渇望の崩壊

史朗十肋 平八

渇望の崩壊


 灯篭並木に華が咲き誇る。

 朗々と吟ずるがごとく響くのは美辞麗句に引銭きひぜに煽り――赤い格子の向こうに並ぶ華々の価格交渉――華は高くて結構か?否、気高くも野に咲く様に地に寄り添うものよ。と掛けて足して割り引いて。

 その間を切り裂いて招く娘の指先から格子の向こうの塵さえ、隙なく美しいと評判の見世【霧無きりなし】はその名に偽りなく。どの華も散らせど乱せど見目麗しく、まさしく〈みにくいもの〉は無し。


 されども、それだけにとどまらぬが大見世おおみせでもなければ、大門通りの中見世なかみせでもない【霧無】が名を上げたゆえんの一つ。

 表の張見世はりみせを横目に、入口真横の小路の中。そこには趣の異なる小さな張見世格子が一つ。

 覗き込めば薄暗い六畳一間の中でもわかるほどに、白く美つしい女が座している。

 真白な肌に色素の薄い長い髪、きりっと流れるような吊り目には行燈の灯りよりも輝く満月を携えて、薄っぺらい着物を数枚身に纏うしどけない姿で格子出窓にしな垂れているのだ。

 噂を耳にした者が目の前に並べど、ついと目をやり何も言わず。見るからに羽振りのよい男さえも袖にする氷の様なその女。

 通り名を【しらみず】――≪蛇太夫≫と名高い女郎である。

 しらみずと床入りするのに幾度という通いは必要なく、ひとたびその身体を抱けば忘れる事の出来ぬ心地であるという。しかし、それは容易なようで難しい。

 何せ、床入りにはしらみずに『選ばれる』必要があるのだ。

 その条件は未だわからず、豪傑と名高い男が選ばれた時もあれば衣服を買えぬと見て分かるほど薄汚れた青年を選んだこともあった。珍しいものならば、怪力娘を引き込んだ時すらある。

 何が琴線に触れるのやらと首を傾げど、しらみずが美しい事には変わりなく。選ばれた者ならば二度目もたやすいと知れば、我こそは等と胸に期待を躍らせながらしらみずの格子前に並ぶのだ。


ーーもうし、

 その日、しらみずが袖を引いたのは溌溂とした若者であった。

 日に焼けた肌、今どきに刈上げた短髪。ぴん、と糊の効いた着物から初めて遊郭に来たことが見て取れる。

 見るからに金にはならない、それっぽく振舞おうとはしているが作法も知らない若造だ。

 けれども今宵最初の客として、しらみず自身が選んだのだ。お代を示すしらみずの雑用付きの男に戸惑いながら手持ちがないと口にすれば、しらみずを見遣る。

ーーたりぬなれば、わっちの身銭より支払いましょう...

ーー何卒、あなたさまの熱をくださいませ

 嗚呼、流石は【太夫】の名を冠す女郎、その身に相応しい教養を感じる上品な言葉を声に、その場にいた者が皆熱い息を吐く。

 すっかり浮かされた若者がふらり、呆けたままに格子ごしのしらみずへ手を伸ばし、雑用付きに止められ中へと連れられてゆく。格子の向こうのしらみずもまた中から声が掛かり、輝ける肌もなくなった部屋はすっかり薄暗い。


「噂には聞いちゃいたが、本当にあるんだなぁ。≪蛇の婿取り≫。」

「嗚呼、金が無くても選んだ奴とは絶対ヤるって話。マジだったんだな。」

「いいなぁ、あたしもしらみずの柔肌に触れられたいわぁ...」

「それこそ蛇のように吸い付くほど美肌って聞くじゃない?私も抱きたいわ。」

 主のいなくなった張見世の前で囀る人々。

 【霧無】屈指の美女であると評判の≪蛇太夫≫しらみずは、蛇の様に滑らかな肌をしているのだとか。蛇が這う様に床入り相手にすり寄り、重い執着を以て娶らんとするように身銭を切る。そして何よりもその身体は人ではないように冷たいのだと。

 語られる噂話は皆、しらみずに選ばれたと声高々に語る者から聞いた事。幾らか誇張はあれども、大きく差異はないであろうと。違えども噂など所詮娯楽に過ぎず、何よりもそれを『確かめる』という細やかな夢を以て、人から人へと流れてゆくのだ。


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