第4話 惚けて嘘を吐く (僕 高校1年生) 想いのままに・男子編

 乗り継(つ)ぎのバス停へ歩く間、漂(ただよ)うニンニクの臭(にお)いで、僕の真後(まうし)ろに彼女が付いて来ているのを分かっていた。

 少し歩いただけで部活のトレーニング疲(つか)れを思い出した身体(からだ)が、エンドルフィンを追加分泌(ぶんぴつ)させて、悟(さと)られず、知られずの罪深(つみぶか)いキスでドキドキさせていたアドレナリンの興奮(こうふん)を冷(さ)まし、気怠(けだる)い気分と後悔(こうかい)の不安で落ち着かなかった思考(しこう)を回復させた。

 乗り継いだバスの中で、彼女は前方の一人(ひとり)掛けの座席に座(すわ)っている。

 車窓(しゃそう)に凭(もた)れて、どうも居眠(いねむ)りの続きをしているように見え、先ほどのバスでもそうだったが、真横に僕が居(い)るのを知っていたにも拘(かかわ)らず眠(ねむ)っていた。

(どうも彼女は僕に無警戒(むけいかい)のようで、狂暴(きょうぼう)な狼(おおかみ)に変貌(へんぼう)する度胸(どきょう)や性癖(せいへき)は無いと考えているらしい……)

 彼女は、僕が降車するバス停より、更(さら)に二(ふた)つ先のバス停で降りる。

 このバスの終点は彼女の降りるバス停より、ずっと先の湯涌(ゆわく)温泉だ。

 通勤(つうきん)時間帯を過(す)ぎたバスの中は空(す)いていて、僕ら以外に乗客は、二、三人(に、さんにん)だけ。

 流石(さすが)に今は、気恥(きは)ずかしくて朝のバスのように彼女の横に立てない。

 互(たが)いに相手を意識しながら、顔を逸(そ)らして何も語(かた)らない二人(ふたり)は、無言で無視し合う痴話喧嘩(ちわけんか)をする高校生バカップルに見えるかも知れない。

 それはきっと横に立つ僕を、嫌(いや)がり避(さ)けている女子高校生に、しつこく無理強(むりじ)いを迫(せま)る変態(へんたい)ストーカーや執念深(しゅうねんぶか)い片想(かたおも)い野郎(やろう)と思われるに決まっている。

(まあ、片想い野郎は当(あ)たっているけれど……)

 それに、こんなに座席が空いていると、近(ちか)しく仲(なか)の良い男女ならば、二人掛けの座席へ座るはずだと思う。

 居眠りする彼女は、降車するバス停を乗り過してしまうかも知れない。

 バスは、小立野(こだつの)商店街の通りを過ぎて湯涌温泉方面へと進んで行く。

 そろそろ、乗り越(こ)さないように彼女を起(お)こしてあげなければならない。でも、さっきみたいな目覚(めざ)めのキスの行為(こうい)は冗談(じょうだん)やフリでも御法度(ごはっと)で論外(ろんがい)だ。

 もしも試(こころ)みたりしたら、地雷を踏(ふ)むどころか、『永遠(とわ)にサヨウナラ』を宣言されてしまうだろう。

 それともワザとらしく、僕が降りる時にぶつかってみようか。

 彼女に気が付いて隣に座った畝田町(うねだまち)の停留所(ていりゅうじょ)から此処(ここ)までの間、彼女の携帯電話(けいたいでんわ)に1度も着信が無かった。

 乗り継ぎのバスが来るバス停へ向かって僕の後ろを少し離(はな)れて歩いていた時も、僕との会話も無くバス停で待(ま)つ間も、彼女の携帯電話に着信を知らせるメロディーやマナーモードの振動音(しんどうおん)は聞こえなかった。

 携帯電話をチェックする素振(そぶ)りや、メールを操作(そうさ)する仕草(しぐさ)もしなかった。

 この時間帯に、メールを交換(こうかん)しあう相手はいないのだろうか?

(彼氏(かれし)がいるなら、普通、しょっちゅう、メールをしているはずだよな)

 それならと、僕はキーを打ち込み彼女にメールを送る。

 直(す)ぐに、低くて小さなバイブレーション音が、前部の座席に座る彼女の方から聞こえ、静(しず)かな車内に響(ひび)いた。

 ほんの数メートル前の彼女の後ろ姿が、ビクッと揺(ゆ)れる。そして、携帯電話を取り出し僕からのメールをチェックしているのだろう、そんな様子(ようす)に見えた。それから、たぶん、僕宛(あ)てへ返信すると思われる、一連(いちれん)の画面操作をするような肩(かた)を揺らす後ろ姿の後(あと)、彼女の動きと姿勢(しせい)は起き続けているように思えた。

(良かったぁ! 彼女は、起きてくれた……)

 乗り越さないようにと、居眠りしていた彼女をメールの着信で起こす。

(凄(すご)くリアルだ! これは、ちょっと良い感じのムードだ。嬉(うれ)しいシチュエーションかも知れない)

 『起きたぁ~?』とか、『乗り過さないように!』なんて、ウザい老婆心(ろうばしん)みたいなのは、メールには打っていない。

 高まる返信の期待で、鼓動(こどう)は限界寸前のフォルティッシモを繰り返す。

 体中で激(はげ)しく脈打(みゃくう)ち、あっちこっちがズキズキと痛(いた)くて息が詰(つ)まる中、ぎゅっと握(にぎ)り締(し)めた携帯電話が震(ふる)え、着信を知らせた。

 彼女からの返信だ。

 『見に来てくれて、ありがとう』と、送ったメールに、自爆(じばく)確実の『ないしょでキスした』とは、とても書き加(くわ)えられなかった。

(僕は正直者(しょうじきもの)になれない……)

【別に。あんたに、会いに行ったんじゃないよ。金石の海を、見に行ったんだからね】

 つれなくて寂(さび)しい文面に、悲(かな)しくなる。

(わかっているよ……)

 彼女が、そう返して来るのは分かっていた。

 楽しさが、ほんの少しでもいいから、そのままメールの遣り取りを続けたいと思っていたのに、これじゃあ無理だ。

 これに返信すれば、きっと更に惨(むご)いメールが届くだろう。

 ハイテンションなモチベーションが急角度で落下して地(じ)ベタを這(は)いずり廻(めぐ)り、気持ちは急冷却されて凍(こお)り付いた。

(この性格! ほんと畏縮(いしゅく)するわぁ)

 ほどなくして家の近くのバス停に着き、彼女の脇(わき)を通って降車口へ急いだ。

 通りがけに振り返って彼女を見る僕と横を通り過ぎる僕を見上げた彼女と目が合った。なのに、直ぐに、お互いが顔を逸らしてしまう。

(見続けたら、彼女も僕を見詰め続けていただろうか?)

 何も読み取れそうもない彼女の無表情に見上げる顔の瞳(ひとみ)が、僕の畏縮する気持ちに追い打ちをかけて締め上げる。それでも僕は背筋(せすじ)を伸ばすと胸を反(そ)らして姿勢を正(ただ)し、精一杯(せいいっぱい)に気丈夫(きじょうぶ)を装(よそお)う見栄(みえ)を張りながらバスを降りた。

 後ろを振り向かずに歩く僕を、停留所を発進したバスは追いこして行く。

 脇を通るバスの車窓に、僕を見下ろす彼女の横顔が見え、僅(わず)かでも、彼女の表情に希望を抱(いだ)ける色が見えないかと目を凝(こ)らすけれど、無表情を崩(くず)さないままに彼女は遠ざかり、忽(たちま)ち夜の闇(やみ)に紛(まぎ)れてしまう。

     *

 バスを降りてから目の前の交差点の横断歩道を渡って右側の広い通りを行き、100メートルほど進んだところで交わる旧湯涌街道を左側へ折れて行く。

 折れないで旧湯涌街道を越えて進むと、小立野台地から犀川(さいがわ)に架(か)かる雪見橋(ゆきみばし)を渡って対岸の寺町(てらまち)台地の麓(ふもと)へ繋がる長い坂道になっていて、一気に広がる眺望(ちょうぼう)は日本海の水平線まで見通せた。

 ここは長い間、需要性(じゅようせい)を失(うしな)って頓挫(とんざ)した都市計画道路の証(あかし)のような極短(ごくみじか)い広い通りだったが、バス停近くの交差点を左へ曲(ま)がったところに在る県立図書館『ビブリオ・バウム』がオープンしてから交通障害(しょうがい)の解消(かいしょう)の為に開発が再開されて完成した、地域的には利便性(りべんせい)の良い道路だ。

 左へ折れて来て狭っ苦(せまっくる)しい旧街道へ入ると直ぐに、右手の家並みの間にポッカリと2間(けん)ほどの巾で歯が抜(ぬ)けたように空の見える何も無い空間が在る。そして、其の空間の下に僕の家は在った。

 別の次元(じげん)に繋(つな)がって異世界へ行けるような、何も無い空間の縁(ふち)に立つと、向かい側に、昼間は緑(みどり)多き寺町台地の家並みと緩(ゆる)やかに曲(ま)がる野田山(のだやま)の濃緑(のうりょく)の稜線(りょうせん)が広がり、夜は逸(はや)る帰宅心と相俟(あいま)って、俯瞰(ふかん)した住宅街の灯(あか)りを見る度に、温(あたた)かい安(やす)らぎで心が潤(うるお)っていた。

 足元の空間の縁からは、その別次元に繋がる立坂(たてざか)が在る。

 今、僕が立っている小立野台地と下の犀川河岸(かがん)段丘(だんきゅう)を行き来する通路だ。

 河川(かせん)沿(ぞ)いの平地と河岸段丘と台地は、それぞれに生活圏を持っていて、ある意味、別々の世界のようなものかも知れない。

 階段状(かいだんじょう)の河岸段丘のが多い場所は、犀川の上菊橋(うえきくばし)と雪見橋の中間辺(あた)りで、川縁(かわべり)から城南(じょうなん)1丁目、笠舞(かさまい)本町、笠舞町、小立野3丁目と4段になっていて商業圏も別々だ。

 子供の頃、夜は本当に、眼下(がんか)の物(もの)ノ(の)怪(け)が潜(ひそ)んで蠢(うごめ)いていそうな異世界の暗闇(くらやみ)へ行くゲートように思えて怖(こわ)がっていた。

 金沢(かなざわ)市は台地と丘の街で、短い急坂が多い。

 中央の小立野台地を挟むように、北に卯辰山、南に寺町台地が在り、卯辰山との間に流れる浅野川(あさのがわ)が河北潟(かほくがた)へ注(そそ)ぎ、寺町台地との間には犀川が流れていて金石の河口から日本海へと注いでいる。

 三小牛山(みつこうじやま)から連なる野田山と大乗寺山(だいじょうじやま)が緩(ゆる)やかな起伏で伏せて来ている寺町台地は、犀川側が段丘の急斜面な崖(がけ)を成(な)し、台地の先端は滑(なめ)らかに金沢平野へと繋がっている。

 小立野台地の先端には、全国的に有名な兼六園と金沢城が在る。

 因(ちな)みに金沢城は、兼六園と地峡(ちきょう)のような百間堀(ひゃっけんほり)で切り離されていて、そこを渡る情緒(じょうちょ)の無いコンクリート製の橋が金沢城の石川門(いしかわもん)と兼六園の北西の端を繋げている。

 立坂は坂とは名ばかりで、実際はコンクリート製の、やや『くの字』に折れた68段の階段だ。

 脇の水路は辰巳(たつみ)用水から分けられた水が流れて、大雨の時には引き込まれそうになるほどの大量の水が、怖いくらいの勢(いきお)いで流れ落ちる。

 立坂を降り切ると直ぐに僕の家だ。

 立坂を降りようとした時に携帯電話が、メールのリズミカルな着信震動とメロディーを奏(かな)でた。

【ほんとに夕陽(ゆうひ)が綺麗(きれい)だった。あんたもイイ顔していたよ。でも、スケベだったね】

 返されたメールの文面にホッとした。

 確(たし)かに、僕はスケベだ。

 魔(ま)が差したとはいえ、彼女の黒い下着を覗(のぞ)き見て、寝ていて気付かない彼女の頬と唇に、断(こと)わりも無く勝手に黙(だん)まりキスをした。

(単純(たんじゅん)だ! 僕は本当に単純だな。……ん! もしかして、彼女はキスに気付いていたのか?)

 彼女からのメールでモチベーションを持ち直した自分に呆(あき)れながら、僕は救(すく)われたようなスッキリした晴(は)れやかな気分で立坂を駆(か)け降(お)りた。

(僕はスケベだ! でも、イイ顔してるんだ!)

 何か、勘違(かんちが)いっぽいけれど、そう彼女に思われたのが無性(むしょう)に嬉しかった。

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 翌日の朝のバスで、彼女の横にたつ僕は、彼女の頬と唇ばかり見ていた。

 魅力的な白い頬と、少しだけ触れた唇の弾力(だんりょく)と匂いを思い出しながら、僕は反省(はんせい)していた。

 大好きで恋焦(こいこ)がれる彼女だけど、寝ていて気付かない彼女へ衝動に駆られてして仕舞(しま)ったキスは、いろいろと考えた言い訳の、どれで繕(つくろ)っても卑怯だった。

 バスから降りて僕を見上げる彼女に、今後、2度と卑怯な振る舞いはしないと、僕は心の底から誓った。

 その日の放課後(ほうかご)、部活の間に、彼女からメールが届いていた。

【バスの中で、起こしてくれてありがとう。……ねぇ、あんた。私にキスした?】

 ギクッと来て、ドッと、冷(ひ)や汗が出て足首から先の感覚(かんかく)が消えて行った。

 部活中は、携帯電話の電源を切っていたから、部活が済(す)み次第(しだい)に、受信メールのチェックをして下校のバスの中で返信する。

【していない】

 僕は、惚(とぼ)けた!

 やはり、彼女は疑惑(ぎわく)を持っている。でも、正直に答えれるはずが無い。

 黙(だま)って執(と)った無断行為は、中学2年生での無記名(むきめい)メール告白に続いて、2度目だ!

 とても、許(ゆる)される事ではないに決まっている!

 『頬にキスをした』と返信したら、きっと一気に責(せ)め上げられて、性犯罪者や変態(へんたい)や変質者(へんしつしゃ)呼(よ)ばわりされに決まっている。

 この先ずぅっと、何か不仲(ふなか)な事が有ると、僕は、そう呼ばれて実に不名誉(ふめいよ)此の上無(このうえな)い。

 認(みと)めたら最後、彼女の事だから宇宙の果(は)てほどの距離で避けられて、一生、気不味(きまず)いままになるだろう。

【本当に?】

 彼女は、念(ねん)を押しに来る。

 まるで尋問(じんもん)だ。

 知らぬ、存知(ぞんぜ)ぬで通して、回答は暈(ぼか)すしかない。

【ほんとに。なぜ、そう思う?】

 逆に、キス疑惑の根拠(こんきょ)を質問して遣った。

 彼女の返答によっては、『夢(ゆめ)でも、見てたんじゃないの? 夢で見るほど、キスしたいわけ?』って冗談(じょうだん)まじりに夢落(ゆめお)ちにしてやろうと思う。

 実際、彼女は寝ていたんだから夢落ちでも成立する。でもそれだと更に僕は疑われそうで、このキス疑惑が、これからの恋路(こいじ)の障害になりかねない。

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 その後、彼女からの返信は無くて、数日後に僕から新(あら)たなメールを送るまで、彼女からのメールは途絶(とだ)えた。

 再開されて交換(こうかん)する互いのメールは、日常の在り来たりな愚痴(ぐち)や悩(なや)みばかりで、再びキス疑惑に触れる事は無かった。

(だけど、寝込みのキスと惚けた事に不信を抱(いだ)かれ……、いや、彼女は絶対にされたと分かっているし、僕が嘘(うそ)を言っていると確信しているぞ!)

 既(すで)に過ぎた事で、今更(いまさら)、後悔しても仕方無い思うが、メールを不通(ふつう)にしていた数日間と、日常的なメールの内容から僕は、敢(あ)えて、彼女がキス疑惑に自(みずか)ら触れるのを避けていると察した。

 そういう夢現(ゆめうつつ)の現実だったのか、夢だったのか分からない、唇に残るキスのような感触を意識している事を、その有無(うむ)の事実に拘(こだわ)っている事を、彼女は僕に知られたくないと感じた。

 それからも、毎朝のバスの中で、真(ま)ん前(まえ)に座る彼女の真横へ立つ度(たび)に、贖罪(しょくざい)の呪文(じゅもん)のように僕は『2度と卑怯な真似(まね)をしない』と心の中で誓(ちか)う。

 後悔が薄(うす)れるまで、かなりの月日が必要だったけれど、誓いは、しっかりと心に刻(きざ)まれている。


 つづく

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