第13話 黒壁山『岩窟の祠』の金沢最強の魔力(僕 高校3年生)想いのままに・男子編
外(はず)したら御終(おしま)いのサドンデスの優勝争いの最中(さいちゅう)、弓を引き絞(しぼ)り、矢を正鵠(せいこく)へと狙(ねら)いを定めて行く『会(かい)』を正(ただ)しながら、僕は黒壁山(くろかべやま)の祠(ほこら)で行った祈願(きがん)を思い出していた。
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九萬坊(くまんぼう)黒壁山のお寺の本尊(ほんぞん)は、九萬坊満願寺(まんがんじ)と同じく、修験者(しゅげんじゃ)達の神格の天狗(てんぐ)だけれど、こっちは大権現(だいごんげん)だと、親父(おやじ)は言っていた。
それは、きっと、生玉子(なまたまご)と酒を御供(おそな)えする奥の院の神様は、大蛇(だいじゃ)のようで、黒壁山の在(あ)る内川(うちかわ)地区には、大蛇に例(たと)えられたり、纏(まつ)わるような古(いにしえ)の伝承(でんしょう)が、砂金伝説以外にも有るのじゃないか?
それとも、古代から中世期に金沢城内の辰巳(たつみ)域で居(きょ)を構(かま)えていた悪鬼衆(あっきしゅう)が、この地に追い遣(や)られて、伏見川上流の黒壁の谷へ閉(と)じ込められ、京都市の羅刹谷(らせつこく)と同じように修羅(しゅら)の地として、恐(おそ)れられていたのかもと考えてしまう。
しかも、悪鬼衆には人肉を好(この)んで食べる食性があって、沢の奥には貝塚(かいづか)ならず、人骨の塚など、彼らの暮らした跡(あと)が残っていたりして……と、沢の流れの音は小さくて風に吹(ふ)かれる葉音(はおと)もしない辺(あた)りの不気味(ぶきみ)さに、不安を増長(ぞうちょう)させる想像(そうぞう)をしてしまう。
『そんな、骨も残らず生きながら食べられて、行方不明(ゆくえふめい)になるのは嫌(いや)だ!』と、 恐(おそ)ろしさに駆(か)られて、根拠(こんきょ)の無い妄想(もうそう)が幾(いく)つも過(よ)ぎり、小心者(しょうしんもの)の僕は、更(さら)に縮(ちぢ)み上がってしまう。
さっきから漂(ただよ)う生臭(なまぐさ)いゴムのような臭(にお)いと、迫(せま)り来る得体(えたい)の知れ無い気配(けはい)に、戦慄(せんりつ)が全身に走り、参道を踏み蹴(け)る足の裏(うら)の感覚が薄(うす)れて行く。
足音や何かが擦(こす)れる音は聞こえず、草花が戦(そよ)ぐ事も無いけれど、直(す)ぐ近くに何かがいる!
早足は駆け足になってお寺の境内(けいだい)へと急(いそ)ぎ、コンクリートの階段を一気(いっき)に駆け上った。
岩窟の祠への急な石段もそうだったが、沢沿いの土手の土を踏み固めただけの狭い参道、お寺の裏から結界に入って参道へ上り下りする曲がりくねる階段、そのいずれもが薄暗くなった黄昏時に足元の注意を怠ったり、余所見をしたりすると、沢の流れまで転げ落ちてしまいそうだった。
(怖(おそ)ろし過(す)ぎでしょ、ここは!)
不思議(ふしぎ)な事に、階段へ辿(たど)り着くと、間近(まぢか)まで迫(せま)っていた気配の動きが停(と)まった。
強い二重(ふたえ)の結界(けっかい)を示(しめ)す二(ふた)つ鳥居(とりい)は階段を上った寺の裏庭に建っていて、まだ、魔所(ましょ)を脱(だっ)していないのに、2段飛びで階段を駆け上がる僕へ近寄っていた音は消えていた。
辺りは静(しず)まり返って、階段脇の小さな滝(たき)が流れ落ちる水音のせせらぎと、背後に細く沢の流れが聞こえるだけだ。
動きが無いだけで、其処(そこ)此処(ここ)の黒や暗い灰色の塊(かたまり)の中に、動きを停めた気配を感じる。
ちらっと真っ黒(まっくろ)な木立(こだち)の間に仰(あお)ぎ見た空は、まだ黄昏(たそがれ)の明るさを保(たも)っているのに、ここは夜の暗さと違う、深い暗闇(くらやみ)に呑(の)み込まれて行く。
登(のぼ)るに連(つ)れて、薄(うす)れる寒(さむ)さに吐(は)き出した白い霧(きり)が小さく掠(かす)れて、二つ目の鳥居を抜(ぬ)けた時には、初夏(しょか)らしい暖(あたた)かさへ戻(もど)っていた。
逃(に)げるような勢(いきお)いで、参道への門を兼(か)ねた、本堂と住居を繋(つな)ぐ軒先(のきさき)を潜(くぐ)り、手水(ちょうず)が湧(わ)き出る前庭で、振り返って見た門の、今し方(がた)駆け抜けた向こう側は、参道脇の杉(すぎ)の大木の幹(みき)が、見えないほど真っ黒だった。
その闇は、艶(つや)の無い黒色の壁みたく見えて、まるで、ゲートの向こうの異空間、異世界を閉ざしているように思えた。
灯(とも)っていた軒先の明かりも届(とど)かない闇の密度で、再び入ると戻って来れない気がした。
「御参りは、済(す)まされましたか?」
近くから優(やさ)しい声が聞こえて、振り向くと、2メートルほど離れて、住職(じゅうしょく)と思(おぼ)しき、男の人が心配そうな顔で立っていた。
ドキッと、心臓(しんぞう)が大きく跳(は)ねて、そのまま瞬間停止しそうなくらい驚(おどろ)いた!
……全(まった)く気付かず、突然掛(か)けられた人の声よりも、佇(たたず)む住職の気配の無さにビビった。
こんなに僕の傍(そば)に動かずにいるのに、瞬(まばた)きをするだけで見失(みうしな)ってしみそうなくらい存在感を感じない。
いったい、いつから其処にいたのだろう?
戻って来て足を踏み入れた時には、黄昏色に染(そ)まる前庭に誰(だれ)もいなくて、人や動物の姿は見えていなかった、なのに……。
彼は妖狐(ようこ)、怪狸(かいり)、猩々(しょうじょう)の類(たぐい)で僕は化(ば)かされているのか?
慄(おのの)いた自分の顔が、目を見開き、引き攣(つ)っているのが分かった。
「あのぅ、大丈夫(だいじょうぶ)ですか?」
僕をまじまじと見ながら、心配そうに掛けてくれる穏(おだ)やかな声に、気を取り直(なお)し、姿勢を正(ただ)して、僕は、深々(ふかぶか)と頭を下げる。
「御願いを済ませて来ました。ありがとうございました」
参拝(さんぱい)の御礼を言って、顔を上げ住職を見ると、住職は微笑(ほほえ)みを浮かべてコクコクと頷(うなず)いてくれていた。
大気が触(ふ)れて行く頬(ほほ)に感じていた暖かさは初夏らしい暑(あつ)さになって来ていたが、まだ腕や首筋(くびすじ)などの肌は冷えたままで寒い。
帰り道の方向を確認していた僕は、再(ふたた)び優しげな住職へ顔を向けて御暇(おいとま)の会釈(えしゃく)をしてから、竹林を抜けて幹線道路へと続く暗い道を走った。
くるりと背(せ)を向けて駆け出す僕へ掛けてくれた見送りの『お気をつけて』の声が、地を這(は)うような低い響(ひび)きで聞こえ、ついさっき駆け抜けて来た沢沿いの闇の不気味な気配に、今も見張られている気がしている。
僕の駆け足は脱兎(だっと)の如(ごと)くの全力疾走(ぜんりょくしっそう)になって……逃げた。
撓(しな)りや葉擦(はこす)れの音一つしない静寂(せいじゃく)の竹林を抜けて幹線道路に出ると、以外と思えるくらい、黄昏に明るさが残っていて、益々(ますます)、沢谷(さわたに)の黒々とした暗さが、異様に思えて来る。
腿や肩や背中が、泡立(あわだ)つ寒疣(さぶいぼ)と戦慄でプルプルと振るえるままに、人や自動車(くるま)の往来(おうらい)の疎(まば)らな、寂(さみ)しい道路をバス停へ向かって歩いていると、程無(ほどな)くしてポジションランプとフォグランプを点灯した自動車が、長い坂道を猛烈(もうれつ)なスピードで登って来て僕の横を通り過ぎた。
高速で通過する自動車の強い風圧を受けながら、『逢魔時(おうまがとき)に、危(あぶ)ない運転だな』と思ったら、『ギャン』と甲高(かんだか)く、一瞬の急ブレーキを掛け、ガクンとつんのめる車体のままに、ロックされた軋(きし)むリアタイヤに悲鳴(ひめい)を上げさせて、夕暮れの薄れて行く光りの中でも、よく見えるくらいのタイヤのゴムが焼ける青白(あおじろ)い煙を纏(まと)いながら、ぐるんと強引(ごういん)にサイドターンを決めた。
そしてシャープにUターンを決めても尚(なお)、余る惰力(だりょく)でピタリと僕の真横へ、お袋は愛車のRV車を停めた。
相(あい)も変わらずのポジティブなドライビングで、お袋は驚してくれる。
「帰るよ。ちゃんと、願えたの?」
下げたウインドーから少し顔を赤らめたお袋が、僕を見て、早く乗れと手招(てまね)きをして促(うなが)す。
妹も同乗していて、後部座席のウインドー越しに笑顔を傾(かし)げて、僕を見ていた。
妹は、今のサイドターンに平気だったのだろうか?
アップダウンの続くワインディングロードのコーナーを、タイトに攻(せ)めるお袋のドライブに、何度か、気持ち悪くなっていたのを思い出してしまう。
(お袋……、帰りは、落ち着いた運転で御願いします)
「ありがとう。しっかり御願いして来たから、明日(あす)は、大丈夫かな」
それだけを言って、戦慄の恐怖体験は語(かた)らない。
「どうして? こんなに冷えてるのよ! 風邪(かぜ)ひかないでよ。帰ったら直ぐに、お風呂(ふろ)に入りなさいよ」
車内へ長い弓を斜めに入れてサイドシートに座(すわ)り終えた僕は安堵(あんど)の溜息を吐き、冷気と緊張で強張(こわば)った腕を温(あたた)かく摩(さす)られながら聞くお袋の声が、安心できて嬉しいと思う。
「あーあ、ほんと、こんなに冷えちゃってぇ。大丈夫なの? 明日は試合なんだから体調崩(くず)さないでよね。ちゃんと頑張(がんば)ってよ」
妹が後ろからガシガシと摩って来て、冷えて固くなった首筋や肩を解(ほぐ)してくれる。
「ああ、サンキュー! 明日は勝つよ」
肩から背中へと、親身(しんみ)に摩ってくれる妹へ恐怖体験を話して、すっきりと散らして仕舞いたいと思うけれど、妹を怖がらせるだけで、『夜中にトイレへ行けなくなった』と、恨(うら)まれるから教えない。
「勝つ気満々だね。御願いして、何かが、憑(つ)いたのはいいけど、よく一人(ひとり)で、こんな、怖(こわ)いところへ来るよねぇ。マジに逢魔時で、ヤバそうだよ、ここは。アニキは平気なの?」
(わっけないじゃん! 平気のはずが無いだろう)
「……まあね。さらりと、恐ろしいことを言ってくれるね、おまえは……」
そう、何かが現(あらわ)れて、危害を加(くわ)えられたわけじゃないけど、あの気配は、本当に不気味で怖かった……。
妹が言うように、何かに憑(つ)かれたかもと思うだけで、ブルブルっと全身が震えた。
「明日は、最後の試合になるかも知れないし、こんどこそは、優勝したいんだ」
お袋と妹が摩り続けてくれて、温まり始めた身体と意識に、あれは、黄昏の明るさが届かない谷底の暗さを不安に思い、闇を怖がる僕が想像で生み出した錯覚(さっかく)と幻聴(げんちょう)だったのかも知れないと思い始めていた。
速(すみ)やかに、思考を切り替えて行く頭の中は、明日の試合のイメージトレーニングと妹のからかいへの対応にと、アクティブな意識が殆(ほとん)どを占(し)め始めて来ている。
忘却(ぼうきゃく)の彼方(かなた)へ封印(ふういん)したい、岩窟(がんくつ)の祠で一生懸命に祈願をした以外の、帰りの参道での出来事が、もう夢のように思えて来ている。
宵闇が迫り灯された街灯の照明が明るく見え始めた道路を、カーステレオから流れるお気に入りの歌を口ずさみながら楽し気なお袋は、揺(ゆ)れの無い滑(なめ)らかな運転で家路(いえじ)を急(いそ)ぐ……。
「あたっ」
妹が、僕の髪を引っ張(ひっぱ)って来る。
「痛(つ)う! やめてぇ」
僕が、妹の指を抓(つね)り返して、ふざけ始めた時に、聞き慣(な)れたメロディーをスマートフォンが奏(かな)でて、彼女からのメールの着信を知らせた。
「それ、彼女からでしょう? いいなあ」
開いたメールを読む僕に、髪を掴(つか)んで読むのを妨害(ぼうがい)しながら、耳許(みみもと)で冷やかす妹を、これが彼女ならと思ってしまう……。
(さあ、これで、実力プラス幸運を齎(もたら)す神頼みをした! オペラ『フライ・シュッツ』と同じように、僕も、魔所と契約した魔弾(まだん)の射手(しゃしゅ)になってしまったかも……。射(い)る矢はフライクーゲル! 彼女の愛を射止める魔弾だ! なーんてね。でも、物語みたいに悲(かな)しみを伴(ともな)う結末(けつまつ)は、勘弁(かんべん)だな)
夕(ゆう)べは、迎(むか)えに来てくれた、お袋のRV車の中で妹とじゃれ合いながら、着信した彼女からの命令(めいれい)を見て僕は、そう考えていた。
だから……試合に勝てば、黒壁山の魔所に御礼に行くつもりだし、其の後も何かにつけての僕の祈願の地となるだろう。
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僕は集中力を保(たも)ち、まるで魔弾の射手ように、連続で的の中心へ命中させている。
なのに、後ろで『弓構(ゆがま)え』を済ませて射番を待つ相手も、バラつきは有るけれども、的へ中(あ)て続けているから、どこかで悪魔と契約を交(か)わしているのだろうか?
そういえば、必勝願いをした昨日は土曜日、英語でサタデーだ。
その語源は、ローマ神話のサタンに有る。
11射目、先に射る僕の矢は10射まで的の中心の白丸を貫いた。
『残心(ざんしん)』の姿勢を戻して、次に射る二矢の補充(ほじゅう)に控(ひか)え場の矢箱(やばこ)へ向かいながら、競い合う強敵の射を見る。
後に射る相手は、十分に間合いを取って『引(ひ)き分(わ)け』から『会』へと的を狙う。
(当たるだろうな)
大会試合で、これだけ中て続けると、流石(さすが)に僕の集中力が途切れて来て、これ以上は、射貫(いぬ)き続ける自信がなかった。
個人プレーの競技は、競(きそ)い合う相手を意識した時、勢う気力と強い意志と集中力が無ければ負(ま)ける。
集中力の途切れは、眠気(ねむけ)のようにクラリクラリと来なくて、急にというより行(い)き成(な)りガックンと来て気持ちの張り詰めを断(た)ち切ってくれるから、ヘナヘナと其の場にしゃがんで仕舞うくらいの脱力感(だつりょくかん)と喪失感(そうしつかん)に襲われて、まぐれ当たりでもしない限り、外してしまう。
食欲は全く無くなり、しゃべるのも億劫(おっくう)で、ドッと疲れが出たのか、ただただ口を噤(つぐ)んで横になり、静かに目を閉じて心と身体に安らぎを求め、『召(め)されるっていうのは、こんな感じなのか……』の思いだけが過って行く。
……予感がした。
……自分が射る次の矢は、外すと思う……。
僕は、次の2射で勝敗を着ける覚悟を決め、矢箱へ手を伸ばした、その時、矢離れの音がブレて聞こえた。
『ビィッ』、相手の離れの音がおかしい!
『カツッン、サクッ』、相手の矢は、的の枠縁(わくぶち)に当たって脇へと弾かれ、安土(あづち)の砂に刺(さ)さった。
『おっ、おおっ、おーっ』、惑星麻酔(わくせいますい)で静止していたような観戦の人達の列が、一斉に大きくどよめいた。
僕を応援してくれていたサポーター達の歓声が、一際(ひときわ)大きく聞こえ、特に女子達の蕩(とろ)かすような黄色い声は、僕に勝ち残った実感と嬉(うれ)しさを染み込ますように繰り返されて、係員に静まるように促(うなが)されるほどだった。
そして、僕の優勝が決まった。
(やっ、やったあー! すっごいぞぉー! 黒壁山様、ありがとうございます)
「応援していただき、ありがとうございます。優勝できたのは、皆様(みなさま)の応援のおかげです。ありがとうございました」
優勝者が行う、大会終了の礼射(れいしゃ)の準備を待つ間、道場の外の控え場で応援して頂いた皆(みな)さんへ、感謝の気持ちを伝えてから、個人代表になれた男子と女子の四人(よにん)で記念撮影を済ませると、部員達が何度も胴上(どうあ)げをしてくれた。
僕は、めちゃくちゃ嬉しくて、ステップを踏んだり、バク転をしたりして、全身で喜(よろこ)んだ。
大勢の他校の女子生徒達も、御祝いに来てくれて、『おめでとうございます』と、笑顔で祝ってくれる女子の一人、一人、みんなに『ありがとうございます』と、満面の笑(え)みで御礼を言った。
殆どは知らない女子ばかりだけど、以前に手紙をくれた女子もいて握手(あくしゅ)をしてしまった。
次々と女子達が話し掛けてきて、何人もの女子といっしょに写真に収(おさ)まった。
どの女子も可愛くて綺麗で、もう僕の心は舞い上がって彼女を見失(みうしな)いそうだ。
(もっ、もしかして、僕はモテてるん?)
これほど、多くの女子に囲(かこ)まれたのは、初めてだ。
頬(ほほ)を紅(べに)に染め、潤(うる)んだ目で手紙をくれる女子も、何人かいた。
こっそりと、中には堂々(どうどう)と、みんなの前で渡してくれる女子もいる。
僕はドギマギしながら、一人、一人に、お礼を言って受け取っていた。
それに殆どの女子が、スマートフォンでのアドレス交換(こうかん)を頼んで来たが、その全員に後ろ髪を引かれながらも丁寧(ていねい)な御断(おことわ)りで返している。
男子部員達は、お祝いに来てくれた女子達と話が弾(はず)んでいる。
女子部員達もいっしょになって、みんなは楽しそうにワイワイやっている。
アクションや華(はな)やかさが少ない、地味(じみ)な武道の弓道が、こんなにも、人気(にんき)が有るスポーツだなんて知らなかった。
僕には試合後に、するべき事が有った。
取り囲む女子達の熱気と香りで僕は、気持ちが昂(たか)ぶって興奮していたけれど、その事を考えると心が憂(うれ)いた。
でも、その事が有ったからこそ、僕は今日の大会を最後まで、集中力を途切らせずに勝てたんだ。
弓道部の顧問(こもん)の先生が団体戦も、個人戦も、僕の矢が全て中心の円内に命中しているのを、驚きながら褒(ほ)めてくれた。
それは彼女からの励ましと彼女への想い、そして黒壁山の魔所へ祈願した御蔭だと思う。
(良かったね、先生。優勝実績ができて。勝ったのは僕の個人戦だけで、弓道部の団体の優勝でも、準優勝でもないけれど、ここ2年間は試合の結果に上位入賞もなかったから、これで来年度も予算を確保できるね。僕も弓道部部長として、自(みずか)ら語(かた)った部長方針の実践(じっせん)ができたし、その結果も残(のこ)せて凄く良かったです)
礼射用に交換された、新しい的のド真ん中の正鵠(せいこく)へ命中させると、弓道場全体が沸(わ)き返って、スマシ顔の僕は拍手喝采(はくしゅかっさい)を浴びて有頂天(うちょうてん)だった。
気分良く礼射を済ませて、控えに戻ると、帰りにファミレスで御祝いすると言う、部員達や女子達の御招待(ごしょうたい)を丁重(ていちょう)に断(ことわ)り、急ぎ、彼女の居る県立中央病院へ向かった。
(今日は凄いぞ! 最後まで、全弾命中じゃん! しかも正鵠だけ。こりゃあ、彼女のハートも確実に射抜けるかも!)
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三日(みっか)前に、インターハイに出場する選手を選ぶ試合が開催(かいさい)される事を知らせいる。
試合前日の今日は、試合後に、『御見舞(おみま)いへ行く』メールを彼女へ送った。
【明日は、試合で勝ったら、見舞いに行きたい。行ってもいいかな? ショートケーキか、花を、お見舞いに持って行くよ】
インターハイ選手を選抜(せんばつ)する石川県大会の弓道試合を知らせた三日前のメールには続けて、『応援(おうえん)依頼(いらい)』のメールも送っていた。
【是非(ぜひ)、君に、応援して欲(ほ)しい。試合会場の弓道場へ応援に来て来てくれますか? 君の応援が欲しいです。御願いします。励(はげ)ましてくれますか?】
これまでの試合で、会場の弓道場へ来ている彼女を見たのは、1度しかなかった。
お願いしても、これまでなら、来てくれないだろうと思っていたけれど、今回はバス事故の後だから、少しは、僕の願いを叶(かな)えてくれそうな気がしていた。
だが、送信直後に返信された彼女のメールは、応援に行けないという残念な内容だった。
【ごめんね。県立中央病院にいるんだ。盲腸(もうちょう)で、入院したんだけど、夏風邪を拗(こじ)らせて、入院が長引いているの。だから、応援に試合会場へ行けないの。なのでぇ……今、励(はげ)ますよ。がんばって優勝しなさい!】
入院で病院から動けない旨(むね)を知らせて来た、その返信文には、『がんばって優勝しなさい!』の、強い励ましの言葉が綴(つづ)られていて、それは僕に集中力を保(たも)ち続けさせた。
本当に、優勝できたのは彼女の御蔭(おかげ)だ。
見舞いに行こうかと思うけれど、病室には家の人や他の患者(かんじゃ)さんもいるかも知れないと考えたら、恥ずかしくて、何か口実(こうじつ)でもないと見舞いに行く勇気(ゆうき)が無かった。
昨日(きのう)は、黒壁山へ向かうバスの中で、彼女へ、【試合に勝ったら、見舞いに行くよ】とメールをしている。
勝った勢いでの報告が、口実だ。
【見舞いに、21世紀美術館のアップルタルトを持っていく】も、追加メールした。
報告だけの手ぶらじゃ行けないし、照(て)れ臭(くさ)くも、明日(あした)はそうなれば良いと願う。
黄昏が宵闇(よいやみ)に変わる頃、彼女から返信が来た。
【いいよ。来ても……】
つづく
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