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「こんなとこから早々にでたいのは、みな同じでありんしょ?」

「ええ、でも。ここで得たものもございましょ?姐さまがた。」

「ふふふ、そりゃありやせんとはいえんでしょう。」


「【霧無】の女郎でありんすから。」


 聞きなくない話だ。

 けれども最早耳を塞ぐ気力もなければ、その意味も無い程聞いた話だ。

≪みにくいものは無し≫

 それは見難い霧が無いのと同じくが無い事をうたった【霧無】という見世の特色。

 どれだけ大枚を叩いた所で、実現するのは難しい話。

 人間の好みは千差万別、万人に美しいと言わせるには様々な美貌や要素が必須なのだから。だというのに、それを形にしてしまった見世に何も裏がない筈もなく。


 ここにいる女郎と呼ばれる者全員、誰一人として本当の顔を持っていない。


―――遊郭の話は聞いたことがあった。

 当たり前に存在するが、縁がなければとんと関係ないモノ。他の水商売の一部と同じ様な他人事として見ていたし、特殊な立地や利権の関係上、態々関わらなければ噂話程度で済んでしまう様なものだった。

 そも一応戦争中なのだ。相手が人間では獣人だとかいう存在であるとはいえ、過去の戦だ戦争だがあった頃には性的なソレを発散させる事業が大きく発展していたと聞く。遊郭が存在していても何もおかしいとは思っていなかった。

 だというのに。私は攫われた。

 突如として見知らぬ人間に攫われ、余り広くはないトラックにすし詰めにされたと思えば。気が付けば遊郭の敷地内、【霧無】に買い取られていた。

 大理石だろうか、煌びやかな反射をする黒い床と白い壁。磨かれて美しいそれらは皮肉の様に無機質な雰囲気を醸し出していて、怖ろしかった覚えがある。

 重厚な扉と横にある大きなガラスからはそれぞれ怪しいマスクをかぶった人間が覗いていた。

『君たちはこれから別人になれる。』

 スピーカー越しに響いた声はたったそれだけで、何が起こるかは分かっていなかった。けれど碌でもないという事だけは確証があった。

 事実、ガラスの向こうで行われたのは攫われた際の所持品の破壊だったのだ。何人が悲鳴を上げただろうか。無意味に反抗する者もいたし、私自身もそれに含まれている。

 だが、仕入れの手段が一貫して同じこの見世で、対策を講じていない訳がなかった。

 私たちを嗤うように、部屋に催眠ガスが充満したその素早い対処は恐らく、〈商品〉に無駄な傷を増やさない為だろう。

 どれだけ気を失っていたかは定かではない。目が覚めると身体に違和感を感じた。

 清潔なシーツの敷かれたクッション状の床から起き上がって、辺りを見回すと周囲には同じように戸惑う全裸の女性たち。そして、気を失う前とは全く違うその部屋の壁は全てが鏡で出来ていた。

 横たわっていた女性が残らず起き上がったのを確認し、いつの間にか入口で満足げに眺めていた老人はにっこりと歌うように語り出した。

ーー生まれ変わった自身をよく見るといい。

ーー出来は何百というアンタらの先輩が保証してあげよう。


ーーさあ、それがアンタらの新しい人生の形さ。


 嫌に上品な着物に身を包んだ老人 そいつに促されて鏡と向き合った者の驚きと戸惑いが、徐々に恍惚とした感情に変わっていく様を見た。

 幾人、いや私以外の全員がそうして自分の顔や身体を撫でては、嬉しそうに微笑むのだ。

 これ以上に幸せなことはないと。まるで魔法にかけられた娘 舞踏会へ向かうシンデレラのように!!


―――私は、その様に吐き気さえ覚えた。

 鏡に映った姿には本来の面影は存在せず、絵に描いたような美女が恐怖を湛えこちらを見つめていたほど、他でもない私の姿だと言われるこの光景に、絶望を感じたのだ。

 そして、この状況に喜びさえ感じている他人すら、異様なものに見えた。

 わかってはいるのだ。中型トラックの荷台に極限まで詰められる程の人数を何故買えたのか。人一人等はした金とは思いたくはないが、この数は余りにも多いのではないかと。

 そして何故、彼女らはこれほどまでに喜びを感じてるのか。

 私たちは全員醜かった。

 良くて中の下、上限があっても下限はない。幾度、嫌悪と侮蔑の視線向けられたか分からないような人間が、私たちだったのだ。

 私も含め、攫われた全員が醜かった。だから恐れて暴れたのだ、遊郭という性を売る場所など碌な事にはならないと。遊郭はうつくしい女を買うような、モデル以上に生々しく容姿を値踏みする様な場所だと誰もが思っていたから。

 だが、容姿も体型も全て完璧なものを誂えられた。

 欲しくてたまらなかったであろうモノを、手にすることが出来た。

 人権などなく、勝手に行われた所業すら思わぬ幸運が舞い降りたとすら思ってしまう程に、私たちは醜い女だったはずだ。


 一緒に攫われただけの彼女らの事情を知る訳が無い。けれども、私は確かに愛されていた。

 容姿にコンプレックスがあっても、口さがない第三者に嘲られようとも、家族に友人に愛されていたという自負があったのだ。

 だから帰りたかった。だから抵抗した。

 なのに―――、


「嘘だ、これは――私じゃない!!!」

 鏡に額を叩きつけ苦しんだ事もあっただろう隣人を気にすることなどできなかった。

 過去の彼女らと同じように私もまた、美しくなった顔を力いっぱい叩きつけた。


 鏡を割り、額を割り、血を滴らせる私を避ける様に似た境遇の隣人たちが離れて行く。

「おかしいのは私か?違うだろう!?攫われて、この先どうなるのかわかってるんだろう!?なあ!?醜い顔が美しくなったところで、ここに攫われた事には変わりないんだよ!!??」

 容姿にコンプレックスはあった、もしかすると何時かは整形したかもしれない。だが、今こうして奪われることを許容できるほどに、全てを捨ててはいなかった。諦めてなんて、私はなかった!!

 私を押さえつける様に指示する老人――のちに廊主と知る――ではなく、嘆き訴える私を恐怖する彼女らは異様な出来事全てに狂ってしまったんだと思う。

 もしかすると、そう信じたかっただけなのかもしれない。

「なぁに、年季が明ければ出られる。まあ、身分証は買わなければならんがね。買えばその身体も顔もそのままに生まれ変わって出ていけるんだ。何もわるい話じゃないだろう?」

 甘言を零す廊主に戸惑いながらも歓喜を隠せない彼女たちは、現実はそんなに甘くないとは気付いていない。

 容姿が良ければと嘆き続けた彼女たちは、容姿が良ければ全て好転すると信じ続けた娘たちは、例え容姿が良くとも悪意は容赦なく降り注ぐことに気づけなかった。

 年季が何時までかも、〈身分証〉と呼ばれたそれが明確にどのようなものかも、問う事すらしなかったのだから。

 それでも彼女らは構わないといっただろうか?

 『これほど美しいのだから、それでも大丈夫だ』と考えたのだろうか?


 隔離された先は廊主の部屋だという一室。監視の男たちの中、縄によって拘束されてソファに置かれていた。

 縛り付けられた体に縄が食い込んでも、素肌に触れる縄は嫌味の様に滑らかで毛羽立ち一つなかった。

 〈商品〉に傷付けない為だという事は、何も知らなかったあの時ですら理解できた。

 薄暗い和室の一角に据えられたソファに横たわる私を楽し気に眺める廊主は、縄の下に見える痕を蛇の鱗の様だと嗤い触れていた。

 その先、どうすることが正しかったのかは定かではない。

 目の前を通るその腕に噛みつこうとしたことが間違いか。そうした私の心を砕きたかったのか。

 それとも、

「少し体温が低いのか...。それは一興」

 悪寒すら覚えるその言葉を誤魔化す台詞一つ吐けなかったからか。

 特別だと嘯き運ばれ、異様な技術が施された。後遺症もなく、全身を変貌させた技術もさることながら、その上を行くこれは一体何なのだろうか。

 とっくに元の姿も分からぬほどに作り替えられたこの身を、更に弄んだその業こそ今の私だ。

 更に色素を抑え、遺伝子を組み換えて、人だけでは収まらない肉体へと変貌させられた。


 私の身体は恒温動物 にんげんを素体とした変温動物―――蛇人間だ。


 ただ低血圧から来る冷え性だっただけ、それだけだったというのに。

 理不尽に変えられた体は只管に凍えるばかりか、自分の体温も保てず、温かい環境でなければまともに考える事も出来ない。だというのに廊主は私にそれらを与える事はせず、寧ろ足すらも小さく作り直してしまった。

 纏足とまではいかなくとも、異様に小さくなったこの脚ではまともに歩くこともできないだろう。

 嗚呼、そうだ、廊主もよく分かっている。這ってでも逃げるだろう私を捕まえやすいように、歩けぬよう動けぬ様に、囲っているのだ。

 そうして、他の女郎たちと異なる部屋に座した私に示すのだ。

 床入りすれば、その部屋は常人では少し熱い気温が保たれている。

 床入りすれば、適温の食事が与えられる。

 床入りすれば、相手の体温で温まる事が出来る。

 全くその通りに、身をもって教えられたこの身体の仕組みをどれだけ憎んだ事だろうか。

 体温が下がれば、動きも頭も鈍っていく。私に逃げる道は残されていなかった。



 小路を通り抜ける者、目の前に並ぶ者を眺める。

 既に凍えているが、自分の息が温まる事も出来ずに行燈からの僅かな温もりを頼る。

――標準的な女。――細身の色男。――厚着の青年。

 私が探すのは唯一、温かさそうな肉体。その身一つ、何を纏わずとも火照る様な体温の高い者。

 それらを今夜の細やかな温もりとして、一人選ぶのだ。

 一夜を買ってくれれば僥倖で、一度でも暖かな部屋でその体温をくれればいい。


 くい、とゆっくりと歩む男の袖を引く。


ーーーもうし、



 「わっちに熱をくださいませ」


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