将軍と僕

あそうぎ零(阿僧祇 零)

第1話 将軍は女の子だった!

 お城の千畳敷せんじょうじき大広間には、親藩しんぱん譜代ふだい大名、幕閣ばっかく重臣じゅうしん、要するに幕府や各藩のお偉方えらがたが居並んで、将軍の御成おなりを待っていた。

 だいぶ待たされているとみえ、隣や前後と盛んに会話を交わしており、大広間は喧騒けんそうに包まれていた。

「これはいったい、何の騒ぎでござろうか?」

「おそらくは、異国船の件でござろう」

「異国船? そんなものは、芥子粒けしつぶの類でござるな」

「そこがそれ。上様うえさまはまだ幼く、しかも女子おなごであらせられる故でござるよ」

「いかにも。本来であれば、まだ人形遊びなどしておられるお歳頃でござる」

「すると拙者どもは、差し詰め、上様ご愛用の人形でござるなぁ」

「ずいぶん人形でござるな。ははははは」


「上様のおなり―!」

 そのとたん私語はピタリと止み、辺りは静寂につつまれた。

 続いて、全員が平伏する衣擦きぬずれの音が、大広間を這うように広がった。


 上段の間のふすまが音もなく開き、将軍が太刀持ちを従えて入場した。背丈は、中学生くらいしかない。落ち着いた色の羽織袴はおりはかまに身をつつんでいる。

 座布団の後ろに立って皆を一渡り眺めたあと、着座した。

「苦しゅうない。皆の者、面を上げよ」

 その声は、まぎれもなく若い女の声だ。むしろ、子供の声に近い。


 彼女が将軍・あおいなのだろうか?

 幕臣の末席に連なっていた勇斗ゆうとは、いぶかしく思った。彼が高校で習っていた日本史には、女の将軍など一人も出てこなかったはずだ。

 もっとも、確か鎌倉時代に、「尼将軍あましょうぐん」と呼ばれた人物はいた。大河ドラマにも出ていた。だが、それは将軍の妻、あるいは母であって、正式な将軍ではなかった。

 それに、そもそも葵などと言う名前の将軍がいただろうか? 日本史が好きな勇斗には、どうしても腑に落ちなかった。

 将軍から勇斗まではだいぶ距離があったが、勇斗の視力は2.0だ。目を凝らして、将軍の姿や挙動を観察した。

 時代劇で見るような月代さかやきや上向きのまげはなく、ひっつめの髪を後ろで束ね、そのまま垂らしているようだ。


「本日は大儀である。さっそく、本題に入る。皆も聞いておろうが、ペルリの艦隊が、先ほど観音崎かんのんざきの沖を通過した。明日、江戸に来るであろう。は昨年、浦賀うらがにやってきて開国を迫った。今回は、有無を言わせぬ構えであろう。これに対し、どのように応ずるべきか。考えのある者は申せ。本日は何を申してもとがめはせぬから、遠慮はいらぬ」

 あたりは、水を打ったように静まり返った。

「誰かおらぬのか?」

 しかし、一同、下を向いて沈黙したままだ。

文永ぶんえい弘安こうあん元寇げんこうにも匹敵する国難じゃというに、皆、太平の世に慣れ切って、呆けてしまったか⁈」

 葵の甲高い声が、沈黙を切り裂いた。

「申し上げます!」

 前から2列目に座っている譜代大名が手を挙げた。

「おお、榊原さかきばらか! 申してみよ」

「恐れながら申し上げます。武力を用いてペルリらを打ち払うことは、かれの持つ火砲の威力を考慮いたしますと、絶対に不可能と考えます」

「ふむ。では、開国に応ずるか?」

「いえ。開国すれば、戦わずして彼の軍門にくだることとなります。神君しんくん・家康公から代々受け継がれた我が国土を、みすみす明け渡すことなど、どうしてできましょうや?」

「ならば、いったいどうするというのじゃ?」

「はい。ここは、御公儀ごこうぎ金蔵かねぐらにあります黄金おうごんを彼らに与え、退去するよう言い含めまする」

 葵は、ぷいと横を向いた。

「さらに、とっておきの秘策がございます」

「秘策じゃと?」

 疑わしそうな葵の視線が、再び榊原に注がれた。

「黄金に加え、大奥にあまたおります美女から、絶世の美女数名を精選し、きゃつらに与えるのでございます。毛唐けとうどもはそろいもそろって、度はずれた好色漢であると聞きます。美女を与えればたちまち、腑抜けになるのは火を見るより明らかで――」

たわけめ! そちの頭はカボチャかーっ」

 葵が獅子吼ししくすると、

「ははー」

 榊原は、平蜘蛛ひらぐものようにかしこまった。

「お城の金蔵にある黄金と申したが、そんなものはないぞ」

「は?」

「父上・家慶いえよし公が大奥を甘やかし、贅沢三昧ぜいたくざんまいをさせたおかげで、今や将軍家の台所は火の車じゃ。昨年のペルリ来航騒動が、それに拍車をかた。父上はまつりごとから逃げ、大奥から出てこなくなったことは、そちも知っておろう。そして、突然身罷みまかられたのじゃ」

「……」

「大奥の美女を差しだすとな? 策とも言えぬ、猿知恵じゃな。そちには失望したぞ、榊原」

「恐れ入りたてまつりましてござりまする」

「ほかにないか!」

 大広間は、一つ聞こえない。

 何を言っても咎めないと言った舌の根も乾かぬうちに榊原が大喝だいかつされたので、皆怖気おじけづいてしまったのだ。

「確か、異国から来たというおのこがおったな。異国事情を聴きだすため、池田じゃったか、旗本の誰かに預からせたはずじゃが。旗本の誰かに預からせたはずじゃ。ここに来ておるか? 堀田ほった

 最前列にいた老中首座ろうじゅうしゅざ・堀田がうなずいて、立ち上がった。

「来ておるはずでございます。誰か、勇斗をここに連れてまいれ」


 最後列にいた勇斗は、将軍・葵の前まで連れて来られた。

「そこに座れ。御前ごぜんであるぞ。粗相そそうのないようにな」

 堀田は、やや心配そうな眼差しを勇斗に向けた。

「勇斗とやら。苦しゅうない。面を上げよ」

「はい」

「おお、見目麗みめうるわしい若者ではないか! なぜ、もそっと早くの前に連れてこなかったのじゃ? 堀田」

「上様。はしたないお振る舞いはお慎みなされませ」

「はしたないとは何じゃ。思うたままを申して、何が悪い。ところで勇斗、そちは、これから先に起こることを言い当てる、不思議な力を持っておると聞くが、それはまことか?」

「それは……」

「案ずるな。本朝ほんちょう(日本)開闢かいびゃく以来の一大事じゃ。何を申しても咎め立てせぬゆえ、忌憚きたんなく申せ」

「分かりました」

とは言ったが、榊原が大喝された後ということもあり、勇斗は慎重に言葉を選んだ。


「僕はこことよく似た世界にいました。そこでは、時代がもっと先に進んでいましたので、これから起こることが、幾分か分かるのです。ただ、僕がいた世界は、こことよく似てはいますが、まったく同じというわけでもありません。違う点もたくさん見受けられます」

「たとえば、何が違うのじゃ?」

「そうですね……、女の将軍などおりませんでした」

「黙れ勇斗! 御前なるぞ!」

 堀田が吠えた。

「うるさいぞ、堀田! 黙るのはそちの方じゃ。勇斗は続けよ」

「でも、徳川幕府はありましたよ。またある時、黒船くろふねがやってきたことも同じです」

「黒船じゃと? 昨年来たペルリの船は、船体が白かったというぞ。だから、白船しろふねと呼ばれておる」

「はい。そのように、僕がいた世界とこことは、似ていながら少し違うのです。僕の方では、黒船を率いていたのはペリーという、アメリカ国の軍人、つまり侍でした」

 葵は、興味深そうに、勇斗の話に耳を傾けている。

「して、そちがここに来る前におった世は、ペルリが日ノ本に来てから、どれくらい経っておったのじゃ?」

 葵の視線が、ひたと勇斗に注がれた。勇斗は初めて、葵の顔を正視した。どこか、タレントかアイドルの誰かに似ていると思った。誰だろうとあれこれ考えたが、なかなか思い出せない。

「これ勇斗。考えておるのか?」

「は、はい。今、計算しております。でも、僕は暗算が苦手でして」

「何なら、予も勘定を手伝うぞ」

「いえ、計算できました。ペリー来航から、ざっと200年あとです」

 勇斗の答えが聞こえた範囲の幕閣たちが、にわかにざわめいた。しかし、葵は動じる風もない。

「そうか。して、そちがいたという200年後も当然、徳川の世じゃろうな? 将軍はどなたじゃ?」

「あのぅ。その答をここで申し上げてよろしいのでしょうか? これは、内密に申し上げるべきかと思いますが」

「ん?……。おお、そうじゃな。勇斗よ、よくぞ申した。堀田、皆のものに、いったん各人の詰め所に下がって沙汰さたを待つよう命ぜよ」

「承知いたしました」

「勇斗は、予に付いてまいれ。堀田も来るのじゃ」


《続く》





 

 

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