第2話 将軍に小姓を命じられる

 勇斗は、太刀持ちを従えた葵のあとに付いて行った。

 葵の背丈はやはり、中学生くらいだ。時代劇に登場する女剣士のように後ろで束ねた長い髪が、歩みに合わせて左右に揺れている。

 こんな中学生みたいな人に、果たして将軍が務まるのか? 勇斗はまだ、彼女が将軍なのか半信半疑だ。

 しばらく歩くと、先ほどの大広間よりずっと狭い部屋に入った。いかにも密談用といったおもむきだ。

 老中首座・堀田も入ってきた。

 上座かみざに将軍、対面するように勇斗、その間に堀田、将軍の後方に太刀持ちという配置で座についた。

「ここなら、何を話そうと差し支えなかろう。勇斗、そちのことは、旗本の池田いけだから、おおむね聞いておる。もといた世では、桜学問所さくらがくもんじょで学んでおったそうじゃな」


 半年ほど前、勇斗は江戸城内の吹上御庭ふきあげおにわで倒れているのが発見された。当初は江戸城に侵入した賊と見なされたが、異国風の身なりや言葉遣いなどから、その疑いは薄まった。さらによく調べるため、旗本・池田義正よしまさの預かりとなったのだ。

 勇斗がここに来る前のことについては、のちに触れることになる。


「堀田。桜といえば、そちの知行ちぎょう地じゃな」

「さようでござりいまする。桜学問所が200年後の世まで続いておると聞いて、身共みどもも嬉しゅうござりまする」

 堀田は、感に堪えないといった面持ちである。

「ちょっと、お待ち下さい」

「何じゃ?」

「あのぅ、僕がいたのは、千葉県立桜高等学校です。桜高の歴史は桜藩の藩校にさかのぼる、と習ったことはありますが」

「ならば、桜学問所と同じではないか。細かいことに、いちいちこだわるな。勇斗」

「は、はい……」

 釈然としないが、葵の言うことにも一理ある。

「さて、本題に入るぞ。200年後、わが徳川家はどうなっておるのじゃ? 正直に答えよ」

「では申します。家は絶えていないと思いますが、もはや国を治める家ではありません」

「これ、勇斗。上様に向かって、滅多めったなことを申すでないぞ」

「いや。予が正直に申せと命じておるのだから、よいのじゃ。すると、国を治めておるのは、誰じゃ?」

「あのー。どこから話していいのかよく分かりません。政府というものがあって、そこに大臣が何人かいます。大臣の中で一番偉いのが、総理大臣です。大臣は国民、つまりたみが選びます」

「なに! 上に立つ者を民が選ぶというのか! して、どうやって選ぶのじゃ?」

「はい。選挙というものがありまして、国民が投票するんです……。あの、僕にも詳しいことはよく分かっていないんです。ただ、18歳以上の国民はみな、投票をすることができます。僕はまだ17歳なので、投票したことがありませんけど」

「国民というのは、女子おなごも含んでおるのか?」

「はい。そうです」

「うーむ。やはり200年後の世は、進んでおるな。ところで、ペルリ来航から、そちがあちらにおった時まで、日ノ本がどう変化したか、大雑把でよいから、述べてみよ」

 うぉ! これはまずい。

 勇斗は日本史が好きだった。しかし、その関心はいくつかの限られた分野が中心だった。例えば、上古から近代までの合戦で用いられた武器や戦法の変遷とか、同じく上古から近代までの人の被り物の歴史とか。変わったところでは、江戸時代における人糞のリサイクルとかだった。だから、教科書的な網羅的・体系的な日本史の知識には欠けるところがあったのだ。

「すみません。急に言われましても、ちょっと」

「ちょっと、何じゃ? 桜学問所の学生はみな学業に優れておるはずじゃが」

「上様。ご下問の件につきましては、勇斗にしばらく時をお与え下さい。身共からも、よく問いただします下さい

「ん。それも、そうじゃな。喫緊きっきんの課題は、ペルリにどう対処するかじゃからな。そうじゃ、ペルリを遣わしたメリケンという国は、どのような国じゃ?」

 ちっ! また、歴史かよ。

 勇斗は一生懸命記憶を手繰たぐり寄せようとした。しかし、日本史の授業は、古代や中世にやたらと時間をかけたためか、幕末以降は超スピードだった。

「そうですね。上様は、オランダがある欧州をご存じですか?」

「ふん。予をあなどるでない。国を閉じておってもな、世界の事情はいろいろな経路で手に入るのじゃ。地球儀も持っておるぞ。欧州は、ずっと西の端じゃろ?」

 それならなんで、アメリカがどういう国か、俺に聞くんだ?

「さすがは上様、そのとおりです。その欧州で食いっぱぐれたり、イジメられたりした者どもが、海を渡って作った国が、アメリカです。アメリカで一番偉い人を大統領と言います。大統領は、民が選びます」

「ほう。民とは、女子も含むのか?」

「えー、あのー。たぶん、今はまだ女性は入っていないと思います。自信ありませんが」

「何じゃ。200年後の日ノ本より遅れておるではないか」

「はぁ」

 違う時代の国を比べて、意味があるのか?

「さて、いよいよ本題に入るぞ」

 なかなか本題に入らないのは、上様じゃないか。

「ペルリの目的が、開国を迫る談判だんぱんであることは明白じゃ。すでに、浦賀うらが奉行所ぶぎょうしょに、通告書をよこしているそうじゃな。堀田」

「いかにも。ペルリほか数人が、兵を必要最小限の数だけ引き連れて江戸に上陸し、上様に拝謁はいえつしたいと書いてあります。どういたしまするか? ここはやはり、浦賀において、浦賀奉行に応対させるのがよろしいかと」

「堀田! その通告書とやらを、予に見せぃ!」

「はっ! これは、申し訳もござりませぬ。これでございまする」

 葵は、渡された通告書を穴のあくほど見ている。誰が書いたのか、日本語であるが、字は恐ろしく下手である。

「ふーむ。なんじゃこれは。ミミズがのたくったような字じゃな……。ん? 畳敷たたみじきはいやじゃだと? 生意気な。きゃつらは、郷に入らば郷に従えということわざも知らぬ蛮人ばんじんらしいな。オランダ人は、将軍に拝謁する時には、畳の上で平伏しておるぞ」

「初めから強気に出て、我らの意気をくじこうという魂胆かと。会見の形式もさることながら、重大なのは、彼らの船にある大砲でござりまする。砲門をいっせいにお城に向けるに違いございませぬ」

「ふん。猪口才ちょこざいな。昨年の来航後、江戸前の海に台場だいばを多数築き、砲を据え付けたことをまだ知らんな? お、そうだ! 台場の砲にはすべて覆いをして、隠しておけ。大急ぎじゃ」

「はい、すぐに命じまする」

「もしもペルリの船が品川沖まで来たら、大砲をちらつかせるのじゃ。ふふふ。ペルリめ、慌てるじゃろうな」

「して、拝謁の儀はいかがなされまするか?」

「むろん、予が謁見えっけんする。ただし、ペルリの護衛兵は、大手門より中に入ることまかりならん。ペルリにそう伝えよ」

御意ぎょい

「それとな。予の通訳は、そちの姫、音羽おとわが務めよ」

「音羽でござりまするか? いささか心許こころもとないと存じまするが」

「いや。通詞つうじ(幕府の通訳・翻訳官)より、断然流暢りゅうちょうじゃ。なにより、機転が利く。国元ではなく、そちの江戸上屋敷かみやしきにおるのじゃろ?」

「はい。この上なく光栄に存じまする」

「それとな、勇斗。そちは本日より、予の小姓こしょうとなれ。堀田、よいな?」

「仰せのままに。池田にはその旨伝えておきまする。では、身共は諸々もろもろの手配がございますので、これにて失礼いたしまする」

 堀田は、気忙きぜわしそうに、部屋から出て行った。


「こ、こしょう、ですか。いったい何をすればいいですか?」

「そうじゃな。そちがいた世の話でも聞かせてくれ。予はさびしいのじゃ」

「淋しい……ですか。あのー、ぼ、僕は、そっち方面の経験が、まだありませんで」

「なんじゃと? そちは、勘違いしておるな? こう見えても、予はうら若き乙女おとめじゃぞ。不埒ふらちな考えを起こすと、承知せぬ」

と言いつつ、葵はポッと頬を赤らめた。

 こう見えてもとおっしゃるけど、どう見ても、うら若い乙女だよな。

「僕は別に……」

「実はな。予が住んでおる大奥は、予を恨んでおる者ばかりなのじゃ。常に命を狙われておる」

「な、何ですって! 上様は征夷大将軍せいいたいしょうぐんではありませんか」

「父上が身罷られたとき大奥には、あまたの側室と、それらに仕える者たち、一番上の御年寄おとしより筆頭から一番下の御末おすえまで、およそ1万人が暮らしておった。父上が甘やかしたおかげで、大奥の連中はやりたい放題、贅沢ぜいたく三昧ざんまいじゃった」

「1万人ですか!」

「予が跡を継いで、ただちに手を付けたのが大奥じゃ。大鉈おおなたを振るって、今では3千人にまで減らした。それゆえ、大奥の者はほとんど、予を憎んでおる。毒を盛られたことも、一度や二度ではない」

「味方は一人もいないんですか?」

「心を許せるのは、側室そくしつのおよねかたと、その配下だけなのじゃ」

 勇斗は、一尺(約30cm)ほどその場でね上がったのではないかと思うくらい驚いた。

「上様には、側室がいるんですか⁈」

「そうじゃ。それが、どうかしたか?」

「い、いえ……」

「予の母代わりのようなものじゃ」

「はぁ。ところで、まだ申し上げていませんでしたが、僕の世の歴史では、ペリー来航から色々な事件が起こって、幕府はなくなってしまうんです」

「ふん。そうか」

 あれ? 少しも驚かないな。

「それは、そちがいた世のことであろう? そことここは違うのじゃ。予は、何としても徳川家と日ノ本を守り抜いてみせる。そのために、そちにも力を借りたいのじゃ。この大事だいじを乗り切ったあかつきには、そちが元の世に戻れるよう、予も力を貸そう。どうじゃ?」

「はい。もちろん、全力でお助けいたします。上様」

「有難く思うぞ。そこに控えておる太刀持ちも、小姓の一人じゃ。森という。細かいことは森に聞け」

森蘭丸もりらんまると申す。よろしくお願い申す」

 森は20歳少し前くらいの、大柄で屈強そうな男だ。

「よろしくお願いいたします。あの、森殿は、織田信長おだのぶながの小姓と、同姓同名ですね。信長の小姓の森蘭丸は、本能寺ほんのうじで勇敢に戦いましたが、多勢に無勢で――」

「何じゃ? 織田信長公の小姓の森蘭丸じゃと? 聞いたことがないな。明智光秀あけちみつひでという小姓は、予も聞いたことがあるがな」

「明智ですか? 謀反むほんを起こし、本望寺で信長を殺したという」

「何をとぼけておるのか。信長公は、謀反で亡くなったりはしておらんぞ。たいの食いすぎだと言われておる」

「え⁈」

 ここの世界は、いったいどうなっているんだ?

 勇斗の頭は、混乱する一方だった。


《続く》 

 









 



 





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