第12話 弓道の射法八節と必勝祈願の黒壁山(僕 高校3年生)想いのままに・男子編

 6月初頭の日曜の今日、弓道の試合がある。

 正式名称が全国高等学校総合体育大会、通称インターハイへ出場する団体と個人の選手を選抜(せんばつ)する石川県地区大会だ。

 この大会で団体、個人の両方の試合に負(ま)ければ、3年生は部活から引退する。

 勝てると、団体優勝校と個人の優勝者と準優勝者が、8月のインターハイに石川県代表として出場できる。

 これが事実上、高校生の部活で参加できる最後の石川県の公式試合になる。

 兎(と)に角(かく)、今日は最後まで勝ち残れないと、僕の弓道は、彼女へ捧(ささ)げる結果が何も無いまま終わってしまう。

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(弓道か……、この学校には、弓道部が有るのか)

 高校に入学して少し落ち着いた頃、校内を探索して弓道場を見付けた。

 弓矢には、歴史の授業で習った、平家(へいけ)の姫様が舟に揚(かか)げた扇(おおぎ)の的(まと)を射落(いお)とす源氏(げんじ)の那須与一(なすのよいち)や、色取(と)り取(ど)りの大鎧(おおよろい)に身を固(かた)めた馬上の武士達が、赤と白の流れ旗を掲げて射合わせた、倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いなど、雅(みやび)いた繊細(せんさい)な感じがして、血生臭(ちなまぐさ)さを感じないイメージが有った。

 だが、弓矢は戦いの武器で、柔術(じゅうじゅつ)や剣術(けんじゅつ)や槍術(そうじゅつ)の間合(まあ)いから遥(はる)かに離(はな)れて対戦相手を打(う)ち倒(たお)す事ができ、しかも投げ槍や手裏剣(しゅりけん)よりも遠くから正確(せいかく)な狙(ねら)いで敵を殺傷(さっしょう)できる。

 鉄砲(てっぽう)の伝来(でんらい)までは狙撃率が高く、扱(あつか)う人数が多く揃(そろ)えば、敵の勢(いきお)いを槍よりも遠くから面(めん)で制圧できる強力な武器だ。

 弓矢を凌駕(りょうが)する鉄砲の取り扱いは非常に危険で、現代日本国社会に於(お)いては犯罪に使われないように厳格(げんかく)な規制で管理される銃器として、学生や社会人が御手軽(おてがる)に持ち歩いて御気楽(おきらく)にスポーツ射撃を行えるような物品ではない。

 石器時代に狩猟具(しゅりょうぐ)や争(あらそ)いの武器として弓矢が誕生して改良されていたが、鋭(するど)いエッジの黒曜石(こくようせき)や鋭角(えいかく)に磨(みが)いた透閃石(かくせんせき)を用(もち)いた手斧の石器武器よりも製作には、高度な技術が必要で、使い熟(こな)すにも特殊な技能が必要だったはずだ。

 そういうところも、弓道に魅(ひ)かれた一因(いちいん)だった。

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 各校が5名のチームで挑み、的中数を競う団体戦は、2位の結果で終わり、石川県代表校には成れなかった。

 次は個人戦だ。

 これが高校最後の試合になるかも知れない。

 試合の出場者は、弓道の作法に従(したが)って、矢を射なければならない。

 八(やっ)つある一連の基本動作に沿(そ)って行(おこな)い、礼(れい)を用いて一矢(いちや)と成(な)す。

 『足踏(あしぶ)み』、『胴造(どうづく)り』、『弓構(ゆがま)え』、『打起(うちおこ)し』、『引分(ひきわ)け』、『会(かい)』、『離(はな)れ』、『残心(ざんしん)』。

 これらを射法八節(しゃほうはっせつ)という。

 射法八節を、あまりにも乱雑に行うと、試合に参加している其の射手は失格になってしまう。

 弓道など武道の道は、自分の所業を鍛錬(たんれん)する悟(さと)りの道で、礼に始まり礼に終わる。

 故に、礼儀(れいぎ)を失(うしな)ってはいけない。

 『足踏み』。

 矢を射る姿勢は、足踏みで始まる。

 的を見ながら、足を約60度の開き角で外八(そとはち)の形にする。

 両の爪先(つまさき)は、的の軸線に合わせ、開き巾は矢の長さほどだ。

 自分の体格に合った開き巾にしないと、フラついて次の胴造りが定まらない。

 要は、射にバランスの良いスタンスだ。

 『胴造り』。

 射矢(しゃや)の飛翔(ひしょう)を安定させる姿勢は、全て胴造りで決まる。

 週三日、金石(かないわ)の海岸への走り込みと、金石から金沢(かなざわ)港口の大野(おおの)までの砂浜や道筋の途中で行うサーキットトレーニングは、この胴造りの為(ため)だ。

 走り込みは、上半身が振れないように走る。

 大抵(たいてい)は陸上競技の経験が無いと、最初は前後左右に振れていて、人によっては、ダラけているようにも見えてしまう無駄(むだ)な動作が多い。

 意識付けさせて、ランニングフォームを矯正(きょうせい)して行くと、二ヶ月ほどで、余計な力みが無くなり、走る動作や呼吸が楽になる。

 臍(へそ)の下に気持ちを集中させて、身体(からだ)全体の重心をそこへ置くように心掛ける。

 便意を我慢するみたいにお尻に力を入れ、くっ付けた臀部(でんぶ)の双丘を後方へ突き出す。

 腰に、股間(こかん)に、太腿に、膝(ひざ)に、脹脛(ふくらはぎ)に、足首に、踝(くるぶし)に、踵(きびす)に、爪先に、足の表と裏に、下半身の全(すべ)てに強く力を入れ引き締めてから、柔(じゅう)の撓(しな)りを残すように力を抜(ぬ)く。

 背中を突然、強く押されても上半身はわずかしか揺(ゆ)らがない。

 普通に押すくらいなら微動もしない。

 このコツを掴(つか)むのに半年も掛かってしまった。

 朝の通学バスで、彼女の横へ立つ時も胴造りを意識した。

 八節の姿勢のままは、見た目に誤解を招くかも知れないから、足踏みに開いた足の裏から腰までを、微動もさせないように感覚を集中する。

 走行中の揺れるバスの中で不慮の事態が発生すれば、よろめく事なく適切に対処して、速(すみ)やかに彼女を守る姿勢が取れるようにと思っていた。

 飛翔する武器の命中率は、打ち出す時の安定に左右される。

 大砲に例(たと)えるならば、顔や目は照準器だ。

 距離を測(はか)り狙(ねら)う。

 右手はトリガー…… 引き金。

 左腕は砲身で、真っ直ぐにして曲がりや歪(ひずみ)みが無いようにする。

 上半身は砲塔でしっかりと的に向かう。そして、下半身は大地に固定された砲座だ。

 しっかりと固定しなければ、1射ごとに歪が出て外(はず)れてしまう。

 僕は、お尻の穴に力を入れて、下半身を床と一体で繋(つな)がっているかのように意識する。

 『弓構え』。

 弓に埋(う)め込んだピンクの糸が目印の1番良いグリップ感の位置で握(にぎ)れるように、握り具合を微妙に直(なお)しながら、正面の目の高さで弓に矢を番(つが)えに掛かる。

 矢は筈(はず)の溝幅の修正を、1ミリメートルの4分の1ほどもズラしてはいない。

 グリップや番える位置の1ミリメートルのズレは、28メートル先へ到達する矢を、10センチメートル以上もバラつかさせてしまう。

 矢を番える動作の両腕の形は、水平に円を作るような感じにする。

 先輩達の言い方だと、『女の子を、優(やさ)しく抱(だ)くように』だ。

(わかりません。女の子を抱擁(ほうよう)した経験はないです。それに優しくって…… なに? ……胸がキュンとなって、抱き寄せたい気持ちになった事は、はっきり言って有ります。でも、それ以上は、想像しかできません。まして優しくなんて抱き加減は、感覚が想像できないです。妹には……、シ、シスコンじゃないので試(ため)せません。すいません、先輩)

 1年生の時、指導する先輩の例えに、そう思った。

 そして、今でも未経験だ。

 抱き加減は知らないが、弓構えの姿勢では毎回想像した。

 彼女を優しく抱きよせて……、優しい言葉で胸がキュンとする。

(なんて話せば、いいんだ? 僕は、優しい言葉を、見付けられるだろうか?)

 だけど今は、優しく抱き留(と)める、肌の触れ合いを知っている。

 バス事故からは、救急車の中で僕に被(かぶ)さる彼女の背に添(そ)えた感覚が、右の腕に残っていた。

 押さえ付けられた左の腕には、柔(やわ)らかな彼女の胸の感触が有る。

 触(ふ)れた彼女の、背と胸。

 顔を起こせば、唇が触れそうなくらい、間近で見た彼女の心配そうな顔。

 そのウルウルした瞳から溢(あふ)れ出て、頬を伝う涙。

 そして僕を満たしてくれる彼女の匂(にお)いは、其の感触(かんしょく)とともに鮮明に覚(おぼ)えている。

 バス事故以前は想像で、今は甦(よみがえ)る記憶で、弓構えの姿勢になる度(たび)に背筋と肩にプルプルとテレと緊張の戦慄(せんりつ)が走って行くが、それは弓を引く僕に、安らぎと愛(いと)おしさを与え、優しい気持ちで満たしてくれる。

(ちゃんと、キスをすれば、良かったな)

 下校のバスの中で触れた、眠る彼女の頬と唇を思い出す。

 木目(きめ)の細かい、スベスベした弾力の有る肌、夕陽に焼けて熱かった事も、そして、彼女の良い匂いを間近に憶(おぼ)えている。

 矢を番えた弓を、左の膝頭(ひざがしら)に乗せ、二射目の矢は、矢掛けを付けた右手の薬指と小指で鏃(やじり)部分を握って持つ。

 その右手を腰骨に宛(あて)がって、待機の姿勢となる弓構えの形を作り、顔を的へ向けて射番を待つ。

 優しい気持ちは、直ぐに未経験で不甲斐無(ふがいな)い自分への憤(いきどお)りに変わってしまう。

 その勢いで、弓を引き、矢を放ちに行く。

 想像で、葛藤(かっとう)する気持ちが楽しい。

 僕は一瞬、白昼夢の中にいて、優しい気持ちの形で、矢を番えて構(かま)える。

 『打ち起こし』。

 彼女を抱くように、右手を弦へ宛がい、弽(ゆがけ)の親指の段差を弦へ掛けて、トリガーをセットする。そして、顔を的へ向けたまま、矢を番え、引き切る準備ができた弓を、体の正面約四十五度の高さまで、すぅーと持ち上げて行く。

 弓を上げる事で、大きな力になり水平に引くよりも、引き易(やす)くなる。

 こんなふうに、彼女を抱き上げられるだろうか……?

 たぶん、彼女の重みに、僕の腕力が耐えられないと思う。それに、今はまだ、絶対に彼女が暴(あば)れるから、お姫様抱っこするのは、無理な事だと知っている……。

 八節の動作は愈々(いよいよ)、自分自身との戦いの深みに入って行く。

 『引き分け』。

 弓を握る左手は、しっかりと弓を押して、左へ絞(しぼ)るように回しながら、両腕を両外側へ弧(こ)を描(えが)くように弓を引く。

 ギシギシ、キリキリと弓が撓って引かれて行く。

 背中の左右の肩甲骨が、触れ合うくらいに胸を張って引き切る。

 弓は、背筋(はいきん)で引く。

 腕の筋肉は、弓や矢を保持するのに、肩の筋肉は、フォームの形を整(ととの)えるのに使う。

 ちゃんと矢先が左手の親指の第三関節(MP関節)の凸部と弓の間に有るか、確認と意識しながら左手の人差し指をピンと的方向へ伸ばして引き切って行く。

 人差し指を伸ばさないと、押す力を入れる腕と手首の筋肉の張りが撓み、後の動作の『会』と『離れ』が緊張の緩んだ動作になって、狙いと射が安定しなくなる。それに、射姿(いすがた)が美しくない。

 弓道の流派で、弓を握る左手の人差し指を握り締めて閉じたり、半閉じの曲がりで下向きになったりと様々だけど、人差し指は浅い下がり角で、ピンと伸ばした方が格好好いと思う。

 確(たし)かにアニメで観た『犬夜叉(いぬやしゃ)』で恋仲(こいなか)の『桔梗(ききょう)』と其の生まれ変わりの『かごめ』は、人差し指をピンと伸ばして敵を狙う姿が凛々(りり)しくて美しかった。

 それに人差し指を真っ直ぐに伸ばすと、指先から肩の付け根までの筋が張り詰めて狙いにブレが生(しょう)じないという利点が有る。

 その筋肉の緊張と相手を指し示して、『お前は、敵だ!』と決め付ける威嚇(いかく)的で、挑戦(ちょうせん)的で、威圧(いあつ)的な精神の表現は道理に適(かな)った自然なポージングで、アーチャーとしてクールに見えるはずだろう。

(もちろん、彼女のハートは敵じゃない! 彼女とは……、敵対はしていないと……、思う)

 矢を番えた弦は、顔の真後ろまで引く。

 このまま、何も工夫(くふう)無しで、矢を放つと、まともに右耳や右頬に弦が当たってしまう。

 これは痛い!

 一瞬何が起きたのか、分からず、弓を落とす事も有った。

 落とした矢は、外れ矢と同じだ。

 試合では、拾(ひろ)う事が出来ない。

 矢羽(やばね)で頬が切れる時もある。これが続くと、矢を射る度に、逃げるように顔を反(そ)らしてしまう。

 退(ひ)け反るのが癖(くせ)になってしまうと、意識的な矯正の努力をしても、なかなか治(なお)ってくれない。

 それで、弦が耳や頬を避けて戻るように、外向きの左回りへ弓が回転する捻(ひね)りで、絞りながら引く。

 この絞り加減が大事で、絞りが弱いと、頬を擦(す)って火傷(やけど)する。それは、益々、仰(の)け反(ぞ)りを矯正できなくしてしまう。

 絞り過ぎると矢が踊り、狙いが定まらない。また、弦や矢羽が頬を掠(かす)る覚悟をしたり、仰け反らないように意識してしまうと、肩に力が入って、離れの反動を吸収できず、射道(しゃどう)が乱(みだ)れてしまう。

 矢が、有らぬ方向へ飛んだりもするから、非常に危険だ。

 常(つね)に弦が、頬に擦らないギリギリのところを通るように、絞り加減が出来なければならない。更に、矢を放った時に、弓が跳ね上がらないように、手首で弓を下向きに押す。

 押す加減は、左手の手首から先の親指と人差し指の間の皮膚面が、立てた手の上面と同じ水平面になるまで、前へ傾ける様に下げるくらいが、丁度良い。

 弓が跳ね上がると、的場(まとば)の屋根を越えてしまう事も有るので、非常に要注意だ。

 『会』。

 弓を引き切って、的を狙う。

 この時に、的に当てようと気が逸(はや)ると、狙いを付ける前に、弦に宛がった弽の親指の力が緩み、弦を充分に引き切る前に矢を放ってしまい、射線は正確でも、射速の勢いの無い矢は的の手前で失速して落ちてしまう。

 一度、勇(いさ)み足で矢を放ってしまうと、今度は、しっかりと狙いを付けようと思うプレッシャーが、再び早く矢を放させて、厄介(やっかい)な癖(くせ)を付けて来る。

 この癖を早気(はやけ)と言い、上級者に指導されて上達したプライドの高い人が癖を付け易く、自分の意思や鍛錬だけで直すのは困難だった。

 直すには、仲間とマンツーマンで矯正(きょうせい)して貰うしかないが、独力で上達して行く者だと、早朝の誰も居ない射場で姿見の鏡に映る自分の姿勢を見ながら、何度も、何度も、矢を放って自力で矯正する。

 『会』の弓を引き切る姿勢の時、腕を水平に伸ばして掌を立てると、大抵の人は、肘(ひじ)の内側が、45度よりも浅い角度で上に向いてしまう。

 弓を持つ左腕は、弓を構えたら、肘の内側を立てなければならない。

 肘の内側が、垂直の壁のように、真っ直ぐ立つと、左肩に力が入らなくてすみ、上下方向の狙いが定まる。

 力学的にも弓を押す力が直線的になるし、放った反動で左手が少し後ろへ振れるから、危険な上方へ矢を飛ばす事が無くなる。

 師範(しはん)的な上位の有段者であっても、左手の肘関節に障害が無い限り、肘の内側面を立てれない方の射姿は参考に出来ないと思っているくらい重要な事だ。

 左腕と右腕が直線になって、安定した構えの綺麗(きれい)な『会』の姿勢になる。

 八節の姿勢を綺麗に整える事は、重要で、全ての節(せつ)の動作に余分な力が入らず、動きは滑らかになり、矢の勢いと飛距離も増して、鋭(するど)く飛翔してくれる。

 呼吸を整えて的を狙う。

 和弓(わきゅう)には、的を狙う為の照準具や目印を付けたりしてはならない。

 照準は、日頃の練習によって体得した感のみだ。

 八節の全ては、的に中(あ)てる故(ゆえ)の、『会』で集約(しゅうやく)される、

 理(り)に適(かな)った弓道の動作であり、作法だ。

 狙い目は弓巾一つ分の右、的一つ分の上だ。

 右に向けるのは、矢を放つと絞っている弓が回転するからだ。

 上向(うわむ)きは、放った矢が、それほど低伸(ていしん)しないからだ。

 僕の矢は、二十五メートルぐらいで急速に沈んで行く。

 僕は、弓道の教えにあるような無心になれない。

 外見だけは、真摯(しんし)に弓道を行うフリをする。

 眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて、目線を固定して、奥歯を噛み締めて口を閉(と)じる。

 いかにも、作法通りに弓道をしていますって感じに、顎(あご)を引いて、背筋を伸ばして、胸を張る。

 他(ほか)にも、三重(さんじゅう)十文字(じゅうもんじ)や五重(ごじゅう)十文字など、身体の部位や筋と弓矢がクロスする、大切な基本体型がある。

 三重は、初めの二節で、五重は、八節を通して維持されるべき型なのだけど、的に中(あ)てる為の理に適う八節の動作を行うならば、自(おの)ずと、その型を成すので、僕は敢(あえ)て意識をしない。

 試合では、的に当てる事だけに意識を集中させる。

 できる限り、僕はシンプルに矢を射ちたい。だから、僕の弓は、弓道じゃなくて弓術だ。

 矢を番えるとき、矢を射るとき、一矢一射に彼女を想う。

 一矢、一矢に彼女への想いを、集中させる。

 僕の矢が、キューピッドが射る恋の矢に成るならば、何本射れば、黄金の矢と成って、彼女を恋の虜(とりこ)にできるのだろう?

 純金の矢は絶対に重くて飛ばないから、きっと、凄(すご)く近くじゃないと当たらない。でも、近付き過(す)ぎて憎悪を与えてしまう鉛の矢に、決して成らないように気を付けて……。

 『離れ』。

 息を静かに吐(は)きながら、矢を放つ。

 人の身体の先端は、常に微妙に震(ふる)えていて、的に狙いを定めた矢の先も震えている。

 この振(ふ)れの振幅を読み、震えとシンクロさせて矢を放つタイミングを揃えなければ、着矢位置がバラついてしまう。

 その、シンクロさせながら、矢を放つタイミングを探るのは難(むずか)しい。

 極(きわ)めた平常心の無心を保(たも)ち、心頭滅却(しんとうめっきゃく)できるまで鍛錬を積(つ)まなければ、簡単にはできないらしく、いつも、もっと単純で簡単な解(わ)かり易い方法で、タイミングを合わせられないものかと、僕はいろいろ思考錯誤していた。

 そして、震えが停まる時を見付けた。

 それは、呼吸する胸の膨張収縮の、息を吐き出す動きと、身体の中の心臓の鼓動、内臓の拍動、流れる血液の脈動などの動きが、干渉し、動きを打ち消し合って、身体の震えを停める、一瞬の間(ま)だった。

 深く息を吸い込むか、浅く吸い込むか、普通に吐き出すか、ゆっくりと静かに吐き出すか、鼻から吐くか、閉じた口から、漏(も)らすように吐くか、少しでも長く、完全に静止する干渉タイミングを探して、とうとう、自分の射にマッチしたポイントを見付け出した。

 身体の震えが消える一瞬のタイミングで、ギリギリと力強く引き絞っている弦を、静かに離す。

 僕は、明るいグリーンと淡(あわ)いピンクのラインを入れた弓と矢で、彼女と白昼夢のデートをする。

 息を静かに吐きながら、心の中で彼女に話す。

 道端(みちばた)でも、学校でも、バスの中でも、電話でも、いつも声にならなかった想いを言葉にする。

 微(かす)かに唇を動かして、囁(ささや)くような呟(つぶや)きの声にする。

「好きです」

 矢を射る瞬間、目を閉じてはならない。

 普通、鋭い音や反動で、人は一瞬目を瞑(つむ)ってしまう。

 一瞬でも目を閉じると、射線がぶれて矢は的に中らない。

 目を瞑らずにいれば、矢が離れた瞬間に、何処へ、どういう具合に飛んで中るかが良く分かる。

 バシュッ……、スパーン!

  弓懸(ゆが)けを着けた右手の親指を僅かに開くと、弦は滑(なめ)らかに離されて、引き切った弓の撓りが戻(もど)り、弾(はじ)かれた響(ひび)きの消える間も無く、放たれた矢は28メートル先の的に勢(いきお)い良く中り、乾(かわ)いた大きな音を出す。

 カィィーン……、カツゥーン……。

 雉(きじ)の鳴き声に似た、良く通る澄(す)んだ弦の音が響くのは、的に中てようと意識を集中する向こうに在る無心で矢が放たれた証拠だ。

 右手に嵌めた弓懸けの親指の硬い皮に拵(こしら)えた段差に依(よ)って、弓を反らし引く弦が保持される。

 其の弦が矢の最後尾の筈の溝に嵌り、弓懸けの段差から弦が外れると、引き絞って的を狙っていた矢は、戻る弓の張力で前方へ押し出されて飛翔する。

 弓懸けの段差から弦が外される時、射手の矢を放つ意識と、指の動作と段差から弦が移動する物理的な衝撃が、矢の飛翔を影響を与えて、微小だがブレさせてしまう。

 弦が段差から外れ難いと意識したり、或(ある)いは、外す為の強制的な『離れ』の動作は、放ちの切れを失わせて飛翔の勢いと着矢位置を不安定にさせる。

 銃から弾丸を発射するには、引き金を引きて起した撃鉄を落とし、当てた触発の信管は着火して薬莢内の火薬を爆発燃焼させなければ、弾丸は銃口から撃ち出されない。

 この大きな衝撃で飛び出す弾丸の上下左右の方向を安定させて、正確に着弾させるには、引き金を引く指から伝わる下方向の加圧を限りなく最小にする方が良い。

 引き金を引く指からの力を無加圧にする追求で、フェザータッチという指が引き金に触れただけで撃鉄が落ちる微妙な調整が有る。

 フェザータッチする調整は、薬室(くやしつ)に弾丸を込めてあると極めて危険な状態になるので、引き金に触れれる環境と状況になるまで引き金をロックする安全装置を掛けておくのは必須(ひっす)だ。

 そして、暴発の危険が高まるフェザータッチへの調整は、射的競技の銃やスナイパーライフル以外では行われていないようだ。

 名刀の切っ先(きっさき)も、そうだ。

 幾重(いくえ)にも鍛錬された刃先(はさき)の緻密(ちみつ)な研(と)ぎに依って、和紙に鋭い切っ先が触れた瞬間にスゥッと切れてしまい、刃(は)を押しも、引きもせずに切っ先を運ぶ方向へ、先へ、先へと静かに切れ込んで行く。

 僕は弓懸けの硬い段差を滑らかなスロープになるまで削り、研(と)ぎ澄(す)まし触れる感覚も無い切れ行く刃(やいば)の様に、ピカピカになるまで丁寧(ていねい)に磨き上げて、引き絞った弦が音も無く離れるようにした。

 結果、引っ掛かる様な抵抗は無くなり、弦が非常に放れ易くなって、弦を引く親指の力を緩めるだけで、弾く必要も無く、滑らかに勢い良く矢が飛翔した。

 だが、矢を番えてから親指の力を抜かないようにする癖を付けなければ、不意に矢を放ってしまう危険性が有った。

 弓懸けを嵌めた親指は弦を抱くように、しっかりと曲げ、人差し指と中指は安全装置のように曲げた親指の上に揃えて添え、薬指と小指は軽く結ぶような自然に掌に触れるみたいに、次射の矢を握らせている。

 故に『離れ』は、故意に形にした動作ではなくて、矢を放つ反動で弾かれた自然な手と腕の開きになり、射毎のブレの無い姿勢になっている。

 僕の射法八節は邪心だらけの弓術だけど、この『離れ』の瞬間だけは無心になれていて、彼女への好きも、駆け引き無しの真摯に一途な想いだ。

 弽から弦が離れる音、撓りが無くなって握る手の中で回る弓と戻る弦の響き、矢の筈から弦が放れる音、これらの音が一つに混ざって、澱(よど)んで濁(にご)るようではなくて時空を貫(つらぬ)くような澄んだ音を響かす。

 この気持ちの良い弦音(つるね)で矢を放つ為に、日々、練習鍛錬に励(はげ)んでいる。

 野球のバットの真芯でジャストミートする音、ゴルフのクラブヘッドの真芯でジャストインパクトする音、これも同じだろう。

 『離れ』で放たれた瞬間、矢を引き絞っていた両腕は、放つ反動で胸を開くように後ろへと弾かれ、弓の撓りと左手首から先の押す力の開放は、緩んだ握りの中で僅かに御辞儀(おじぎ)をする弓を、弦が手首に当たって止まるまで、弦音を響かせながら左へ回らせる。

 これを、『弓返(ゆがえ)り』と言う。

 『会』から『離れ』までの弓を持つ左手の握りは、引き開かれる張力を緩ませて取り落とさない程度に、親指と人差し指で弓を挟み、中指、薬指、小指の3本の指で添えるように握るだけで良い。

 普通に棒を持つような手首を起こした握りでは、弓返りが発生しないか、綺麗に弓が回らなくて、静の中の動を現す美しい音(ね)で弓は鳴いてくれない。

 その強い握りは肘から先も上がらせて、射形を不細工(ぶさいく)にさせてくれる。

「シャッ!」

 彼女から励(はげ)ましのメッセージが届いていて、今日は負けられない。

 果敢(かかん)に優勝を狙って行く。

 観戦者達から、一斉(いっせい)に命中の掛け声が上がった。

 求愛の弦音を響かせて放たれた銀の矢は、直径36センチメートルの的の中心に描かれた、直径9センチメートルの丸を狙い通りに射貫(いぬ)いた。

 黒と白の円を背景に、矢羽根の明るいグリーンと淡いピンクが見える。

(的を貫き、込めた想いは、彼女のハートを射止めてくれ!)

 『残心』。

 着矢位置を見据え、射た矢に心を残さないように、今の射を反省して次射の射意に反映させる。

 中世の戦(いくさ)だと、矢の飛翔を見極め、外れたならば、狙いの修正に、相手に中てたならば、止(とど)めが必要かどうか、そして、反撃を受けるか、どうか、判断する瞬間だ。

 雅に名乗り出て、己(おのれ)の姿を晒(さら)し、立ち会う射掛け合いなんて、相手からも、同じ見極めをされてるのに、真っ平(まっぴら)御免(ごめん)だ!

 そんな、真正面からの命の遣り取りには、絶(た)えられない! だから、僕は正鵠(せいこく)を射貫き続けて、一射必中の一撃必殺を狙う。

 僕は願う。

 三秒の間、矢を放った姿勢のまま、心の中で想いが適うように、お願いする。

 願いは、彼女といっしょに歩きたいとか、明るく話したいとか、笑顔が見たいなど、全て、『好きです』の延長事だ。

 僕の残心は、残身(ざんみ)の形だけの、射への反省は、心の残らない真芯へ命中するか、否(いな)かのみで、全く、心の構えになっていない。

 僕の弓は、『位(くらい)』や『格(かく)』の無い、『射』のみだけど、彼女への『真摯な想い』だけは、乗せて射る。

 弓を倒して顔を戻す。そしてまた、的の中心を射貫く為に、次の矢を番える……。

 矢が、的の中心に重(かさ)ねる想いの、彼女のハートへ飛翔し、射抜くようにと、僕の曇りなき、真摯な想いと願いを込めて……。

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 一ヶ月前のバス事故の後遺症は、当日から三日間も寝込んだ以外は、殆(ほとん)ど無かったけれど、背中の痣(あざ)の消え具合が気になっていたから、弓の練習は、『高熱が出た後の、筋肉痛が有る』とか、言い訳して大事を取り、一週間は、弓を引くのと体力トレーニングを休んで、後輩の指導に徹(てっ)していた。

 その後は、日頃の練習の甲斐も有って、直ぐに感を戻して、少ない日数ながら、今日の大会に出場する事ができた。

 変えたバス路線の始発に乗り、早朝に弓を引いて、狭(せま)い範囲に矢を集中させる練習を繰り返して、次こそは絶対に、彼女へ良い結果を伝えたいと思っていた。

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 全射とも、中心の白丸を射貫いた。

 代表を選出する個人戦は、団体戦のトップ上位者だけで争(あらそ)われるが、今回は、全射的中者が多く、これからはサドンデスの戦いになる。

 上位者達が二矢を持ち、順番に一矢づつ射て、矢が的を外した時点で、射手は失格、敗者となり、射場から去らなければならない。

 僕は他者を意識せず、的を矢で射抜く事だけに意識を集中させる。

 勝ち抜くには、中て続けなければならない。

 八本の矢を中て続けて、二人だけの戦いになった。

 インターハイの個人戦へ出場する県代表の選手は、優勝者と準優勝者の二人が選ばれるから、既(すで)にサドンデスを勝ち続けている僕と、相手の選手は代表権を手に入れている。

 ここからは、優勝者を決定する個人と学校の名誉を掛けた戦いだ!

 これまでの勝ち残った試合では、ここで集中力が薄(うす)れて、気力負けの二位ばかりだった。だけど、今は集中力が途切(とぎ)れても、甘えから気が緩(ゆる)んでも、絶対に負けられない。それに、競(せ)り合う相手は、彼女が学ぶ高校の弓道部の主将で、練習試合を何度もしていた仲だ。そして何よりも、必ず栄光を掴まないと、彼女との約束を果(は)たせなかった。

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 昨日は部活の練習を、調子合わせ程度で早々に切り上げて、集合時刻と場所と持ち物の確認を、マネージャーと済ますと、必勝の祈願をする為に下校した。

 祈願場所は以前、不信心な事を言った親父(おやじ)が祟(たた)られてしまった、金沢市南東の山地に在る黒壁山(くろかべやま)。

 金沢駅で、バスを乗り継(つ)いで向かう。

 一日、一日と、日が長くなる季節といえ、バスを降りると、既に陽は翳(かげ)り始め、左右を竹林に覆(おお)われて、殆どが暗い影になった、山道を歩いて行く。

 噎(む)せ返(かえ)るほどの新緑の匂(にお)いの大気は初夏の暑さを含(ふく)んで淀(よど)み、参道を歩くだけで額(ひたい)に汗が滲(にじ)み、首筋や背中を汗が流れて行く。

 九萬坊(くまんぼう)のお寺の参拝帳(さんぱいちょう)に、現時刻と名前を記して、結界重ねの二つの鳥居が建つ、参道へと進んだ。

 まだ、山々は夕陽に照らされて紅(あか)いのに、誰とも出会わない沢沿いの参道は、鬱蒼(うっそう)として薄暗(うすぐら)く、あちらこちらの藪(やぶ)から、時折(ときおり)、カサカサ、ゴソゴソと聞こえる、何かしらの不気味な気配に竦(すく)み上がりながら、奥の院の祠(ほこら)へと急(いそ)ぎ歩いた。

 参拝帳に、昼過ぎからの記名は無くて、今、神域へは、僕だけしか来ていない。

 古(いにしえ)から、霊峰白山を信仰する修験者達(しゅげんじゃたち)が、山々を渡り、伏見川上流の山科(やましな)地区の山間(やまあい)に至(いた)ったとしても、不思議じゃない。

 山科地区の窪町(くぼまち)に在る、満願寺(まんがんじ)の山頂の社にも、同じ、九萬坊権現(ごんげん)が祀(まつ)られている。

 神格は天狗(てんぐ)で、九萬坊は白山を開山した泰澄(たいちょう)を祝福しに顕(あら)われたそうだ。

 修験者は苦行をしながら、様々な事を調べ回るから、犀川源流の倉谷(くらたに)金山の所在も、加賀藩(かがはん)が採掘する遥(はる)か昔に知っていた事だろう。

 金洗(かねあら)いの沢で有名な芋掘り藤五朗(とうごろう)の山芋の事も知っていて、その、砂金塗(まみ)れの山芋は、この沢沿いの砂地で採(と)っていたのかも知れないと、脇を流れる暗い沢の流れを横目で見ながら、ふと思ってしまう。

 急(きゅう)な石段を、息を切らせて登り詰(つ)めた、岩窟の暗い祠で蝋燭(ろうそく)を灯(とも)し、御本尊の前に設(もう)けられた棚へ、金沢駅のコンビニで買った来た、御神酒(おみき)と生玉子(なまたまご)を供(そな)え、直前の床に、自分の弓道用具一式を並べる。それから、御賽銭(おさいせん)を入れて、人とは違う神様へ、敬(うやま)いの二拝(にはい)の御辞儀(おじぎ)、願いを聞き入れて欲しいと、呼び込みの三拍手、そして、願いを呟く。

「明日の試合で放つ、僕の矢は、全て、魔弾となって、的の正鵠を射貫かせて下さい。最後まで、集中力を失わずに戦い、優勝させて下さい。団体戦も、優勝できますように。そして、彼女と親密になれますように」

 祠の中では、小さな声で囁くように唱(とな)えたはずの声が、周囲の岩壁に反響して、やたらと大きく聞こえ、思わず、ドキッと身震いしてしまう。

 岩窟の中は、入り口からの外光や蝋燭の明かりの届かない角(かど)の隅(すみ)に、何かが潜(ひそ)みそうに渦巻(うずま)く小さな闇だらけで、僕の息遣(いきづか)いや動きで生(しょう)じる音以外に、物音一つせず、少しも揺らぎのない空気は、ひんやりと湿(しめ)り気(け)を帯(お)びて重く感じた。

 その、緊張した静謐(せいひつ)さに、身も、心も、正(ただ)されてしまう僕は、両手を顔前で合わせ、頭(こうべ)を垂(た)れ、目を瞑って真剣に祈る。

 祈りを済ませて、頭を起こし、唇を強く結び、願いを聞きに来て下さった神様へ、『宜(よろ)しく御願いします』の感謝と御見送りの意味を込めた、一拝(いっぱい)の御辞儀で、祈願は終わった。

 蝋燭を扇(あお)ぎ消して、祠の外へ出ると、もう、山の峰の頂(いただき)だけが、深い青空に映(は)えるだけで、辺りはすっかり黄昏(たそがれ)て、暗い黄色に靄(もや)っていた。

 眼下から聞こえる沢の流れと、沢沿いの参道は、山影の中に暗く沈み、殆ど見分けが付かない。

 凪(な)いで葉擦(はず)れも聞こえない大気が、重く澱(よど)んでいる。

(しまったあ、こりゃ、あかん。もっと早く来れば良かったぁ)

 後悔は、直(ただ)ちに安全と安心の確保を求めて甘えに変わり、お袋へ、『直ぐに、迎(むか)えに来て下さい』と、取り出した携帯電話で懇願(こんがん)した。

 僕の帰りの遅さを心配していた、お袋は、碌(ろく)に理由も問わずに快(こころよ)く承諾してくれた。

 安心を得て、気の抜けた声が出てしまう。

「昨日から、御願いしてばかりだな」

 部活のスポーツバッグを襷掛(たすきが)けにして、左手に弓を、右手には空(から)の学生カバンと矢筒(やづつ)を持ち、踏み外して転げ落ちないように、慎重に石段を降りる。

 踏み固められた土の参道は、暗さに慣れた夜目にも、ぼぉうとしか見えず、不意の異形(いぎょう)との遭遇(そうぐう)に備(そな)えて、弓を前へ突き出し、出来るだけ足早(あしばや)に進んだ。

 来る時も、聞こえていたカサカサと動き回る音や、ザワザワと群れてざわめく音は、周り中から聞こえ、次第にガサッ、ガサッと近くへ集まって来ている気がする。

 蔭(かげ)る陽に、薄暗い沢沿いの空気は、絡(から)み付くように重たくて冷たい。

 伏見川(ふしみがわ)の上流域になる狭隘(きょうあい)な谷底だからなのか、昨日の帰宅時刻に感じたよりも、もっと気温が下がって冷え込んでいる。

 参道を戻るにつれて、益々、空気は冷え込み、まるで、真冬のような、初夏とは思えない寒さに、吐いた息が、大きな白い霧(きり)になった。

 薄れ行く残光の空の明るさは、既(すで)に、高い木立の森で遮(さえぎ)られる、対岸の斜面や淵(ふち)へは届かなくなって真っ暗だ。

 沢の黒い流れに艶(つや)は無く、砕(くだ)ける流れる白さは、霞(かす)む塊(かたまり)のよう。

 水墨画のような色を失った参道脇の茂(しげ)みは、何かの蹲(うずくま)りや潜む暗闇(くらやみ)に目えて、連れ去られ、掴み込まれ、神隠しに遭(あ)ってしまいそうな不安で、足裏の土を踏む感覚を薄れさせて、足早に戻る気持ちを、更に焦(あせ)らせた。


 つづく

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