第12話 将軍、海事担当顧問となる

 遠州(静岡県西部)は掛塚湊一の大店おおだな、廻船問屋・大黒屋の広間には、沈没したと、紀州藩の軍艦・明光丸の双方から、代表者各10人が対座している。

 明光丸がたの前列中央に座っているのは、船長の柳田杉之助である。長身かつガッシリとした体躯で、何やら肩に力が入っているようだ。


 対するいろは丸方の中央は坂本龍馬で、柳田とは対照的に、のほほんとした表情をしており、どこか余裕さえ感じられる。竜馬の左隣は、亀谷会社副長・高山だ。

 ちょうど坂本の後ろの席に、羽織はかま姿の葵、その両脇は蘭丸と勇斗が固めている。その他は亀谷会社の社員だ。


 昨夜、救助されて大黒屋に入った時、勇斗はひどくねていた。荒海で必死に葵の足に摑まっていたところ、手を放すように命じられたからだ。しかし蘭丸から、主君というものは時として冷酷な判断を下さざるを得ないこともあるのだと説得され、納得した。むしろ、情に流されずにそのような判断を下した葵に対して、尊敬にも似た気持ちが芽生えていた。


 談判の口火を切ったのは竜馬だ。

「昨夜の件では、荒海で船が沈没したにもかかわらず、一人の犠牲者も出さずに済みました。これは、大黒屋清兵衛殿を初めとする、掛塚湊の廻船問屋の方々、すなわち、赤西屋を除くすべての廻船問屋が迅速に助け舟を出されたおかげであります」

 それを聞いて、柳田杉之助の仏頂面ぶっちょうづらが、への字口になった。

 竜馬は続けた。

「それはさて置き、本日関係する方々にお集まりいただきましたのは、いろは丸が沈没した原因を究明するとともに、沈没の責任がどちらにあるか、仮に明光丸側にあったとしたら、償いはどのようにするのかを談判するためであります」

 竜馬が明光丸の名前を口にした途端、明光丸側は騒然となった。

「責任はそっちにある!」

「言い掛かりはよせ!」

「貴公らの操船が未熟だからだ!」


 竜馬は両手を広げて制止した。

「お静まり下さい! ここは、談判する場であって、喧嘩けんかをする場ではありません。順を追って、落ち付いて話し合おうではありませんか。まずは、船が沈没した当方から言い分を申し上げますゆえ、そのあと、そちらの言い分をお述べ下され」

 明光丸側は、渋々口を閉じた。


「まず、いろは丸沈没の原因は、船体左舷前方部に開いた大穴から、大量の海水が船内に流れ込んだことである。そして、その大穴は明光丸の船首がいろは丸に衝突して生じたのである。この二点は明白であると考えますが、柳田殿もご異存は有りませんね?」

「その点については、異存ござらん」

 柳田が、初めて口を開いた。


「そうすると、なぜ明光丸がいろは丸の左舷前方に衝突したか、ここが問題であります。拙者は操舵室にあって、一部始終をこの目で見、操舵手に指示を出しておりました。貴船が接近してきたのを察知した拙者は、可及的速やかに船首を右に回頭させるよう、操舵手に取り舵を命じました。同時に、危険を知らせるためを鳴らし続けたのであります」

 柳田は腕を組み瞑目めいもくしている。

「しかるに貴船は、衝突を回避しようとしないばかりか、むしろ当船の機関室がある船首やや後方に舳先へさきを向け、速度を上げながら突進してきたのであります。これが、貴船の操船上の誤りなのか、それとも……、申し上げにくいのですが、故意のよるものかは判然といたしませんが――」

 ここで、明光丸側は再び興奮し、怒号が飛び交った。


「ご静粛に! 貴船の言い分はこれからすぐに伺いますので、しばしお待ちを。……。過失か故意かは別として、状況から考えるに、衝突の責任が貴船側にあることは明々白々であります。それでは柳田殿、お願いいたしまする」


 話し始めた柳田は、やや興奮しているのか顔を赤らめ、声は少し震えている。

「当方は、江戸を出港し長崎に向かっておった。遠州灘にさしかかると、前方正面から、貴船が進行してきた。当船は貴船を回避するため、取り舵とりかじ(船首は左に向かう)を一杯に切った。ところが、貴船が面舵を切ったため、よけ切れず衝突した。これすなわち、貴船の操船誤り以外の何物でもない。当船は急いで長崎に行かねばならず、このような小港で時間を空費するわけにはいかぬ。明朝には出航するつもりである。貴船側に不満があるのなら、長崎まで来られよ」

出鱈目でたらめだ!」

「こんな没義道もぎどうが許されるか!」

 今度は、亀谷会社の者たちが野次を飛ばした。


「これ、静まれ! ……。柳田殿は、取り舵を切ったと申されましたが、しかと相違ございませんか?」

「いかにも。衝突を回避するための当然の処置でござる」

「衝突時における両船の操船に関する言い分が出そろいました。ではここで、弊社の海事かいじ担当顧問・徳山青之介殿に証言をしてもらいましょう。徳山殿は、さる旗本のご次男ですが、故あって弊社の海事担当顧問を務めておられる方です。お願いいたします」

 葵は前に膝を進め、竜馬の右横の社員と席を交代した。

「徳山と申しまする。さて、御公儀は開国を決意し、近々勅許も下されると聞いております。すなわち、諸事万端しょじばんたんにおきまして、西欧列強との付き合いが増えてまいるのは必定――」


 柳田は、隣の副長に耳打ちした。

「徳山などという旗本がおったか? しかも、あの青之介とか申す者、わしの目には子供、しかも女子おなごにみえるが。『武鑑ぶかん』(武家の紳士録)はあるか?」

「いえ、船に置いてきました」

たわけ」 


 葵の陳述は続く。

「――西洋列強は、国と国との間に惹起した争いごとは、できうる限り、法によって解決いたしまする。そうした法が書かれているのが、この『万国公法』(国際法の解説書を和訳したもの)でありまする」

 葵は、自分の前に置かれた1冊の分厚い書物を指差した。

「国を開いた以上、我が日ノ本においても、争いごとは万国公法により決済するのが当然のことわりでござります――」


「徳山殿とやら。そのようなことは聞いておりませんぞ。我が国には我が国の、祖法そほうがござろう」

 柳田が鼻の穴を膨らませて異議を唱えた。

「日頃船に乗っておられる柳田殿がまだご存じないのは致し方ございません。先般、恐れ多くも将軍様がペルリと談判して開国を取り決められたのち、諸大名や幕閣をお城に集められて、その旨を命じられましてござりまする。紀州のお殿様は当然ご存じでございましょうから、後ほど、お確かめ下され」

 そう言われては、柳田は沈黙せざるを得ない。


「さて、万国公法によりますれば、海上で2隻の船が行き会った場合、互いに面舵(船首は右へ)を切って、衝突を避けるべしと明記されております。いろは丸は、そのとおり面舵を切りました。しかるに明光丸は取り舵を切ったと、先ほど柳田殿が申されました。また、いろは丸の見張りも、明光丸が左に回頭していろは丸に向かって進んで来るのを見ております。柳田殿、間違いござりませぬな?」

「徳山殿の申されるとおりではあるが、その万国公法とやらは、にわかに信じられませんな」

「それと、もう一つ。互いの航海日誌が、ここにあります。先ほど拙者が貴船の航海日誌に目を通させていただきましたところ、重大なことに気が付きました」

「重大なことですと? 何でござるか」

「昨夜、甲板で見張りを務める当直士官の名前が、日誌にございません。ということは、見張りを立てておられなかったのではありませぬか? 当船では、甲板士官の名前が日誌に明記されておりますので、後ほどお改めください」

「当船の乗組員は一人残らず航海の熟練者であるゆえ、必ずしも士官が甲板にいる必要はござらん」

「士官がいなければ、瞬時に判断を下すことは困難でありましょう」


 談判は夕方まで続いたが、妥協点は見いだせなかった。

 談判は翌日も行うことになった。

 大黒屋で夕食をとりながら、葵と竜馬たちは作戦会議を開いた。

「上様。お見事でした。柳田は、目を白黒させておりましたな」

「ですが、柳田だけで判断を下すことはできますまい。紀州家の家老、あるいは藩主に判断を仰ぐに違いありません。そうすると、談判の終結まで、あと数日かかりそうです」

「いかにも」

「さらに柳田らを追い詰めるため、策を練りましょう。紀州家を揶揄やゆするような俗謡を流行らせてはいかがでしょう。竜馬殿」

「ほう、これは思いもしない奇策でございますな。して、歌を作ってどうされます?」

「竜馬殿は、都々逸どどいつ風の歌を作り、掛塚湊の花街かがい(遊郭)で流行らせる。予は、童歌わらべうた風のものを作り、親衛隊に命じて子供たちに流行らせましょう」

「ふふふ。これは面白そうですな」

「それと、我が親衛隊に命じて、柳田らがどれくらい困惑しているか、腹の内を探らせましょう」

「え? 危なくありませんか?」

「忍びの心得がある者に命じますゆえ、ご安心なされ」


《続く》

 



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