第4話 将軍と側室、そして賊

 ペルリへの謁見を終えた葵は、御鈴廊下おすずろうかを通って大奥に入った。

 男は大奥に立ち入れないため、奥女中が付き従う。

 大奥における将軍の寝所・御小座敷おこざしきに入ると、側室・およねかたが待っていた。

「お帰りなさいませ、上様」

「あー、疲れたー」

 昨日から目の回るような忙しさで、しかも昨夜は大奥には行かず、夜を徹して勇斗から、彼がいた世界について話を聞いたのだ。

 無事ペルリとの談判を終え、ホッとすると同時に、疲れと眠気がどっと襲ってきた。

「上様、お風呂になさいませ」

「そうじゃな。ゆうべは徹夜じゃったから、さっぱりしたい」

 葵とお米は、数人の奥女中を従えて、御湯殿おゆどのに向かった。


「あー、いい気持じゃ。生き返るようじゃのぅ」

 葵は、湯船の中で両手を上に挙げて伸びをした。

 お米も一緒に湯に浸かっている。将軍になって以来の習慣だ。

「ん? お米、予の体をじろじろ見ておるな?」

「いえ、見てはおりませんよ」

「いや。見ておったぞ」

「上様も、芽吹いた若葉が開いていくように、どんどん大きくなっておられるのだなぁと、感じ入ったのでございます」

「ほれ、やっぱり見ておるではないか。予も、お米を穴のあくほど見てやるぞ……。それにしても、お米の胸は白くて大きいのぅ」

「上様が、たくさんお乳をお飲みあそばされたからでございますよ」

 お米は以前、葵の乳母うば)だった。葵が将軍職を継いだ際、「側室」となったのだ。


「ちょっと、指で突っついてもよいか?」

「もちろんですとも」

 お米が葵と向き合うと、葵は指でお米の豊かな乳の上の方を、指で押したり戻したりした。

「ふーむ。何に例えればよいのじゃろうな。指がはじき返されるぞ」

「覚えておられますか? ちっちゃなお口でここに吸い付いて、それはたくさん、お乳を飲まれましたのを」

 お米は、左の乳首を指差した。

「覚えているわけがなかろう! 赤子だったんじゃぞ」

「では、思い出させて差し上げます」

 お米は両手で葵を抱きしめると、ぐっと引き寄せた。葵の顔が、お米の左乳房にうずもれた。


「うっ! な、なにを、する。ぐるじい。は、はな、せ……」

 お米は手を緩めた。しかし、抱きしめた両手は離さなかったので、葵の顔がお米の胸の谷間に挟まれるような具合になった。

「ぷはー。息が吸えなくて、死ぬるかと思ったぞ」

と言いつつ、葵の表情は安らかだった。お米の胸から伝わってくる鼓動が、葵の心を落ち着かせた。

「ここでは心安らかに、お疲れをいやして下さいませ」

 そう言いながら、お米は優しく葵の頭を撫でた。

「うん……」

 二人はしばらく、湯に浸かったまま抱き合っていた。


 湯浴ゆあみを終えた二人は、御小座敷に戻った。

 すでに、二人分のとこが延べてあった。襲ってくる眠気のためにまぶたが重い葵は、すぐに床に入った。

「ぷぁー」

 葵は、両手を頭の方に伸ばしながら、大あくびをした。

「そうだ、お米。真夜中に、おもて(将軍が公務などを行う空間。私的なおく=大奥とは区別されている)で多少物音や人の声がするかもしれぬが、心配しなくてよい。そのために予を起こすことも要らん」

 そう言った途端、葵はかすかな寝息を立てて、眠ってしまった。

「かしこまりました」

 お米は、行燈あんどんあかりを消して、常夜灯をともした。

 それからしばらく、葵の横に座って葵を見つめていた。熟睡している葵は、ごく普通の女の子に戻っていた。



 夜八ツ(午前2時ごろ)すぎ、どこからともなく黒い人影が現れて、白書院横の小庭こにわにある低木ていぼくの陰にうずくまった。5人全員が黒装束に身を固めているが、所作や体つきから見て、みな女のようである。

 しばらく白書院の様子をうかがっていたが、音もなく縁に上がり、建物の中に忍び入った。この黒装束集団がペルリらの命を狙っていることは明らかだ。


 白書院には、ペルリと6人の随員が泊っている。そこには襖で仕切られたいくつかの部屋があるが、司令長官のペルリは個室であろう。随員は、二人ずつ3部屋、あるいは3人ずつ2部屋に分かれているはずだ。


 集団のうち首領らしき者と他の一人が奥の部屋に向かい、他の3人は、それぞれ他の部屋に向かった。

 奥の部屋の前に来た二人のうち一人が、襖の敷居に何やら細工をしている。音を立てずに襖を開くため、敷居に油を流しているのだろう。


 やがて襖が音もなく開けられた。常夜灯のかすかな光で、掛け布団を掛けこちらに背を向けて寝ている者が、うすぼんやりと見える。

 相当の大男のようであり、ペルリに間違いない。

 二人は、狙った獲物に忍び寄る猫のように、音もなく部屋の中に入って、襖を閉めた。


 暗闇で目配せすると、一人がペルリの首に刀を振り下ろし、他の一人が背中あたりの布団に刀を突き立てた。

 ペルリの首が、ゴロリと転がった。

「ちっ!」

 一人が鋭く舌打ちをして、手で相棒に退却を命じた。

 その瞬間だった。天井の3か所が開いて、3本の槍が二人めがけて繰り出された。二人とも串刺しにされ、絶命した。

 天井から、3人の男たちがふわりと畳の上におりてきた。こちらも、目とそのまわり以外は黒ずくめだ。

 3人は、女二人の遺骸を部屋から運び出した。他の3部屋からも同様に、遺骸を背負った男たちが出てきた。そして彼らは、いずこへともなく立ち去った。

 女たちの侵入から男たちが立ち去るまで、ものの5分とかからなかった。

 ゴロリと転がったペルリの首をよく見ると、菊人形のかしらのような作り物だった。黒装束の女たちは、まんまと罠にはまったのだ。 


 大広間が襖で区切られ、いくつもの部屋ができていた。その一部屋では、ペルリと副官のジョーンズが、真夜中だというのに、声を潜めて何やら話し込んでいる。体に合わない浴衣ゆかたを着て、畳に敷かれた布団に座っているためか、とても窮屈そうだ。

「いま物音がして、すぐに静まりましたね。何か異変があったのかもしれません」

「我々の寝所が変更されて移動したことと、関連があるかもしれんな」

「明日は、将軍をポーハタンに迎えるわけですが、千載一遇せんざいいちぐうのチャンスかもしれません」

「というと?」

「何か理由を付けて、将軍を帰さないという手もあります」

「シッ! 声が大きいぞ。この部屋の壁は木と紙でできている。天井裏や床下にも空間があるようだ。誰が聞いているか分からん。聞かれたら、とりこになるのは我々の方だ」

「うっかりしました。では」

 ジョーンズは、手を挙げたり下げたりし始めた。海軍式の手旗信号で会話しようということらしい。

「将軍を人質にして江戸城を我がものにし、この国に傀儡かいらい政権を作るのです。我々の進んだ科学に基づいてこの国に工業を興し、農業を近代化すれば、民からも喜ばれ、我々になびくでしょう」

 ジョーンズは、真剣な眼差しをペルリに注いでいる。

「君の戦略構想力と野心には、私も常々感心させられている」

「光栄です」

「しかし、今の案に限れば、実現可能性に疑問符が付くのではないかな。第一に、栄光ある我が合衆国海軍が、そのように卑怯な手段を使うべきか。第二に、サムライだらけのこの国が、そう簡単に屈服するかどうか。第三に、武力を使ってまでして手に入れる価値が、この国にあるかどうか」

「そうでしょうか? ここは異教徒の国であり、文明の光がまだ届いていない未開で野蛮な地です。そこに文明の火を点すのは、我々の崇高な使命ではありませんか? そのためには、多少卑怯な手段を使うことも許容の範囲かと、私は考えます」

「なるほど。君の意見は理解した。明日、将軍をポーハタンに迎えるから、よくその人物を吟味して、この国の将来性を見極めることにしよう。判断は、それからだ」

「了解しました。司令長官のご判断に従います」


《続く》


 


 


  

 





 

 

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