第9話 10人の話を同時に聴くお方
翌日、葵は親衛隊を伴って
「中へ入られよ」
一室に入ると、中央の一段高い席に、
その下、右側に座っている、たいそう肥えた中年の
「
何やら
「征夷大将軍・徳川葵でござりまする。本日は、開国と条約締結につきまして
勇斗が上段に座っている人を見ると、
「葵殿の後ろにおるのは、何者じゃ?
鯛小路が、渋柿を噛んだような顔をして
その時、上段の人物がよく通る声で話しかけた。
「まあ、よいではないか、鯛小路。私は厩戸である。
「はい」
葵は、まず日本を取り巻く緊迫した国際情勢から話し始めた。
しばらくすると、誰かが部屋に入ってきて、葵たちの右隣、少し離れた所に座って、平伏した。
「麿は、殿下のおそば近くにお仕えする鯛小路骨麿でおじゃる。恐れ多くも御前でおじゃるゆえ、身を低うして名を名乗られよ」
先ほど葵に言ったのと同じ
「それがしは、先の太政大臣・
それを聞いた勇斗は、腰を抜かさんばかりに驚いた、というほどでもなかった。
<平清盛がいたのは、もっとずっと昔のはずだ。けど、ここでは、何でもありだからな>
その後も、
中でも平将門は、
「この将門が東国にてミカドを
その間も、葵の言上は続いていた。
「――アメリカだけでなく、イギリス、フランス、ロシアといった西洋列強が、強大な武力を用いて、
「許す」
「他の方々が来られて、皆さまいっせいに殿下に言上しておられるようですが……」
「心配には及びぬ。予は、10人まで同時に話を聞くことができる。11人じゃと、ちと厳しいが」
事実、厩戸は5人の話を同時に聞きながら、それぞれに適宜質問したり、返答をしている。
<こりゃ、すげぇー。さすが、お
勇斗は実際に使ったことはないが、聖徳太子の肖像は紙幣のデザインとして使われたことがある。
「――。以上、
1時間以上にわたる葵の説明は終わった。
<太子さん、はたしてどう出るか?>
勇斗は、わくわくして太子の言葉を待った。
「葵殿、よくぞ申した。そちの申すことはいちいちもっともで、私もまったく同感じゃ。ぜひ進めてもらいたい。もっとも、私は皇太子じゃから、大切な事柄は御上のお許しを得なければならぬ。さっそく私から
「ただ?」
「葵殿も聞き及びかと思うが、御上は大の異国人嫌い。異国人は
「あの、殿下。本日はご挨拶の印にと思いまして、ささやかなものを持参いたしました」
葵は、勇斗に目配せした。勇斗は持参した風呂敷包みを、鯛小路の前に運んだ。鯛小路はそれを聖徳太子の前に置き、風呂敷の結びを解いて、中にある菓子折りの蓋を開けた。
「それは、江戸名物、
「黄金餅とな。なかなかよい名前じゃな」
と言いながら、太子は箱を持ち上げた。
「これはずっしりと重い。さぞかし、
「
「ハハハハハ。心配はいらぬ。
葵たちは御所を辞した。
二条城に戻った葵たちが、御座の間で一服していると、二条在番(江戸から派遣されている)の侍が、やってきた。
「上様にどうしてもお目通りしたいという者が来ております。
「坂本じゃと? 知らぬな」
「あの、上様。坂本龍馬というのは、聞いたことがあります」
「何者じゃ?」
「なぜか人気がありまして、小説やドラマに時々出てきます。今で言うと、そうですね、歌舞伎や人形浄瑠璃でしょうか」
「どういう働きをしたのじゃ?」
「そこがあまり思い出せません……。そうだ! 仲が悪かった
「これ、声が大きい」
「すみません」
「坂本とやらに会うから、対面の間に通せ」
葵は取り次ぎの侍に命じた。
ここは御対面の間である。葵の左右には、太刀持ちの蘭丸と勇斗が控えている。
「葵である。面を上げよ」
「元土佐藩士、坂本龍馬にござります。本日はお目通りをお許しくださいまして、一生の幸せでござります」
坂本は身なりに無頓着らしく、頭髪は後ろで無造作に束ね、紋付き
「坂本、用向きを話せ」
「はい。これからの世で一番大事なのは、貿易にございます。世界はとてつもなく広うございます。外国では、見たこともない珍奇なものが、あちこちで作られ、産しております」
「ほう。そちは、それらを見たことがるのか?」
「いえ。しかし、いずれ見たいと思っております。見るどころか、船を操って大洋を押し渡り、外国の物産を買い付けて我が国に運びます。また、我が国の産物を、外国に運んで売るのでございます。これを、貿易と申します」
「
「外国には、会社というものがあります。人々が集まってお金を出し合い、会社を作ります。会社は、そのお金を上手く使って、たとえば貿易を行って、利益を稼ぎ出します。その利益を、お金を出した人々に配るのでございます」
「それは、面白い仕組みじゃのぅ」
葵の目がキラキラ光りと輝きだした。強い好奇心を抱いた時の癖だった。
「この坂本、すでに会社を作りましてござります」
「そうか!」
「はい。
「それは結構じゃが、予に何を望んでおるのじゃ?」
「はい。亀谷会社はまだまだお金が足りません。ぜひ、上様にもご出資いただきたく、参上した次第で」
「いかほどが望みじゃ?」
「できますれば、1000両ほど」
「誰か、金井を呼べ」
随伴してきた勘定奉行・金井が部屋に入ってきた。
「上様、お呼びにより参上つかまつりました」
「おお、金井。手持ちの金はあといかほどじゃ?」
金井は膝を進めて葵に近付き、耳打ちした。
「なに! それだけか」
「はい。上様が、お気前よくミカドに差し上げましたもので。また、江戸に戻るための路銀も要りますぞ」
「分かった。では坂本、300両でどうじゃ?」
「は! 有難き幸せにござります」
「お、お待ちください、上様! このような、どこの馬の骨ともわからぬ者に、そのような大金を渡すなど、いかがなものでありましょう。上様の命なれど、手前は勘定奉行として、いささか承服しかねます」
「そちの立場としては、そうであろう。じゃがな――」
それを見ていた坂本が、割り込んできた。
「金井様のご疑念も、誠にごもっともです。それでは、こうなされてはいかがでしょう。亀谷会社の船・いろは丸が大坂に来ております。上様ご一行には二条より舟で大坂にお越しいただき、いろは丸にご乗船いただきます。さすれば、江戸までお送りいたしましょう。いろは丸には交易に使う品なども積んでございます。とっくりとご覧いただけば、金井様のご疑念も晴れましょう。もちろん、船賃などいただきません」
「あい分かった。そうしよう。ただちに、
「は、はい……」
一行は、慌ただしく出発準備に取り掛かった。
ちょうどその時だった。江戸から来た早馬の伝令が駆け込んできた。
「上様に申し上げます! 老中の堀田様がお倒れになりました。そのため、
「何じゃと! 堀田が倒れ、井伊が大老じゃ? 予の許しもなしにか……。すぐに江戸の戻らねばならぬ。一刻も早く、大坂に行くぞ」
開国への勅許について明るい見通しが見えてきた矢先、江戸では何やら風雲急を告げ始めたようである。
《続く》
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