第5話 将軍、「白船」に乗り込む
翌朝ペルリ一行は、将軍を旗艦・ポーハタンに迎える準備のため、すぐに艦に戻っていった。
葵は
「ペルリ一行の遭難を未然に防いだそちの働き、嬉しく思うぞ。さすがは堀田じゃのぅ」
「いえ。賊の襲撃を予測され、
「世辞はいらぬ。して、賊は何者じゃ?」
「5人はいずれも、御年寄筆頭・滝川殿の息がかかった奥女中でございました。日頃からくのいち(女の忍びの者)を奥女中として召し抱え、密偵、窃取、謀略、暗殺などを命じているとみられます」
「やはり、滝川の仕業か」
「ただ、厄介なことに、滝川殿の
「襲撃の目的は何であろう?」
「それは明白でございましょう。上様の面目を潰すとともに、幕政の混乱を作り出し、それに乗じて紀州徳川家の
「そうじゃろうな。確か、滝川は大奥に上がる前、紀州徳川家の奥女中じゃったな」
「そのとおりにございます」
「して、見事賊を討ち取ったのは誰じゃ?」
「身共の配下におります忍びの者たちでございます。かの
「ほう。そちは、よいものを持っておるな」
「はあ」
「ちと、
「そうでございますか」
「何か、予に言うことはないか?」
「……。忍びの者をご所望で?」
葵は、わずかに
「実はな。予に直属して予の身辺を守護する『
「それはよいお考えだと存じます。勇斗の話から思いつかれたので?」
「そうじゃ。それに予は、どこにいようと、大奥の中でさえ、身の危険を感じるのじゃ」
「承知いたしました。身共の手の者から、
「そうか。礼を申すぞ」
「もったいのうございます」
「では、10人ほどもらおうか」
「え、10人もですか?」
「多すぎるか?」
「いえ。上様のご意向とあれば、多少のことは
「
「はあ」
「それから、そちが抱える忍びの者には、
「はい。おります」
「では、10人のうち5人は女子としてくれるか。むくつけき
「すべて、御意のままに」
こうして、葵の小姓のうち、森蘭丸や勇斗など10人と、堀田配下から移ってきた忍びの者10人(男女各5人)により、葵の親衛隊が作られた。総勢20人だった。
葵一行は品川に赴き、ペルリがよこしたカッターボートに乗って、アメリカ東洋艦隊旗艦・ポーハタンに乗船した。
一行の顔触れは、葵、堀田ら幕府高官数人、通詞(音羽を含む)、親衛隊で、合計30人ほどであった。
舷側に設置されたタラップを登ると、異国人を一目見ようと、大勢の乗員が垣根のように連なっている。
ペルリが出迎えた。
「本日は当艦にお運びいただき、誠に光栄に存じます」
小袖と
「お招きいただき、嬉しく思います。それにしても、大きいですね。全長はどれくらいですか?」
儀式ばったことが嫌いな葵は、さっそく質問した。
「約77mです。2年前に竣工した、我が海軍でも最新鋭の艦です。では、艦内をひととおりご案内いたしましょう」
ポーハタンは汽帆船、つまり蒸気機関を備えた帆船であった。船体中央部の両側に水車のような推進装置があり、蒸気機関で作られた力で回転した。
勇斗は、通訳見習いと称して葵のそばにいて、自分の知識を適宜葵に伝えた。と言っても、高校生の勇斗には、艦船に関する知識は大して持ち合わせていなかったが。
「帆柱が3本もあるな」
「そこが
「ほう、そうなのか」
「それと、船の上が、
「ふむ。ペルリ殿、あの大きな筒のようなものは何ですか?」
「蒸気機関を動かしたときに出る煙を、あそこから外に吐き出します。つまり、煙突ですな」
「島も何も見えない大洋の真ん中では、どのようにして進路を知るのでしょう」
「はい。羅針盤というものを使います。では、
葵の質問は、止まることを知らないようだった。
一通り艦内の案内が終わると、甲板で
儀仗兵が横一列に並び、甲板に敷かれた長い赤
大男のペルリの隣にいると、葵はまるで幼児のように見えた。
「
儀仗兵指揮官の号令が響くと、儀仗兵が捧げ銃をして葵への敬意を表した。
突然、大砲の
「ご心配いりません。これは礼砲といって、上様への歓迎の意を表しております。西洋の習慣で、空砲ですので音だけです」
「それは有難うございます。ただ、江戸の者たちは今ごろ大慌てしているかもしれませんね」
「ささやかではありますが、御昼食を用意してあります。その前に、上様からお言葉をいただけますでしょうか? 急なお願いで大変恐縮ですが」
あらかじめ打ち合わせたスケジュールにはない急な要請だった。しかし、葵は少しも動じる様子を見せない。
<急な依頼をして、予を試しておるようじゃな>
「もちろんです。乗員の皆さんに直接話しかける機会を作っていただき、感謝します」
ただちに甲板にステージが造られ、将校や水兵などの乗組員が集まってきた。やがて、押すな押すなの盛況ぶりとなった。
極東の島国の女王、しかも、まだ幼さが残る少女が、いったい何を話すのか、みな興味津々で、騒がしく会話を交わしている。
葵は、ステージに上がった。
そこから見渡すと、春なので頭の辺りがまだ白い富士山の優美な姿が目に入った。左右に目をやると、ミシシッピ以下僚艦の姿も見える。艦隊の威容が、嫌でも目につく。
春の風はやや強く、後ろに垂らした葵の長い黒髪を、盛んに揺らしている。
乗組員たちは、物珍しそうに葵を眺めて指差したり、仲間同士で話したりしていている。
「おい、あれがこの国の女王だとよ。まだ小便臭そうな子供じゃねえか」
「おれの娘も、あれくらいの歳格好だぜ。早く国に帰りてぇな」
「大砲で脅せば、すぐに降参するんじゃねぇか?」
「おい、貴様ら。口の利き方に気をつけろ。英語が分かる日本人もいるぞ」
将校が、水兵をたしなめた。
葵のスピーチが始まった。
「本日は、乗艦の機会をいただき、ペルリ提督に心から御礼申し上げます」
葵が話し始めると、私語はピタリと止んで、皆の視線は葵に集まった。葵のスピーチは、型どおりの外交辞令はごく手短かに終わった。
「――私の国は、長きにわたり国を閉じておりました。その間、西洋における科学の進歩には目を見張るものがあると聞いております。
本日、このポーハタンに乗せていただき、自分の目で見、またペルリ提督の懇切なご説明を聴くに及んで、そのことを身をもって痛感しました。
私はこのたび、国を開くことを決断しました。
広く世界の国々と
中でも、太平洋を挟んで我が国と対面しております貴国とは、子々孫々まで友情と善意に溢れた関係を保っていきたいというのが、私の切なる希望です。
両国民のすべてに、幸あらんことを!」
音羽の通訳が終わった途端、割れんばかりの拍手が沸き起こった。皆立ち上がり、叫んだり、指笛を鳴らす者もいた。
だが、葵の頭の中では演説中も、勇斗から聞いた話が消えなかった。勇斗のいた世界では、開国から90年も経たないうちに、日米が太平洋で
「上様。素晴らしい演説でした。私も深く感銘いたしました」
ペルリが話しかけて来て、葵は我に返った。
「拙い演説で、恐縮です」
「さっそくではありますが、上様に一つご相談があります」
「なんなりとおっしゃってください」
「実は昨夜、当艦に密かに乗り込もうとした者が二人おりました」
「我が国の者ですか?」
「はい。当艦に乗り組みたいと申しております。それが拒絶されて貴国に戻ると、貴国の法によって死刑になるとのことで、私も処置に苦慮しております」
「その者たちは、いったい何者でしょうか?」
「二人のうち、主なる者と思しき男は、当初偽名を使っていましたが、今は
「上様。密航は大罪です。連れ帰って厳しく処断します」
そばにいた堀田が、葵に耳打ちした。
「いや待て、堀田。その者たちは、今どこにおりますか?」
「当艦内の
「私がその者たちに会います。ペルリ殿、ご案内ください」
「上様、お止めください!」
堀田の制止にはまったく耳を貸さずに、葵はすたすたと歩き出した。
《続く》
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