第二章 空をめざす

第十五話 知らないのですぅ


 それは、ただ映るだけで世界を墜とせたというのに、彼女はあまつさえ歌って舞って、終いに笑んだ。

 やがて世界は、彼女のために凝った。

 そう、彼女こそとびきりのアイドルという偶像。


 偶像を計るには、持つ権能を見ればいいのだろうが、生きとし生けるものにその美を意識させるカシマレイコは正しく神に匹敵していた。

 世界に唯一をもたらす彼女は、まるで愛のようにこの世を輝かす。暗闇などこの世に無いよねと、笑顔を作って。


【夢は、叶うよ♪】


 カシマレイコ。とある世界の呪いの名前は、この世界では祝いの名前とすらなっていた。


「なんですぅ、こいつはぁ」


 だが、地獄に神はない。いや、もしそこに居たところで心あるならばきっと薪どもの自業故の惨状からは目を背け続けているだろう。

 つまり、地獄の炎に磨かれた町田百合の瞳には神など見知らぬその他。むしろ助けにならないただの張りぼてに似た存在なんて、最早人間としても失格で。

 故に、百合はテレビに流れていたカシマレイコの姿をはじめて見て、こう断言せざるを得なかったのだ。


「ただのババァじゃないですかぁ」


 ああ、確かにアレは美しいだろう、綺麗だろう、眩いだろう、認めないのはきっと壊れているのだろうけれども。

 少女の体をした彼女は画面の向こうで紙より軽やかに一つ舞い、そしてお辞儀の代わりに笑顔で婀娜を見せて愛を誘う。そんなこんなの全てが地獄の蓋には浅薄に思えてならない。

 美しさなんてものは、こんな技術や見目ばかりではないはずだ。だって、そんなミリで測るばかりの程度で終わってしまえば、その奥の心はどうなる。この胸の深くに滾る愛は決してなかったことにはしたくなくって、その表現こそが全てなら。


「アイドルは、あんな薄っぺらじゃないですよぉ」


 だから彼女はトップオブトップにばってんをつけた。

 夢見る少女は普遍の美に惑わされることなく、だからこそ幼い頃から百合は万年アイドルという妖怪の正体ばかりを望めていたのかも知れない。



 それは、百合が事務所、オーキッドプロダクションのビルの高さに慣れ始めてきょろきょろを卒業した頃合い。

 未だ世間に発表されていないアイドル直前な花の少女は、先輩アイドル等との顔合わせ等で問題を起こしたりもしたが、それも既に彼女がいい子バレしたために沈静化済み。

 むしろ、ちっこくて可愛いと愛してくる諸先輩方から逃げ隠れをするのが得意になっていることに憤慨を覚えている百合である。


 さて今は、オーキッドプロダクションが都内に間借りしているフロアの片隅、面談室と呼ばれているそこにマネージャーとアイドルの雛が向かい合って、お話し中。


「ふぅ……」

「ですぅ」


 百合のアイドルとしての方向性に関する意見のすり合わせや、またグループに所属する気持ちなどを聞いてから、中井裕太はひとつ息を吐いてから社長の趣味らしい分厚い高価そうな湯呑みから茶を一口いただく。

 この淡い渋みすら慣れない自分はまだ子供なのだろうなと彼は思いながら、もっと小さなしかしお茶の熱さも苦味だって好んでいるようである我がアイドルを見つめる。

 ふかふかソファに安堵している町田百合は、どう贔屓目に見たところで未だ可愛らしい存在でしかなかった。これがどう成長して羽を広げて飛んでいくかはとても楽しみであるが、何もマネジメントせずいたずらに迷わせるつもり裕太にはない。

 皆を幸せにしたいとは、聞いた。だが、そのための具体はこれまで聞いてこなかったなと思い、今更だがと頬をかきながらお茶請けのクッキーをカリと齧っている目隠し少女に彼は訊いてみる。


「そういや、百合ちゃん。君には目標とかあるのかい? 勿論君には最終的に天辺を獲って貰うつもりだけれど、こうなりたい、っていう漠然なものがあったら聞いておきたいな」

「そうですねぇ……してんのーの、特に鹿子(かこ)はライバルになりそうな気がするですぅ。何せ、ゴスロリ同士ですからねぇ」

「あー……あの子はちょっとパンク入ってるような感じだけど、服装の系統は百合ちゃんと被ってるかもね……まあ、性格全然違うから、大丈夫な気もするけれど」

「性格、ってのならそれこそしてんのーの、ココロミチルとか百合と似てる気がするですよぉ。あいつ、絶対に負けん気つえーですぅ」

「んー……あの寡黙で売ってるミチルさんがねぇ……まあ、参考にしておこうか」

「ですぅ。あいつきっとヤバいですよぉ」


 うんうんと自分の言葉に頷く百合を見ながら、裕太は苦笑い。

 アイドル界にいつの間にか出来た序列の最上位クラスであるアイドル四天王。カシマレイコという女王直下の彼女らを雛の状態で既に意識している彼女は頼もしくも夢見がちであるとは思う。


 そう、四天王の一員、ビジュアルと歌唱を自分の色に染めて極めている鹿子、カメラを好まずミステリアスにも本音を隠しながらも情を誰よりも上手に歌い上げるココロミチル等は、それこそ雲の上。

 オーキッドプロダクションですら霞むほど大手プロダクションに所属して切磋琢磨している彼女らは、本来見つめるのを躊躇うレベルで眩しいだろうに。

 それでも、直視しそれと戦うことを望んでいるとは、本当にこの子はいばらの道を進みだがるなと裕太は思う。だが、このマゾヒズムすら超越して自分を虐めてその繊細な心を奮い立たせたがる百合の心根を思うと、それでも足りないのではと感じなくもない。


 ひょっとして、この子は本音を隠しているのではと考えた裕太は、こう問う。


「しかし、意識している相手に直ぐあのトップアイドル四天王を二人も挙げてくるあたり、百合ちゃんも流石だね……でも、それなら更に上、トップオブトップのカシマレイコに関しては……どう思ってたりする?」


 つい、ごくりと緊張に男の喉は鳴る。

 本当に、アレと戦う気が僅かにでもあるならば、大変だ。並び立つどころか眼下に至った人間ですらあの超天才、アイドル名YOUこと田所釉子その人のみ。

 これまで何万人も膝をつくどころかその頂上を越えた天元から目を逸らしていたのだ。常に絶頂のバケモノ、カシマレイコ。

 百合にはそこに至って欲しいが、でもイカロスのように翼を失い墜ちてしまうのは望ましくなく。思わず先に日本茶を飲んだ際よりも苦渋を面に表した裕太だったが。


「どーでも良いですねぇ、あんなの」

「えぇっ?」


 しかし、百合の反応はあまりに淡泊なものだった。

 まるでそれが眼中にないかのような、自然。だが、昼空に太陽を見ていないことなんて不自然にも程があった。

 なにせ、あの輝きは嫌いだろうが何だろうが魅せられる強制。呪いのような祝いを植え付ける、どうしようもないものであるはずなのに。


 でも、空に太陽があることほど不自然でしかない地獄の天辺は、胸の奥に愛の熱を燃やしながら。


「百合には、どーしてもアレがトップには思えないですよぉ」


 この世のほとんど全てから否定されるだろう文句をほざくのだった。



「ふへぇ……ユータ、どうして百合にお化粧させたですぅ? 答えによってはただじゃおかないですよぉ?」

「今日は、宣材を撮ろうか」


 マネージャーにとっては金輪際忘れられないだろうそんなこんながあった翌々日。

 そろそろ牛歩であった百合をアイドルとして進めていく計画を加速させていこうと、裕太はここのところ励んでいた。

 それは今日成就し、昨今大忙しであるプロカメラマンの予定を合わせ、事務所アイドルたちの手によりもみくちゃにされていた百合を拾い、近くのスタジオまで車で引き連れメイク部屋に、ぽい。

 ですぅー、との悲鳴を扉の向こうで聞き流し、やがて出てきた平素より上等なゴスロリ衣装を纏い爪の先の照りまで綺麗におめかしをされた彼女の愛らしい野苺色の唇から吐かれた言葉をすら無視し、彼はそんなことを言った。

 いつものお得意な報連相はどうしたという文句を告げる前に、宣材という言葉を取り違え、首を傾げる。ツインの尾っぽのシーソーを失敗したかような彼女の目隠しの奥の恐ろしいものを忘れ、裕太は小さく笑んだ。


「洗剤ですぅ? でも取るって……ユータ、何かくじでも貰ったですかぁ?」

「いや、宣伝素材のことだよ。略して宣材。百合ちゃんには是非ファンのためにも綺麗に写真に映って貰いたくてさ」

「……むむむ、写真は苦手ですが、ファンのためってのなら仕方ねぇですねぇ」

「ひょっとして……魅せ方のイロハ、教わってない?」

「エムワイトレーニングセンターを舐めるなですよぉ。全部教わった上で、百合は苦手にしてるってだけですぅ」


 魅せるなんて、基本。ダンスでも歌唱でも全ての下地としてカメラという一点に対する美点の表し方は自ずと学ぶもの。

 そして、トップアイドルであった与田瑠璃花がその程度すら教えることも出来ない訳もない。

 才のなさと縁からとはいえ目をかけて貰っていた百合は、ぶりっ子や格好つけることなんて得意である。

 手を使い、表情を用いて髪の一本すら表現の一つとする。それを意識し続けた彼女は、なかなかだねとおししょーにお墨付きは貰っていた。


 だが、それでも満点をもらえなかった不満がある。でも、それだって仕方がないのだと百合は自らの目の周囲を覆う幕に指先を這わすのだった。


「だって、眼帯なんてしてたら視線なんてものあげられないですからぁ」

「そっか……」


 勿論、裕太もそれを忘れていたという訳ではない。

 目が隠れているというのは、個性ではある。だが、普遍的ではないだろう。瞳を決して晒すことの出来ないというそれが、ハンデになるというのは当たり前。

 だが、それを持ってして百合という少女はここまで上がってきたのだ。だから何を気にすることもなく、ただ事実として弱みを理解しながら、こう言い張るのだった。


「でも、とっときは最後にするのが当たり前ですから、これくらいのハンデなんて百合的にはありですぅ」

「そっか……頑張ろう」

「ですぅ」


 頷きは、どこか小さく。

 弱いことが当たり前だった少女には、飛ぶために広げた羽根すら小ぶり。

 でも。


「負けないですよぉ」


 彼女の目指す先は、太陽の向こうだった。



「失礼します」


 その後彼彼女らが待った時間は、わずか。

 予定時刻の5分前にやってきた彼女は、百戦錬磨の雰囲気をすら携えながら、折り目正しく名刺を配った。


「貴女がこれから羽ばたくアイドルちゃんね。わたしは酒匂夏衣(かい)。よろしくお願いします」

「百合は、町田百合ですぅ。よろしくですぅ」


 先にマネージャー、次にと夏衣は百合と名刺交換。

 出来立てだろうその一枚を確認してから彼女は名刺入れに仕舞い、改めて百合という少女の全貌を望む。

 まず、見目はいい。均整の取れた体躯は少し小さめだが、その分可愛らしさが際立つ。特に健康的な唇は果実のごとくにぷるんとしていて良く目立った。

 しかし、どこも悪くないからこそ、隠している部位が気にもなる。思わず、夏衣は百合に問った。


「……それ、外さないの?」

「眼帯ですかぁ? ええ。百合はこれ込みで売っていくつもりですからねぇ。めんどーかもですが、どうかこのままパシャパシャよろしくですよぉ」

「そう」


 外さない。まあ、それでも十分アイドル的なのは何人ものとびきりをファインダー越しで認めてきた彼女には理解できる。

 とはいえ、この百合という少女にはそんな眼帯アイドルなんて色物じゃなくてもいけそうな雰囲気がある。

 だが、夏衣は勿体ないとは言わなかった。どんな悪路だろうとそれこそ彼女の進む道。

 もう、少女は選んだのだ。だから、涙だって価値が出るのだと、そう理解しながら彼女はスタジオにて静かに照明などの確認を始めるのだった。



 パシャ、パシャという昔ながらのカメラの音色。

 瞬きを気にしないでいい客はありがたいと思いながら、夏衣は頭頂のベレー帽を撫でながら思わず感嘆の声を漏らす。


「いいわね」

「ですぅ?」


 良い。そう言われ慣れていない百合はポーズを変えながら首をこてん。

 そんなところにすら彼女の喜色と良さを感じた夏衣は、当然一枚ぱしゃり。そうしてから、続きを語るのだった。


「だって、貴女今、本当に幸せでしょう?」

「そりゃそーですよぉ。念願のアイドルになって、これから活躍する未来が待ってるんですぅ。それで、幸せな気持ちで笑顔にならないはずないですよぉ!」

「うん。そう、あるべきなんだろうね」

「違うですぅ?」


 疑問に尖った柔らかな唇。もの言いたげなそれを彼女は撮影。

 そして、夏衣は思う。これまで、はじまりの一歩を重みによって台無しにした大勢の可能性たちの哀しみを。

 あれらは哀れであった。だがしかし、これはどうしたところで喜びの塊でしかない。それが理解できず、ついついベテランは輝きへの嫉妬を隠しながら呟くように続けていく。


「まあ、意外とね。女の子ってやっぱり花だから、光に萎れることだってあるのよ。緊張で笑顔が硬くなるってのもありがち」

「へぇ……そんなもんですかねぇ」

「貴女は……」


 新情報に驚く乙女の顔をすら逃さず、一撮。どこまで自然体でしかない、そんな少女は緊張に慣れている夏衣だからこそ、不思議。

 シャッターを切り続ける彼女はファインダーから百合という本質を見て取りたくって、だから問わずにはいられなかった。


「怖くないの?」

「怖いって……そんなのぉ」


 それは、愚問。

 その答えなんて、本人たる百合どころか、腕を組みながら見守っているマネージャーにすら返せるもの。

 これまでになく力を緩めて、笑みをまず返した彼女。そして、撮れた驚きの一枚に、夏衣は。


「百合は百合以上に怖いもの、知らないのですぅ」


 トップアイドルに届くだろうその片鱗を見た。

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