第二十二話 曲に負ける歌なんて
望遠鏡で空を覗いてみたところで神と視線が合わないように、人と神々とはあまりに遠すぎる。
だが、アイドルという人界の賑やかしの中にのみ、それは確かに近くあると多くにされて崇められてすらいた。
握手なんて以ての外。電子に載っかった顔と美声ばかりを聞くだけで、あまりに多くが熱狂する。
それは技術だの、形だの全ての工夫が無意味に帰すほどの絶対。偶像の手本として燦然と頂点にて輝き続けるそれは、魔でなければ神のようですらある。
そして彼女はこれまで十数年もの間、絶頂だった。きっと、これからも。ことファンはお空に太陽があり続けるのを願い続けていた。
心は壊れても高鳴るもの。そして一度火がついたそれは、死ぬまで止まりはしない。
つまり死なず生きる間、ファンの気持ちはカシマレイコという一人のアイドルのために燃え続ける。
真、信者と呼べば頷くだろう彼彼女ら。ナンバリングするにはいささか他と比べて桁が違いすぎる大勢は日本どころか海外の殆の国をすら網羅する勢いである。
そして、そんな老若男女の日の下のメジャー達の殆は。
「町田百合、って誰だ?」
この世で初めて、カシマレイコから曲を送られたアイドルの卵に注目していた。
「ふぅ……流石の楽曲だ」
当然のように、音楽関係者にだって、カシマレイコのフォロワーは沢山いる。
いや、むしろ彼女を目指して挫折した者が次の職として縋りついている場合があまりに多いために、実際殆ど全てがどんな形だろうと彼女を望んで崇めているものだ。
それは、現役時代掠りもしなかったとはいえ鉾を向けたこともある、百合の師匠、与田瑠璃花とて同じ。
その盛り上がるくらいに鍛え上げられた痩身は、試しに弟子から貰ったデータを一度流し聞いただけで総毛立たせている。
作詞作曲ですらレベルが違うのは涙とともに彼女の歌を聞いていてよく理解していた筈だが、これは。
先進ぶりがまるで、他の曲を置いてきすぎて今までの全てが過去を越えて滅びてしまうような、そんな段階。
ベースにカシマレイコらしさもあるが、それ以上に百合の深き心の一部すら描きこまれている。そんな風にすら瑠璃花には確信できた。
「めんでぇリズムですねぇ」
だが、如何に上等で未来的な曲であっても、町田百合にはベーシック。地獄ほど足りない少女を天国に連れて行ける程度の代物ではない。
ただ、トントン拍子に興味ないやつから貰った難易度の高い曲と歌詞を持って歌って踊らなければならなくなった現実に、嫌気すら覚えながら百合はやる気の無さを出すのだった。
垂れ下がったままのツインテールを見て、これには師匠も驚きを覚えざるを得ない。
「……いや、さっきから口にしてたけど、百合。本当にあんた人間かい? カシマレイコの曲を聞いてただ面倒だとしか思わないなんて……」
「はっ、お師匠なら知ってるでしょうにぃ。百合は、ただの人間にしてはちょっと地獄的ですよぉ?」
「そう、だったね……」
にこりと口だけで笑う少女に、怖気を感じ得ないのは弱さ。だが、それは終焉を見つめた万物に当たり前の反応であるからには、愛さざるを得ない。
目を開くだけで地獄を示唆する、そんなこの子が怖くって、でもそれでいいと瑠璃花は決めている。
むしろ、自力で動かし己のばってんをクロスに変えた、この世の特異点な領域の百合の努力をこそ尊いものとし、震える足なんて知らん顔。
そもそも、私はトレーニングルームで這いずり回るこの子の弱さを知っているのだ。だから。
「ははっ。なら、あんたを、天国をイメージしたこの曲に全面的に沿わす必要はないか。……安心しな。振り付けはかなり楽なのをもう考えたからさ」
努めて、女性は少女の特異を笑い飛ばす。
愛弟子。何しろ先生ではなく、師匠と親しまれたのは初めてのこと。だから今日のように、振り付け教えてくれと頼られたら応えたって一向に構わない。
そして、愛らしさを維持したまま柔らかく果物のごとくに実ってきた百合を見つめると、彼女は。
「さっすがお師匠ですぅー! 凄いのは年齢だけじゃな……んぁっ!」
「はぁ……ちょっと認めたら直ぐコレだよ」
「いてぇですぅ……以前よりキレがマシてる気がするですよぉ……」
気楽におふざけをして、小突かれるのだった。
年齢に合わせてコツンをゴツンに変えられていることを知らず、痛む頭を少女は撫でる。
「ふぅ」
眼帯の下、真にどんな表情であるかは師匠にだって解らない。でも、優しげに歪んだ口元から、その想いばかりは信じられる。
この世の至極に近いだろうメロディーが繰り返し流れる中、瑠璃花は想像した。
数多の綺麗を押しのけ、天に近い位置で愛を歌う地獄の少女の姿を。そして、それはどうやら太陽の茶々によってもう直ぐのようで。
ああ、私の元を発ったばかりの百合は、もうこんな大きく羽を広げて空を往っているのだと感慨を持った。
「百合」
「なんですぅ?」
だが、また先達として少し不安にもなる。
つい見直してしまった少女の顔には一つたりとてマイナスなんてなく、あったとしてもそれは一枚の布の奥に秘められていた。
間違いなく、町田百合という少女には気負いだのそんなものをしておらず、本来ならば潰れるだろう重荷を気軽に持ち上げて飛ぼうとしている。
「お前、この曲で歌えるかい?」
けれども、改めて瑠璃花は聞いてみて思うのだ。この曲はちょっと難易度が高すぎるのではないか、と。
技巧にペース等色々と問題はある。だが、それ以前に期待が高すぎる。
あのカシマレイコの初提供。その時点で少しでも瑕疵があれば、いや期待通りだろうとその程度でしかなければ突かれるのは間違いない、百合はそんな運命にあった。
勿論、町田百合とてあの田所釉子のたった一人の教え子。
上手いかどうかでいえば、現状敵なしなほどの特徴を持った上手であった。
倍音どころではない、あり得ないを起こす愛の奇跡。それを恥ずかしげもなく歌うのだから、それは天上に近づくのは自然なこと。
とはいっても、それくらいで少女は神なる偶像の試練に勝てるのか。
それが不安で、或いは泣きそうになりながら縋るように弟子を瑠璃花は見るのだけれども。
「何言ってるですぅ?」
しかし、当の百合にはそんな不安こそが信じられない代物でしかない。
今まで、どれだけ音にならない最悪を歌ってきたか。そして、それを続けてここまで至って、今更何の過ちを恐れるべきなのだろう。
曲は確かに、効かない自分にだって良いものと理解できる。だが、それくらいで私は百合は、あの人は。
負けるものか。
「――曲に負ける歌なんて、百合は知らねぇですよぉ?」
燃えるものを心の奥に。瞳の奥に希望はなかったとしてもそれは溢れんばかりに少女が体現する。
ああ、神など地獄に要らない。でも、一つ望めるのならば。
「らぁ♬」
「っ!」
これからも、私は彼らのために歌い続けていきたかった。
そして、時殆ど経たずに、それはこの世にてMVと共にリリースされる。
簡素な服に、折れた羽。普段のゴシックロリィタファッションから遠いみすぼらしいその姿から奏でられたのは、しかし天に迫る窮極。
何より神に近い、その歌。星を落とすに相応しいその矢じりは人々の心を、強く揺らす。
一度聞いた者を、ただ一つの信から戻しかねない程のインパクトを世に与えた、二つ目の恒星の予感。
その曲名は――――涙隠した、天使の歌。
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