番外話④ バレンタインデーそのよん
「ふへぇ……意味分かんねぇですぅ……」
一日終わり、歩む目隠し少女は懊悩に首を傾げる。
毎年周ってくるバレンタインデーというものは、これまで町田百合の心を動かすのに足る一日にはなっていなかった。
そう、たとえ自分の作ったケーキを踏みつけられようが、チョコ代わりに上履きに画鋲たっぷり入れられようが、そんなこと目の中に映り続ける地獄と比べたら大したものではなさ過ぎるから。
性格的にキレ散らかすことは当然だが、それだけ。
だから、当たり前のように今日はもし悪くなくとも普通一般、どきどきわくわくなんてないそんな星印要らずの一日になると思っていた。
だが、それは異なり面白おかしく、更に際になって濃厚接触が一つ。
今も温といような気がする桃の唇をひとつ撫でつけてから、百合は呟いた。
「どーせーでキ、キスなんて……友実ったらなんだったんでしょーねぇ……それに、咲希も逃げちゃったし……なんだかふわふわするですぅ」
遠野咲希に、吉野友実。彼女らは、百合にとってはライバルであり尊敬する一人でもあった。
断崖絶壁の無才であるからこそ、目標は幾らでもあっていいと、そんな風につんつんしながら百合は親交を深めたつもりである。
だが、それがどうして今夜のキスに繋がったかは鈍感な彼女にはよく分からないし、百合たちのそれを見て逃げた美咲に関しては、そういうの嫌いなのかも、とだけ考えるばかり。
他人からの愛情に慣れていない百合は、だからその意味も価値も今ひとつよく分からなかった。
「にしても、友実ったら、最後に続きはまた後でとかぬかしてましたがぁ……いや、普通にどーせーとキス以上とかナシですぅ……やっぱり、からかいだったんですかねぇ」
人権という文句が流行りの昨今、当たり前のようにアイドルグループの女子同士男子同士がお付き合いを報告しているのは、偶に聞く。
だが少女は先輩のアブノーマルを信じ切れず、だからからかわれたのかもしれない、と百合は思い始める。
だとしたら業腹だと思い、眼帯の後ろで少女はぷんぷん。お家に帰るための脚を早めるのだった。
でも、そんな強ばりが永遠であるはずもなく、光と光の間の途中でぽつりと、彼女は呟いた。
「……よく分かんないこと、しねぇで欲しかったですぅ」
ああ、生きるのが痛いばかりで罰ばかり映る瞳を持って悼みを思ってばかりの少女に、生きとし生けるものたちの向ける恋はここまで遠く、映らない。
見上げてばかり、つまりは全てを上にしている少女に、恋しいほどの乞いなんて理解できないのだった。
ああ、だって。
「みんな、百合なんかには勿体ねぇですから」
そんな言葉が全てを恋し愛する少女の全てだったから。
恋は闇。
たとえそれが本当だとしても、現実の暗がりと比べてそれはどうにも熱を持ちすぎていると百合は思う。
強き風一つ吹けば、凍えを感じさせる二月中頃の街灯の合間。肌寒く冷えた夜に、ただ瞳の奥の炎ばかりが熱い。
口を開けば、廃熱は白となり立ち上って闇に消えゆく。
体温高めのマフラー要らずの百合とはいえ、こんな冬に寒いと思うのは当たり前。
かじかむ指を摩りながら、少女はぼっちな当たり前の帰り道を往くのだった。
「もうちょっとでお家ですぅ……でも、アイドルになったら、こんなぼっちな時間も減るんですかねぇ?」
そう口走りながら、百合は首を傾げる。
契約などの際にマネージャになる中井裕太から色々と教えて貰ったが、自分の通学の際に送迎自動車等が用いられるとは聞いていない。
しかし何となく、友実の例からして運転手さんに毎日挨拶してから学校に送り迎えしてもらうことを想像して、少女は嫌気に夜空に舌を出した。
「トクベツ扱いなんて、して欲しくないですがぁ……でも、商品の保全は企業的にも大事かもですぅ……面倒ですねぇ」
自らの足で、一歩一歩進むことが百合の好み。荒れ地を歩むことこそ楽しく、整地や道路なんて嫌いだ。
そう、踏まれ慣れた少女は、大事にされるかもしれない事態すら歓迎しない。
「優しく包まれるなんて似合わないこと、他の奴らにぶん投げたいですぅ……」
不幸であることこそ普通で、幸せなんて居心地の悪いのなんて望まなかった。そんなものは、誰かそこらの人が成れば良い。
自分だけはダメで、それこそが正しいと勘違いしている彼女はどこまでも愚かしく地獄的で、或いは聖なるものにも酷似していた。
「ホント、大事にすべきは、私以外ですよぉ」
星空を仰ぎ続ける、泥濘で研がれて誰より気高く輝き始めた貴石は、己の価値なんて知らずに。
だからこそ、愛を知っていても、それが肉親以外にも存在するとは思えなかった。
でも、当然至極に精一杯に生きて、その間違っていても曲がらない至誠を示してきていた生き物が、愛されない筈もない。
そして、一歩を続けていれば何時しか終わりに届くもの。
行き着いたは小ぢんまりとした庭付きの我が家。その門塀にこの寒空の下姿勢よく立つ背高のその姿を見て、百合は眼帯奥の目を丸くした。
思わず駆け寄り、彼女は彼に声をかける。
「ユータですぅ? どーして百合のお家の前にぼっちで居るんですぅ?」
「まあ、それは、なぁ……」
「なんだか歯切れが悪いですねぇ……ひょっとしてなんか、私を叱りにでも来たのですぅ?」
「まさか! そんなことじゃなくてさ……」
彼、百合のマネージャーになった中井裕太は視線を隣に鎮座してある自らの大げさなサイズのバイクに向け、しかし歪んで反射した自分の顔を見つめながら口ごもる。
それは、とても決まりが悪かったからだ。
仕事帰りに担当の家に寄ってみると彼女の両親からその不在を知り、町田家の大人たちの中でゆっくりという言葉を振り切ってちょっと外で待っていますと夜空の下小一時間。
寒さに震えを堪えて百合を待ち焦がれたそのすべてが、推しから愛の形を得たいという欲求から来ているという、残念さ。
まこと、大人が未成年に対してすることじゃないなと、そう思いながらも言い訳がましく裕太は再び口を開いた。
「いや、単純にさ。……百合ちゃん。君は今まだアイドルになっていない一般人だろ?」
「んー、それはそうですねぇ」
「だからさ、そんな状態の君からなら、チョコを貰っても問題ないと思ってさ……仕事終わりに来ちゃった」
「来ちゃったじゃねぇですよぉ! そんなことのために異性の実家の前で夜な夜な待ってるとか、フツーにストーカーですぅ!」
「いやさ……でも、百合ちゃんからチョコ欲しかったんだもん」
百合の口から出たストーカーという言葉に、ガンという思いをする裕太。ついつい、言い訳続ける彼の口調も子供に還ってしまう。
とはいえ、これも彼の規定されきって愛の足りていなかったこれまでの生の影響でもある。
裕太にとって、バレンタインデーは家に愛の証であるチョコレートを、母に目の前で捨てられる日だった。そんなだったからやっと自活し親から離れて、なら今度こそ愛を貰ってもいいよねと、気合を入れすぎてしまうのも仕方ないこと。
見る見るうるうるとしてきた灰色の瞳に直ぐ様根負けして、百合はため息を飲み込みながら呟く。
「だもんじゃねーですよぉ……仕方ねぇですねぇ……」
「おっ、百合ちゃんオレにチョコくれるのかい?」
「いや、まさかアンタがチョコ好きだなんて知らなかったですから、用意なんてしてなかったですよぉ」
「いや、別にオレチョコ好きって訳でも……いや、嫌いじゃないよ?」
「よく分かんねぇですけど、ここで待ってるですぅ!」
そのツインテール揺れる背中に声をかける暇もない。待てと言い、脱兎のごとくその場から駆け出した百合は家のドアを騒々しく開けて、ドタバタ何やら用意をし始めた。
家から飛び出る光彩や、少女の高い声。それらを聞きながら、なるほど彼女は自分のために何かをやってくれているのだと遅まきながら理解した裕太はにんまり。
「っしゃ! ふふ……」
チョコという固形ではなく、推しの自分のためにという想いが欲しかった裕太は、今日は最高のバレンタインデーになったなと堪えることなく笑みを散らかす。
ちなみに裕太は、町田百合という少女を異性として恋している訳では無い。ただ、愛して崇めて、幸せにする対象として定義しているばかり。
でも、好きは好きで目に入れても痛くないくらいには愛していたから、だから我が子のようにすら想っている百合の贈り物が何より楽しみだった。
やがて、ずっとニコニコ突っ立って待っていたイケメンに、カップを一つ持ちながら隠れて三白眼を向ける百合。彼女はずいと、彼にそれを押し付けた。
「何締まりのない口もとしてやがるんですぅ……ほら、これを飲むですよぉ」
「これは……ホットココア?」
「……こんな寒い中突っ立ってたんですから、身体冷えちゃってると思ったですぅ。……ちゃんと、好きでも嫌いでもないっていうチョコも入れておきましたから、火傷しないようちびちび大事に飲むですよぉ」
「うぉっ! 優しさまでトッピングされた最高の推しからのプレゼントだ……こりゃ家宝にしないとなぁ……お幾らします?」
「値段とか、んなことどーでも良いですから、さっさと飲むですぅ!」
「あ、うん。分かりました……熱!」
「はぁ。ゆっくり飲むですよぉ……」
ココア程度にがっつく大人に、百合もため息を隠せない。
こんなのに見初められて、そして人生を預けていくのである。まあ、嫌いではないがどうにも頼りない。
しかし、町田百合という程度の低い存在には、それくらいのハンデがある方が心燃えるもの。逆境を常にしていた少女にとっては、むしろこんな子供じみた大人なんて可愛いくらいだ。
思わず口元歪ませて、百合は言ってみた。
「しっかし、そんな一杯程度で喜ぶなら、もちょっと労ってあげましょかぁ? ナデナデとかしてあげるですよぉ?」
「ぶほっ!」
「わっ、ココア吹き散らかすなですぅ!」
「ごめん……い、いや。撫でるとか流石にそれは心許しすぎというか、オレ子供じゃないっていうか……」
「嫌、ですぅ?」
「お願いします!」
ああ、誰が推しからの請願、上目遣いを拒みきれるだろうか。当然眼帯の奥のがっかりを知っている裕太も多分に漏れず、ぐいとアツアツのココアを一気飲みしてから頭を低く差し出す。
それに、今度にんまりしたのは、百合。手を伸ばして、整髪剤にゴワゴワな髪を摩り、ゆっくりと歪な大人を愛撫し始める。
「よしよしぃ……」
「冷静に成って思えば、オレ、なんてこと担当にやらせてるんだろう……これ、普通にアカンくないかな?」
「どうでも良いじゃないですかぁ、そんなことぉ」
「……百合ちゃん?」
返ってきたその声は、静かに平坦。何時もの熱量を感じさせない、その柔らかな音色は裕太には意外だった。
しかし、百合にとって他者への労いは、どんな柵があろうともしてあげたくなるもの。そしてまた、こんなに傷ついて子供のまま成長できなかった大人のためならと、真剣に彼女は彼に優しくし続ける。
地獄は、だからこそ怨嗟ではなく愛を吐く。
「私は地獄を知っていますぅ。そして、地獄によって傷ついた人間だって、何時だって観て来ているのですよぉ」
「……それ、は」
「だから、百合はユータが地獄を味わった人間だって、分かってますぅ」
隠れた瞳を薄く、少女は断じる。
ああ、分かるのだ。この人は壊れている。歪んで強張って、不信ばかりで心は常に必死。だから、頑張ってしまうのだろう。
でも、そんなの違う。幸せとは無理の先にばかりあるものではない。それを、何より地獄の隣で無理を重ね続ける百合ばかりは知っていた。
「貴方だって、安心して良いのですよぉ。疲れたら休んだって良いのですぅ。そして、幸せになって下さいよぉ。いくら人間が罪深かろうとも、それは当たり前でぇ」
何にだって、幸せに向かう権利はあるのだと、そう信じるのが彼女の決意。
だからこそ、この世に地獄を示す。それは少女の本意でもある。
だが、だからこそ、ほかをそれに付き合わせ続ける気はない。衆生は、衆生。尽く振り返ることなく幸せに向かっていって欲しい。
そう、その後ろで手を振る私なんて忘れて。
ああ、私なんて私なんて。愛を裏切り続ける、地獄の蓋。
「だから……百合なんて、何時だって、棄ててしまって良いんですからね?」
それを知りながら、百合は死人のごとくに歪みなくとても綺麗に笑んで、そんな過ちを言葉にするのだった。
それを聞いた裕太は。
「嫌だ」
それだけを言い、少女の優しい手を振り払って、目隠し越しの地獄を睨みつけるのである。
歪みながらも真っ直ぐ立ち上がり、そして一人の最悪を幸せにしてあげようと思う子供じみた大人は続けて宣言をした。
「君が地獄なら、オレは地獄に堕ちていい。棄てられるべきはオレだ。絶対に――――オレは町田百合、キミをトップアイドルにしてみせる」
似たようにオレなんてオレなんてと、自分の幸せなんてどうでも良いとして、ひたすらに百合の幸せをマネージャーは願う。
それこそ間違っていて、とても歪んでいて正さなければならないものであり、幸せには程遠い悲しい望みであったのだけれども。
「ああ……」
そんな一言が嬉しくない乙女なんて、いいやそんな言葉を愛さないのは百合ではない。
いただいた熱に、心動かされるのを感じながらも、でも何時でもそれを愛のために手放せる自分を知っていながら。
「よろしく」
「……よろしく、ですぅ」
これからのために、差し出された手を握り返すことは、どうしようもないくらいに不可能だったのだ。
辺りに薫るのは、ココア甘さ。でも、しょっぱいくらいに辛く歪んだ二人は、だからこそ割れ鍋に綴じ蓋として引っ付いて。
きっとこれより比翼連理の如くに空を駆けていくのだろう。
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