番外話⑤ カシマレイコ
遠野幹彦は、カシマレイコを見いだした栄誉からマネージャーという名のままになっている彼女専属プロデューサーである。
独立した後、社長業も行うというよく分からないことになっているが、それくらいに幹彦という男はカシマレイコというバケモノアイドルに愛されていたのだから、仕方ないのかもしれない。
「やはり、鈍いか」
だが、老いて錆びゆくただの人間でしかない自分と違い、カシマレイコは何時までも全盛。年齢を理由にしない愛され振りには、幹彦も最早尊敬を越えて信仰しかない。
とはいえそんな愛することすらおこがましい至極の存在を存分に活躍させるにはこの世はあまりに汚すぎた。
円く歪んだ地平に当然の如くに広がっているのは互いに擦れ合うことすら躊躇ってしまうほどの痛みと疑心。大概が注視しあい大人しくならざるを得ないくらいに毒々しい平らな汚濁。
そんな不浄に慣れた人々は今やカシマレイコという極上に目を潰されて、そればかり。最高を目指すどころか、その天国に安堵していて他を見ない。
所詮、アイドルなんて●せる生き物でしかないというのに。
男の持つタブレットに映るは色とりどりの線と棒。幹彦は、現状急上昇著しいグラフと自作の夢のような予測値とその下の町田百合という名前を眺めて思う。
ああ、この子はまだまだ報われていないな、と。
「殆どがレイコの看板を意識してこの歌の価値の最奥まで心が届いていない……反応が、鈍すぎるな」
ヒットチャートを独占。そんなのカシマレイコの下賜が話題になっている現状当たり前過ぎた。
海外からも注目されていて、それも当然。町田百合という歌姫は天を射る可能性を持った現状唯一の存在なのだから。
芸能ニュースに百合の名前ばかりが騒ぐこんな現況でも、幹彦にはあまりに物足りない。
だって、カシマレイコの初披露の際に起きた狂騒はこんなものではなかったのだから。
白髪混じりの壮年男性は、溜息と共に呟かざるを得なかった。
「この唯一無二は聞けば分かるというのに、過去に思いをはせてただ彼らはその場にて耳にも容れずに流してばかりか。ったく……無能共をちょっと洗脳し過ぎちまったか」
ファンへの辛辣を吐き、それでもむかっ腹が治まらない。
何しろ、遠野幹彦はカシマレイコと同じく町田百合という一人の少女に至極の未来を望んでいるのだから。
別に礼を紙面でも貰った程度の関わりの少女に幸せに成って欲しい、とまでは高望みはしない。だが、その歌と可能性を持って次代を担って欲しいとは、心より思うのだった。
「ふぁ」
そして、旧き大作。クラシックでありサイケデリックですらあるかもしれない、この世の天板の基準はただの板の上にて眠らせていた己を、相方のいらだちを感じたことにより起こす。
ここはその巣の中。カシマレイコに余計な装いなんて何もなく、こと今は一枚の覆いすら彼女にはなかった。
男は見て、でもそこにいやらしさなんて、何も感じられない。一切の番すら許せない、それは孤高の極みであるのだから。
なだらかと急な凹凸で出来た、見目だけで神の寵愛をまざまざと感じさせる美の彫像。だがそんなものが、最高品質で歌って踊り続けているのだ。それは、ありとあらゆるものの美観がが麻痺したっておかしくないだろうなと、幹彦は他人事に思う。
そろりと猫のようにしなやかに歩んできた少女のような女は、深く座す男の肩に手を下ろし、問った。
「幹彦、時間はかかりそう?」
彼女が寄るだけで甘すぎる、香りがする。これを商品化出来れば小国だって買えるだろうくらいに取引放題なのではと思える希少だが、幹彦には慣れてしまった麻薬だ。
ただ狂いなく狂ったままカシマレイコのために頭を働かせる男は冷静にそろばんを弾いて、無理とは思えずとも大変だろうと確信しながらこう述べるに留まる。
「あー……そうだな。今年中、とかそういう訳にはいかんだろうな。流石に」
「そっか」
基調から最上のカシマレイコの声色に失望は、まるでない。そもそも彼女は楽器と同じく喉の響きに感情が乗らない特異体質ではあった。
だが、それ以上にここ十年で最も鋭いものを持った少女のために期待はどうしたってやまないものだから、そもそも年単位の待ちぼうけすら女には呑み込めてしまう。
今宵のバックグラウンドミュージックは、涙隠した、天使の歌。
ああ哀れな少女が鍛えた翼は果たしてどれほどの飛翔を魅せるのだろう。この子供の歌は敗軸者達の技術の昇華であり、だからこそ唯一無二。
素直に上手いと思えて、惜しいとも感じられた。
「良い、わよね」
良い。それは上から下に認めただけの言葉。
動画をひと目見ただけで、これは壮絶の先に生まれた地獄の花だとカシマレイコは町田百合のことを見抜いている。
だが、それくらいでは私に勝つのは不可能だ。地獄の花程度で天国の光芒には敵わない。
夢や希望や努力なんて、ナンセンス。もっと抜群の壊れが見たくって、おばけのアイドルは微笑むのだった。
「私が降ろした階段を進むのよ、百合。何時か私の前に立つためにも」
高所の恐怖に渓谷のダイナミズムの感動。カシマレイコの身じろぎはそんな息を呑む自然の相似。どうしたって、窮まって美しくこの世に映えてしまう。
瞳を愛に潰してようやく人は彼女を直視でき、そして一方おばけの後ろを歩み続けていた男は、心を狂気に食わしてやっと声を出すことが出来た。
我が子にするような愛おしさを面に丸出しにしているカシマレイコに、幹彦はこう注意をする。
「期待し過ぎは厳禁だよ」
「そう、ねぇ……」
なるほど、それは確かにその通りだとカシマレイコも考える。期待してダメなんて、酷く疲れるものだ。
万が一、期待外れだったらどうしようか。その時は決まっていた。捻ってもいで、壊してから潰してしまうお決まりのコース。
それこそ出来がいまいちだった田所釉子に自ら施してあげたみたいに、呪いをかけてあげたっていいだろう。まあ、何をしなくとも蝋の羽根の持ち主なんて勝手に墜ちるのだろうが、それはそれ。
唯一人間らしいところを歪ませながら最恐のおばけは、老いを殺しかねない程に強すぎる笑顔のまま、こう呟くのだった。
「でも、止められないわ」
それは、何について述べたことだろう。
カシマレイコがこの世に祝われて偶像として頂点に存在することにか、はたまたリコリスに投資してしまう薄明光線の哀れさにだろうか。
どちらにせよ、カシマレイコにとって望む結末は一つ。
この世に永遠に栄えるものなければ、絶対なんてあり得ない。更にオバケなんてないさ、とうそぶけるのであれば、答えは自ずと導き出せた。
ああ、人は時に自死を望むものを人でなしと判断するけれども、なら永遠の滅びを望む空亡なんてものは、どんな否定に遭うものだろう。
最強の偶像は、故に自らにばってんをつけて最悪と判断し、最恐にも口を裂けんばかりに吊り上げこう叫ぶように何時もの文句で締めくくる。
「ああ――――早く、誰か私を殺してくれればいいのに」
それが、神の一種とすら呼ばれるアイドル、カシマレイコの怨嗟の声。
その幸せを誰より望まれながらも、しかし一時たりとて満足はない。そんな現況を破りたくって、でも期待に応えずにはいられなかった。
彼女は笑うべきと知っているが、でも絶頂にあってずっと泣いているのである。
「そうだな」
しかし、他の誰もが認めないだろう絶対の存在の自己否定をマネージャーだけは認めざるを得ない。
なにせ、それだけがこの生き物が活きるための願いであれば、否応なしに。
そもそもきっと、太陽を一番星と勘違いしてこの世に披露してしまった自分が悪いのだと、遠野幹彦は理解っている。
だが、それでもこの子にはアイドルとなって欲しいと、過日の青年は思ったのだ。期待し、希望し、そして持ち上げたのは間違いない。
『私がアイドルなんて、ダメですよ……』
あの日嫌と言った少女の言葉こそ、真理と瞳眩ませたバカがどうして知るだろう。
きっと何遍繰り返したところで、答えは一緒で、自分はカシマレイコをアイドルの道へ引き込むのは間違いない。
『あはっ♪』
だが、おばけを日の下に引きずり出してしまえば、全てが狂ってしまうのはどうしようもないこと。
でも、初ライブの際の落涙は、彼女が愛に応える理由は、何もかもが正しい思いに依るものである。
今日もおばけは、男の前で本心を落とした。
「私はアイドルの引き立て役に、なりたいのに」
そんなことあり得てはいけないだろうに、それだけが少女だった彼女のずっと欲しかったもの。
「分かってる、さ」
それはそれは、始めて遭った日からずっと、ずっと。
そう、カシマレイコこそ、アイドルというものを誰よりも愛していたのだろうと幹彦は理解していたのだった。
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