第9話 10人の話を同時に聴くお方

 翌日、葵は親衛隊を伴って御所ごしょ(ミカドの居所)に赴いた。

 御殿ごてんの中に入ることができるのは、葵と供の者一人に限られていた。二人は、役人に先導されて、御殿の中へと進んだ。勇斗は風呂敷に包まれた四角い物を、重そうに捧げ持っている。


「中へ入られよ」

 一室に入ると、中央の一段高い席に、厩戸皇子うまやとのみこらしき貴人が座している。

 その下、右側に座っている、たいそう肥えた中年の公家くげが、葵たちに冷ややかな視線を向けた。

麿まろは、殿下のおそば近くにお仕えする鯛小路骨麿たいのこうじあらまろでおじゃる。恐れ多くも御前ごぜんでおじゃるゆえ、身を低うして名を名乗られよ」

 何やら権高けんだかな物言いである。

「征夷大将軍・徳川葵でござりまする。本日は、開国と条約締結につきまして御上おかみのお許しをいただきたく、まかり越しました」

 

 勇斗が上段に座っている人を見ると、頭巾ずきんのような被り物や、ひょろひょろと伸びた顎髭あごひげなどから、教科書に載っていた聖徳太子に間違いないと思った。そのことを葵の耳元で囁いた。

「葵殿の後ろにおるのは、何者じゃ? 家人けにんの分際で、殿下を盗み見るとは不届き千万!」

 鯛小路が、渋柿を噛んだような顔をしてとがめた。

 その時、上段の人物がよく通る声で話しかけた。

「まあ、よいではないか、鯛小路。私は厩戸である。御上おかみが臥せっておられるゆえ、代わって政務を執っておる。葵殿、開国すべき訳を申してみなさい」

「はい」

 葵は、まず日本を取り巻く緊迫した国際情勢から話し始めた。


 しばらくすると、誰かが部屋に入ってきて、葵たちの右隣、少し離れた所に座って、平伏した。

「麿は、殿下のおそば近くにお仕えする鯛小路骨麿でおじゃる。恐れ多くも御前でおじゃるゆえ、身を低うして名を名乗られよ」

 先ほど葵に言ったのと同じ口上こうじょうである。

「それがしは、先の太政大臣・平清盛たいらのきよもりにございます。本日は、失われました宝剣ほうけん草薙剣くさなぎのつるぎ捜索の成り行きにつきまして言上いたしたく、まかり越しましたる次第にござりまする」

 それを聞いた勇斗は、腰を抜かさんばかりに驚いた、というほどでもなかった。

<平清盛がいたのは、もっとずっと昔のはずだ。けど、ここでは、何でもありだからな>


 その後も、卑弥呼ひみこ弘法大師こうぼうだいし空海くうかい平将門たいらのまさかどが、次々と葵の両側に来て、話し始めた。

 中でも平将門は、憤懣ふんまんやるかたない様子で、野太い声を張り上げていた。

「この将門が東国にてミカドを僭称せんしょうしたなどとは、とんでもない大嘘でございます! 根も葉もない言い掛かりを申し立てて拙者を滅ぼそうという魂胆は明らかでございます。平定盛たいらのさだもり藤原秀郷ふじわらひでさと両名を、厳しくお咎めいただきたく、まかり越したる次第――」


 その間も、葵の言上は続いていた。

「――アメリカだけでなく、イギリス、フランス、ロシアといった西洋列強が、強大な武力を用いて、大清帝国だいしんていこくを屈服せしめたのでございます。……。殿下、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「許す」

「他の方々が来られて、皆さまいっせいに殿下に言上しておられるようですが……」

「心配には及びぬ。予は、10人まで同時に話を聞くことができる。11人じゃと、ちと厳しいが」

 事実、厩戸は5人の話を同時に聞きながら、それぞれに適宜質問したり、返答をしている。

<こりゃ、すげぇー。さすが、おさつに載るだけのことはある>

 勇斗は実際に使ったことはないが、聖徳太子の肖像は紙幣のデザインとして使われたことがある。


「――。以上、縷々るるご説明いたしましたごとく、開国と条約締結は、今や避けて通れぬものと思料しりょういたします。むしろ、遠い先まで見通しますと、我が国にとって、国を富ませ、民の福利を増進させるまたとない機会であると、確信いたしておりまする」

 1時間以上にわたる葵の説明は終わった。

<太子さん、はたしてどう出るか?>

 勇斗は、わくわくして太子の言葉を待った。

「葵殿、よくぞ申した。そちの申すことはいちいちもっともで、私もまったく同感じゃ。ぜひ進めてもらいたい。もっとも、私は皇太子じゃから、大切な事柄は御上のお許しを得なければならぬ。さっそく私から御上おかみに言上いたそう。ただ……」

「ただ?」

「葵殿も聞き及びかと思うが、御上は大の異国人嫌い。異国人はけものの類であると固く信じておられる。これをくつがえすことはなかなか……」

「あの、殿下。本日はご挨拶の印にと思いまして、ささやかなものを持参いたしました」

 葵は、勇斗に目配せした。勇斗は持参した風呂敷包みを、鯛小路の前に運んだ。鯛小路はそれを聖徳太子の前に置き、風呂敷の結びを解いて、中にある菓子折りの蓋を開けた。

「それは、江戸名物、黄金餅こがねもちでござりまする。誠につまらないもので、御口汚しかと存じますが、なにとぞご賞味くださいませ。なお、二段重ねとなっております。下段の餅は特に美味でございますので、そちらもよろしければ……」

「黄金餅とな。なかなかよい名前じゃな」

 と言いながら、太子は箱を持ち上げた。

「これはずっしりと重い。さぞかし、あんがたっぷり入っているのじゃろう。葵殿、礼を申すぞ」

勅許ちょっきょ(ミカドの許し)の件、幾重いくえにもよろしくお願い申しあげます」

「ハハハハハ。心配はいらぬ。大船おおぶねに乗った気持ちで、この厩戸に任せよ。必ずお許しを得ようぞ」

 葵たちは御所を辞した。


 二条城に戻った葵たちが、御座の間で一服していると、二条在番(江戸から派遣されている)の侍が、やってきた。

「上様にどうしてもお目通りしたいという者が来ております。土佐とさ藩浪人、坂本龍馬さかもとりょうまと名乗っております。追い返したいと存じますが、よろしいでしょうか?」

「坂本じゃと? 知らぬな」

「あの、上様。坂本龍馬というのは、聞いたことがあります」

「何者じゃ?」

「なぜか人気がありまして、小説やドラマに時々出てきます。今で言うと、そうですね、歌舞伎や人形浄瑠璃でしょうか」

「どういう働きをしたのじゃ?」

「そこがあまり思い出せません……。そうだ! 仲が悪かった薩摩さつま藩と長州ちょうしゅう藩を仲良くさせたと思います。前にお話ししたとおり、その二つの藩が中心になって、幕府を倒すんです」

「これ、声が大きい」

「すみません」

「坂本とやらに会うから、対面の間に通せ」

 葵は取り次ぎの侍に命じた。


 ここは御対面の間である。葵の左右には、太刀持ちの蘭丸と勇斗が控えている。

「葵である。面を上げよ」

「元土佐藩士、坂本龍馬にござります。本日はお目通りをお許しくださいまして、一生の幸せでござります」

 坂本は身なりに無頓着らしく、頭髪は後ろで無造作に束ね、紋付きはかまはところどころ擦り切れている。

「坂本、用向きを話せ」

「はい。これからの世で一番大事なのは、貿易にございます。世界はとてつもなく広うございます。外国では、見たこともない珍奇なものが、あちこちで作られ、産しております」

「ほう。そちは、それらを見たことがるのか?」

「いえ。しかし、いずれ見たいと思っております。見るどころか、船を操って大洋を押し渡り、外国の物産を買い付けて我が国に運びます。また、我が国の産物を、外国に運んで売るのでございます。これを、貿易と申します」

気宇壮大きうそうだいな話じゃな。その心意気はよい」

「外国には、会社というものがあります。人々が集まってお金を出し合い、会社を作ります。会社は、そのお金を上手く使って、たとえば貿易を行って、利益を稼ぎ出します。その利益を、お金を出した人々に配るのでございます」

「それは、面白い仕組みじゃのぅ」

 葵の目がキラキラ光りと輝きだした。強い好奇心を抱いた時の癖だった。

「この坂本、すでに会社を作りましてござります」

「そうか!」

「はい。亀谷かめたに会社といって、長崎にございます。船も1隻持っております」

「それは結構じゃが、予に何を望んでおるのじゃ?」

「はい。亀谷会社はまだまだお金が足りません。ぜひ、上様にもご出資いただきたく、参上した次第で」

「いかほどが望みじゃ?」

「できますれば、1000両ほど」

「誰か、金井を呼べ」


 随伴してきた勘定奉行・金井が部屋に入ってきた。

「上様、お呼びにより参上つかまつりました」

「おお、金井。手持ちの金はあといかほどじゃ?」

 金井は膝を進めて葵に近付き、耳打ちした。

「なに! それだけか」

「はい。上様が、お気前よくミカドに差し上げましたもので。また、江戸に戻るための路銀も要りますぞ」

「分かった。では坂本、300両でどうじゃ?」

「は! 有難き幸せにござります」

「お、お待ちください、上様! このような、どこの馬の骨ともわからぬ者に、そのような大金を渡すなど、いかがなものでありましょう。上様の命なれど、手前は勘定奉行として、いささか承服しかねます」

「そちの立場としては、そうであろう。じゃがな――」

 それを見ていた坂本が、割り込んできた。

「金井様のご疑念も、誠にごもっともです。それでは、こうなされてはいかがでしょう。亀谷会社の船・が大坂に来ております。上様ご一行には二条より舟で大坂にお越しいただき、いろは丸にご乗船いただきます。さすれば、江戸までお送りいたしましょう。いろは丸には交易に使う品なども積んでございます。とっくりとご覧いただけば、金井様のご疑念も晴れましょう。もちろん、船賃などいただきません」

「あい分かった。そうしよう。ただちに、出立しゅったつの用意をせよ。よいな? 金井」

「は、はい……」

 

 一行は、慌ただしく出発準備に取り掛かった。

 ちょうどその時だった。江戸から来た早馬の伝令が駆け込んできた。

「上様に申し上げます! 老中の堀田様がお倒れになりました。そのため、彦根ひこね藩主・井伊いい様が急遽大老たいろうに就任されました!」

「何じゃと! 堀田が倒れ、井伊が大老じゃ? 予の許しもなしにか……。すぐに江戸の戻らねばならぬ。一刻も早く、大坂に行くぞ」

 開国への勅許について明るい見通しが見えてきた矢先、江戸では何やら風雲急を告げ始めたようである。


《続く》

 


 

 

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