第3話 将軍、ペルリと対決す

 お城の大広間には、きりきりと目一杯引かれた弓のつるにも似た、緊迫した空気が漂っていた。今しも、ペルリ一行による将軍拝謁の儀が始まろうとしていたのだ。

 席のしつらえは、一風変わっている。

 ふすまをぶち抜いて広々とした大広間に、西洋式の長いテーブルがいくつか連結して置かれている。

 そのテーブルの長辺の先に、高さが身の丈ほどもある立方体の台がそびえ、それをきらびやかなにしきが覆っている。その上にあるのは、分厚い座布団ざぶとん脇息きょうそく(ひじかけ)だ。

 ここが、将軍の座だろう。

 将軍の座からテーブルの手前の端までは、20尺ほども離れている。

 テーブルの両側に、それぞれ7脚の椅子が並んでおり、将軍から見て左側にアメリカ東洋艦隊司令長官・ペルリとその随員が、右側に老中首座・堀田正国まさくに以下の幕閣が着座している。

 ペルリと堀田の後ろ脇には、それぞれの通訳が座っている。日本側の通訳は、蕃書調所ばんしょしらべしょ(幕府の洋学教授・翻訳機関)の役人だ。

 幕閣の背中側からだいぶ離れた位置に並べられた椅子に、若年寄などが陪席ばいせきしており、末席には勇斗の姿も見える。

 ペルリは堂々たる偉丈夫いじょうふで、勲章をいくつも付けた礼装の軍服が対面する者を威圧している。だいぶ待たされているためか、赤ら顔がますます赤鬼に似てきた。

 気まずい沈黙が、見えないおりのように辺りに沈殿している。

 突然、男の声が沈黙を切り裂いた。

「上様のおなりぃー」

 襖がさっと開き、あおいがまっすぐ前を向いて、例の台に向かって足早に歩いて行く。あでやかな振り袖姿の音羽おとわが、遅れまいと後に続いた。葵はいったん台の向こう側に姿を消したかと思うと、台の上にと着座して辺りを見回した。音羽は台の陰にいるのか、前からは姿が見えない。

 ペルリ一行を含め全員が起立し、葵に一礼した。葵がうなずくと、一同は着席した。

 台上の葵の位置は、着座した人々の頭よりも上にある。そこから葵は、少女には似つかわしくない鋭い視線で、参列者を睥睨へいげいしている。

 ペルリの顔に、困惑が見て取れた。低い声で、通訳を通じて堀田に問いかけた(以下、米語も日本語で標記する)。

「堀田殿。あの方が将軍ですか? 見たところ、まだ幼い少女のようですね」

「昨年貴殿が来航されたのち、家慶公が亡くなりましたので、ご息女の葵様が将軍職を継いだのです」

「なるほど。世界では、ヴィクトリア女王のように、女帝は稀ではありません。また、幼君ようくんも決して珍しくありませんな。ただ、幼君はほとんどの場合、一種の飾りに過ぎませんが」

「しっ! 言葉をお慎み下され、ペルリ殿」

「幕府の実権は堀田殿にあると見ましたが、いかがですか?」

 すると、なりに似合わない葵の大きな声が、大広間に響き渡った。

「予は飾りではないぞ。ペルリ司令長官!」

 ペルリは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、それはすぐに消え、心の内を隠すような微笑が取って代わった。

「これは失礼いたしました。ご無礼をお許し下さい」

「遠路はるばる我が国に来ていただき、礼を申す」

「私は、アメリカ大統領ピアースの名代みょうだいとして、国書を持参いたしました。読み上げた後、上様に奉呈ほうていいたします」


 ペルリは国書を読み上げた。外交辞令を除くと、要するに開国の要求だった。

 国書の奉読が終わると、再び沈黙が訪れた。みな固唾かたずをのんで、将軍の発言を待っている。


「アメリカ大統領のご意向は理解した。しかし、祖法である鎖国を、そう簡単に止めるわけにはいかぬ」

「それは分かります。しかし、我々は1年間待ったのです。今回は是非、答をお聞かせいただきたい」

「ペルリ司令長官。はっきり申し上げるが、国を開くか否かは我が国が決めること。外国からとやかく言われる筋合いではない」

「もちろんです。しかし、上様も清国しんこくの状況はご存じでありましょう。国を開かねば、清国の二の舞になりかねません。ロシア船も貴国周辺に出没しているとのこと。もはや一刻の猶予も許されません」

「ほう。予を脅かそうというのか。大砲を積んだ軍艦を7隻も連ねて、江戸湾深く品川沖まで侵入するとは、いささか穏当を欠く振る舞いじゃな。これまで西欧諸国がアジアで行ってきたことは承知しておる。しかし、我が国は武力による威嚇いかくにやすやすと屈するような国ではない」

「はははは」

 ペルリは笑いながら、隣の堀田に顔を向けた。

「いやはや。なかなか気の強い方ですな、堀田殿。貴国の女子おなごは、みなしとやかで慎み深いと聞いておりましたがね」

 堀田は慌てて顔をペルリに近付け、囁いた。

「しっ! 声が大きいですぞ、ペルリ殿。上様の外見に惑わされてはなりませぬ。外面は年端もいかぬ乙女ながら、中身は鬼の如く豪胆なご性格で……」

「なるほど。貴国の言葉にある『外面如菩薩内面如夜叉げめんにょぼさつないめんにょやしゃ』というやつですかな」

「外面……。そのような言葉、どこで知ったのですか?」

「我々は、外国と相対する時、相手の国情や文化、その他ありとあらゆることについて徹底的に調べ上げるのです。確か貴国の諺にも、『彼を知り己を知れば百戦殆からず』というのがありましたなぁ」

孫氏そんしですな。しかし、孫氏はずっと昔の中国にいた人です」

「あ、中国ですか——」

 そのとたん、葵の甲高い声が響き渡った。

「何を二人で、ゴチャゴチャ話しておるかぁ! 予は、オニでも夜叉でもないぞ。ペルリ司令長官。我が国と交渉したくば、まず、軍艦を外海そとうみまで下がらせることだ」

「はははは。上様は見かけによらず手厳しいですね。荒れ狂う大海原を渡ってくるためには、大きな軍艦が必要なのです。武力に訴えようなどとは、微塵も考えておりません。それに、品川沖まで来て周囲を見ると、あちこちに人工島が作られており、そこには大砲も見え隠れしておりました。私は、無用ないくさなど望んでおりません」

「ふん、当たり前だ。それで、軍艦は外海まで下がらせるのか?」

「本官が乗っている旗艦と、副官が乗っている艦以外は、下田まで下がらせましょう」

「いいであろう。では、予の回答を聞かせよう」

「謹んで、お伺いいたします」

「予は、国を開くことに決した」

 広間に一瞬、嘆声が広がった。

「そうですか。賢明なご判断です」

「と言うのはまだ早いぞ。国を開くに当たっては、いくつかの条件がある。それは――」

 葵があげた条件とは、以下の7か条だった。


1.両国は、相互不可侵を約す。

2.開港地は当面の間、函館、横浜、大坂、神戸、長崎の5港とする。

3.日本における米国の領事裁判権は、1か年に限り認める。

4.日本は自ら関税を決する。

5.片務的最恵国待遇は認めない。

6.米国は日本に対し、法律や科学等に関する高度な専門知識を有する顧問を派遣する。

7.米国は、日本からの留学生を受け入れ、便宜を図る。


 上記の内容は、勇斗がいた世界の日本において、幕府が諸外国と結んだ不平等条約を改正するために、後継の明治政府が苦労を重ねた事実を踏まえている。勇斗が葵や堀田に話した日本史の知識が役立ったのだ。


「貴国が以上を了解するならば、予はさっそくミカドに拝謁して、開国の許しを得よう。開国を行うのは、許しを得た後である。どうじゃ?」

「上様の一存では決まらないのですか?」

「征夷大将軍は、ミカドから任じられ、日本のまつりごとを任されておる。したがって、国の重大事については、ミカドのお許しを得る必要があるのだ」

「分かりました。私は、上様の叡慮えいりょに感服しました。ご提案の通りで結構です」

 その場に、安堵の空気が流れ出した。

「上様、一つご提案があります」

「なんじゃ? 申してみよ」

「明日はぜひ、我が東洋艦隊の旗艦、ポーハタンにご乗船下さい。本官が、艦内をご案内いたしましょう」

 とっさに、堀田が発言した。

「ペルリ殿。その儀はまたの機会ということで」

「待て、堀田! 勝手に決めるでない。ペルリ司令長官、是非お願いしよう。予は、蒸気船というものを、この目で見てみたい」

「上様、お止め下され!」

「行く言ったら行くのじゃ。そちも予に付いてまいれ」

「上様……」


 拝謁の儀が終わると葵は退出し、堀田主催の晩餐会に移った。

 テーブルはそのままで、日米が交互に座る配置に替わった。中央に、堀田とペルリが隣り合わせに座った。堀田とペルリの間には、通訳として音羽がいる。


 豪華な酒肴しゅこうが並べられてうたげが進むと、すっかり打ち解けた雰囲気となった。

「堀田殿。今日は、ほとほと驚かされました」

「何に驚かれましたかな?」

「将軍です。幼いながら実に英邁えいまいなお方ですな」

「いかにも。前将軍が急逝きゅうせいされた時には、いったい日ノ本はどうなるのかと危惧しましたが」

「領事裁判権とか、関税とか。いったいどこから、そのような知識を得られたのでしょうか?」

「幕府内に蕃書調所があります。そこにご下問されたのかもしれませんな」

「堀田殿は当然、あの7か条の策定にあずかっておられますね?」

「もちろんそうですが、私どもが進言するというより、上様から、これではどうかとご下問がありました」

「ますます驚きますな」


 晩餐会が終わると、堀田の勧めにより、ペルリ一行は城内に宿泊することとなった。宿泊場所には白書院しろしょいんが当てられた。

 のちにペルリは、『日本遠征日録にちろく』と題する書物をあらわした。そこには、将軍・葵について、次のように記されている。


 ――部屋に入ってきた将軍は、まだ年端としはもいかぬ少女であった。私は、実権を持たない単なる飾り物だろうと考えた。

 しかし、それは当たっていなかった。開国交渉に入ると将軍は、開国は世の趨勢であって避けがたいことだとの認識を示した。その一方で、開国に際してかの国が不利な立場に立たされないよう、周到に考えられた条件を示したのだ。

 驚くべきことに、その条件の中には領事裁判権、関税自主権、最恵国待遇といった西洋で生まれた概念が含まれていた。文明の光がほとんど及んでいない極東の島国にいる彼女らが、いったいどのようにしてそれらを知ったのか、大いなる謎である。幕府高官の説明は、まるで腑に落ちなかった。

 将軍の中には、子供らしい溢れんばかりの好奇心と、不可思議な威厳とが、何の矛盾もなく併存していた。

 将軍・葵は、未来を予知する能力と人心掌握の術を身に付けた、一種のシャーマン(呪術師)であったというのは、ほとんど根拠のない馬鹿げた空想であるが、そう考えたくなる場面があったことは事実であり、ここに記しておきたい――



 大広間で晩餐会が盛り上がっているころ、大奥の一室で、何やら声を潜めて話し合う者がいた。

 大奥を一手に取り仕切る御年寄おとしより筆頭・滝川たきがわと、配下の御年寄・桃山ももやまであった。

「滝川様。今宵ペルリらは、お城の白書院に泊まるとのことでございます」

「何じゃと! 汚らわしい毛唐けとうどもをお城に入れたばかりか、泊まらせるだと? 何と嘆かわしいことじゃ。神君・家康公もさぞ、お嘆きであろうよ。それにしても、あの痩せっぽちの小娘メ。することなすこと、ご政道をゆがめることばかりじゃ」

「堀田殿も、すっかりペルリと打ち解けておられているとのことでございます」

「堀田殿ともあろうお方が、うまうまと小娘にたらし込まれるとはな。見損なったぞ。それと、小娘が新たに小姓に取り立てたというおのこは何者じゃ?」

「それが、腑に落ちぬのでございます。半年ほど前、吹上御庭で倒れているのが見つかったとのことなのですが……」

「いかにも怪しげじゃな。その者に、密かに見張りを付けよ。小娘に気取られぬようにな」

「かしこまりました」

 滝川は年のころ50歳くらいで、品のある顔立ちの中に、厳冬の凍てついた空にも似た厳しさを漂わせていた。

「あの者たちは、どうじゃ?」

「支度は整っております。滝川様のお指図があれば、いつ何時でも」

「では、今宵八ツ(午前2時ごろ)を期して白書院に忍び込み、ペルリ一味を一人残らず亡き者にせよ。くれぐれも、隠密裏にな」

「かしこまりました。では、さっそくお指図を伝えてまいります」

「瘦せっぽちがどんな顔をするか、今から楽しみじゃわい。おお、そうだ。そなたが戻ったら、前祝いにご酒でもいただくとするか」

「はい。いい塩梅に、付け届けの灘の生一本がございます」

 桃山は、いそいそと部屋から出ていった。


《続く》



 





 

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