第2話 将軍に小姓を命じられる
勇斗は、太刀持ちを従えた葵のあとに付いて行った。
葵の背丈はやはり、中学生くらいだ。時代劇に登場する女剣士のように後ろで束ねた長い髪が、歩みに合わせて左右に揺れている。
こんな中学生みたいな人に、果たして将軍が務まるのか? 勇斗はまだ、彼女が将軍なのか半信半疑だ。
しばらく歩くと、先ほどの大広間よりずっと狭い部屋に入った。いかにも密談用といった
老中首座・堀田も入ってきた。
「ここなら、何を話そうと差し支えなかろう。勇斗、そちのことは、旗本の
半年ほど前、勇斗は江戸城内の
勇斗がここに来る前のことについては、のちに触れることになる。
「堀田。桜といえば、そちの
「さようでござりいまする。桜学問所が200年後の世まで続いておると聞いて、
堀田は、感に堪えないといった面持ちである。
「ちょっと、お待ち下さい」
「何じゃ?」
「あのぅ、僕がいたのは、千葉県立桜高等学校です。桜高の歴史は桜藩の藩校に
「ならば、桜学問所と同じではないか。細かいことに、いちいちこだわるな。勇斗」
「は、はい……」
釈然としないが、葵の言うことにも一理ある。
「さて、本題に入るぞ。200年後、わが徳川家はどうなっておるのじゃ? 正直に答えよ」
「では申します。家は絶えていないと思いますが、もはや国を治める家ではありません」
「これ、勇斗。上様に向かって、
「いや。予が正直に申せと命じておるのだから、よいのじゃ。すると、国を治めておるのは、誰じゃ?」
「あのー。どこから話していいのかよく分かりません。政府というものがあって、そこに大臣が何人かいます。大臣の中で一番偉いのが、総理大臣です。大臣は国民、つまり
「なに! 上に立つ者を民が選ぶというのか! して、どうやって選ぶのじゃ?」
「はい。選挙というものがありまして、国民が投票するんです……。あの、僕にも詳しいことはよく分かっていないんです。ただ、18歳以上の国民はみな、投票をすることができます。僕はまだ17歳なので、投票したことがありませんけど」
「国民というのは、
「はい。そうです」
「うーむ。やはり200年後の世は、進んでおるな。ところで、ペルリ来航から、そちがあちらにおった時まで、日ノ本がどう変化したか、大雑把でよいから、述べてみよ」
うぉ! これはまずい。
勇斗は日本史が好きだった。しかし、その関心はいくつかの限られた分野が中心だった。例えば、上古から近代までの合戦で用いられた武器や戦法の変遷とか、同じく上古から近代までの人の被り物の歴史とか。変わったところでは、江戸時代における人糞のリサイクルとかだった。だから、教科書的な網羅的・体系的な日本史の知識には欠けるところがあったのだ。
「すみません。急に言われましても、ちょっと」
「ちょっと、何じゃ? 桜学問所の学生はみな学業に優れておるはずじゃが」
「上様。ご下問の件につきましては、勇斗にしばらく時をお与え下さい。身共からも、よく問いただします下さい
「ん。それも、そうじゃな。
ちっ! また、歴史かよ。
勇斗は一生懸命記憶を
「そうですね。上様は、オランダがある欧州をご存じですか?」
「ふん。予を
それならなんで、アメリカがどういう国か、俺に聞くんだ?
「さすがは上様、そのとおりです。その欧州で食いっぱぐれたり、イジメられたりした者どもが、海を渡って作った国が、アメリカです。アメリカで一番偉い人を大統領と言います。大統領は、民が選びます」
「ほう。民とは、女子も含むのか?」
「えー、あのー。たぶん、今はまだ女性は入っていないと思います。自信ありませんが」
「何じゃ。200年後の日ノ本より遅れておるではないか」
「はぁ」
違う時代の国を比べて、意味があるのか?
「さて、いよいよ本題に入るぞ」
なかなか本題に入らないのは、上様じゃないか。
「ペルリの目的が、開国を迫る
「いかにも。ペルリほか数人が、兵を必要最小限の数だけ引き連れて江戸に上陸し、上様に
「堀田! その通告書とやらを、予に見せぃ!」
「はっ! これは、申し訳もござりませぬ。これでございまする」
葵は、渡された通告書を穴のあくほど見ている。誰が書いたのか、日本語であるが、字は恐ろしく下手である。
「ふーむ。なんじゃこれは。ミミズがのたくったような字じゃな……。ん?
「初めから強気に出て、我らの意気を
「ふん。
「はい、すぐに命じまする」
「もしもペルリの船が品川沖まで来たら、大砲をちらつかせるのじゃ。ふふふ。ペルリめ、慌てるじゃろうな」
「して、拝謁の儀はいかがなされまするか?」
「むろん、予が
「
「それとな。予の通訳は、そちの姫、
「音羽でござりまするか? いささか
「いや。
「はい。この上なく光栄に存じまする」
「それとな、勇斗。そちは本日より、予の
「仰せのままに。池田にはその旨伝えておきまする。では、身共は
堀田は、
「こ、こしょう、ですか。いったい何をすればいいですか?」
「そうじゃな。そちがいた世の話でも聞かせてくれ。予は
「淋しい……ですか。あのー、ぼ、僕は、そっち方面の経験が、まだありませんで」
「なんじゃと? そちは、勘違いしておるな? こう見えても、予はうら若き
と言いつつ、葵はポッと頬を赤らめた。
こう見えてもとおっしゃるけど、どう見ても、うら若い乙女だよな。
「僕は別に……」
「実はな。予が住んでおる大奥は、予を恨んでおる者ばかりなのじゃ。常に命を狙われておる」
「な、何ですって! 上様は
「父上が身罷られたとき大奥には、あまたの側室と、それらに仕える者たち、一番上の
「1万人ですか!」
「予が跡を継いで、ただちに手を付けたのが大奥じゃ。
「味方は一人もいないんですか?」
「心を許せるのは、
勇斗は、一尺(約30cm)ほどその場で
「上様には、側室がいるんですか⁈」
「そうじゃ。それが、どうかしたか?」
「い、いえ……」
「予の母代わりのようなものじゃ」
「はぁ。ところで、まだ申し上げていませんでしたが、僕の世の歴史では、ペリー来航から色々な事件が起こって、幕府はなくなってしまうんです」
「ふん。そうか」
あれ? 少しも驚かないな。
「それは、そちがいた世のことであろう? そことここは違うのじゃ。予は、何としても徳川家と日ノ本を守り抜いてみせる。そのために、そちにも力を借りたいのじゃ。この
「はい。もちろん、全力でお助けいたします。上様」
「有難く思うぞ。そこに控えておる太刀持ちも、小姓の一人じゃ。森という。細かいことは森に聞け」
「
森は20歳少し前くらいの、大柄で屈強そうな男だ。
「よろしくお願いいたします。あの、森殿は、
「何じゃ? 織田信長公の小姓の森蘭丸じゃと? 聞いたことがないな。
「明智ですか?
「何をとぼけておるのか。信長公は、謀反で亡くなったりはしておらんぞ。
「え⁈」
ここの世界は、いったいどうなっているんだ?
勇斗の頭は、混乱する一方だった。
《続く》
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