第6話 弓と矢のカスタマイズ(僕 高校2年生)想いのままに・男子編

 3年生が夏休み中の試合を最後で部活を引退していたので、2年生の2学期に入って直(す)ぐに行われた弓道部(きゅうどうぶ)の部長選出で、僕は部長に選(えら)ばれた。

 早々(そうそう)に自分専用として、今まで使っていた弓道部備品の弓矢(ゆみや)と懸(か)けを、後輩(こうはい)に譲(ゆず)り渡して、市内の弓道具屋で、新しい弓矢(ゆみや)一式と懸(か)けを購入した。

 それと、道着も新調する。

 全(すべ)て親父(おやじ)の工場で、アルバイトをした報酬(ほうしゅう)の金銭で買った。

     *

 高校生になってからは、『モノ造(づく)りを目指(めざ)したい』と言った所為(せい)なのか、請(う)け負(お)った仕事の納期間近になると、

親父から頻繁(ひんぱん)に加工の手伝いを依頼されている。

『小学校の時から考えていたんだけど、将来はモノ造りを仕事にしたいんだ。どこかで僕ができるアルバイトを紹介してくれない?』と訊(き)いたのが切っ掛けだった。

『そうか、モノ造りかぁ。いいねぇ。お前は俺(おれ)といっしょで絵を描(えが)いたり、模型を作ったりする事が好きだからな』

 そう言う親父は何か企(たくら)むように嬉(うれ)しそうだ。

『彫刻(ちょうこく)も上手(うま)いよな。創造力が有る芸術肌だから、きっと丁寧(ていねい)で正確なモノ造りができるだろう。工業高校へ進学して機械工学の基礎を学べよ。高校卒業後はモノ造りを学べる会社を紹介して遣(や)るよ』

 その時、2年生だった僕は工業系の高校への進学も選択肢の一(ひと)つにしていたから、大学への進学を強要しない考えの親父の言葉に安堵(あんど)した。

『それでな、どうせなら俺の処で働きな。小さな個人事業の代表者だが、お前の親父は製造会社の技術顧問(こもん)もしてるんだぞ。その俺が金属加工の一(いち)からビッチリ鍛(きた)えて遣るから、上達は速いぞ。親の工場だと嫌(いや)なのか?』

 確かに親父の会社でのバイトも有りだと思っていたが、それでは安直過ぎて甘えが出てしまうかもと考えていた。

『それでも良いよ。優(やさ)しく厳(きび)しくちゃんとと技能と技術を僕に伝授(でんじゅ)してくれる?』

 例え親父でも、怒鳴(どな)られながら小突(こづ)かれ、怒(おこ)られながら罵(ののし)られるの教えや指導なんて、僕は真(ま)っ平(ぴら)御免(ごめん)だ!

 そんな事をされたら親父とは金輪際(こんりんざい)、縁切(えんき)りで口を利(き)かなくなるだろうし、家には帰らずに家出して遣る!

『勿論(もちろん)だ! 俺の指導は丁寧で優しいぞ。何事(なにごと)でも教えと教わるには順番が有るんだ。一つ一つ理解して身に付けて行かないと速く上達しないんだ。その一つ一つの堅実(けんじつ)な積(つ)み重(かさ)ねが良い仕事の結果になるんだからな。大丈夫(だいじょうぶ)、お前の親父は仕事人としても、夫としても、親父としても超特級品だ! そして、お前は俺の息子だからな。心配するな。俺が特級職人に育(そだ)てて遣るよ』

 親父の頼(たの)もしい言葉に僕は親父の下で仕事人として精進(しょうじん)する事に決めた。

『至(いた)らない処(ところ)だらけですが、日々研鑽(けんさん)しますので、宜(よろ)しく御願い致します』

 こうして僕は中学2年生の2学期から、親父から実務としてのモノ造りを習(なら)い始め、年明けの3学期を迎(むか)える頃には忙(いそが)しい時の加工機操作の助(すけ)っ人(と)として、度々(たびたび)、部活後の時間をアルバイトに充(あ)てていた。

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 試合の無い日曜は、朝から晩(ばん)まで、親父の工場で働(はたら)く。

 平日(へいじつ)も部活が終わる頃(ころ)に、親父は愛車のスポーツカーで校門まで迎(むか)えに来る。

 スポーツカーは2年前の黒壁山(くろかべやま)に御参(おまい)りへ行った帰りに、言霊(ことだま)で祟(たた)られてしまった親父のお気に入りだ。

 そのスポーツカーの市販車名称は、コスモと言い、厳密(げんみつ)に分類すると、パワフルなエンジンを積(つ)んだスポーツカースタイルのツードア普通車で、どちらかというと熟年(じゅくねん)から初老(しょろう)の落ち着いた元(もと)走り屋だったオッサンが運転する機能充実(じゅうじつ)、安全性重視の高性能ラグジュアリーカーだ。

 重い車重は、気軽にブラインドコーナーで、ドリフトの真似事(まねごと)をするのには不向(ふむ)きだろう。

『ハイオクタンガソリン仕様(しよう)の、スリーロータリーエンジンは、燃費(ねんぴ)が悪くて温暖化防止やエコロジーに逆行だけど、過激(かげき)な吹け上がりと滑(なめ)らかに素早(すばや)く伸びる加速のレスポンスの良さが堪(たま)らない。必要な時に望(のぞ)んだパワーで、イメージ通(どお)りのポジションへ速(すみ)やかに動き、それがステアリングに、がっちり来るのが気に入っている。それにボディデザインに自己主張(じこしゅちょう)が有る。エアロなスタイルは高速になると、空気の流れでボディを路面に貼(は)り付くように押さえて安定させるんだ。なんか、ネバッとする感じかな』

 親父は自分の言葉に感慨(かんがい)深(ぶか)く頷(うなず)きながら言っていた。でも、あまり、自動車(くるま)のメカニズムに興味(きょうみ)の無い僕には殆(ほとん)ど何の事か、理解できなかった。

 そんな拘(こだわ)りで親父の乗るユーノスコスモは、かなり以前に、車種とブランドが絶版(ぜっぱん)になっていて、結構(けっこう)な希少車(きしょうしゃ)になっているらしい。

 工場でのアルバイトは、自動加工機の素材セッテングと加工プログラムの作成、そして、加工完成品の仕上(しあ)げだった。

 数値制御された自動加工機とは、ATCと呼(よ)ぶ自動工具交換装置を備(そな)えて多軸(たじく)で加工するマシニングセンターや、CNCと呼称(こしょう)される切削(せっさく)加工機だ。

 他にも、電気スパークの熱で金属ブロックの一部を溶融(ようゆう)して燃焼除去(ねんしょうじょきょ)させ、製品形状を残す放電加工機や、そのスパーク熱で金属板を融解(ゆうかい)切断するワイヤーカット加工機などを扱(あつか)わされた。

 殆(ほとん)どの加工機は、僕がプログラミングした加工のアルゴリズムに従(したが)って、自動で稼働(かどう)してくれる。

 それ故(ゆえ)に、客先(きゃくさき)から受注した製品の仕上がりと納期は、僕の作成したプログラム次第(しだい)なので、責任は重大だった。

(親父ぃ、もっと、バイトの時給を上げてくれ!)

 コンピューターの画面上で描(えが)かれた平面の2D展開図面や立体で作成された3D図面のデータを、CAM『キャム』と言うコンピューターソフトウエアを使い、加工プログラムに変換(へんかん)して加工機に入力する。

 親父はこのプログラミングや加工を、サーバーコンピューターを介(かい)したウィンドウズノートパソコンで、オンライン化していた。

 世間一般的に図面と言うのは、専門的に2D図や2次元図と呼ばれる紙面へのプリントやパソコン画面へ映(うつ)し出す、製品の前後左右上下の6面方向の形と大きさを平面へ正確に投影(とうえい)展開した図だ。

 前から見て、横から見て、上からや下から見て、後ろからも見てといった具合(ぐあい)で、見た方向の面の図が図面用紙の、其処(そこ)此処(ここ)に作図のルールに従(したが)って描(えが)かれている。

 最初に見た時は、そこに描かれた横や縦や斜(なな)めに走る線と、ごちゃごちゃと並(なら)ぶ数字や文字が、さっぱり理解(りかい)できなかったけれど、それは一定の法則である作図法で描かれていた。

 作図法の1角法や3角法の読み方と記号や数字や文字の意味を親父から説明を受けると、学校で習(なら)う製図の知識も手伝って、直(す)ぐに立体の形が想像(そうぞう)できるようになった。

(絵を描(か)き出す時や彫刻(ちょうこく)を作り始める時の、イメージ造(づく)りに似(に)てるかも)

 コンピューターの画面上に立体で物体その物の形を描き、ぐるぐる回転させたり、半透明(はんとうめい)にしたり、他の立体図と組み合わせたり、適当(てきとう)な位置でカットして断面を見たりする3D図や3次元図と呼(よ)ぶ図面も、直ぐに親父からCAD『キャド』と呼称(こしょう)されるコンピューター作図支援(しえん)ソフトの操作(そうさ)を教え込まれて、パソコンの画面で2D図や3D図の解(わか)らない部分や寸法を確認(かくにん)できるようになった。

 今では、2DCADも、3DCADも、自由に操作して快適(かいてき)な作図ができる。

 親父が言うには、2D図を見て3D図を、3D図を見て2D図をイメージできるのが金型(かながた)設計者の技能の基本で、イメージできなければ、金型技術者や金型職人とは言えないそうだ。

 その加工する金型の部品の形状から、流し込まれて固(かた)まるプラスチックへ転写(てんしゃ)されてできる製品の形まで、また、その逆(ぎゃく)からも金型の形状を想像できて当たり前だとも言っていた。

 終業時は加工材をセットした機械のプログラムをチェックしてから、加工をスタートさせて帰る。

 プログラムした加工は所要時間を正確に管理されて、大抵(たいてい)は朝までに終了していた。

 トラブルは稀(まれ)にしかなかったけれど、機械が異常停止すると、親父の携帯電話に状況の詳細(しょうさい)を知らせて来る。

 トラブルの詳細状況は家のパソコンでも確認できて、火急(かきゅう)の案件だと親父は急(いそ)ぎ工場へ向かう。

 親父は全(すべ)ての加工機の動きをパソコンでモニタリングするデータ管理をしていて、稼働(かどう)状態や異常時の製作状況と、各加工機のカッターの送り速度の変動や過負荷(かふか)などのパフォーマンスをリアルタイムに加工履歴(りれき)に記録させて、イレギュラーの発生をAI機能で監視(かんし)していた。

 更(さら)に自動加工のプログラムを最短加工工数になるようにアルゴリズムを工夫(くふう)して加工時間を短縮(たんしゅく)するなど、生産性をアップさせて客先から定期的に要求されるコストダウンに応(こた)えているが、過酷(かこく)な要求の無理強(むりじ)いや図に乗って頻繁(ひんぱん)にコストダウンを迫(せま)る顧客(こきゃく)は、此方(こちら)から願い下げで出入り禁止、口座を閉鎖(へいさ)して取り引き停止の最後通告をしている。

 短納期で安価、品質も維持(いじ)どころか向上(こうじょう)させ、それでいて時間と気持ちに余裕(よゆう)を持って仕事と人生を楽しんでいる親父を、僕は心底凄(すご)いと思っていた。

 親父は、褒(ほ)めて人を使うのが上手(うま)い。

 よく煽(おだ)てられて、ムズいのや面倒(めんどう)なのを遣(や)らされている。

 古い加工機の取り扱(あつか)いに慣(な)れてくると、任(まか)されていた最新の自動加工機と兼任(けんにん)となり、アルバイトといえども同時に複数台で幾(いく)つのも加工図面を熟(こな)して、かなりハードで忙(いそが)しかった。

 今では、汎用(はんよう)の手動加工機も、普通に扱えるようになったけれど、砥石(といし)の円盤が高速回転する成形研削盤だけは、五感(ごかん)に頼(たよ)るところが多くて苦手(にがて)だ。

 時給は良くて、親父は仕事の結果に見合った分だけ払(はら)ってくれた。

 親父の工場の最新加工機械に比(くら)べたら、学校の機械実習で使う教材の機台はレトロなおもちゃみたいな物だった。だけど実習では、敢(あ)えて慎重(しんちょう)に工程(こうてい)を進めながら、親父の工場での作業手順と動作や姿勢の安全性の確認をしていた。

 所得税(しょとくぜい)が天引(てんび)きされるくらいのアルバイトの報酬(ほうしゅう)だったから、当然の如(ごと)く小遣(こづか)いは無かったが、運転免許(めんきょ)を取得(しゅとく)して自動車や大型バイクを買って賃貸(ちんたい)マンションで自活できるほど貯(たま)まっていた。

 だが、親父は『そういう事には、社会人になってから使え。それまでは、この父(ちち)と母(かあ)さんが、しっかり面倒(めんどう)を見てやるよ』と、高額な事物の購入を許さず、勿論(もちろん)、勝手(かって)な契約(けいやく)手続きや支払い手続きは出来なかった。

 但(ただ)し趣味(しゅみ)の物や娯楽(ごらく)、そして部活の費用は自分で賄(まかな)えと言われている。

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 和弓(わきゅう)は平安京(へいあんきょう)の時代に、ほぼ現在の形に成(な)ったらしい。

 それ以来、力学的に変化は無く、僅(わず)かな改良のみで、基本の形状や仕組(しく)みや部品と、それらの位置関係は同じだ。

 日本の歴史の授業(じゅぎょう)で習(なら)う南北朝(なんぼくちょう)や鎌倉(かまくら)や室町(むろまち)の時代に描かれた絵画(かいが)の武士達も、同じ形の弓矢を持(も)って戦(たたか)っている。

 平安京の蔵人(くろうと)や検非違使(けびいし)に端(たん)を発する侍(さむらい)が体得(たいとく)する武術(ぶじゅつ)は、体術、剣術、槍術(そうじゅつ)などが有り、そして、弓術(きゅうじゅつ)と馬術(ばじゅつ)は必須(ひっす)の武芸(ぶげい)だった。

 飛び道具が卑怯(ひきょう)とする考えは、江戸(えど)時代に庶民(しょみん)や下級武士の間に広まったが、兵法的(へいほうてき)には、弓や鉄砲(てっぽう)などの遠距離戦術は最重要戦力であった。

 ドラマや映画では、鍛(きた)え上げられた剣の腕前(うでまえ)を斬(き)り結(むす)ぶこともなく、離(はな)れた場所から異(こと)なる武器で狙(ねら)われた時、それは『卑怯だ』と言っている。しかし、狙われる相手も、その術(じゅつ)に於(お)いて鍛錬(たんれん)しているのだから、予(あらかじ)め、使用武器と戦法の約束(やくそく)や決(き)め事が無ければ、卑怯じゃないだろう。

 戦いでの有効(ゆうこう)な手段(しゅだん)を、どれだけ多く持つかが勝敗(しょうはい)を左右して決定付けるので、全然、僕は卑怯じゃないと考えている。

 それは商(あきな)いや普段(ふだん)の生活でも同じだ。

 所詮(しょせん)、『卑怯』は、負(ま)けそうになる時に対戦相手へ向けて言う、言い訳(いいわけ)染(じ)みた罵(ののし)りと僻(ひが)みに過(す)ぎない。

 弓道部の指針(ししん)として弓道部は、今まで通り、『精神修業(しゅぎょう)の弓道により、人格の完成を目指す場とする』とし、部員には、『弓道の礼儀作法(れいぎさほう)と、精神鍛錬(たんれん)と、射法(しゃほう)を教えて指導(しどう)していく』とした。だがこれは、部として活動する建前(たてまえ)でしかない。

 スポーツとして弓道が在(あ)り、的中数(てきちゅうすう)を競(きそ)う試合に参戦(さんせん)して部として活動予算が学校から支給(しきゅう)されるのであれば、それなりの努力(どりょく)をして、技量を向上(こうじょう)させた結果を出して学校の名誉(めいよ)に貢献(こうけん)すべきで、そうしなければならないと思う。

 僕個人は、試合に勝(か)つ事を目標にしている。

 これからは、『勝つ』を、弓道部全体に徹底(てってい)させて行く。

 団体戦は、2位以上で評価(ひょうか)されるが、2位ばかりだと、弓道部の年間予算の現状維持(げんじょういじ)が精一杯(せいいっぱい)だった。

 個人戦だと、1位でなければ学校側に認(みと)めてもらえない。

 ここ数年、団体戦で優勝は無くて、個人戦も2位止まりだ。

「団体戦も、個人戦も、勝たなければ、意味が無い! ヒーローに、ヒロインになれ! 男子部員も、女子部員も、各自、トップを目指(めざ)せ!」

 『各自、奮闘(ふんとう)努力せよ』だ。

 弓道部部長方針の第一声で、僕はそう言い放(はな)つ。

 よく継続(けいぞく)はパワーで、努力の継続は報(むく)われると語(かた)られているけれど、試行錯誤(しこうさくご)の無い努力を続けているだけなら、努力した時間を結果で表現する事は出来ない。

 希望・目標への堅(かた)い決意だけの、何処(どこ)か無作為(むさくい)な努力モドキを繰(く)り返す、そんな努力は報われが足りなくて間違っていると思う。

 僕は今、成長期で、日々、体格や動作が変化している。

 呼吸(こきゅう)のリズムもそうだ。でも、肉体の急速な成長に、精神の成長が追い付いていなくて、その鍛錬に、いつも試行錯誤していた。

 『健全(けんぜん)な精神は、健康(けんこう)な肉体に宿(やど)る』とされているけれど、精神の健全化は後付(あとづ)けなのだろうか?

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 偶(たま)に中学生で、弓道を始める人がいるけれど、高校2年生の今も、以前と比べて幾分(いくぶん)か遅(おそ)くなりはしたが成長し続けているのに、急速に体格が成長する10代前半の発育期に、右手で弦(つる)を強く引かせ、左手を真っ直(まっす)ぐに伸(の)ばして弓を押(お)す、そんなアンバランスな負荷(ふか)を両肩に加(くわ)えて良いものだろうかと思う。

 とある試合会場で、加賀(かが)地方の小松(こまつ)市と能登(のと)地方の七尾(ななお)市の高校の顧問(こもん)先生方が、そんな不自然さを疑問視(ぎもんし)した話をしているのを、僕は近くで聞いていた。

『肩と腕の筋肉が……、特に右肩の筋肉を発達させる弓道を、著(いちじる)しく骨格が成長する10歳から15歳の時期に、させても良いものだろうか』と、意見を交換していて、二人(ふたり)とも、骨格や筋肉の生成が、完成しつつある高校生や大学生でも、偏(かたよ)ってしまうのだから、将来的な身体全体の健康を考えると、奨励(しょうれい)できないだろうの結論で一致(いっち)していた。

 そう言えば、小学生低学年児童が背負(せお)うランドセルやバックパックと、それに入れて持ち運ぶ教材の重量にも、問題が有ると思う。

 ランドセルと教材の重さは約4キログラム以上、しかも背負いの嵩張(かさば)る荷物になるから、街中の狭(せま)い通学路では危険だし、危機回避の俊敏(しゅんびん)な動作の妨(さまた)げになる。

 まったく、こんな幼少(ようしょう)の時期から、背負わされている重い学校の道具こそ、日本人の身長の伸(の)び悩(なや)みや猫背(ねこぜ)やヘルニアの原因ではなかろうかと考えてしまう。

 重さに耐えられなくなったのは小学校2年生の時、以後、積極的に学年委員や係りに立候補して、その関係の用具準備室の隅(すみ)に置いた金属の缶に教材を入れて隠していた。

 先生へ提出用は別にしていたけれど、ノートは全教科通しで使うレポート用紙1冊だけ、それとペン入れだけを薄いバックパックで運んでいた。

 中学校も、高校の今も、教材は全て愛用の缶に入れて部室に置いてある。だから『好(い)い加減、発育傷害の懸念(けねん)と、安全性の不安に、早く気付いてくれよ。大人社会!』って感じだ。

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 射場に立つ時は、気持ちや動作やリズムを安定させなければならない。

 毎日、落ち着いた気持ちで、弓を構(かま)えられるように、その日、その日の最初の一射で、自分の状態を掴(つか)んで調整する。

 放課後の弓道場で放つ、最初の矢の飛びが、その日の僕の身体の成長と精神状態を現(あらわ)していた。

 基本的に弓道は弓で矢を射(い)て、的(まと)に中(あ)てるだけの単純なスポーツだ。

 自分が弓を引いて矢を放つだけで、誰(だれ)かのサポートを得て得点をすることはない。

 相手から攻(せ)められる事も無いが、的に中てれない技量不足や、中て続けれないような鍛錬不足の軟弱(なんじゃく)な精神だと、試合での優勝や上位入賞は望めない。

 弓道は自分自身と戦いだ。

 他人からのアドバイス通りに完璧な八節で射を行っても、己の技量を極(きわ)める事はできない。

 己の力量を極めるは己自身のみの、全くの個人プレーだ。

 弓道場では大きく息を吸(す)い込んで胸を張り広げてから静かに息を吐(は)いて気持ちの昂(たかぶ)りを静め、背筋を伸ばして骨幹(こっかん)を真っすぐに立たせるのを意識させながら正(ただ)した姿勢を緩(ゆる)めずに、身体全体を摺(す)り足で静かに移動させる。

 落ち着かせた気持ちと静かな動きで礼を用(もち)い、その時の最初の射で己(おのれ)の技量からの弓と矢の状態を計(はか)り知り、技量と精神力を向上させるべく、それを常(つね)に意識して繰り返し練習する。

 道で在る以上、日々の練習から平常心を保(たも)ち、モチベーションを上げ、集中させる術(すべ)を見付け出し、己なりの工夫をして、常に身に着くように努力しなければならない。

 僕は弓を射る以外の普段の生活でも、それらを常に意識し、考えて行動した。

 今日の自分を明日(あした)の自分が超(こ)えるという、意識的な精神的の鍛錬が必要だった。

 弓道を経験した弓歴の多さなどは、上達(じょうたつ)して高的中するのに殆ど関係が無くて、要(よう)は自分の射を理解できる自我(じが)を確立するか、否(いな)かだ。

 自分の気持ちと心を開放しなくては上達せず、他人の意見や気持ちを受け入れない部員は、体を成しても的に中て続ける事はできない。

 自我の確立を目指す部員達が揃(そろ)えば、自(おの)ずと団体チームは成り立ち、チームは強くなる。

 故に弓道は決して団体戦を意識する必要はない。

     *

 購入した弓矢を、イメージカラーでコーディネートする。

 こんな些細(ささい)な事が、射場に立つ気持ちを静め、平安に保ち、弓を構えて矢を射る事へ集中させてくれる。

 弓を包(くる)む、巻き布の弓巻(ゆみま)きに、弓巻きの上から被(かぶ)せる石突(いしつき)のカバー、矢を入れて持ち運ぶ矢筒(やづつ)、矢筒を弓に留(と)める飾(かざ)り紐(ひも)も、好(この)みの色調や柄の物を購入しているが、市販品に無ければ、自分でデザインして製作していた。

 更に集中力を高め、必中必勝の願掛(がんか)けのアクセントとして、パソコンで描いた魔法円陣をプリントして小さなシールを作り、弓と矢筒に貼(は)り付けた。

 春の試合で、黒いカーボン製の弓に細かい漢字が白漆(しろうるし)で書かれているのを見た。

 赤、青、黄、紫、白、緑、黒、ピンク、オレンジなど、カラフルな色の弓が並ぶ中に、灰色の斑(まだら)の文様(もんよう)に見える彩色柄(さいしょくがら)の弓は変わっていて、その灰色の材質を知りたくて近寄(ちかよ)った。

 初めて見る色調の文様は、弓の裏表の隅々(すみずみ)まで小さな白い漢字が書き込まれていたのが、少し離れて見ると、全体が灰色の濃淡(のうたん)の様に見えていた。

 たぶん、願掛けだと思うけれど、びっしりと書き連ねた呪詛文(じゅそぶん)か、漢詩なのか、漢字の文字列が有るのをまじまじと読んで、僕は達筆(たっぴつ)の文章が自己主張の写経文(しゃきょうぶん)だと理解した。

 灰色に見えた弓は、漢字尽(づ)くめの純和風調だったけれど、僕の弓には、全世界からパワーを得ようと、魔方陣も使って和洋折衷(わようせっちゅう)の印を入れる。

 魔方陣も、専門書で調べた剛健(ごうけん)最強必中攻撃型陣の寄せ集めで、術式(じゅつしき)の反動除(よ)けに、陰陽(おんよう)の九字(くじ)も入れてある。しかも、赤紫と青紫が主体の蛍光色仕立(じた)てだ。

 魔方陣は、目立たなくてはならない。

 引きの強い弓は、流行のカーボンファイバー製じゃなくて、竹と木を膠(にかわ)で貼(は)り合わせた、古くからの伝統的な製法の3層構造の竹弓にした。

 自分好(ごの)みの想い入れをする為(ため)に、弓の両端へ明るいグリーンと淡(あわ)いピンクのラインを巻く。

 弓は、弦(つる)を外(はず)した状態では裏反(うらぞ)りをしている。

 裏反りしている弓の上端(うえはし)の『ウラハズ』に、弦端(つるばた)の赤布を巻いた日輪(ひのわ)を引っ掛けてから、体重を掛けて弓を逆反りさせ、弦を紙縒(こよ)った向きへ、2、3回転させてから、弦末(つるすえ)の白布に巻かれた月輪(つきのわ)を、下端(したはし)の『モトハズ』に嵌(は)めれば、弓は矢を射れる形と成る。

 大抵(たいてい)は弦を折(お)り曲げてしまわないように気を付けながら、月輪を口に咥(くわ)えながら慎重に行う。

 これが結構きつくて、体重を掛け損(そこ)なうと弓は撓(しな)らないし、押さえる手が滑(すべ)ってバランスを崩(くず)してしまうと、跳(は)ねる弓が足に当たり、赤痣(あかあざ)になるような打撲を負(お)う事も有った。

 市販されている矢は、矢柄(やがら)の材質に、竹、ジュラルミン、カーボンファイバーなどが有る。

 でも僕は、それらの市販品を買わずに親父に頼み込んで、チタン合金製の矢柄を造って貰(もら)った。

 チタン合金はジュラルミンより少し重いけれど、矢を少し重くした方が強い弓の射出力に負けずに良く飛ぶ。

 表面は親父の知り合いの工場で、鏡(かがみ)のように磨(みが)いた。

 矢尻(やじり)と筈(はず)も親父の工作機械を使って、チタン合金から削り出して造った。

 加工精度はバッチシで、矢柄の内径との合いはしっくり嵌(は)まり、外径にも段差は無くて、磨くと無垢(むく)材から削り出した一体物のようだった。

 矢羽(やばね)は弓矢といっしょに弓道具屋で、何の鳥の羽根か知らないけど、丈夫(じょうぶ)そうな白い羽根を買って来た。

 羽根にも、後端(うしろはし)に蛍光のグリーンとピンクのラインを入れる。

 この映(は)える色を入れるのには理由が有り、大砲から撃たれた砲弾の飛翔(ひしょう)を確認する曳光(えいこう)のように、的や安土(あづち)に刺さった矢の位置を知る為で、故(ゆえ)に28メートルも離れた、モノクロの的や赤茶色の安土をバックに遠目(とおめ)にも目立って、良く視認できる映(は)える色としてイメージカラーに用いた。

 放った矢の刺さった場所を正確に知る事ができれば、次に射る矢の照準とタイミングを大体などではなく、微調整する事が可能になる。それに、既に命中している矢の矢羽根や筈に接触するという継矢(つぎや)も減少する。

 丹精(たんせい)込めて調整し、好みに作り直した矢が、自分の射の不甲斐無さから破損してしまうのは辛(つら)くて悲しい事で、本当に残念で悔しい。

 矢の羽は、1枚の鳥の羽根を真ん中の芯で半分に分けて作るから、1セット4本の矢には、6枚の同じ模様や色の鳥の羽根が必要だ。

 羽は矧(はぎ)と言う細い糸で、矢柄に固定する。

 矧もグリーンとピンクの色に染(そ)めた。

 羽を矢柄に正確な向きと角度で着けるのが、1番手間が掛かって面倒臭い。

 羽の位置と角度を揃えなくちゃいけなくて、1本の矢に3枚の羽を120度の角度開きで、接着剤を薄く塗(ぬ)り付けて均等間隔(かんかく)に接着して取り付ける。

 乾燥すると十分な接着力が有って軽いのは市販の木工ボンドだが、水性の為に湿度(しつど)が高いと剥(は)がれて綻(ほころ)び易くなる。なので、矧部分以外をマスキングしてから模型作りに使うサーフェイス用のUV対応のクリアーで、防湿(ぼうしつ)と防滴(ぼうてき)の対策の一噴(ひとふ)きでコーティング処理をした。、

 羽の先端は、二通(ふたとお)りに曲がっていて、1本の矢に使う3枚の羽の先端は、全て曲がりの向きを同じにしなければ、ジャイロ効果の有る回転はせず、真っ直ぐには飛ばない。

 矢を番(つが)えて、羽根の先端が手前、自分の顔の方へ曲がっているのを甲矢(はや)と言い、右回転しながら飛ぶ。

 矢の向こうへと曲がっているのは左回転で飛び、乙矢(おとや)と言う。

 矢を回転させて飛ばすと、直進性が増して飛翔は安定する。

 なぜ安定するのか? もっと直進性を強めて低伸(ていしん)させれないのか?

 それらを調べてみると、これは風切る矢に自転運動を発生させる仕組みで、飛翔姿勢を乱(みだ)さないのはジャイロ効果の作用だ。

 学術的には転向力(てんこうりょく)やモーメントの性質が、どうこうと難(むずか)しい法則が有るらしい。

 それで高回転になると、直進性が良くなるけれど、前進させる飛翔力に対して横方向への回転の抵抗が大きくなり、回転を発生させる矢羽根の部分から振動し始めて矢はケツを振って失速しまう。

 だから、鳥の羽根の先端の曲がり以外に、回転の要素は加えない。

 甲矢と乙矢を、交互に射るのが基本らしいけど、僕は、全く、見分けずに構え、全く、気にせずに射る。

 矢を射る直前に余計な神経を使いたくないし、細かい事に囚(とら)われて集中力を削(そ)がれたくなかった。

 当たる矢も、羽根先の曲がりが、どっちだなんて気にしていたら外れてしまう。

 アホ臭くて、僕は敢(あ)えて無視している。それに、こういうのは、本当に面倒臭い!

 僕の弦は、伝統的な麻弦(あさつる)を使う。

 強靭(きょうじん)なアラミド繊維やナイロン繊維などの化学合成繊維製が主流だけれど、ネチャネチャと粘(ねば)って指に纏(まと)わり付いて来る麻弦の方が、合板の弓と共に、生き物ぽくって好きだ。それに、矢を放った弦の音(ね)が、耳に心地良いと思う。

 弦には、矢の筈をガタつかずに上手(うま)く嵌(は)める為の中仕掛(なかじかけ)を、張り詰めた弦の適所へ、切れたり折れたりして使えなくなった麻弦を解(ほぐ)して、繊維状にしたモノを巻き付けながら、木工ボンドで固めて作るのも楽しい。

 筈がガタつかずに中仕掛へ嵌り、且(か)つ、離れ易いようにするのが肝心(かんじん)だ。

 ガタが大きいと、矢はブレるし、キツく嵌ると、筈の離れに加わる抵抗で、失速した矢が的の手前で落ちたり、予期しない方向へ飛んだりする。

 酷(ひど)い場合は、筈だけが中仕掛に嵌ったまま、残ってしまう。

 これは銃砲用語で謂(い)う所の、暴発やジャムになって非常に危険だ。だから当然、筈の溝幅や深さを自分で測定しながら削って均一にする。

 矢柄と筈の嵌り具合もそうすべきで、溝幅と中仕掛の太さは、自分でチェックゲージを作ったり、ノギスで寸法を測ったりして確認と微調整をしている。

 僕は中仕掛けを作り終えて乾燥させた後、弓道場の大きな鏡の前で『会』の射姿勢を構え、矢が水平に番えれる中仕掛の位置に印(しるし)を付ける。

 弓を握る位置の上限にも線を入れて有るから、これで筈を印の位置に嵌めるだけで番えた矢は水平に構える事が出来る。そして、これを基準として上下左右の狙いを定めて行く。

 位置決めの線と印は構えた僕の目線から見える位置に付けて、前や射方向からは見えないようにして他校の弓道部員や競技委員へ様々な情報が洩(も)れないように心掛(こころが)けている。

 弦を引く右手に着ける『懸け』は、『弓懸(ゆが)け』とも呼ばれ、弦を引っ掛けて引き易くし、指と手首を保護する道具だ。

 僕は、弦を掛ける段差の角(かど)を削(けず)り、緩(ゆる)やかで滑らかなスロープにした。

 これで僅かに親指を開くだけで矢を放てる。

 懸けの巻き帯(おび)も、グリーンとピンクのツートンカラーにした。

 僕にとって、明るいグリーンと淡(あわ)いピンクは、彼女のイメージカラーだ。

 彼女に……、(まだ、試(こころ)みもしていなくて、未経験だけど……)触れるように、優しく丁寧(ていねい)に弓矢を扱(あつか)う。

 強くて扱い難(にく)い弓、光輝いて眩(まぶ)しい矢、弦を引き易く、そして、放ち易くする為の工夫を施(ほどこ)した懸け、どれも、彼女と同じように気難(きむずか)しい気がしているけれど、兎に角(とにかく)優しくだ。

 四本の矢は、重さと重心位置を揃えて、個々の矢に飛翔癖を付けないようにしなければならない。

 番える矢を確認して射の度に狙いと引きを変えるという無駄な気苦労(きぐろう)を無くす為にも、何度も計量して、削り場所を変えて均一、均等なバランスと重さにする。

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 急速に弓道部の練習内容を変えて、試合に勝つ為のカリキュラムにしていった。

 週に3回だった金石(かないわ)の浜までの走り込みは2回に減らして、筋力アップのサーキットトレーニングは、シングルトーレーニングにする。

 立ち姿勢を保ち難い砂浜では、基本の八節(はっせつ)の練習を主体にした。

 弓道場に戻(もど)ってからは、ダンシングスクールのように一面(いちめん)の壁全体に貼られて厚い透明樹脂板で保護された大きな鏡の前で、弓を持たせて八節の形作りを徹底させる。

 八節は、矢を和弓で射るのに、理に適(かな)った動作の形だ。

 部員全員で互いの形を修正し合っているが、特注の移動式で大型の鏡と巻き藁(わら)をセットにして、矢を射る全身姿勢を、自分で確(たし)かめながら、己の癖(くせ)を自身で理解して直(なお)せるようにもした。

 部員のみんなと話し合って、練習カリキュラムを補正(ほせい)して弓道部の全員に矢を的へ中(あ)てる事に徹底させて行く。

 座学(ざがく)も良く行って弓道の作法や礼儀や精神鍛錬、それに名称呼称や道理などを話したが、盛(も)り上がるのは的に中てる為の技法と集中力を途切れさせないメンタルの強化だった。

 どうすれば……、どんな練習をすれば、どんな気持ちになれば、アニメや映画や日本史のエピソードのように、遠距離から確実に小さな的に中てれるのかだった。

 的に当てるには、中てるなりの工夫や研究や根拠が必要だ。

 無心(むしん)に心を静め、精神を集中させて己自身と戦うだけの精神鍛錬の繰り返しは、個人の自己満足の悟(さと)りのみで、弓道部としての結果を何も導(みちび)く事はできない。

 そう、精神論には科学的なセオリーとロジックが欠(か)けている。

 1年生の射場に立つ回数を増やし、力量が有れば、試合に出して試合場面を経験させる。

 他校との交流試合も毎週のように行って、部員全体の力量を上げた。

 センスは確かに大切だが、場数を熟(こな)した経験値も大事だ。そして試合に勝てば、部員達の士気は上がり、より情熱的に練習に励(はげ)んでくれるだろう。

 因(ちな)みに高段者の師範代(しはんだい)が運営する道場や中学校の弓道部で経験を積(つ)んだ1年生も入部していたが、八節は体得していて試合出場の経験が有るなどと慢心(まんしん)していると、直ぐに初心者の1年生が練習でも、試合でも、的中率を追い越していた。

 顧問(こもん)の先生は弓術に偏(かたよ)り過ぎだと異議を唱(とな)えるけれど、やはり現実は矢を的中させていなければ、結果として認(みと)められる事はなかった。

 顧問の先生や大人達やOB連中にすれば、『今まで、先輩達に従ってきたから、今年も、これからの将来も、今までと同じようにと言ってくれる。

 我々は酷くても、辛(つら)くても、先輩達から、そう教わってきたし、先輩達も、そうしてきた。

 理由は、いろいろ有るが、今まで通りするのが、一番いいんだ』と、まるで過去をなぞる伝統は、洗練された事だと思い込まされて……、いや、洗脳(せんのう)されているみたいだった。

 そんな説教じみた御指導は、煩(わずら)わしい面倒が無い、如何(いか)にも無難で思考が停止しているような言い分しか聞こえない。

 大抵は、そんな在り来たりで一辺倒(いっぺんとう)な、説明にならない理由を良く考えもしないで言ってくれた。

 精神論的にショートしているのは、全体的にクリエイティブじゃない連中の発想だ。

 管理し易い社会人を育成する、屈折(くっせつ)した大人達都合の考えだ。

 その非科学的、非進化的で愚鈍(ぐどん)な指導を、僕は理解も、納得もできない。

(もっと、今まで、当たり前だと思っていた、全ての事柄(ことがら)に、疑問を持て!)

 この鵜呑(うの)みにできなくて疑(うたが)う思いは、今後の僕の人生の信条(しんじょう)になりそうだ。

(過去に例が無ければ、新たに例を作ればいいじゃんか!)


 つづく

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