第十六話 世界を変えちゃうかも

 高遠稲は、芸能事務所として老舗の域に入っている中堅どころ、オーキッドプロダクションのアイドルである。

 子役として事務所入りしてから、カシマレイコに憧れてアイドルの道へ進んだ彼女。

 今は亡きお婆ちゃんから貰った名前に芸名を被せることなく大切にしている稲は、オーキッドプロダクションのアイドルの中では芸歴は古参でありながら年は一番若いという中々曖昧な立ち位置にしばらく居た。

 年下としてお姉ちゃんアイドル達に可愛がられているけれども、必要であれば芸能界に浸ったそこそこの期間で学んだ見識でびしりと年上を注意したりするような日々。

 そんな、なんか自分でもアンバランスな感じだと思っていた毎日が変わったのは、数週間前のことだった。



「うむむー……」


 子役の頃から変わらない幼く甘い顔立ちに、おかっぱにほど近いボブカットがよく似合っている稲。何時もは脳天気なにこにこ顔がお得意の彼女も、しかし今は悩みに渋面。

 どうしたらいいのか、それがよく分からずに彼女はテレビ収録本番前の控え室にて首を傾げているのだった。 


「……どうしたの、稲?」


 当然、そんな担当の悩みを放置するマネージャーはそうはいない。

 また稲を長年支えてきた、最近お肌曲がり角を気にしている31歳相馬麗美は彼女の調子を把握するのに敏だ。これほど判りやすい私困ってますサインを出されて、聞き返さないほど阿呆ではない。


 とはいえ、それがバカでも予想できる繰り返しのお悩みであったなら、聞くに面倒になるのも当然か。

 麗美の問いかけはどうしても雑なものになった。


「んー……レミ、気のない問いかけ! でもねー。あたし、やっぱりユリちゃんのこと、気になっちゃって……今日は宣材撮るとか聞いてるけど大丈夫かな、とかさー」

「新人の子、ね……はぁ。最近稲はそればっかりね」

「そう? でも、そうなっちゃうのも仕方ないよねー。ユリちゃん、かんわいいもの!」

「そう、ねえ……」


 麗美はやれやれと思うそんな気持ちを隠すのが大変である。

 そう、稲は最近出来た後輩であるところの町田百合をこの方気にしてばかりだったのだ。

 偉ぶっても何の問題もない、年下の新人さん。そんな待望していたものをようやく与えられた彼女が嵌まってしまうのはまあ、無理がないかもしれない。

 今も元気かな、とかつんつんしなきゃいいのにね、とか呟きながら百面相。本番前の緊張なんて今の稲には欠片も見当たらないのだった。

 今も、百合よりは大ぶりの、でも世間的に見たらちんまい稲は機嫌良く脚をぷらぷら遊ばせている。思わず、麗美は注意をするのだった。


「あのね、稲? 幾らこの……だんだんバラエティに出るのは3回目とはいえ、お仕事なんだから、もうちょっと真剣に向き合っても……」

「むぅ。レミに言われなくてもそんなの分かってるよー。だんバラ司会の団市さんとはお友達だけど、仕事は仕事。はじまったらしっかりするよ!」

「だといいんだけど……」


 自信満々に、邪魔で動きにくくなっちゃったと本人には不評の不相応に大きな胸を張る稲。

 だが、トーク上手で出演者の大勢と既知であり、テレビ出演慣れしきっている彼女とはいえ、バラエティ番組でミスするときだって偶にはある。

 勿論、編集されてお茶の間に届けられる段取りの中にてやらかしの不安はあまりないことは確かであるが、それでも漫ろな仕事をされるのはマネージャー的に勘弁だった。

 一応麗美は釘を刺そうと口を開こうとして。


「あ、そうだ! 良いこと思いついたよ!」

「何か嫌な予感がするけれど……なあに?」

「それはねー……」


 ぱっと元気になった担当の勢いに再び押される。老若男女に愛された満面の笑みには、深いえくぼが目立つ。

 さて、この子はどうにも子供から脱却してくれない。

 稲のソロとして活動させるしかなかった程の危なっかしさ。それがまた今も顔を出したような気がして内心戦々恐々とする麗美だったが、案の定彼女は妙なことを言い出した。


「最近気になってる人って質問に、さっき挨拶した海外アイドルの……えっと、リザちゃんって答える予定だった筈だけど、あたし止める!」

「ええ……段取り変わっちゃうよ……本番もうすぐなんだけど」

「そこは、レミが謝っといて! それでねー。気になってる子はやっぱりユリちゃんだから、それをあたし答えるんだー」

「……困ったわね」


 麗美は頭を抱えたくなる気持ちを抑えて、溜息も堪える。

 出演するのが面白おかしくトークを交えるバラエティ番組とはいえ、実のところそうそう自由はきかないもの。

 番組プロデューサーが用意した台本には、今後精力的に売り出したいのだろう海外からわざわざアイドル大国日本に挑みに来たリザ・エバンスとの絡みとしての質問もしっかり用意されていた。

 それを無視して、勝手をするのは幾ら人気者の稲だからって笑って許されることではないはずなのだが。


「でも、稲ならなんとかなっちゃいそうなのよね……」

「そーそー! だいじょーぶだよっ」


 欲目ではなく、そう思えてしまう稚気の塊のような高校生一年生は、安心させるために両手でVサインを向けてくる。

 その後ちょきちょきー、とか言い出しカニの真似をし始めるところといい、実に阿呆らしい子としか思えないのだが、それでもこの生き物の本質はそんな言動ばかりでは計れないところにあるとマネージャーはよく知っている。


「だってさー」


 何せ、高遠稲はカシマレイコというバケモノのせいで歪みに歪んだ芸能界を、幼少期から笑顔で楽しんでいる殆ど唯一と言っても良いだろう傑物。

 さあ、そのユーモラスな歪みの奥には何がある。それを知りたくって側仕えを続けている麗美は今日もふざけた様子の稲の言葉に確信をかぎ取って。


「ユリちゃんは、リザちゃんなんて目じゃないくらい強いもの」

「そう……」

「あの子、ひょっとしたら世界を変えちゃうかもよ?」


 そう、あくまで笑顔で続ける稲。カシマレイコという前例を思えば、それはとても笑い飛ばせる言葉ではないのだが、あくまで冗句として彼女は未来を見つめて。


「分かったわ。そんな子、貴女が無視できるわけないわよね」

「そー」


 地獄を予期して、天国の到来を願っていても、天使は優雅。

 ああ、たとえこの世が滅びようとも決して余裕を崩すことはないのだろうと、改めて麗美は思ったのだった。



 心には硬さではなく柔軟さの方が必要だろうと町田百合は思う。加工叶わぬ宝石より、柔軟なバネの方がよほど便利だから。

 だがしかし、それは本当に思っているだけだ。彼女は絶対に、己のカチカチな心根が変わることはないと知っている。


 それはモース硬度で測るだけではない極端な靭性までを持った、もう二度と割れることのない金剛石。

 だからもう、彼女は間違いなく間違えなく、だからこそ間違っている。百合はそんな地獄の温度に磨かれた希石の乙女。


「らぁ♪」


 胸の高まる熱量とともに上達留まることを知らない少女の歌は、既にどこまでも目指した孤星に似通っている。

 時代遅れの音に、でも載った感情は最新。聞くものの心を揺らがす前に、そもそも溢れんばかりの愛に彼女は茹だっていて。


 ただの響きに籠もった生命は、どこまでも歌の価値を上げていた。


「いやあ、ヤバいな百合は」

「そうねぇ、百合ぴょんって凄まじいにゃあ」


 それはレッスンでもない、暇な時間の自主トレの際に百合が発したとんでもない歌声。

 休憩室にまで粘着することでそれを聞き取った二人、アイドルグループ名ツインハートの轟初(うい)に笹瀬マナリカは敗北感を通り越していたく感動していた。


「何いってんですぅ? こん程度で褒められちゃ、百合調子乗っちゃうですよぉ。もっとセンパイらしく、こき下ろすのがフツーじゃないですぅ?」


 白黒凸凹二人組の感想を、だが振り向く自らの羽化を知らない百合は理解できない。決意だけで変わる音もある。

 天才を超えた努力の異常さを知らず、ちょこんとテールと首をかしげる百合に、仲良しな彼女らは笑顔で本音を告げるのだった。


「オレもそこそこ上手いけどさ、こんな馬鹿げたレベルじゃない」

「だねぃ。百合ぴょん、ちょっとアイドルとっこしてないかな? もっとこう、ヘタウマでも可愛いいのにょ?」

「ふん、下手でいいこたねぇですぅ。そもそも、私は可愛い路線で売ってくつもりもないですしぃ……ってわっ!」

「もったいないにゃあ! こんなに愛らしいリアルツンデレさん、本来なら、もっと安売りするにゃよー」

「っ! ああそんなにくっつくなですぅ! それに百合はツンデレじゃないですぅ。もっと詐欺師的な何かですよぉ」

「初対面のオレらにツンツンしてる裏で初対面の杖つきばあちゃんの手ぇ引いて横断歩道渡るなんてあざといことしといて、何が詐欺師だっての。百合、お前の善人っぷりはお見通し済みだ!」

「くっ、勘違いヤローどもの相手は面倒ですねぇっ!」


 ひねくれ者の百合は、褒め攻撃こそを苦手として逃げ回ろうとするが、それは追いかけっこからも口撃からも無理なこと。

 だが小さな小さな彼女は、撫で撫でふにふに、白黒二人にもみくちゃにされながらも違うですぅと続ける。これには、初もマナリカも苦笑いだった。


「にゃはは……困った子にゃあ。どんだけのことがあれば心の鏡がこんなに歪むにょ?」

「だよなぁ。世界で一番可愛いのは鏡に聞かなくたって、百合だってのに」

「だからぁ……もうっ、センパイ達はどうしてこんなに百合に構うですよぉ!」


 笑顔二つの下で、愛らしい生き物がぷんぷん。あまりに小さな捻ねは、しかし笑窪よりも傷にならずにむしろどこまでも痛々しい刺激となる。

 目隠し少女のその意味を、実のところ半信半疑で初もマナリカも彼女のマネージャーから聞いていた。だが、しかし実際見てみれば、なんと聞きしに勝るなんとやら。


 ああ、こんな少女が地獄からこの世の全てを守っているとは、とても思えないじゃないか。でも、それはきっと事実であって。


「だって、そりゃなあ」

「にゃあ」


 地獄なんて見たこともない、知りたくもなかった彼女らは、でもそこそこの年齢で諦めを知ってからはそれこそを恐れていて、でも。

 死後天国行き間違いなしなこの少女を見ていたら、そんなことはあまりに馬鹿らしくなってしまう。

 ああ、この世はあの世のための助走の場であるならば、決して町田百合という地獄の蓋をこそ貶したくないと思うのだ。

 何せ。


「オレたちは先輩の前に」

「百合ぴょんの」

「ファンだから」

「にゃあ」


 ああ、どうして私達は瞳をすら覗けない、いけずな女の子に惹かれている。

 それは、どこまでもこの子がきっと私達が成れなかった成りたいものに酷似していて、どこまでもアイドル的だったから。


「はぁ……アイドルってのは、狂ったやつばっかりなんですかねぇ?」


 だが真白の裏側、真黒の綺麗をどこまでも純に晒す地獄の少女は、不通にただ悪ぶりながら首を傾げるのだった。


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