第6話 試合と己に勝つ為の直観的な日々の鍛錬(僕 高校2年生)想いのままに・男子編

 高校2年生の2学期が始まり、相変(あいか)わらず僕は通学で乗車する朝のバスの中で最前席に座(すわ)る彼女の横に立っている。

 そして真下の彼女を眺(なが)めながら思う。

 仕事人や弓使(ゆみつか)いとしての自信は付いて来ているのだけど、こうして彼女の横に立つと、いつも彼女に取り繕(つくろ)っている上辺(うわべ)だけで見栄(みば)えを良くしている僕を見透(みす)かされているようで、考えている決めゼリフと大胆な行動なんて、いつも想像だけで終わってしまう。

 好きだと伝える言葉は知っているし、愛を告げる文章も僕は書けている。

 優しい言葉を重(かさ)ねて綴(つづ)った過激(かげき)な文も彼女へ送信しているけれど、彼女との心の距離は一向(いっこう)に近付いていない感じだ。

 何度でも考えてしまう。

 行動を起こした時の僕は彼女を感動させて好意を持たれていた筈(はず)で、名無しだった卑怯(ひきょう)な僕でなくなってからは、彼女は僕を嫌っていないと分かっている。

 なのに僕達は近付けていない……。

 優しさだけじゃ君を愛せなくて、怒鳴(どな)るように、喚(わめ)くように、叫(さけ)んで僕の愛を示(しめ)せば、君は感激して僕の手を握(にぎ)ってくれるのだろうか?

 君は僕の首に両手を回して温かな頬擦(ほおず)りをしてくれるのだろうか?

 僕も抱(だ)き寄せるように君の肩(かた)に手を置いていっしょに歩きたいと思っている。

 君は僕の方を向いて、僕に好意を向けてくれるのだろうか?

(それは……分からない……)

 世の中が自分に優しくないと嘆(なげ)く奴がいたけれど、家族が理不尽(りふじん)に暴力を振るって蔑んで来る以外は、そいつ自身の責任が大きくて、そいつが不貞腐(ふてく)れて人に優しくないからだと僕は思う。

 そいつのような家庭に育(そだ)っていても人に優しくできる奴ならば、少なくても不幸さを他人の所為(せい)にしていないし、見てくれの悪さや低空飛行の成績でも皆(みんな)から好かれているのを、僕は見ていて知っている。

(だから……僕は彼女に見透かされているんだろうなあ……)

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 これまでインパクトの有る感動的な出来事が何度も二人に起こっていても、彼女に僕への想いを寄せる兆候(ちょうこう)の乏(とぼ)しさは、下水の流れの縁にへばり付いた得体(えたい)の知れない泡(あわ)まみれの汚れとか、思わず鼻を摘(つ)まんでしまう気持ちが悪くなる異臭(いしゅう)とか、そのヌメヌメした泥(どろ)のような中に蠢(うごめ)く気色(けしき)の悪い生物のように、根本的に受け付けない生理的な嫌われ要素が僕に有るからだろう。

 偶然と短絡的(たんらくてき)な策(さく)と偶然を実現させる強い想いで、暗い雲の下の様な関係を明るく好転出来たと想えても、僕達の距離は開いたままで少しも近付いていなくて、今も触れ合えないバリアーの様な隔(へだ)たりが有った。

(くっそぉー! 愛は求めるモノじゃない! 与(あた)えるモノだ!)

 報(むく)われなくても、僕は君に愛を与え続けてやるんだ!

 僕の愛が迷惑(めいわく)だと思われているのなら、尚更、決定的に嫌われて拒絶(きょぜつ)されるまで僕はしつこく君を愛し続けるだけだ。

 だけど、『私に彼氏(かれし)ができました。彼と幸せになります』なんて知らされたら、僕の熱情は四散(しさん)してしまい君に捧(ささ)げていた愛は『片想(かたおも)いのメモリー』として、僕の愛では君を幸せにできなかった事を悟(さと)った僕の心の深くに刻(きざ)み傷(きず)として残されるだろう。

 今以上に彼女との距離を詰(つ)めれない僕は、ずっと前から、このまだといつかそんな別れの時が来る予感がしている。

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 親父は言っていた。

『僕は此処にいるぞ!』と、アピールできる事が大切で重要だ!

 それは、学校の学業は優秀な成績で、行動と態度と応対(おうたい)は快活(かいかつ)で責任感が有って聡明(そうめい)、そして部活で頑張って活躍しているのが分かって貰えるような感じだ。

 社会では有言実行(ゆうげんじっこう)で信頼され、臨機応変(りんきおうへん)に仕事ができて、嘘(うそ)と真(まこと)の使い分けで約束を守るみたいな、それが自分から滲(にじ)み出るアピールになるんだ。

 思い詰めて黙っていたら誰も気付いてくれないし、心配もされない、まして好意を持たれる事はないだろう。

 笑顔が無いのに話し掛けられて微笑(ほほえ)まれる事は無いだろう。

 だけど、親父はこうも言っていた。

 『時には、ズケズケと「何しているんだ!」、「それは違う! この方がいい」など、お前が変だと思ったなら、そう強く迫って遣るんだ。土足(どそく)で踏(ふ)み躙(にじ)るように、遣る事、成す事、悉(ことごと)く否定して遣れ。謝(あやま)って優(やさ)しくするのは、その後だぞ』

 確かに優しさだけでは、愛は片手落ちで、インパクト的には肯定(こうてい)続きよりも否定(ひてい)の物言いも有れば良いと思う。

(しかし、否定を突っ込む隙(すき)が、彼女に有るのだろうか?)

 頷いた後に僕が黙っていると、『悩んで落ち込んでいるお母さんには、いつもそうしていたんだ。それが俺の方に靡(なび)かせたのかもな。否定して謝って優しくするのは、今も同じだぞ。まあ、お母さんのは俺を虐(いじ)めているだけだがな』

 ノートに走り書きしたようなストーリーやスケッチブックに描いた風景のように、現実はそんな姑息(こそく)さをなぞらえてはくれず、必ず何処かに綻(ほころ)びが出て、結末は手放しのハッピーになってくれない。

 だけど、シナリオ無しの心から必要だと思った言葉と行動なら、きっと彼女も心から僕へ向いてくれる筈だと信じている。

 そう信じているのだけど、相思相愛(そうしそうあい)に輝く展望は直ぐに不安で揺らめいて、押し倒(たお)されて心を踏み付けて貰いたいのは、僕の方だろうと考えてしまう。

 強烈なインパクトで覚えていたはずの過去の出来事でも時が経(た)つにつれて、細部は薄れたり、経緯(けいい)が前後したり、出来事(できごと)が入れ替(か)わっていたりして曖昧になって行く。

 想いを込めた言葉は不正確になり、何かを媒体(ばいたい)にして記憶していても、いつしか媒体自体もちゃんと思い出せくなっている。

 僕の想いを受け入れる彼女からの告白も有る、幸せの絶頂の有頂天(うちょうてん)は、『なぜ?』の不安と疑いに『夢』や『騙(だま)し』が加わって、僕は疑心暗鬼(ぎしんあんき)になるだろう。

 それは幸せな気分の毎日なのに、それがいつまで続くか分からない。

 いつか終わりが来て、幸せだと感じなくなる自分が不安だ!

  そこには、最早、『好き』と『愛している』の想いは消え失せて、互いへの根拠無き憎しみが湧き出しているのみだ。

 いつか終わりが来て、幸せだと感じなくなる自分が不安だ!

 悲しみに浸(ひた)るのは、もっと嫌だが、そうなった時の自分の受け止めや判断や対応などの未経験な心境に興味が湧きながらも、ますます不安が強まって、ふと、ここで人生をすっきりと終わらせようかと思ってしまう。

 その考えはだんだんと強まり、真剣に悩んでいくが、……でも、でも、それを実行してもすっきりした爽快(そうかい)な気分を満喫(まんきつ)できくなる事も分かっている。

 故に不安を煽(あお)るマイナス思考は払拭(ふっしょく)すべき僕の内なるダークサイドだと、分かり切っている事を再認識している。

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 眦が『おはよう』とか、『またね』とか言いなさいよって強く光っている。

 そう感じているのに僕は、バスの中であからさまに拒否られる言葉を聞いて、避けられる態度を見たくなくて、敢えて目を逸(そ)らす僕は彼女と向き合わない。

 彼女の瞳が『あんたは、いっしょに降りないの?』って訊いているようだ。

(ああっ! ダメだぁ……!)

 また僕は勝手な思い込みから勘違(かんちが)いしそうになっている。

 バスが停車して目の前右手の降車口の扉が開かれると、スクッと彼女が席を立って僕の前を擽(くすぐ)るような香(かお)りを残して、彼女はバスを降りて行く。

 降りる彼女は流れるようにバスの後方の横断歩道へと歩いて行きながら、いつものように視線だけを僕に向けた。

 その優(やさ)し気な瞳は僕を『毎日、ウザいなぁ』と見ているようにも、『ここじゃない何処かへエスケープしようよ』と僕を誘(さそ)っているかのようにも思えた。

(まあ……、誘いは無いかな……)

 彼女が後方へと去り、バスが発進しても、全く的外(まとはず)れかも知れない僕の思い込みと彼女の真意が分からない瞳の色に、毎朝、僕は彼女の温もりの残るシートに座らずに立ち尽(つ)くしたまま、更に二つ目のバス停で下車する。

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 去年の晩春の夕刻に乗った帰りバスで、金石の浜まで来てくれた彼女と同じになった事が有り、彼女は最後部の隅の席で眠っていて、僕が乗車した事に気付いていない様子だった。

 そんな彼女の横の空(あ)いていた席に僕はそっと座り、降車するバス停が間近になっても眠り続ける彼女に、僕は内緒(ないしょ)のキスをして起こしてやった。

 もしもあの時、僕も寝てしまって彼女に凭れ掛かったまま終点まで乗り過ごしていたら、先に起きた彼女は僕にどんな対応をしていただろう?

 『起きてよ 此処はどこなの?』、『先に出てくれないと、私が降りれないじゃない! どうやって帰ろうか?』と騒いだろうか?

 それとも冷静に、また折り返しのバスに乗って戻るか、タクシーを呼んで相乗(あいの)りで帰るか、非効率に別々のタクシーで帰る事になるか、それとも、『歩いて帰ろっか!』と言い出して夜道のデートになっていたのだろうか、なんて止(と)め処(ど)も無く考えてしまう。

 そうなっていれば、多くの言葉と表情を交(か)わせて彼女に僕を良く知って貰えていたかもで、僕も今以上に彼女を好きになって、互いが気軽に声を掛けれるくらいに親しくなれていたかも知れない。

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 彼女の顔の真正面の真ん前、行き成り、あと5センチメートルで鼻の先が触れそうになるくらい顔を近付けて、『やっぱり。君の瞳に僕が映っている!』、『僕の瞳にも、君が映っているだろう? 見える?』ってイモ臭いセリフと演技を遣らかしたら、彼女は僕のノリに付き合ってくれるだろうか?

(いやいや……、それは、まだまだムリだな……)

 しかし、そのくらいのバカっぽさは受け流してくれる近さになって来ているんじゃないかと、夢見勝ちの僕は勝手に思い込んで、彼女のユーモアのセンスに期待している。

 実際的には彼女の瞳を覗き込む前に瞼(まぶた)を閉じられて顔を叛(そむ)け、スーッと風切るビンタが飛んで来て、そのヒリヒリをする頬を撫ぜる涙目の僕は、『何しようとしてるの! バッカじゃないの!』と彼女が言い放つ罵声を黙って聞いているんだ。

 更に野良猫を追(お)っ払(ぱら)う様に、掌(てのひら)でシッシッと払う真似(まね)までして来るだろう。

(だから、これを実行したならば、きっと僕は不幸な気持ちになるんだ!)

 彼女は無表情の顔を僕から叛(そむ)けて無言になり、送信したメールへも無反応で返信は来なくなる。 

 何気(なにげ)ないジョークのつもりが彼女への想いを破綻(はたん)させて、後悔しきりの結末を僕に齎(もたら)せてくれるだろう。

     *

 話や文はモノ造りと同じで錬金術(れんきんじゅつ)のようだ。

 一つ一つの言葉の意味を知って理解していないと、言葉を繋(つな)げてのイメージを作れない。

 自分が伝えたい事を言葉でイメージできないと、伝えたい相手に暈(ぼ)やけた想いしか届けれない。

 より多くの読み書きをして経験で言葉を覚え、話や文の精度を高めて、鮮明さと色付きの形有るイメージに仕上げなければならないと、僕は考えている。

【魔法使いや魔女の使う魔法ように結果をイメージできなければ、創造や加工に改善や改造は良き結果へと導(みちび)けないですね。故に改造と改善を達成する匠(たくみ)やエンジニアはウィザードやウィッチと同等な異端の異能者なのかも知れないと、僕は感じています。改善の思考(発想)と改善後(魔法の結果)のイメージは、改善・改造すべき状態を不都合・不便と認識する事から始まります。なぜ不都合・不便なのか? 改善・改造すべきポイントは? その原因は? 不都合・不便な経緯を探し出して不快(ふかい)の原因を確認すると、その改善のスタンスをイメージできます。そうなれば仕事の良き進化になると、親父に依頼された鉄を削るアルバイトをしているだけの僕ですが、そう考えています】

 定期的な近況報告のメールだけど、ちょっとファンタジーっぽくして彼女に送ってみた。

【ふう~ん、けっこう前向きに考えて、頑張ってるじゃん! ただのアルバイトじゃなさそうだけど、メルヘンみたく光の粉の振り掛けで完成品が現れそうだね。不注意で事故らないでよ。怪我(けが)しないようにね】

 彼女からの返信メールとしては、僕への心配も加えて良き反応だと思った。

(君を好きになった事、君を愛した事、僕はそれを誇(ほこ)りにしたいんだ。例(たと)え将来、君と悲(かな)しむべき別れ方をしたとしても、僕の誇りは君を愛した事だと思っていたいんだ)

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 頬にニキビの肌荒(はだあ)れが有るのも、僅かにファションモデルのようなスリムなスタイルじゃないのも、ちょっとバタバタしていたりする君の走る足並みの姿や仕種(しぐさ)も、全部ひっくるめて君の全てを僕は本当に大好きです!

 笑う君の顔と笑い声と笑う息遣(いきづか)いが好きです!

 笑って逆(さか)さ三日月(みかづき)になる眼が好きです!

 世間には多くの男子から、とても可愛いと持て囃(はや)される女子や擦れ違う男子の大半が二度見するような、容姿端麗(ようしたんれい)で美人顔の綺麗な女子も知っているけれど、僕には何方(どちら)も少し宙に浮いた超常的な無機質さを感じてしまう。

 そんな美形の端正さや愛くるしさとは違い、彼女からは大気や海原や大地の様な有機的な実際さを感じていた。

 星だらけの朔(さく)の夜空は満月や三日月(みかづき)の夜よりも、僕は好きだ。

 晴れ渡った日本晴(にほんば)れの青空よりも羊雲(ひつじぐも)や千切(ちぎ)れ雲が群(む)れて浮かぶ青空が好(い)い。

 夜明け前の蒼(あお)い世界と黄昏(たそがれ)の金色の世界が美しい。

 頬や首筋を撫でて行く穏やかな春風と涼し気な秋風が心地良い。

 僕が彼女に抱くイメージを例えると、こんな感じになってしまう。

 真っ白な入道雲の立つ真夏のビーチやピーカンのチカチカする新雪のゲレンデは、彼女のイメージと重なってはくれない。

『好きだ! 好きだ! 愛している!』彼女の前に立ちはだかって、そう強く伝えたい!

 季節が変わるごとに湧き上がって強くなる衝動的な想いに、いつも僕は葛藤(かっとう)している。

 だけど、実際に足止めして想いの声が口から出た途端(とたん)に、これまでの穏(おだ)やかにしていた関係の全てが崩(くず)れて頭の中が真っ白になり、何も対処できない僕は、きっと身を翻(ひるがえ)して脱兎(だっと)の如く逃げるか、その場にしゃがみ込んで蹲(うずくま)ってしまうだろう。

 拒絶される言葉は不吉な呪いの詠唱のようで、それを彼女の声で聞くのが怖(こわ)い!

 僕の想いを聞きながら変わり行く彼女の表情と、言葉を発する彼女の口許(くちもと)を見るのが恐(おそ)ろしい。

 涼(すず)し気(げ)な顔と動じない態度で拒絶の詠唱を聞き終えるなんて、とても僕には出来やしない。

 締(し)め付けられる胸の苦痛に僕は唇(くちびる)を噛(か)んでの顔を歪(ゆが)めてしまう。

 そんな情(なさ)けなくて格好悪い姿を晒(さら)す僕の醜態(しゅうたい)は彼女にしっかりと覚えられてしまい、アゲインなんて金輪際(こんりんざい)、考えられなくなってしまうんだ!

 そう考える悪い結果を想像するだけで、僕は無口な無表情になって積極的な行動を控(ひか)えてしまい、後手後手(ごてごて)になってしまうかも知れない人生のターニングポイントを先送りにしている。

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 僕は弓道の射法八節の『足踏み』と『胴造り』の鍛錬をしながら彼女の横に立っている。

 折角(せっかく)、揺れるバスの中で彼女の横に立つのだから、この揺れに抗(あらが)えるブレのない骨幹作りに励(はげ)む事にした。

 吊り革に掴まりながら、揺れ任せにフラフラする見っともない醜態(しゅうたい)を見せないようにとの思いも兼ねて始めた事だ。

 始めた頃は、急な横揺れに彼女の頭に凭れ掛かりそうになったり、強く踏まれるブレーキのピッチングでヨロけてタタラを踏んでいたりしたが、二ヵ月も過ぎるとブレる事は稀になり、今では不意のブレーキの制動で乗客が前のめりになってザワつくような大きな揺れでも、全く動じなくねっている。

 でも、突っ込みや追突の衝撃で飛ばされるのには、耐える事は無理だけど、それでも『君だけは護り切りたい』と、真下の彼女のサラサラした髪を見ながら考えていた。

(いつでも、何処でも、君といっしょにいる此の時、此の場所が僕と君の世界の中心で、世界の果てでも有ると僕は思っているんだ! だから君の世界と僕の世界を広げるのは僕達だから、此の先もずっと君も、僕も……、いや、僕達は大丈夫だよ)

 そんな大願成就(たいがんじょうじゅ)な結果になる、ピンチはチャンス的な夢想(むそう)をしていた。

     *

 3年生が部活を引退して僕が部長に選出された今、座学の教室に集まった部員達に弓道部のこれからの方針と活動内容と目標を話す。

 熟達(じゅくたつ)した大人や先輩的な大学生達は直(す)ぐに『無我(むが)の境地』で弓を引き、矢を放てなどの精神論的な指導を口にする。

 だが、そんな不確実な精神論の具体性の無さに、僕は納得できなかった。

(無になって悟(さと)りを得るが如(ごと)く、心眼で狙う、などの不誠実な精神論は不要だ!)

 『今の俺達は15歳から17歳の高校生だ。人生経験は、3歳頃までの記憶が殆ど無いから、たった13,14年間の覚えしかなくて、まだまだ知りたい事や遣(や)りたい事だらけの誘惑(ゆうわく)や迷(まよ)いは多い思春期真(ま)っ盛(ざか)りだ。だからこそ、弓の重さと撓(しな)りを感じた時、矢の軽さと矢羽根(やばね)の風切(かざき)りを感じた時、それらの煩悩(ぼんのう)を遮断(しゃだん)できれば凄(すご)いぞ!』

 『だけど、〝八節で道の無我の境地に入り、心頭滅却(しんとうめっきゃく)、純粋(じゅんすい)無垢(むく)に集中して矢を放て、さすれば飛翔(ひしょう)する矢は己の望みを叶(かな)えてくれるだろう〟などと、弓道を極める方々がいう無我の域に達するのは無理です。大体、自分が無い無我なんて仏(ほとけ)の境地だろう。頭の中が食いもんとエッチとゲームの煩悩だらけの俺には無理だよなあ』

 『いやいや、それでも、集中する事はできるよな。周囲の音や動きが気にならなく……、いや気付かないほど集中する事はできるんだ。〝弓構(ゆがま)え〟で集中したら異世界へ召喚(しょうかん)されて、〝会(かい)〟で弓を引き絞(しぼ)り、集中の極(きわ)みで蛇の目を狙って、フェザータッチの〝離れ〟をする。迷い無く放たれた矢は勢い良く踊りもせずに真っ直ぐな直線で蛇の目へ飛んで行く。そして弦音の響きと回った弓の弦が左手の手首に軽く当たる感触で世界は改変されて。集中していた異世界から現実へと戻されて来るんだ』

(見事、蛇の目を貫いた矢に龍は息絶えて、龍への生贄(いけにえ)になる筈だった村の可愛娘(かわいこ)ちゃんか、白亜(はくあ)の城の美少女姫(ひめ)を救えたと、集中して放つ一矢一矢に僕は、そう信じたい!)

 『俺達は、射場の神聖さの緊張(きんちょう)と周囲の喧噪(けんそう)に動じない不動さに、狙いと放ちの呼吸に集中する精神を養(やしな)い、胴造りや会に使う筋肉を鍛(きた)えて、骨幹を整えれば、那須与一(なすのよいち)やウイリアム・テル、ロビンフッドや魔弾の射手にだって成り切る事ができるんだぞ!』

 少しファンタジーが入ってオカルトめいた語りだけど、同期の2年生達も、後輩の1年生達も真剣に聴いていてくれている。

 『本校の弓道部は日本の弓道の規定に基づいた和弓(わきゅう)という弓を用いて八節の射法と弓道場に於(お)ける礼節と言動で行うという事を改めて皆さんへ御伝えいたします。したがって、決してアーチェリーとボーガンを使用してはいけませんよ』

 『事故が起き易い事なので先に注意しておきます。矢取りは打ち手を2回鳴らしてから行いますが、鳴らしたと同時に的場へ出ないでくだい。必ず射位置の全員が射を終えて射位置から下がっている事を確認してからにして下さい。射場から誰かが、掛け声で教えて上げても構いませんが、それでも自分の目で確認して下さい。そして射の練習を行う人は矢取りが済むまで、射位置から下がったままでいて下さいね。これは不慮の事故が起こらないようにする為の備えです』

 『八節の動作に入ると徐々に集中力を高めて〝会〟で的だけが見えて、的を狙って中(あ)てる事だけに気を集中させている。静かに忍び寄り虎視眈々(こしたんたん)と獲物を狙う獰猛(どうもう)な獣(けだもの)の心境だ。静の中に秘めた激(はげ)しい動の世界に浸(ひた)りきっているんだ』

 『〝胴作り〟の姿勢で八節の作法を熟(こな)して行きながら大きく静かに息を吸い込み、そして静かに吐いて行く。吐き出して行く肺の揺れと脈動する身体の揺れが重なり、瞬間、ピタリと的の真ん中に狙いが定まり、〝離れ〟で留(とど)めていた殺気を解き放つ。そして的に矢が中(あた)る手応(てごた)えを感じる』

 『射手がこの状態になるまで矢取りの打ち手を鳴らすんじゃないぞ! 集中している射手には聞こえても、見えてもいないからな! 非常に危険なんだ! くれぐれも間違いの無いように、そこんところ宜(よろ)しく!』

 『弓道はチームやグループで対戦する競技には向かないよね。三人(さんにん)立ちか、四人(よにん)立ち、または五人(ごにん)立ちで試合の規定や状況に因(よ)って事前に通知が来ます。一人(ひとり)ずつ順番に射て、一人が4射する。合計で放つ矢は20本だ。誰(だれ)かが外(はず)した射の分を誰かの的中(てきちゅう)で補(おぎな)える事は出来ないんだ。的に刺(さ)さった矢の数で勝敗が決まってしまう。もしも、今が戦国の世なら実戦で不利になる仲間の射手に加勢する事ができるだろうが、競技だと各個人の力量のみの加算(かさん)で勝敗(しょうはい)が決定する』

 『故に団体戦で勝利するには、チームワークなんて関係な無い! そんな事に気を捕らわれるよりも礼節と八節の形を美しくして、的に中てる事に集中するんだ! 大会の弓道場の射場で一人一人が〝離れ〟の命中率を上げていなければならない。団体戦に選抜されるのは必然的に大会へ出場する部員になってしまうが、選抜される部員は日頃から的中率が高い部員になる。勿論(もちろん)、選考の射会を行ってから決定するぞ!』

 『それから、部員全員で試合慣れの為に此処から離れて、他校や大学生や社会人達の弓道場での対抗試合を数多く行うようにする。 女子が多い高校でキャーキャー声援されながら、矢を放ち、的を射抜くんだぞ! 気持ちいいぞぉー!』

 聴いていた部員達から『活躍できるようになれば、モテますかねぇ? 女子にチヤホヤ好(す)かれてイチャイチャしたいです。部長は彼女がいるのですかぁ?』と訊いて来る。

 武道の精神から外れて目的が不純だけれど、思春期の男女として恋愛事情を最優先に絡(から)ませるのは真っ当な動機だと、僕は考えている。

『そりゃあ、クールに恰好良い品性を見せれば、それなりの効果が有るかもな。でも的中や皆中して、へへーんと自慢気(じまんげ)な顔になるのは自分の評価下げになるぞぉ。オーディエンスの男子も、女子達もちゃんと見ているからな。それと俺に彼女はいないけれど、片想いはしてるぞ。トップになったら振り向いてくれるかもって期待して頑張っているよ』

 『という事で、射場の厳(おごそ)かで雅(みやび)な雰囲気を乱さなければスタンドプレーも有りだ。それさえ守れば当てたら勝ち、当てた者勝ちだ! これは精神訓や弓道訓じゃなくて弓兵や鉄砲兵の戦陣訓だな』

 『みんな、ビシバシ当てて、彼女や惚(ほ)れた女子にカッコイイところを見せ付けてやれ! 部員全員をレベルアップするから、みんな素直になって良く中る者は、中らない者にコツを教えるんだ。先輩後輩の区切りは無いぞ! たった1学年の差なんか学校以外じゃ関係無いんだ。卒業して社会人になれば、礼儀正しくて呑み込みが良くて実力が備わる者が真の実力者だからな! 「御願いします。教えて下さい」、「八節の形を見て下さい」と丁寧(ていねい)に教え請(こ)うんだ。請われた者は丁寧に教えるんだぞ!』

 『みんな、よく観察するんだ。八節が綺麗な人、よく的中する人、よく見て真似をするんだ。「なに見てんだ、マネするな!」って言ったり、思ったりする奴は其処までだ。そんなセコい射はするな! 各自、研鑽(けんさん)して気付いて工夫しろ! どうすれば中るのか? 弦の引き加減は? 狙うポイントは? 放つタイミングと離し方は? 弓の返し加減は? 己(おのれ)の〝会〟と〝離れ〟と〝残身〟の姿は美しいだろうか? 俺達は全員で高みへ昇るんだ!』

 『ここで少し命中率を上げる為の〝引き分け〟〝会〟〝離れ〟の関係を話しますね。〝引き分け〟で弓を引く時は、弓を握るのではなくて押し付けるんだ。撓(しな)って行く弓を左手の手首から下向きに押し下げるようにするんだ。そうすれば危険な上方へ弓は飛んで行かないし、左手の人差し指と親指はピンと伸びて矢が弦から離れる弓の回転を滑(なめ)らかにしてくれて、左手の掌(てのひら)の中で矢を放った弓の回転が矢を直線で飛翔させます。だから握りしめていたらダメです』

 『だが、ここで別の方向へ矢を飛ばそうとする力が加わります。それは両側の肩(けん)甲骨(こうこつ)を背骨に寄せるようにして胸を張って、しかも屁(へ)っ放(ぴり)り腰(ごし)のように上体を逸(そ)らして弓を引く〝引き分け〟の姿勢です。〝会〟で右手に着けた懸の位置は顔の後方になり、右頬は矢に触れんばかり、力んだ〝離れ〟では、後方へ周り過ぎた弦が右耳と耳頬を叩き、回転不足の弓に矢は右へと外れていきます』

 『力み過ぎない美しい〝会〟の姿勢ならば、頬や耳は痛くなく、弓は回転してくれます。張っていた胸は開放される反動で伸ばした両手後へとフレてしまいます。これが別方向へ加わる力です。弓が回転しないと弓の中心線位置の弦は弓の縁に矢を摩らせて、矢を右方向へと曲げて行きます』

 『したがって、皆が八節で鍛錬しなけばならないのは、弓を引く時にブレない〝胴作り〟の為の足腰を鍛えた骨幹の不動さ、〝引き分け〟で矢を引き切る腕力、弓を撓らせる背筋力、〝会〟での的を狙う集中力と呼吸合わせ。〝離れ〟での懸(かけ)から滑らすように弦を離れさせる感覚とタイミングです。これらはコツを教える事ができますが、習得は個人の鍛錬と研鑽の積み重ねしか有りません』

 『繰り返します。動物の身体は絶えず脈動で揺れています。矢は息を吐く間に放ちますが、こう、左手を水平に上げて指を伸ばして止めてみて下さい。……そう、止めましたが、指先は微動していますね。生きている身体は脈動しているので必ず揺れています。これを息を吐く肺が収縮する揺れとシンクロさせるのです。シンクロして揺れが止まるのは一瞬ですが、それを鍛錬して習得するのです。良く的中する射は研鑽する鍛錬の積み重ねですね』

 『あと、大会によっては、しゃがんで射を待つ場合も有りますから、足が痺(しび)れたり、しゃがむ時や立ち上がる時に尻餅(しりもち)を搗(つ)いたり、フラついたりしないように、起坐(きざ)の練習もします。起坐での八節も練習するよ』

 『余計(よけい)な事かも知れないが、ドヤ顔と腕組(うでぐ)みはしないで下さい。実にチープで中身無しに見えます。真に出来る者は腰(こし)に手を当てるか、手を後ろで握(にぎ)るかして胸(むね)を張ります。一代で築(きず)き上げた大企業の著名(ちょめい)な社長や会長でも、世界的に高名な学者や研究者でも、ノーベル賞を受賞した政治家でも、真面目(まじめ)腐(くさ)った顔の腕組みポーズの写真一枚で、尊厳(そんげん)よりも威圧(いあつ)が勝(まさ)って本質がチープに思えます。本当はそうではないかも知れませんが、腰に手を当てて胸を張る人物よりも、見た目で自慢(じまん)らしさと狭隘(きょうあい)さが滲(にじ)んで仕舞います。皆も気を付けて下るように、お願いします』

 『タバコは吸(す)うなよ! タバコ吸いは小心者(しょうしんもの)がする事だ! 含(ふく)まれるニコチン成分は殺虫剤にもなる猛毒で、身体に機能障害を起こすんだぞ! 持久力(じきゅうりょく)と集中力も削(そ)がれるんだ! それと部内での虐(いじ)めは許(ゆる)さんからな! 虐めたり、貶(おとし)めたりして和(わ)を乱(みだ)す奴は即退部させるぞ! 和を以(も)って貴(とうと)しとなすだ! 思い遣りと察しが大事だからな! そして、注意してもタバコを止めない奴もだ! チクったりしないが辞(や)めて貰うぞ。高校生になっても自己管理もできない奴は、此処には不要だからな!』

 『それと、各自の家での状況は知らないが、家以外の場所、特に学校内は勿論、帰宅前の放課後は絶対に酒はダメだからな。酒類は飲むなよ! チョコボンボンもだぞ! タバコと酒は部外者に知られたら出場停止になっちゃうからな。絶対だぞ!』

『部長! 飲酒は何処でも厳罰(げんばつ)じゃないのですか?』

『おっ、良い質問だねぇ。君は知らないのか? 酒は百薬(ひゃくやく)の長(ちょう)なんだぞ。でもゲロする深酒じゃないぞ、適量だぞ。酒のメチルアルコールや消毒に使う薬用アルコールは傷の完治を早めるんだぞ。だから、未成年者は他人に知られない自分の家の中で家族とだ。悪友とつるんで飲むのは厳禁だからな!』

 『それと要注意事項を言うぞ。燃料や洗浄に用いる工業用のメチルは絶対に飲むな! 酔(よ)わせながら血液を凝固(ぎょうこ)させるから、毛細(もうさい)血管を詰まらせて失明や臓器の機能を停止させるぞ! 苦しみ抜いて死ぬからな!』

 『安土(あづち)の的は日替わりで標準的と金的(きんてき)で練習するぞ。試合で使う標準的の直径は36センチメートル、祝いに使う金的は直径9センチメートル、射位置から安土の的までの射距離は28メートル、狙いと命中精度の鍛錬になると思う。安土は大分(だいぶ)と草臥(くたび)れて来ているから、崩(くず)して盛り直しの整備をしようか。土木科の人は作業内容を調べてくれますか? 土木科や建築科の実習で行えないのか、生徒会を通して実技の先生達に相談してみます』

 『的中率が上がるきっかけは何処に有るか分からない。大会で大勢の前に立つのを意識付けさせて高揚(こうよう)せずに冷静(れいせい)でいられるように、月2回は全員でカラオケへ行き、最低一人3曲は歌って貰う。ワンドリンク、ワンフードを含めたカラオケダ代は部費と俺のバイト代から工面(くめん)してやる。音痴(おんち)だとか、上手(じょうず)だとか、そんなの関係無い! ステージ慣れの練習だ! 別に路上パフォーマンスや文化祭の出し物を遣れとは言ってないぞぉ。楽しく騒(さわ)ぎながら射場に立つ度胸(どきょう)のレベルアップだ! お祭(まつ)りの屋台に有る射的(しゃてき)も修練として導入する。2メートル離れて目線高さのサイコロを狙って命中させるんだ。射的の銃とコルク弾も俺が用意するけど、景品(けいひん)は今のところ考えていないぁ。面白(おもしろ)い景品案を募集中です』

 『カラオケで唄(うた)わされる』と聞いて何人かが嫌(いや)そうに眉(まゆ)を寄せたが、近い将来に社会人や大学生に成って飲み会やコンパで上手に歌える事に越したことはないだろう。

(嫌(いや)がり、躊躇(とまどい)いなんて、心地良い雰囲気(ふんいき)と慣れで克服(こくふく)できるんだよ。これまでが碌(ろく)でもない体験ばかりだったのだろう)

 『お前、上手(うま)いな! 何処で練習したんだい?』とか訊かれて『弓道部の部活で……』、『なんだそれ、お前のいた高校は弓道が強かっただろう。歌いながら弓を引いていたのか?』なんて、笑える不思議な会話になったら楽しいし、印象(いんしょう)深(ぶか)く覚えられるかも知れない。

 平日は部活の帰り、親父から依頼されたバイトが無ければ、殆ど毎日のようにダチ連中と待ち合わせする喫茶店で耳障(みみざわ)りが心地良い音楽を聴いて、彼らとカラオケでお気に入りのポップスをよく歌う。

(いつか彼女と二人っきりで、そうなれば良いと望んでいるが、その実現は彼女次第だな……)

 音楽は、自分の部屋や学校の休憩(きゅうけい)時間ではヘッドフォンで聴いているけれど、通学中や移動中は危機の察知や状況把握(はあく)の妨(さまた)げになるからイヤホンを片耳しか付けないようにして聴いている。

(危険が聞こえなくて僕が事故に遭(あ)ったり、彼女を助けられなかったりしたら、それこそ後悔(こうかい)先に立たずだ!)

 『座学の時間は週に1、2時間程度にして、筋力トレーニングの日に行うようにします。今ほど話した事は座学で実践状況を確認しながら繰り返し話ますから、これからは根性(こんじょう)とか気合(きあい)とか、そんな不毛(ふもう)な念仏(ねんぶつ)は言ってはなりません。決して精神論を唱(とな)えてはいけません。私達は工業高校の生徒です。座学では哲学(てつがく)的や観念的な言葉よりも力学的、肉体的、節理(せつり)的な分析をします。そして。それに基(もと)づいた鍛錬の改良の提案を話し合います』

『弓道部の部活の全ては、試合と己(おのれ)に勝つ為に!』


 つづく

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