第二十三話 とても、幸せだ

「♪」


 目隠し少女が歌った、踊った、微笑んだ。そればかりで華やぐのは、少女の実力が上等に至っているがため。

 何もかもが見かけばかりのハリボテでもいい筈のアイドルというものの中で、つま先からてっぺんまで基礎から何までしっかりと詰まった希少な本物。

 そんな大切にしたくなって仕方ないものが、私ではなくあなたを、と本心から歌うのだから聞くもの達はたまらなかった。


「♬っ!」


 皆この生き物が地獄を抱いているとは知らない。けれども、町田百合が愛を知っているのは一度聞いただけで理解はできた。

 トークでは優しさなんて欠片も示さない偽悪が高らかに歌い上げるは天使の心。

 華奢で小さなツインテールは、二律背反を披露しながらも演じ出せばどこまでも圧倒的に善性に輝いていて。


 つまり。




「百合が、ツンデレ? ですぅ?」


 なんだか曲を世に出した途端に忙しさにわちゃわちゃとホイッパーの中のように巻き込まれた百合は、へとへと帰った久しぶりのお家にて友との電話中にそんな聞き捨てならない文句を聞いた。

 ツンデレ。時にバラにして聞いていたが、恐らくツンとデレまとまったこれは普段はツンツンしているが実は内心デレデレとしているという言葉だろうかとそこそこ地頭の良い少女は察する。

 だが、そんな評を地獄少女が飲み込めるかといえば、否であった。自己を悪性極まりない地獄の一部と信じ切っている百合は、恥ずかしげもなく歌い上げている他者愛なんて自らにないものと勘違いすらしていた。


 無論、己の内の愛を響かせ至極の音として口から発している少女にデレがないなんて、あり得ない。

 だが、どうしてそういう風に思われているのだろうと首を傾げ続ける百合は、携帯電話を摘んだその逆手にて飲料水のキャップを指先で弄っていた。

 やがて少女が戯れにプラスチックの塊を爪弾いたその際に、電話相手杉山ゆずは笑ってこう続ける。


『ふふー、皆分かっちゃってるよねー。百合ちゃんかわいーしー』

「ゆず! 百合は可愛くねぇですよぉ! それにツンデレとかいうのでもねぇですぅ」

『うんうん。そーだねー。百合ちゃんはブスブスで、悪逆非道だったねー』

「むぅ、そこまで言われるとちげーって言いたくなるですがぁ。でも、それでも可愛いとかツンデレ呼ばわりされるよかマシですぅ」

『百合ちゃん相変わらず拗らせちゃってるねー。流石はアイドル!』

「良くわかんねぇですがぁ。でも確かに百合はアイドルですよぉ……ふふ」


 疲れに少しうとうとして話しながら、しかしにこやかに自らをブスでも悪でもいいとする彼女の口は微笑んでいる。

 毎日の多くが移動で、慣れない化粧も面倒で、苦手なトークで台本破りを叱られてばかりであるが、それでも歌って踊って活きて輝けていた。

 残念ながらそれで誰かを幸せに出来ている実感までは、ない。歌の評判は良いものであると理解はしているが、それだけ。きっとまだまだ足りないのだろうと隙間にて足掻く日々である。


 だが、それでも間違いなく職業だけじゃなくて自分はアイドルを体現しているのだから。

 そのことにばかり嬉しくて少女は微笑みを続けてしまうのだ。

 なんとなくそんな真心を知っているお友達は、画面でみつめるだけであまり学校で会えなくなったことの残念を飲み込んで、こう伝える。


『そーだねー。百合ちゃんが人気になって、お友達として鼻が高いよー』

「人気……まあ、そうなんですかねぇ。ツンデレ呼ばわりとか、あんまり理解はされていないようですが、ファンはそこそこ出来たみたいで、まあ頑張らなきゃと思うですぅ」

『百合ちゃんは真面目だねー。ほどほどにすればいいのにー』

「はんっ、そんなの無理な相談ですよぉ。百合はそもそも生きているのが奇跡で、活きているのが夢であれば、なら止まらないことこそ願いでぇ……ふわぁ」


 中途半端への請願を一笑に付し、眠気にやられた百合は本音を電話先にぽろりと溢す。

 そう。そもそも生まれてからのずっとずっとの弱き有様こそが少女にとって印象深い。ダメだと踏みつけられ、憐れまれて、そして嫌われることこそ慣れていて。

 だから、またそこに戻ってしまわないように、いや戻ったとしてもまた這い上がれるようにと強くありたがる。そのための全身全霊。緊張ですらさらなる強張りで殺してしまう少女は。


 だが、友達との対話の中ではどうしたって眠くなることを隠せない。小さなお口から欠伸一つ。二件隣の犬の遠吠えすらもう耳に入らない様子でうつらうつら。

 察したゆずは、口元を緩ませながらこう問うのだった。


『……百合ちゃん、おねむ?』

「みてぇですねぇ……あんま話せなくてごめんですよぉ、ゆず」

『ふふー。いいよー』

「くぅ……」


 そして、お休みなさいという暇もなしに、寝入ってしまうこの世の踏み台だったもの。

 今は天上付近に浮いているそれがベーシックな位置にあったところで仲を深められたその幸運に、ゆずは感謝をしながら寝息を聞く。

 受け取る吐息は、安定していてそこに辛さも恍惚も何もなく、だからそれこそを良かったと彼女は認める。


『私が百合ちゃんの安心になれたなら、それでいいのー』


 そしてゆずは電話を切るちょっと前に、そんな届かぬ本音をすやすやな百合に伝えたのだった。




 やがてコウモリのバタつきすら忘れるくらいに夜は更け、百合の小さな体をそっとベッドの上に安堵したその軽い心地すら忘れかけた頃に、町田家の一回リビングにて父親は一枚の手紙に眉根を寄せる。

 一方的に絶縁をされた筈の、でも確かに血の繋がりのある男親。そんな相手から届いた、最低な言葉の連なりにだから開けたくなかったのだと思いながら、百合の父は隣で一緒に目を通していた妻にこう述べる。


「はぁ……お父さんには本当に呆れ果てるな……ごめん」

「いいのよ、あなた。だって、お義父さん、お義母さんが亡くなったことを百合の誕生のせいだとこじつけちゃってるでしょ? そうなったら……あの子の幸せだってきっと応援できないのでしょうね」

「でも自分の孫が夢を叶えた姿に、あんなものを目立たせるんじゃない、と言う人が親なんて……とは思うよ」

「そうね……でも、そんな人にだって一度は会ってみたいと百合は言っていたわ」

「そうだね……じーじへ、って書いたあの子の手紙の返事は一度も来ることはなかったけれども、それでも百合は忘れたがる祖父を忘れないんだよね……」


 じーじへ。決まったそんなパターンから続いた文の数は百を軽く超えている。

 きっと焚かれるか棄てられるかされているだろうことに気づいていながら、返事のないことをすら希望として見知らぬ祖父へ百合は愛を届けたがった。


 一度、父はその中身を覗いたことがある。

 それは、偶に糊で封じられていなかったがために溢れたもの。便箋にはまだ幼く弱すぎたために下手な文字で、でも懸命にも多くの文字が綴られていた。

 そして、締めの言葉に彼は思わず胸を押さえるくらいに、辛く感じてしまう。

 なにせ、そこに書かれていたのは、生まれてきてごめんなさい、でも何時かあなたの自慢の孫になってみせます、というものだったから。


 わからず屋は、きっとその一片すら目にしていない。だが、それでも変わらない心なんてなく、たとえ地獄を知っていようとも愛せないない筈がない。

 そう信じる夫婦は眉をひそめ、互いに増えたシワに重ねた年を思いながら夜に語る。


「僕と同じでテレビを見る習慣というものがない人だから、きっと百合の姿どころか歌も聞いたこともないのだろうけれど……」

「きっと、一度耳にしたら心も変わるでしょうにね」

「ああ……それは、間違いないんだ」


 父親は、贔屓だけでなく本心から頷く。

 両親は、それこそ百合というか弱き生き物が攀じり続けることで、空へと至ったそのあんまりなまでの大変さを知っていた。

 また、それだけでなく天使の如くに高位に至ったそのアイドルとしての素晴らしさだって、よくよく。


 あの子は決して上手いのではない。だが、それでも愛しているから燃えていて、だからこそ誰にも真似できない程に心を歌えている。


「まあ、知らない人たちから百合について聞かれるのは面倒だけれど……」


 それが、爆発的なヒットに、この家どころか実家にまで及んだ数多の取材者とお付きのカメラマンの姿などに現れていた。

 新人アイドルから、新星として四天王入りすら早くも検討されているという、そんな無茶苦茶なまでの共感を生んだのは我が娘の努力の花があまりに綺麗だから。

 そのために、どこもかしこも大騒ぎで、時に仕事場にまで押し寄せるマスコミの対処には本当に面倒の一言だが。


「それでも、百合が皆に愛されていると思うと、幸せね」

「そうだな……とても、幸せだよ」


 父母はそう結論づけざるを得なかった。だって、娘の幸せは私達の幸せで、そうあってくれることこそ嬉しいのだと、二人は微笑む。

 だから、彼らは悩ましい今を迎合し、明日もねぼすけ少女のために、早めに時計のベルにて起床するのだろう。




 少女が産まれたあの日、本当は彼らには迷いがあった。

 瞳の奥の地獄、それは喜びを腐らせ、愛すら汚すに相応しい穢らわしさがあって、そもそも力のない全体が絶望的だった。

 これを生かして良いのだろうか。これを殺して、自分たちも死んだほうが何もかものためであるのは間違いなくって、可愛いと喜べるのは到底無理なことだけれど、でも。


「可愛そうな、子」

「ぎゃ?」


 でも震える手で作った輪っかも、決して閉じられることはなかったのだ。

 なぜなら、どうしたところでこの子は地獄の蓋でしかなく、付属している人間部分があまりに余計だったのだけれども、とはいえ赤子の形をしてはいて。


 少女が生きるためにと伸ばした手の小さなぱーは、確かに温もりを帯びていたのだから。


「なら、幸せに、しよう」

「そうね」


 だから、両親の愛は死なずに、終わったはずの希望はまた夢として浮かび上がる。

 認め難い地獄は消えない、でもそれでも。


 子を愛さない親はそこになかったのだった。




 カシマレイコの後継。そんな風にかかる期待を乗り越えた。

 それだけで今町田百合はとんでもない価値を秘めた商品としてあちこちで話題になっている。


 それは百合が所属しているオーキッドプロダクションでも当然のように。

 また彼女と仲を良くしていた先輩アイドルたちは鼻を高くしながらも、忙しなく動き出した周囲にあっけにとれれつつ、こう評すしかないのだった。


「いやーヤバいや。ユリちゃんってホント凄いねー!」

「稲……いや、確かにちょっとこの人気ぶりは……なぁ」

「百合ぴょん、トレンド、どこでも1位になってるぴょん! なんか、ついでみたいにオーキッドのみんなの名前も挙がってるのがふくざつだにゃぁ……」


 高遠稲に、轟初に、笹瀬マナリカ。オーキッドプロダクションアイドル部門が擁する三名の綺羅星達は、今仕事合間にネットサーフィン。

 そうすればするほど、出てくる後輩の名前ににこにこにと勝手になっていくのが、彼女たちにも不思議だった。


 最初は何かやけに悪役ムーブをしてくる困ったちゃんだったから好きになれなかったが、後に脅かしてやろうと隠れて追っかけた少女の帰路にて優しく人助けしている姿が判明。

 そうしてからよく見ると、明らかにこの子ツンデレだなと気付き、つまり反発力のためちょっと抱きつきがいがある可愛い子だと皆が認識するのは早かった。


 やがて慣れて、皆がその実力に将来を楽しみにしていたら、そのバラ色があっという間にやって来て、周囲ごと埋もれる今がある。

 更なる百合への期待に巻き込まれて、困った。だが、二人組と違ってベテランの稲にはまだ余裕がある。彼女は両手を上げて、意気と言葉をあげるのだった。


「でもまあ、どんな形でもあたし達も折角注目されてるんだから、がんばんないとー」

「いや、稲はいいがオレ、結構な批評されぶりだぞ……流石に、落ち込む」

「百合ぴょんと比べられたら、流石に私達も霞むにゃあ……」


 だが初を筆頭に、後輩の実力とのあまりの差異に落ち込んでしまうのは仕方ないこと。

 一芸を持って天蓋に食らいつく、筆頭。

 そんなものに、良く見る液晶画面の賑やかし程度でしかない彼女らがどう手を伸ばせば良いというのだろう。

 迷う、幼さ。だが、この中で一番に若い、だが業界最長の彼女は諦めずに及び腰な二人組みに問いただす。


「けど、あたし達だって、このままじゃ終われないでしょ?」

「当然だ! 百合にだけ負わして、ハイさよならとかカッコ悪いことできるかっての!」

「だにゃー……そもそも、百合ぴょんはこのくらいの試練、とっくに何度も越えてるとか聞いてるにょー?」

「あー。そもそも弱々だったらしいねー。嫌われっ子だったらしいし……もっとあたし達が早く会えたら守ってあげられたんだけどなー」

「……だな」

「にゃあ」


 アイドルだって、決して物知らずの馬鹿ではない。

 噂を人に聞いたり、情報を求めたりくらいは当然にする。

 愛すべき後輩を知りたいと集めたその中で、思いの外見当たったのは悪意。

 どうしてこんなに勘違いされているのかと首を傾げざるを得ないくらいの、その嫌われっぷり。或いはそれは百合がひた隠しにしている瞳の奥にあるのかもしれないが、それがどうした。


 あの子は殴られた、足をかけられた、踏みつけられた。それでも、こうして誰より高みに立っている。

 そんなことを聞いただけでも発奮するものがあるというのに、近い位置でこれから助けることだってできる場所にあるというのに、怖じけづいてどうする。


 何も出来なかった先輩たちは、悔しかったからこそ、こう結論づける。


「ま、じゃあこれからがんばるってことにしよーよ」

「そうだな……負けて……仕方ないが、画面外に行かされて何もできなくなるのはオレもごめんだぜ!」

「初がやるなら、あちしもちょっとやってやるぴょんよ?」


 応じ、合わさる手と手。

 頑張ろうを合言葉に、先輩たちは何も分かっていない後輩のためにと気合を入れる。


 勿論、届かないとは知っていて、無理な無理とは彼女らも分かっていた。



「せんぱい……」


 だが、たとえ彼女らの懸命が微力であっても、無意味でなければむしろ少女を優しく包む意味となって。


「私も、頑張るですぅ!」


 故に地獄の少女は今日も燃え盛るのだった。

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