいことがあって…そう君と!君とよく似た服装の女の子、僕たちと同じくらいの女の子がここら辺に住んでるはずなんだけど、最近見かけたりしなかったかな?」


「知らない。」


 女の子はその柔和笑顔に似合わないはっきりとした口調でそう言い切った。相変わらず笑顔を保っているが、機嫌を損ねてしまったかと思って少し後悔した。


「ごめん変なこと聞いて。」


「おなかすいた。」


「え?」


「おなかすいた。」


 僕は状況が呑み込めなくて、しばらく彼女の言葉を頭の中で反芻していた。おなかがすいたとはどういうことだろうか。何かの比喩だろうか、それとも本当にただおなかがすいているのだろうか。僕は少し考えて、面倒に付き合わせたお詫びにおごれという意味だと解釈した。


「でもお金が…あ。」


 その時一つのアイデアが浮かんだ。僕にはお金がないが食べ物をたくさん手に入れる方法は知っている。僕の穴場でもあるのであまり人には教えたくないのだが、なんとなく彼女を無碍にはできないのでそこを教えることにしたのだ。


「わかったこっちについてきて。」


 僕は彼女の手を引いて、裏路地を出た。


「あれ、そういえばさっきの人たちどこ行ったんだろう。」



 パン屋という人たちは贅沢だ。毎日毎日ゴミ袋いっぱいにパンを詰めてはゴミ捨て場に置いていくのだ。これを取ろうとするとなぜか怒られるけれど、こんなにおいしいパンをただごみとして捨てていく方が悪いだろう。僕は周りに人がいないことを確認すると、女の子に静かにするように注意しながら言った。


「ここには毎日たくさんのパンが置かれてるんだ。ほかの人に見られちゃだめだよ。でもここのパンはいくら食べてもただなんだ。」


「おなかすいた。」


「ああうん持ってくるね。はい!」


 僕は袋の一つからできる限り綺麗なパンを見繕い彼女に渡した。彼女はそれをまじまじと眺めたりにおいをかいだりしばらく観察していたが、その後パクリと一口でパンを口の中に放り込んで咀嚼した。頬をいっぱいにしながらもっもっと変な効果音が流れている気がする。


「ど、どう気に入ってもらえたかな?」


「おいしい。」


「よかったー。」


 どうやら気に入ってくれたらしい。彼女はゴミ捨て場を眺めて体を左右に揺らした。


「これ全部食べていい?」


「もちろんだよ。僕もひとつ貰っちゃった。」


 少し肩の荷が下りた気がした。これで彼女の機嫌も治ったことだろう。そしてはっとそろそろ家に帰る時間だと思った。


「ごめんそろそろ帰らなきゃ。」


 そう言って振り返ると口をもぐもぐしている彼女がまだ左右に揺れていた。そして驚いたのがすでにあれだけたくさんあったパンが無くなっていたことだった。


「あれ?ここにあったパンは?」


「たべた。」


「速いね!?」


「じゃあまたね。」


「あ、うんまたね。」


 満足したのか女の子は来た道を戻っていなくなってしまった。最近の子供は食べることがずいぶん早いんだと感心した。僕もそのくらい早くなればパン屋のおじさんにばれる可能性も低くなるだろう、見習わなければと思った。


 その日から彼女とたびたびご飯を食べた。おなかがすいたが口癖の彼女はいつも笑顔であるけれど、僕にはどこか寂し気に映った。僕の思いつく限りいろんな場所のおいしい食べ物を彼女に教えた。けれど彼女はただの一度もここに行きたいなんて自分の要望を口にはしない。それでも満足した時のおいしいは本心のようで僕もうれしかった。ちなみに微妙だったときは「がー」という。たまに彼女が知らない人と話しているところを見る。そういう日は大体用事があって、僕も何を話しているのかわからないけれど、この町において人とのコミュニケーションも大切だ。

 

「おまえはまずそう。」


「なにそれ?…そんなに臭ったりするかな?」


「別に。」


 今日はおき忘れていたフライドチキンを二人で食べた。本当に間抜けな話だけど、置き忘れたなら捨てたことと一緒だ。盗んだわけじゃない。肉を食べられる日はめったにないので僕は嬉しい、彼女もおいしいと言ってくれた。そしたらこんなことを言ってきたのだ。僕は鶏じゃないのに比べられても困るのだが、そのあと彼女はまたフライドチキンを骨までかじるとどこかに行ってしまった。あの子はいまだ見つからない。


 そんな日々が続いたある日、奇妙な男が歩いていた。背中には男の背の半分くらいの大きな箱を背負い、物珍しそうに携帯で旧市街の写真を撮っている灰色の髪をした小柄な男だった。中学生くらいだろうか。違うことは知っている、彼は以前新聞に載っていた。名前はジュリー・ブラッドリー、ロンドンに現れた怪物を倒したという貴族だ。その容姿は東洋人、外人でも貴族になれてしまう今の世の中は大丈夫なのかと少し不安になる。僕には関係のない事だろうけど。


「ねえ、お駄賃頂戴。」


「え…5ドルでいいかな?」


 いいターゲットになると思ったのだが、あまり成果はなさそうだった。「any change」ではやはり少ない金額しか連想できないだろうか。お金持ちの人ならもう少しくれてもいいと思う。しかし少ないなんて言ったら次はないかもしれない。こういう時も笑顔でありがとうというのが鉄則だ。


「ねえ君、今日はもう帰った方がいいよ。最近このあたりは物騒なんだ。あまりうろつかない方がいい。」


「でも…これじゃあママに怒られる。」


「わかった、後20ドルあげるから今日は帰りな。」


「わかったよありがとうお兄さん!」


 まさかの追加報酬だ。こういう人は子供の上目遣いに弱い。一押しすれば行けると思ったけれどここまでうまくいくとは思わなかった。僕は笑顔で家に変えるそぶりを見せる。もちろんそんなことはしないけれどね。20ドルはママにわたすとして、5ドルは僕がもらってしまおう。彼女に何か買ってあげてもいいかもしれない。あの子の分はしっかし貯金するけれど、飴玉くらい買ってあげても怒られないはずだ。


「あ、いた!」


 彼女を見つけると、ちょうど誰かと一緒に路地裏に入っていくところだった。僕も急いで彼女の後を追う。今日もおいしいといってほしいのだ。


「え?」


 そこに彼女はいなかった。いや、よく知る服はあった。しかしそれを着ていたのは人外の怪物。人間の体、頭部を持ちながらその眼の部分からカタツムリの角のようにに二つの口が伸び、人間を丸のみにしていた。頭から呑み込まれた人間は足をばたつかせて抵抗しているが、それもむなしく少しずつ呑み込まれている。


「え…何?」


 怪物は僕を見て静止していた。足から力が抜けてしりもちをつく。声も出なくなり、一歩一歩と手を伸ばしながら近づいてくる怪物をただ見ていることしかできなかった。その時、


「ああああああ!」


 怪物の巨大な口の一つが切り落とされた。やったのは先ほどであった灰色の髪を持つ男ジュリー・ブラッドリーだ。背負った箱から延びるコードにつながれた刃が青く光る奇妙な剣を使って根元から切り落としたのだ。そこに入っていた人間はずるりと外に出る。いまだ生きていたようでせき込みながらうずくまった。怪物は悲鳴をあげながら残った口を一瞬っでひっこめる。そして戻った外見は彼女とそっくりだった。そしてすぐに切られた目の部分も再生する。


「くそっ体積問題ガン無視か。」


 ジュリーはうずくまる助けた人間を守るように彼女と対峙する。左手で形態を操作しどこかへ連絡しているようだ。それが終わるとすぐに動き出した。


「がるるるるr!」


 彼女は先ほどのように巨大な口を伸ばしてジュリーをかみ砕こうとする。それをいとも簡単に蹴り飛ばし、ジュリーは彼女の腕を切った。悲鳴をあげながら彼女はジュリーの剣を持った手につかみかかり、巨大な口でかみついた。そのまま壁に押し当てると、石造りの壁が見る見るうちにひび割れその力の大きさがよくわかる。


「いっつ…再生と攻撃特化か。之じゃあ普通に切ったのと変わんないな。」


 ジュリーは彼女の拘束を少しずつ腕力で押し返していく。拘束を引きはがすと自らの肩をかみついた口を切り付けた。痛みに口を離した瞬間完全に拘束の解けたジュリーは彼女に連撃を加える。全身から血や肉が噴き出し悲鳴を上げた。


「う、わあああああ!」


 僕もなぜそんなことしたのかわからない。いつも護身用に隠し持っていた小さなピストルでジュリーに発砲した。


「まじでか!」


 ジュリーは複数発発砲したというのにその弾丸のすべてを剣で撃ち落とした。人間の所業じゃない。しかし彼女から距離が生まれる。僕は走って彼女の手を引き走り出した。


「…まずはこの人の保護が優先だな。」


 ジュリーがすぐに追ってくることはなかった。僕は走りつかれて入り組んだ路地裏の石畳に座り込んだ。彼女は血まみれだというのに気づけば傷はなくなっていた。いつものように笑っている。


「どうして?」


「どうしてって…わかんないけど…。」


 彼女の問いかけにこたえることはできなかった。彼女が怪物だということは理解した。きっと今までも人をたくさん殺してきたのだろう。ジュリーは彼女を倒すためにやってきたのだ。それを阻止しようとしたのは彼女があの子に似ているからか、友達だからかよくわからない。


「おなかすいた。」


「…そうだね。パンのところ行こうか。」


 追ってくる気配もない。彼は僕のようにこの町には詳しくないはずだ。隠れながら移動すれば見つけることは難しいだろう。僕たちはゆっくりと歩き始めた。


「つっ…!」


「大丈夫?」


 彼女は腹部を抑えてよろけた。そこから血が滴っている。いまだ傷が治っていないのだ。僕は彼女に肩を貸して歩みを進める。どうしてこんなことになったんだろう。昨日までは楽しい日々だったはずなのに。こつこつとどこからか足音が聞こえる。もう追ってきたのかと思った。後ろを振り返れば今まで滴った血の跡が残っていた。これを追ってきたのだとわかってしまう。


「その傷食べれば治るの?」


「治る。」


「…そっか。」


 まだあの場所へは遠い。ジュリーはあそこにつくまでには追い付いてしまうだろう。僕は何度か可能性を考慮して、目をつぶった。


「僕を食べなよ。そうすれば、逃げ切れるはずだ。」


「いや。」


「どうして!?」


 僕だって痛いのは嫌だ。でも彼女を失うのはもっと嫌だった。だから理解できないどうしてこの提案を拒否するのだろうか。彼女は怪物だ。人を食らう怪物なのだ。理由が見当たらない。お願いだからと叫ぶ僕を見て彼女は言った。


「まずそうだから。」


「…追いかけっこは終わりだ。」


 気づけば背後にジュリーが立っていた。きっと世間では市民の味方なのだろう。彼は人々を助ける存在となっている。けれど僕にはあまりに理不尽な悪魔に見えた。


「どうして、どうしてこうなるんだよ!ふざけんなよ!お前たちは何でも持っているじゃないか。僕より何でも持っているじゃないか!なんで僕から奪うんだ。友達の一人も持っちゃいけないって言うのかよ!」


「作る友達が悪かったな。君の思いはもっともだが、それは俺が思いとどまる理由にはならない。」


「死ねよジュリー・ブラッドリー!お前なんか死んでしまえ!お前みたいなやつがいるから僕たちは…!」


 僕は彼にピストルを向け発砲する。ジュリーはそれをまるでおもちゃのようにすべてガードした。弾を打ち尽くし僕は情けなくピストルの本体を投げつけた。それは彼の側頭部にぶつかり地面へと落下する。


「なんでだよ。どうして…僕ばっかり。」


 すると彼女は僕の頭を撫でた。怪物だというのにいつくしむように僕に微笑んで悪魔の前に立つ。


「…。」


 そして僕の方へ向いた。無様に這いつくばる僕を見ていた。その時彼女がどんな思いだったのかわかるはずもない。


「さようなら」首を切られる瞬間、彼女は笑ってそう言った。



 すべてが終わりジュリーは電話をかけた。相手は自らの主人であるエリザベート・ゼクス・ブラッドリーである。


「アンノウンの討伐完了しました。襲われていた市民を一人保護、少女に擬態していたようで共に行動していた少年も保護しました。記憶処理班の派遣をお願いします。あとこっちホームレス支援活動特区でしたよね?結構漏れがあるようなので、ついでに文句言っといてください。」


『ご苦労だった。すぐにそちらに向かわせる。』


「…それにしても困った話ですよね。人間がアンノウンになるっていうのはマンガじゃありきたりな話ですけど、結局俺は何をしているんだか。」


『さっさと帰って来い。抱きしめてやる。』


「なんですいきなり?」


『…嫌な仕事をさせたな。』


「今回の話はジューンさんやモモセさんにはしないでくださいね。汚れ仕事は俺だけで十分だ。」


 ジュリーは目を細めて路地を眺めた。きらびやかな町のなか無気力に座り込む宿無したちがいるのが見える。唇をかむとため息をつき、体を翻して駅へと歩き出した。



 目が覚めるとママがいた。ママはとても喜んでいた。なんでも政治家の偉い人のおかげで、家がもらえるらしい。ここからは少し離れた場所で小さな家だけれど、こんなにきれいな場所に住めるなんて夢にも思わなかった。ママは仕事も貰えるそうで、そこに関してあんまりうれしそうではなかったけども、これからはもう少しいい生活ができるそうだ。久しぶりにお風呂と温かい食事をもらった。


「…。」


 しかし何かが引っかかる。大切なことを忘れている気分だ。一夜の夢のように忘れてしまった。しかしそれはすぐに思い出した。あの子のことだ。結局まだ会えていない。あの子も同じような支援を受けてどこかへ移り住んでしまったのだろうか。


「会いたいな。」


 僕も学校に通えることになった。これから生活は大きく変わるのだろう。けれど偶にはあの場所へ行ってみようと思う。もしかしたらいつかあの子に会えるかもしれないから。その時はきっと彼女にプレゼントを贈るのだ。それまでこのお金は大切に持っておこう。

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フェアウェル 黒猫館長 @kuronekosyoko

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