第5話 嵐の夜、僕は彼女の声を聞き、彼女を見付ける!(僕 高校2年生)想いのままに・男子編

 『既(すで)に観光『石川』を確立しているのに、石川県の車輛のナンバープレートに記載されているのは、現在、県庁所在地で石川県の人口の約半数が住まう金沢市の『金沢』と、その他の地域を纏(まと)めた『石川』の二通(ふたとお)りだけです。ですが、全国的に認知(にんち)されているのは『石川』よりも、観光地や食材や護衛艦名で知られている『能登(のと)』と『加賀(かが)』の名称です。どちらも二文字で見やすくて覚(おぼ)えやすいです。それに読みやすいですし、『いしかわ』よりも言い易(やす)いです。観光を主柱とする石川県ならば、ナンバープレートの地域表記は『能登』、『金沢』、『加賀』の三(みっ)つにするべきで、ネーミングの認知で移住者を増加させて更(さら)なる過疎化(かそか)の防止をねらいます。しかしそれには、地域の自動車の登録台数が10万台以上必要ですが、これは既(すで)に超えていると思います。更に自動車検査登録事務所の新設が必要になります。また当然の事ですが、導入には其(そ)の地域の住民や自動車ユーザーの意向でなくてはなりません。そして、議員様方々への強力な働き掛けを御願いする事になるでしょう』

 これは、とある会合に参加して、地域の知名度アップのアイデアをテーマに若いエンジニアの方(かた)からの意見を求められて語(かた)った内容だ。

 先進的な考えの若い人達には『なるほど』といった反応だったが、年輩者からは金沢市中心の認識から、『田舎(いなか)的で全国受けしないね』の保守的な反応が多かった。

 それでも『石川県が何処(どこ)に在るのか知らないが、加賀と能登の名称は世界的にも知られていますよ』と反論が出ていた。

 確(たし)かに日本国内では、其の地名と場所の知名度は不足しているけれど、海外では金沢市や北陸(ほくりく)を紹介している動画は多くて、固有名詞としては世界的に認識されているみたいだった。

 単純(たんじゅん)に其の事実を年輩者が知らないだけの情報不足だと、会合で感じていた。

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 今は気持ちを彼女から逸(そ)らす様に、弓道部の部活と加工のアルバイトに集中している。

 去年の騙(だま)し討(う)ちキスへの問いに『していない』と嘯(うそぶ)いてから、その後ろめたさに毎朝のバスで彼女の横に立ってはいるが、積極的な行動やメール内容はして来なかった。

 ただ疑(うたが)われないようにメールの回数は維持(いじ)していたが、内容は日記のような報告文で全く面白味(おもしろみ)が無い。

(名無しの告白メールに、騙し討ちのキス、自分の姑息(こそく)さを猛省(もうせい)するのみだ!)

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 アルバイトでしている親父(おやじ)に依頼された加工の仕事は、常(つね)に細部まで進捗(しんちょく)や異常や思案(しあん)を報告・連絡・相談していて、それらについては怒(おこ)る事も、否定(ひてい)する事もせずに、熟考(じゅっこう)する親父は的確(てきかく)な説明と指示をしてくれて、必(かなら)ず僕を力付けて助けてくれている。

 『学校の勉強にせよ、好(この)んで読んだ物語や知識にせよ、部活や仕事で得(え)た技能と理解した技術は、自分の身に備(そな)わって行き、近い将来には必(かなら)ず、揺(ゆ)らがない自信となって自分自身を助けてくれるんだ』、これも親父が口癖(くちぐせ)のようにいう言葉の一つだ。

 親父も僕と同じ工業高校の機械科卒業生で、大学へは進学していない。

 仕事の技能と技術は働きながら学(まな)んで習得し、一念発起(いちねんほっき)で起業した会社の経営などは全(すべ)て独学で……いや、お袋のアドバイスと援助も大きいが……熟(こな)して来ている。

 学校の普通教科の勉強が疎(うと)ましい僕は、大学へ進学する必要性を感じていなかった。

 工業高校で物造りの基礎を学ぼうと考えていたのは、中学2年生の頃から決めていた事だ。

 工業系のクリエイターに憧(あこが)れ始(はじ)めたのは小学校の6年生の時からで、まだ世界に無い物を発想して設計し、製作してみたいと考えていたのは小学校を卒業する前からだった。

 大学へ進学しない事については、親父もお袋も否定はせずに理解を示(しめ)して、寧(むし)ろ応援してくれている。

 だから、その為(ため)の知識や因果(いんが)を深く学ぶのは僕の信念であって、決して嫌(いや)じゃなかった。

 仕事上で……まあ仕事といっても親父の仕事を手伝うアルバイトなのだけど……、それでも来訪や訪問や電話応対などで接する年輩の方や若輩者(じゃくはいもの)を問わない、言葉遣(づか)いや態度に話題、そしてバックグラウンドの思考を会得(えとく)する為に、僕は放課後や部活以外の空(あ)き時間の大半を充(あ)てている。

 本屋や図書館に足繫(あししげ)く通い、趣味以外にも知識の為(ため)に多くの本を読んだ。

 ネットゲーム好きな同級生はインターネットからのデジタル図書で読めば安くて楽なのにって言って来るけれど、タブレットの電子ブックと紙の本とは違(ちが)う。

 確かに調べ物はインターネットの方がピンポイントで速く検索(けんさく)できて、しかも内容は多彩(たさい)で深く、比較もできるし、自分なりに分かり易(やす)く纏(まと)める事もできる。

 でもストーリー性の有る文章や絵については、動画の映像とは違って、製本用の紙に印刷された活字(かつじ)文字の方が場面や物や人物をリアルにイメージできて、感情移入し易いと僕は感じている。

 図書館では一般的な教養を得る為に、誰彼(だれかれ)の成功話や自己啓発書、マナー本に宗教などの思想本、日本や各国の歴史書、地理に地図に語学、科学理論と物質の知識、それに和洋(わよう)古今(ここん)の文学本とラノベなどなど、気になるタイトルの本は大抵(たいてい)手に取ってから借(か)りていた。

 物造りや事故や驚異的な風景の動画はよく見て参考にしているし、好きなアニメと映画からも人の有り方を学んでいる。

 テレビのドラマやバラエティは参考にすべきところが何も無くて殆ど観ていないし、テレビゲームはするけれど時間的にのめり込む程(ほど)していない。

 トランプ、麻雀(マージャン)、将棋(しょうぎ)にチェスは親父やお袋と互角(ごかく)に対戦できるくらいになっているが、家族といっしょに笑いながらゲームを楽しめれば十分だった。

 ただオセロだけは、妹に勝てた例(ためし)が無かった。

 自分を表現するパフォーマンスは今のところ弓道の部活と、やっと稼(かせ)げるようになって来たたアルバイトでの技能と、人に見せても恥(は)ずかしくないセンスの模型作りだけど、彼女に華(はな)やかさを求められたら今の僕では応(こた)えられない。

 芸術大学や何処かの大学の理系への進学は中学校の時から学力的に諦(あきら)めていて、今ではその必要性を感じていなかった。

 もしも芸術大学へ進学できて美術を学び、順調に卒業できたとしても、‘作品で生活できるようになる為には、国内外で大きな賞を幾(いく)つも受賞してメジャーにならなければならないから、若年で妻を娶(めと)って困窮(こんきゅう)せずに暮らして行くのは無理っぽいと思っていた。

 故(ゆえ)にファンタジー的な遣りたい事よりも、リアルにモノ造りの極(きわ)みを目指そうと考えている。

 それには芸術と同様に発想力、想像力、観察力、応用力、思考力が重要だと気付いていた。

 それらは、今の浅(あさ)はかで稚拙(ちせつ)な僕には、まだまだ足(た)りない未知のモノだらけで、将来を見据(みす)えた覚悟(かくご)を持って学んで行かなければならないと考えている。

 但(ただ)し、仕事の生業(なりわい)は、幸せな生活を潤(うるお)わす糧(かて)で、生(い)き甲斐(がい)じゃない。

 生き甲斐は彼女と趣味でありたいし、仕事を言い訳にして家庭を鑑(かんが)みない大人には成りたくない。

 家庭や家族を犠牲(ぎせい)にする仕事なんて有り得ないし、僕には考えられなかった。

     *

 親父には何度か、国際加工技術展や最新塑料(そりょう)技術展などの成形金型加工業界の大きな展示会へ連れて行かれて、大阪南港のインデックスや東京お台場(だいば)のピッサイドや千葉市美浜の幕張(まくはり)メッセで催(もよお)される国際的な会場を見学してまわっていた。

 そこで見聞きした最新の技術や技能は、僕にとって希望有る将来への展望となっている。

 そして会場が在る関東や関西への移動は世界の広さと多様さを僕に教えてくれて、こんなに日本の首都と第二の大都市が豊(ゆた)かに複雑なのだからと、地球規模の世界の凄(すご)さも想像させてくれていた。

 鉄道や空路の移動と展示会場は、出逢(であ)う人達や視界に入る人々の営(いとな)みの有り方を知らせていたし、親父の手配した夕刻(ゆうこく)に飛び立つ航空機から見た地球の縁(ふち)に消えてい行く夕陽(ゆうひ)は、金石の浜で見るよりも遠くに輝(かがや)いて、その真(ま)っ赤(か)にテカる世界の果てへ深く落ちて行く色鮮(いろあざ)やかな世界の美しさに、僕は深く感動して心と身体の隅々(すみずみ)まで蕩(とろ)けていた。

(この素晴(すば)らしき世界!)

 いつの日か、彼女といっしょに世界中の素晴らしい景色(けしき)を観(み)て、いっしょに感動したいと思う。

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 夏休中の8月下旬、郵送されて来た航空券を親父に見せられて、『明後日(あさって)は小松空港から上海へ飛ぶぞ! お前の支度(したく)は済(す)んでいるな』と告(つ)げられて僕は戸惑(とまど)ってしまった。

 予(あらかじ)め知らされてはいたけれど、初めての海外は、初めての都会以上にドキドキしてしまい、国内移動とは違う海外渡航に必要な書類や持ち込めない物に日常品など、そのリストアップにパニックになりかけた。

(もう、面倒臭(めんどうくさ)くて堪(たま)らない! 慣(な)れると躊躇(ためら)い無く移動出来るようになるのだろうが、そのモチベーションも自分次第なんだろうなあ)

 7月初めに、『客先からの依頼で中国に行く事になるかも知れん! お前もいっしょに行って欲(ほ)しいそうだ!』と言われて、直(す)ぐに親父と渡航に必要な書類と手続きを調べた。

 中国への渡航には、パスポートとVISAと訪問先の会社からの招聘状(しょうへいじょう)が必要だが、観光目的ならVISA無しで14日間の滞在が可能だった。

 ただ、碌(ろく)に観光をせずに商談先に滞在していて不慮(ふりょ)の事故や事件に遭遇(そうぐう)した場合、面倒な事になりそうなので、交流訪問を目的とした30日間のF‐VISAを申請する事にしていた。

 既にパスポートは中学2年生の3学期に北イタリアの旅行へ行く為に取得していて、渡航後の訪問先になる中国の会社からの招聘状は、いっしょに渡航する客先の海外担当の営業マンの方がVISA申請の書類作成と申請予約の手続きの打ち合わせで来た時に持って来ている。

 VISA申請の書類には、規定の顔写真と過去に出入国した国のスタンプを押されたパスポートのページのコピーなども必要で、パソコン上で記入してプリントした申請用紙などを揃(そろ)えたら、本人確認を兼(か)ねて東京の中国ビザ申請サービスセンターへ、それらの書類を提出しに行く。

 ネット上で記入の際(さい)に記載訂正などは指示されて、必要項目や記述が正確でないと申請の記入は完成しない。

 だから、中国ビザ申請サービスセンターでは記載に目を通すだけで受理され、滅多(めった)に不受理になる事はないらしい。

 受理後はパスポートにVISAの紙片が貼(は)られて、渡される日に再びビザ申請サービスセンターへ貰(もら)いに行くだけだった。

 渡航訪問の仕事は客先から依頼された事で、訪問先からの報酬(ほうしゅう)は無いが、渡航の航空券と予約されたホテルでの滞在費用を含(ふく)めた日当計算の全額が、客先から支払われる。

 仕事内容は商談と称(しょう)した指導的な講義と実演で、親父は金型設計と部品の仕上げ加工に金型の組立と測定と細部確認のレクチャーを行い、僕は加工のプログラムやアルゴリズムの見直しや実際に加工と測定をレクチャーしながら設備や6S管理と表示される仕事場の環境と組織を含めた会社全体の品質を向上させる、整理(SEIRI)、整頓(SEITON)、清掃(SEISO)、清潔(SEIKETSU)、躾(SHITSUKE)、安全(SECURITY)の世界基準のチェックをする予定だ。

 6Sは日本のグローバル企業が採用していた品質管理システムで、製造業の世界では常識となっている。

 故に安全の〝SECURITY〟以外はローマ字表記になっている。

 この6S管理と国際工業基準のISOと表記される工程管理システムを採用していなければ、国際的な企業との高品質で利益率の高い美味(おい)しい仕事を安定して受注できないと言われていて、親父の会社も個人事業ながら認可を取得している。

 納期と品質の管理は親父と僕が、マネジメントはお袋と親父が担当している。

 お袋は家の中の整理整頓と買い物や家計のチェックに管理手法を応用していて、少ないけれど貯蓄(ちょちく)の余裕が増えたと喜んでいた。

 弊社(へいしゃ)は薄利なので不動産や証券への投資はせず、ファンドにも参加していない。

 一攫千金(いっかくせんきん)を夢見て投資するくらいなら、確実に成長する自分達や自分自身に投資したい。

 6Sや改善は行う過程や達成後の変化、結果をイメージできなければ上手(うま)くいかなくて、それを理解せずに、ただ言われた通りにするだけだと必ず不備が有って、返って手間を増やすだけだった。

 結果をイメージしての達成は異世界の魔法と同じ感覚で、6Sの必要な段取りや手順や道具は、要素を取り込んで導(みちび)かせて発動させる魔法の詠唱(えいしょう)や呪文(じゅもん)と同じだ。

 そういう意味でのイメージは、開発や設計の技術と工程もいっしょだと思う。

 エンジニア達が正確にイメージできるようにしなければ、完成形の成就(じょうじゅ)には至(いた)らない。

(なら、親父と僕はウイザードで、お袋はウイッチかな?)

 会社での勤務時間中は6Sを行っているのならば、6Sは私生活の中でも実践(じっせん)、少なくとも意識はすべきだと思う。

 家の中や車の中の整理・整頓・掃除・清潔・安全、自身の態度や姿勢や行動や言動を正(ただ)す指針となっても良いと思う。

 実際に我が家で僕は、そうするように心掛けている。

 自分の部屋に物は多いけれど、しっかり整理整頓が為(な)されて整然として、部屋の隅(すみ)に埃(ほこり)が溜(た)まったりしていないし、ゴミは分別を徹底(てってい)して捨(す)てている。

 去年の年末に購入したロボット掃除機には、部屋の隅角(すみかど)まで綺麗(きれい)に掃(は)いて吸塵(きゅうじん)できるようにと家具と床の隙間に嵩上(かさあ)げを施(ほどこ)して障害(しょうがい)無く通れるようにしているから、断捨離(だんしゃり)をしなくても部屋の中は綺麗で、空気も清浄(せいじょう)だ。

 上面の大きなメッセージパネルに好きなアニメキャラを映(うつ)し出しながら、お気に入りの曲をメドレーで奏(かな)でて甲斐甲斐(かいがい)しくて動き廻(まわ)っている掃除機は、ダックテールにしてみたくなるほど可愛(かわい)い!

 6Sの認識だけど、会社で6S管理の責任者をしていて社員教育を徹底している人には、家の中や車の中が沢山(たくさん)のタバコの吸い殻(がら)や腐乱(ふらん)ゴミで臭く、多くの物が乱雑に散(ち)らかって汚(よご)れたままにしている喫煙者(きつえんしゃ)の方が多いと、仕事での接客や訪問先での経験から僕はそう思っている。

 社外での行動や態度や言動も横柄(おうへい)で乱暴(らんぼう)ならば、美化(びか)や躾(しつけ)の指導を行える魅力(みりょく)有る人物には程遠(ほどとお)くて、呆(あき)れるより軽蔑(けいべつ)して避(さ)けるしかないと僕は判断している。

     *

 親父に連れられて行く中国への渡航は8月下旬になり、小松空港から上海(シャンハイ)郊外の浦東(プゥドン)国際空港へ飛び、そこで先に関西空港から到着していた顧客の海外部の次長と品質保証部の課長と合流した。

 小松空港から上海浦東空港まで3時間のフライトで着き、中国の入国検査を無事に通過して到着ロビーに出ると、顧客が取引する商社の駐在員の若い女性が待っていて、『これからの行き帰りの移動に同行して滞在などの手続きの一切(いっさい)を代行します』と言っていた。

 着陸後の外国人入国カードの記入と提出を含めて、ここまでの所要時間が1時間近く、機内持ち込みできるサイズのキャリーケースとリュックだけの手荷物だったから、この時間で済んだけれど、カーゴとして預けたスーツケースなどが有ると、更に30分以上は掛かるそうだ。

 上海ディズニーランド近くに在る浦東空港のパーキングビルから乗り込んだミニバンは片側3車線から4車線の高速道路をトラブル無く、1時間ほどで上海中心エリアの上海虹橋(ホンチャウ)空港近くのホテルまで移動して一泊(いっぱく)した。

 ホテルの宿泊は上階の角部屋(かどべや)で、其処から見える西と南の方向には果(は)てしなく建物が連(つら)なり、真(ま)っ赤(か)な夕陽(ゆうひ)は地平線近くで擦(かす)れる事無く、輝(かがや)いて沈(しず)んで行った。

 晩御飯の時に商社の女性が『辛(から)いのは大丈夫(だいじょうぶ)ですか?』と訊(き)くので、顧客の方々と親父共々『大丈夫です』と頷(うなず)くと、ホテル内の四川料理レストランで赤唐辛子(あかとうがらし)で真っ赤な『四川(スーツァン)火鍋(フォグゥォ)』という、初めて本場の中華料理の激辛(げきから)鍋(なべ)が美味(おい)しかったのでバクバクを食べていたのだが、朝方はゲリピーで何度も便座に腰掛けていた。

 親父もゲリピーだったと言っていたから、親子とはいえ、思春期の息子と親父でトイレの取り合いをしない様に、別々の部屋で手配してくれた商社の女性の方に心から感謝です。

 幸いにホテルをチェックアウトするまでにはゲリピーは治(おさ)まり、中国国内航空便がメインの上海虹橋空港発の鄭州(ゼンゾゥ)行き便には体調良く搭乗できた。

 予定通りの2時間のフライトで河南省の鄭州空港に着くとリムジンバスに40分ほど乗っで鄭州駅へ向かい、更に1時間くらい高速鉄道に乗り、山西省の晋城(ジンチャン)東駅へ移動した。

 商社の方の説明に因(よ)ると、山西(シャアンシィ)省は上海市の西北西の方向で、紀元前5千年に夏(シィア)、商(シャン)、殷(イン)などの国家が栄(さか)えた中国古代文明の発祥(はっしょう)の地域だそうだ。

 春秋戦国時代や三国史に頻繁(ひんぱん)に登場する中原(ちゅうげん)の地も此処(ここ)が中心で、古代文明を発展させた鉄や石炭などの鉱物資源が豊富な地だった。

 山西省は岩山の山脈に囲(かこ)まれた盆地(ぼんち)で、南側と西側の山脈の外側沿いに黄河が大きく曲がって流れていて、その西方は偏西風(へんせいふう)で運ばれて来て大気汚染を起こす黄砂(こうさ)の発生場所の黄土高原と砂漠地帯だ。

 北方の山岳地帯にはセメントの原料になる石灰石(せっかいせき)の露天掘り鉱山が数多く有り、その石灰石を粉砕して微細粉にした後、焼結(しょうけつ)でセメントを生成する無数の工場が、焼結での煤煙(ばいえん)でPM2.5と呼ばれる微粒子(びりゅうし)を大量に飛散(ひさん)させて、重度な呼吸器系の健康被害に至(いた)る大気汚染(たいきおせん)を広範囲に発生させていたが、現在は、各地の土地開発に因る建設ラッシュは治まって、セメントの需要が減り、大気は正常値に戻っている。

 『見て下さい。青空は日本の青空と同じ、澄(す)んだ青い色ですね。PM2.5の時は灰色っぽいくすんだ青色でしたよ。雨雲じゃない汚(きたな)い灰色の雲の層も発生していました。今は、中国の何処でも綺麗な空が見れて、清浄(しょうじょう)な空気で安心して息ができます』

 商社の女性の方は大気汚染の原因を説明しながら、この澄み切った大気じゃないと中国の風景は映えないとばかりに、大気汚染の原因を憎(にく)んでいた。

 そして迎(むか)えのエグゼクティブな内装の高級ミニバンに乗車して高速道路を1時間余り走り、漸(ようや)く小高(こだか)い丘の上に広がる街の頂上辺りに在る訪問先の協力会社に到着した。

 被(かぶ)さるように広がる丘も無煙炭を採掘(さいくつ)する鉱山で、現在も露天掘りと坑道掘りで採掘されている。

 その日からは会社の敷地内に建つ来客専用の広い四(よ)つ星(ぼし)クラスのホテルのような綺麗で設備が整(ととの)った部屋に寝泊まりする事になった。

 歓迎(かんげい)の食事会は殆どの社員、約2千人と会食する豪勢(ごうせい)さで、多彩(たさい)な料理はどれも美味しくて、ここに来るまでに通過した街や施設と同様に、工場も洗練(せんれん)されていて何も不安は感じなかった。

 住んで暮らすのは、聞くのと、見るのと、行ってみたのとでは、大きく違う事が良く分かり、はっきりと聞くだけや写真で見て文献(ぶんけん)で読んだけじゃ不十分(ふじゅうぶん)だという事が理解できた。

 滞在するのは五日間(いつかかん)で、その間に僕は加工のプログラムを最短化して加工精度を見極(みきわ)めるのと、加工機械の精度や設置状態の確認と調整、それに加工寸法の確認測定の手順を現状を確認しながらレクチャーする事だった。

 親父は金型設計の検図とレクチャーから成形トラブルの案件を改善するのと、それらの専門書には無い実際に経験で学んだ加工知識の講義(こうぎ)に、製品を作る高価なプラスチックの無駄(むだ)を無くすシステムの導入、最新の超音波金型洗浄機の性能、最先端の鋼材表面の改質技術の説明などや、精密加工に必要な機器を設置するに相応(ふさわ)しい基礎工事や耐震の構造の工場になっているのかの点検などだった。

 他にも工場内の空調、特に湿気防止と空気の滞留(たいりゅう)を指摘して、熱気の除去、窓や扉(とびら)やドアの開閉、金型や機械の温度調整、冷却塔のメンテナンス、水質の改善などを指導していた。

 講義の合間に覗(のぞ)いてみた親父の講義は、今後、僕が学ぶべき射出成型金型に関する重要ポイントで、金型構造の『内部空間の空気の迅速な排気の必要性』、『金型を構成する全ての板材の平行度』、『金型部品全ての平面度と正確な角度と寸法精度の公差』、『金型全体を均等な温度に調整する流体の流路構成』、『金型に用(もち)いる鋼材の材質や硬度に表面や組織の改質処理やコーティング』などを詳(くわ)しく説明していて、それらについての深い内容の質疑(しつぎ)応答(おうとう)にAI自動翻訳では能力不足で、会社側の通訳が意味の通じる文にするのに手間取(てまど)っていた。

 顧客の方々は協力会社を更に成長させるべき項目のチェックと要望を伝えるのに忙(いそが)しく、各自が終業時間後のミーティングまで動いていた。

 まだ3年余りの経験しかない若輩者の僕が行う、親父から厳(きび)しく叩き込まれた技能や作業の因果(いんが)関係を説明する拙(つたな)い講義でも、現場の年輩の担当者の方々は真剣(しんけん)に聴きながらノートを取ってくれていた。

 講義は仕事に支障(ししょう)が無いように二組(ふたくみ)に分けて、午前と午後に同じ内容を行ってエンジニアの全員が受講できるようにカリキュラムされている。

(まあ初めは、経験3年余りの17歳の日本人の少年が、どんな技能と技術を習得していて何を話すのか興味が有っただけで集まってくれたのだと思っていたが、後半から最終日まで手隙(てすき)の方達も来てくれて、なかなかの賑(にぎ)わいだったな)

 相手は新進気鋭(しんしんきえい)の若く優秀な社員達で、いずれも大学卒、大学院卒ばかり、しかも学部は金型学科や成形学科など成形技術や金型技術に特化した学歴の方々で驚いてしまった。

 大学の授業内容は既に確立された結果や過程を学ぶのが主体で、自主的に規格外を研究する事は少ないと言っていて、尋(たず)ねたは良いが、聞いていて面白味(おもしろみ)が薄い授業内容で、探求意欲が削(そ)がれると思ってしまった。

 実際、こちらでも成績の優劣は付き纏い、就職に有利なので大学に進学したと言っていたし、家族の為、親や親族への恩返(おんがえ)しの言葉も聞こえて来て、日本の学生や生徒とは根本的に違っているかもと考えてしまった。

(それでも、工業高校機械科2年生の僕とは大違いだろう!)

 彼らは、アルゴリズムの短縮を繰り返す僕の考え方、思考の原点、経験からの工程や加工物の確認と取付、それらの行い、注意すべき点、必要な知識と道具などを、事細かく知りたがり、自分達が行ってる作業とツールの違いを追求して改善点を纏めていた。

 毎日、終業時間まで質問攻めに合っていたが、これまでの経験と工夫(くふう)から知り得た事で僕は懸命(けんめい)に受け答えをしていた。

 『真剣な行いや真剣に悩んだりすると知恵(ちえ)が湧きます。中途半端(ちゅうとはんぱ)に遣っていると仕事や環境への不満の愚痴(ぐち)を呟(つぶや)きます。いい加減や適当に生きていると出来ない言い訳ばかりします。自分への反省が無い人は直ぐに怒(いか)ります。反省が有る人は道理を諭(さと)しながら叱(しか)ります。だから、昨日よりも今日、今日よりも明日を更に気持ち良く生きて行きたい僕は、真剣に悩みます』と言った時、部屋にいた全員から身体が温(あたた)まるような拍手をされて感激してしまった。

 僕は終始(しゅうし)、『無駄口をせず、必要以上に喋るな。唇を結んで黙っていろ。ソワソワ、ウロウロ、キョロキョロするな。各自の表情や仕種(しぐさ)、工場や部屋の内部と外回り、窓から見える景色を観察しろ』と親父に言われた事を気を付けて実行していた。

 話し方は、『早口(はやくち)にならないようにして、極力、金沢弁は使わずに標準語の5W1Hの文法作りで、長くても5行程度の文にしろ。回りくどい言い方をするな。簡潔(かんけつ)に分かり易くして、翻訳が困(こま)らないようにするんだぞ』とも、親父に指示されている。

 他にも『接続語を多用して話を長くするなよ。そんな見せ掛けの利発(りはつ)さや教養が有るフリなんて、言葉が通じなくても分かっちゃうからな。工業用語も一般的なのにして、専門用語は使うな。通訳は加工の知識が無いし、同じ漢字でも意味が違うから気を付けるんだ』と、念(ねん)を押された。

 僕の方は、意味が分からずとも会社の人達の声を良く聞いて、単語や文の区切りを聞き分けれるように努力して、語気(ごき)やイントネーションで言葉に込められた気持ちを察しようと努力していた。

 確かな技術的イノベーションは少ないかも知れないが、先進技術の応用は多岐(たき)に渡り先んじていて、兎(と)に角(かく)、製造と普及が早く、このパワーは底無しで素直に凄いと感じた。

 商工会や学校の先生方々は、『まだまだ田舎的で汚く、交通マナーが悪い以前の日本のようだ』などと蔑(さげす)んだ評価をしていたが、そんな事は全く無かった。

 まあ、郊外や田舎へ行けば知らないが、建物にロビーにトイレは何処も清潔で日本と変わらない設備だった。

 交通真マナーにしても信号を守ってクラクションは殆ど鳴(な)らさないし、ウインカーも通常使用だし、交差点での通行も支障が無くて、毎日、安全な環境で安心して滞在できていた。

 ただ、熱心に学んで僕を質問攻めにして来るのだけれど、殆どが一人だけで来て同じ不理解点を訊いていた。

 彼らは理解した不理解部分を他の理解していない人達には教えず、自分だけの知識としてノートに書いて忘(わす)れない様にしているのを見て、この国が日本以上の競争社会な事を知った。

 その反面、試(こころ)みが上手(うま)く行かなかった時の諦(あきら)めが早く、関連部分の状態を確認せずに新たな手法を求めて来る事も多かった。

 日本人にもいるけれど、要(よう)は他人(たにん)の所為(せい)、上手く行かない非(ひ)は自分の落ち度ではなく、自分にさせた他人の所為で、自分への見直しも、改めも乏(とぼ)しかった。

 高速道路上で前方の路肩側に工事車両が止まっていて、避ける為に速度を落として順次(じゅんじ)車線を変更していたのだが、その状況が見えているにも関わらず、長くクラクションを鳴らして車間を詰め、車線変更をしようとする路肩側車線の車輛を妨害(ぼうがい)するドライバーも多く見ていた。

 たぶん1台を入れると、其の後方に数センチメートルでくっ付いている後続車輌が次から次へと入って来るからだと、後方に続く列を見て思った。

(やはり、性善説(せいぜんせつ)など不確かで、あてにならない!)

 送迎の車の運転手は、接する時や会社内では柔和(にゅうわ)で親切だけど、運転時には鬼神(きじん)の如(ごと)くの我先(われさき)運転で、其の運転テクニックに僕は感心していた。

 悠久(ゆうきゅう)の歴史が有る文明国家で、利発そうな人達が多いのに、乏(とぼ)しい察しと道徳(どうとく)の伝承(でんしょう)が侘(わび)しくて悲しい気持ちになった。

 滞在中に土砂降(どしゃぶ)りで激(はげ)しい雷(かみなり)の日が二度有ったが、停電する事は無くて洪水のニュースも聞かなかったから街としての機能保全は徹底していると思う。

 退勤後に買い物に行ったショッピングモールは商業工学に基(もと)づいたデザインの大きな建物で、『こんな奥地の省の小さな地方都市に!』と、またまた驚いてしまった。

 会社内もそうだったが、モール内も綺麗でゴミ一(ひと)つ落ちていなくて、子供が落としたアイスクリームも直ぐに従業員が来て綺麗に片付(かたづ)けていた。

 これは、『一朝一夕(いっちょういっせき)には成らず』ではなくて、『一朝一夕に行ってしまう』の気概(きがい)と逞(たくま)しさと方向性を感じて、これまで知らなかった有益(ゆうえき)な事を知るとどうなるのか、有益な改善を導入したらどうなるのか、其の派生効果を目の当たりにしていた。

 親父は言う、『やはり、この国の人達は侮(あなど)れない。これからも真摯(しんし)に対応しなくちゃな』

 僕の6Sの指導は二日目の最初に1時間ほど現場を見て回って行い、重箱(じゅうばこ)の隅を突かないように気を付けて指摘(してき)した。

 加工機械や成形機の冷却に使用する水を供給する冷却塔と水質のチェックに社屋の屋上に行った時、親父は西の方を向いて言った。

 『空の色が鮮やかな青色で、大気が澄んでいても、塵が舞っていないわけじゃないんだな。此方(こちら)側の西方、向こうに連なる岩山の彼方には陸続きでヨーロッパが在る。其の手前の広大な高原地帯には荒野と砂漠が広がっていると、行った事は無いけれど映像や紀行記から知っている。そして、地球は東向きに自転していて太陽は東から昇り、西へ沈んで行く。足下(あしもと)の大地も、この空気も自転と同様に東へ向かって行っているんだ』

 『大気が地表に貼り付いての自転と同じ速度なら、此処に立っている俺達に空気の動きは感じ無いはずだろう。空気は動かず無風だろう。だが今、気持ちの良い西風が吹いているのを俺達は感じている』

 『中学校で習(なら)っていて覚えていると思うが、この風は赤道辺りの暖かい空気が北極の寒気に吸い寄せられながら、地球の高緯度になるにつれて円周が小さくなる為に周速度が速くなるからだ。例えば最大直径の赤道の円周距離での風速と、円周距離の半分になるの場所の風速では、単純に2倍の風速になると思っていてくれ』

 『北から南下する冷気と南から北上する暖気が合流して高気圧の気流となるのが、緯度的に此の辺りを含む日本の位置になる。一年中、西から吹く偏(かたよ)った風なので偏西風とよばれている。因(ちな)みに南北の極地へ大気が移動する赤道付近は低密度の低気圧になるので、気圧を上げようと東からの激しい風が吹き荒れる、これが台風などの熱帯低気圧だな。嵐(あらし)を避けた緯度ならば帆船(はんせん)時代には東洋からヨーロッパへ物資を運ぶ都合の良い東風なので、現在でも貿易風(ぼうえきふう)と言われている』

 『話は長くなったが、この西風が舞い上げた黄土高原や砂漠の微小な土粒は、上空で衝突を繰り返しながら研(と)がれて超微小粉になる。大きさは一万分の一ミリメートル以下、2.5ミクロンのPM2.5の公害粒子よりも小さい。窓を開けておけば家屋のあらゆる場所へ入り込んで、精密機械の誤作動(ごさどう)や鏡面仕上げ製品の品質に悪影響を及ぼす。だから此処のような最先端の精密部品の製造工場では窓の開放は厳禁なんだ。それは日本でも同じだぞ!』

(そうだと僕も考えていた。だから親父の工場は準(じゅん)クリーンルーム化にしているんだ)

 この問題は当然、6Sの指導で指摘するけれど、僕が行う6Sの目的は『安全』で、作業現場が『安全』でないと、優(すぐ)れた『品質』は確保できないと考えている。

 6Sでの清掃のポイントは、床の際(きわ)や桟(さん)の端(はし)や角の隅っこの徹底したゴミと汚れの除去で、床に落ちているゴミや附着した汚れは普通に目立って不快(ふかい)に思うが、隅に溜(た)まる塵滓は見逃し勝ちになってしまう。

 これは別に工場や社屋に限った事ではなく、自分が暮らす家や敷地や部屋も対象になる。

 加(くわ)えて自分自身の肉体の手入れや容姿もそうだ。

 僕的には、シャボンで身体を包んでしっかり洗い、歯磨きは裏側や細部まで附着物や挟み滓を除いて、不快な口臭を漂(ただよ)わさないように気を付ける。

 頭髪を整えて衛生的な爪の長さを保ち、好みのフレグランスをちょっとだけ吹き掛けて、不潔感や不快感を与えない自分なりの服装を着こなすようにする。

 自分自身の健康を維持する管理も対象になり、会社や家庭では、病気や怪我(けが)や精神的な不安定を招かないようにする環境と道具の改善になるだろう。

 寿命(じゅみょう)や将来に於いて罹(かか)る大病や遺伝子レベルの発病は、どの程度で生死を左右する程なのかも分からないが、罹患(りかん)した時点で無思考の不摂生(ふせっせい)な日々を送って来たのか、そこそこに気付けた健康管理をした日常にしていたのかでは大いに違う。

 僕は発病で、不摂生が原因と思えるような後悔をしたくない。

 罹患したならば、完治させようと必死に足掻(あが)くけれど、そうなるまでを『ああすれば、こうすれば』なんて、思い返して後悔と反省と嘆(なげ)きで塞(ふさ)ぎ込みたくはない。

 規則正しくても、不規則な生活リズムでも、日常的に維持と改善を心掛けて、それを無意識下で行えるようになれば、体調を良くしたり、不調になれたり、自分の調子をコントロールできると考えている。

 例えば、万病のもとと言われる風邪は、鼻愚図(はなぐず)りや咳(せき)の出始めにワザと発熱と発汗をさせるように、刻(きざ)んだ生姜(しょうが)をコーラで煮詰(につ)めて、そのショウガオールいっぱいの熱くて辛(から)いコーラを飲んで、不調の因子(いんし)を身体から追い出して体調を整えている。

  気持ちの落ち込みは、そうなる要素や原因についてアレコレ考えずに風呂に浸かってから良く寝る事にしている。

 悩んで眠れにないなんてナンセンスだ!

 眠れないなら、その悩みの原因や関連事が自分に必要かどうかを考えて消去して行けば、大抵(たいてい)は不必要で迂回策(うかいさく)が有った。

 ならば、放って置けば時間が解決してくれる。

 それにスッキリ目覚めれば打開策(だかいさく)も浮かぶし、夢の御告(おつ)げも有る。

 案ずるよりも産むが易しで、当たって砕(くだ)けろの成るようになるしかない。

 ケセラセラでレット・イット・ビーだ!

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 故に、僕なりの6Sの考え方や効果も徹底的に指導して、最終日には不慮(ふりょ)の事故の発生を心配しないくらい、当たり前に各自の行動と現場の状態が改善されていた。

 最終日の夜は豪華な中華料理の後に花火のショーを観に連れて行かれて、その勇壮(ゆうそう)さに驚いてしまった。

 古代の宮殿の庭を模した会場は、高い壁と広いスタンド席に囲まれたサッカー場ほどの広さで、列を成して打ち鳴らされる太鼓(たいこ)が響き、天女(てんにょ)姿の踊り子達が舞っていて、防火用なのか池も有った。

 協力会社の社長と日本語が堪能(たんのう)な営業スタッフ達は花火と言っていたが、実際は火薬で弾(はじ)ける打ち上げ花火ではなくて、最新の耐熱服を纏った演技者がシャバシャバに熔(と)けた鉄を柄杓(ひしゃく)で掬(すく)って大きくブチ撒(ま)けたり、壁の上から撒き落としたりするモノで、もしも熔けた鉄で事故が発生すれば、浴びた手足の部分は一瞬で燃えて失(うしな)われてしまい、生存の見込みも僅(わず)かな危険極まりないショーだったが、撒かれた広がる熔けた鉄は金色に輝く雫(しずく)となり、一斉にバシャっと弾ける豪壮な美しさには度肝(どぎも)を抜かれ、吹雪(ふぶき)の様に降り落ちる火花の中に立つ柄杓を持った花火師の勇壮さと伴(とも)に、強烈なインパクトで僕の脳裏(のうり)に焼き付いた。

 眼前で演じられた非常に危険で素晴らしく豪華な花火ショーに僕は、世界の広がりと多様性を知らしめられて、北イタリアとは違った世界の凄さを体感していた。

 翌日からは帰国への移動で高速鉄道だと味気(あじけ)ないからと、感謝の気持ちを込めて高級ミニバンで冬場は雪が降ると通行止めになるという岩山群を抜ける峡谷(きょうこく)沿(ぞ)いのカーブだらけの高速道路を、頂(いただ)きに建つ漢詩に謳(うた)われたような寺院群を眺めながら走ってくれると、次は古(いにしえ)から渡河(とか)に難儀(なんぎ)したであろうカフェオーレ色の黄河を渡って鄭州駅まで送っていただいた。

 其の後は、来る時に宿泊した虹橋空港近くのホテルに泊まってから、翌朝早くに商社のミニバンで帰国の便に搭乗する浦東空港へ移動した。

 浦東空港からは別行動となる顧客の御二人との食事のテーブルで、『何処の高速道路も広くて快適なのだけど、時々、目の覚(さ)めるような段差の衝撃(しょうげき)とパーキングやサービスエリアの少なさに、お漏(も)らしが不安になる』と、親父は顧客の人達と心配事に意気投合していて、『確かにそうだった。もし再び大陸に来る機会が有るのなら、その時は手土産以外にオムツを持って来なければ』と、僕は心に誓(ちか)っていた。

 それにしても此の国の技術が遅れているなんて、トンデモない話だ!

 日本を含めた世界中の最新の設備とシステムを導入して、今回の様に使い熟す技を貪欲に学ぼうとしている。

 学んで最新機を使って高品質品を安価に提供しないと、僕達も世界では生き残って行かない。

 帰国の飛行機の中、『誠意有る協力で、誠実な対応を丁寧に行わないと、ウチも生き残れないぞ。高品質を速く安価で、尚且(なおか)つ付加価値を増やして儲(もう)けて行かないとな』と今後を親父と話し合った。

 真っ青な蒼空から歪(ひずみ)の無い真っ平で真っ白な雲の平原を見下ろしながら、『所帯(しょたい)を持って家族が増えても、潤沢(じゅんたく)な愛と夢で溢(あふ)れる幸せな家庭にする為にも、試行錯誤(しこうさくご)と行動で頑張(がんば)ろう』と僕は決意していた。

 『それにしても親父は業界の仕事に詳(くわ)し過ぎるね。凄いよ! 親父は仕事が好きで、仕事が生き甲斐なの?』

 これから更に忙しくなって、家庭を顧(かえり)みない親父にはなって欲しくない。だから訊いてみた。

 『馬鹿を言え! 仕事に拘束(こうそく)されるなんて、真(ま)っ平(ぴら)御免(ごめん)だぞ。仕事は生きる糧(かて)を得る手段に過ぎないくて、今の加工の仕事が一番性(しょう)に合っていて、しかも良く知っているからしているんだ。そして、どうせするなら誰もしないくらい研鑽(けんさん)を積(つ)んで、出来るだけ楽になるようにしてるんだ。労力と時間を費(つい)やして苦しみながら熟す仕事なんて、俺はしないね。俺の生き甲斐は妻と子供達の幸せと自分の趣味であって、仕事なんかじゃない。それに家族の為だなんて恩着せがましい仕事でもないんだ。お前もそうだから解(わか)るだろう?』 

 東支那海(ひがししなかい)上空1万メートル、時速千キロメートルで小松空港へ飛ぶ旅客機の中、僕は親父に顔を向けて『確かに』と頷いていた。


 つづく

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