番外話③ バレンタインデーそのさん

 輝田(きだ)プロモーションに所属するアイドルチーム、トゥインクルチアーズの吉野友実と言えば最近そこそこに知られるようになった存在である。

 センター、でこそないがチームの中でもアイドルに必要なすべての技術が際立った一人であれば、自ずと目立つ。

 甘さがあまりない整いには好き嫌いが分かれるだろうが、口を開けば露わになるそのミステリアスな性格に、時に浮かべるはにかむような笑みはファンの心を掴んでやまないものだった。


 さて、だがしかし幼き頃からトレーニングを重ねた、同年代では頭抜けた友美とはいえ、一人が注目されてばかりというのはチームの者にとって面白くないのは当然。

 リーダーの来河伊都(らいかわいと)らが仲違いを必死になって抑えているが、五人のグループはかのカシマレイコへの謁見すら果たす程一人ですいすい先に進んでしまう友美のためにガタガタになっていた。

 それは端に力バランスを確りと考えられなかったマネージャー等のせいでもあり、勿論彼らもチームの仕事を獲るために奔走はしている。だが、大人たちの必死すら遅すぎるほどに、既に友美はとてもいい波に乗っかりだしていた。


「ふぅ」


 そんなだから、仕事終わりに楽屋へと戻る友美にはずっしりと疲労が乗っかる。ため息を吐きながら扉を開け個室の閉塞にすらつかの間の安堵を覚えたその時。

 その段になって彼女はようやく椅子に座した人影に気づく。らしくなく間抜けにも口をぽかんと開けて、友美は呟いた。


「……って、人?」

「……お疲れ様、友美。驚きついでにちょっと話いいかしら」

「伊都? ……まさか、君が私の楽屋で待ってたとは思わなかった。いいよ、少しくらいなら話の一つや二つ」

「物分りがいいのは助かるけど……はぁ。他の子もおんなじくらいの物分りだったら楽だったのにね」


 きっと、同じ事務所の仲間ということで入室を許されたのだろう、中に居たのはトゥインクルチアーズのチームリーダーである、来河伊都その人だった。

 チームのセクシー担当のイメージそのままのキツめの衣服を身にまとい、反して特徴である優れた性徴によって目立つ身体を小さく屈めながら、鬱々しく伊都は友美より重めのため息を吐いた。

 伊都は黙って対面の椅子に座した本来の部屋の主の化粧の薄さを何時ものように羨むことすら止めて、こんなところまで隠して持ち込んできた話を友美に零すのだった。


「友美。まずは改めて、今日のお仕事お疲れ様。確か、ビターチョコの宣伝だったっけ?」

「ありがとう。……それに、うん。バレンタインデーももう直ぐだからね。偶にイメージにあった私を使おうと思ってくれたみたい……はい、紅茶」

「どうも。偶に、ねぇ……」


 サーバーを用い、紙コップに淹れられた安い茶葉の出汁。友美が親しんでいる紅茶のその軽い黒さを覗き込んでから、伊都はそれを少し飲み込む。

 抜けるような匂いに、しかし複雑さはない。感想として事態もこれくらい単純だったら良かったのにな、と彼女は思うのだった。

 伊都は、湿らせた口を開く。


「ねえ、友美。貴女は運命ってものを信じる?」

「唐突だね……まあ、私は信じたいものしか信じられないから、全ての定めなんて望まないけれど……まあ、良い運命だったら、信じるかもね」

「そう」


 答えを聞き、満足した伊都は組んでいた長い足を組み替える。それが、彼女が気持ちを切り替える際の癖だと二年の付き合いで知っている友美はおやと見た。

 案の定、表情に客向けでしたこともない苦渋を露わに、彼女は続けるのだった。


「危惧ね、私も友美と同じだったわ。都合のいいことが起きるのは運命で、それ以外の悪いことは避けられる偶然だと思って、これまでずっと生きてきた。けど……」

「どうやら、厄介なことが起きたみたいだね」

「その通り。ホント、あなたは物分りが良いけれど……だからこそ、こんなことになったのかもね」


 伊都は八重歯で口紅の赤をかじって、上を見る。白い、天板。その向こうにはきっと汚い天井があるばかり。でも、見えないからこそ想像できていしまう、更に上の輝きばかりの空を。

 ああ、私達はあれになろうと思ったのだが、しかしそれでも届く前に現実の汚穢に呑まれて、消えていくのか。

 翼を得た筈だ。誰からも浮いて、偶像となった筈なのに。しかし、実際のところ、アイドルなんてただの人間。整いを奇矯に寄せているばかりの、うそっこで。


 だから、彼女はとても辛かったのだろうと、伊都は思う。

 目を閉じ、静かに伊都は友美に切り出す。


「カナが、幼い頃自傷癖があったって、知ってるわよね」

「ああ……それは彼女、一度リストカット跡を私に見せてくれたこともあるし……ひょっとして」

「ええ。再発したらしいわ。また置いてかれるのが、怖いっていうことで」

「っ」


 友美の驚きも当然。戸口カナ。チームで一番年下のその子こそ、トゥインクルチアーズのセンターを担う愛らしい少女。

 己の歴史に影を知るからこそそれをひた隠しにしながら、笑顔で皆を歌声で幸せにする、そんな彼女のことは何より友美が一目置いていた。

 また、これまでちょこちょこ自分に付きまとってくる彼女のことを妹のようだとすら思って可愛がっていたつもりだったのに。


 ああ、まさか少し離れたばかりだと考えていた自分が、ネグレクトにて逮捕歴のある彼女の元両親と同じ痛みを与えていたとは。

 愕然とする友美は、なんとか言葉を絞り出す。


「……大丈夫、なのかい?」

「……悪いことにね、久しぶりにやったら切り過ぎたらしいの。血が止まらないって救急車で運ばれて……」

「……それを撮られた、ってことかな」

「ええ。そんなところ」


 静かに、伊都はそう言う。だが、彼女とて内心は穏やかではない。

 何しろ彼女も戸口カナをセンターへと推して、成長のプレッシャーを与え続けていた。それは、今回の一件の一因でもあるだろう。

 任されて、でもダメだった。それは、自罰だってしたくなるのかもしれない。深く、己を斬りつけてしまうものかもしれなかった。

 そして、そんなすべてを今更に想像するだけしか出来ずに終わってしまったことが何より伊都には辛い。トレードマークのポニー降ろした長髪を弄りながら、彼女は続ける。


「まあ、私達が一時の玩具になるのはいいわ。それくらいは有名税。今までの貯金を使ってなんとか凌げば嵐も過ぎるまで待てる」

「でも……カナは」

「ええ。ドクターストップ以前に、本人ももう無理だって。だから、今季で彼女のアイドル生活はおしまい」

「相談は……無理か。私のせいだから」

「ホント、あなたは物分りが良すぎて……嫌になるわ」


 そう、伊都にとって、この小賢しいばかりの友美は、中々厄介な存在だった。

 自分の立ち位置を理解していて、それでいてその魅せ方を誰より知っている。

 スポットライトに輝く、きれいな蝶。今にも羽ばたきそうなそんなものに夢見ない訳がなく、そして、自然人は胡蝶でも夢でもないからこそ運命を預けようとしてしまったことが間違い。

 この子なら大丈夫。そうして放っていたら皆が離別に耐えられずに、壊れていった。振り向くことなく進む彼女を、信じ続けることが出来なくって。

 何より自分たちの心の弱さを知らずに信じてしまったことが過ちだったと心より伊都は思う。


「あなたは、無理だと思ってしまったことは簡単に切り捨ててしまえる。それこそ、私達の仲を取り戻すために無駄に奔走することもなく、貴女の後に続く夢を見た少女に夢を見させ続けることだってなかった」

「……ごめん」

「別に、謝ることはないのよ。一人の女の子に、余計な期待をして勝手に失望した私達がホントは、悪い。でも、だからこそ……運命だったのだと思う」

「どういう……ことかな?」


 問いながら、空の紙コップに救いを求めるように、ほんの僅かを呷る。

 湿ることすらない一滴は、カラカラの緊張を救うことなんて叶わず消えた。

 伊都は、問いに問いを重ねる。


「ねえ、友美。あのカシマレイコと謁見して、残れたアイドルがどれだけいるか、知ってる?」

「数字では知らないけれど……まあ、大体が辞めちゃうよね、あんな実態を知ったら」

「でも、あなたは生き残った。そして、まだ負けていない。こんなに物分りの良い友美が……どうして?」

「それは……」


 物分かりの良い。それは諦めやすいということでもある。

 しかし、友美は諦めそうに成ったが、しかし負けて折れることさえなく未だに前に進んでいる。

 その故は。じろりと自分を見つめる青い視線を受け止めながら、懺悔するようにしかし彼女は言い切る。


「勝手だけれど、愛しているから」


 そう。自分は諦めたかったけど、諦めきれなかった。それは頑張り続ける彼女に踏みつけられるまで、彼女のための目印になりたかったから。

 町田百合という少女はそれくらいの価値がある。愛が千金すら凌駕するのは当たり前。だって、あんな子他に一人も居ないんだから。

 あの子はあの日、ダメでも幸せになれると言った。つまりは、不格好にも泣かずに幸せになって欲しいと伝えてくるのだ。

 そして、そんな素振りは何時だって同じ。誰かの悲しさ、怒りに真剣に当たって、負けても負けないそんな一人。


 あの子と一緒にスポットライトを浴びるためなら、アイドルであることを諦めたくない。そう、友美は決意していて。


「……ホント、勝手ね。私達仲間を愛さずに、その誰かさんを愛することで、友美は未だ負け知らず。でもね、私達だって……」


 そして、そんな彼女と同じように、伊都らチームの皆だって踏み台に成ったって構わないという程の思いがあった。

 好きじゃなければ嫌いになるものか。そもそも、無視できないから文句を言っていたのに。でも、あなたは知らん顔して、でも。


「そんなあなたを愛しているから、運命を託すわ」


 今宵、友美は結論ばかりが告げられる。

 途端、大意を察して泣きそうになる友美。彼女は、それでも真意を確かめる為に口を開く。


「トゥインクルチアーズは……」

「全ては裏で私達が不仲を拗らせたことによる解散。メディアにずっと出てたあなたは無関係。それでいいの。私達は、それだって良かった」

「そんなの、私はっ!」

「いいのよ」


 全部が自分のせいなのに、それを奪ってしまうなんて。そんなの許せるものか、という怒気は、柔らかい一人のアイドルの身体で受け止められる。

 友美の癖っ毛は、優しく伊都に撫で付けられ、溢れた涙はセーターの昏い染みとなって消えていく。

 どもりながら、彼女は独白する。


「私は……本当は、チームの皆の居場所を作るために一人で頑張っていたつもりだったのに……こんなのって……」

「大丈夫、友美」

「そんな……伊都……もう、私は……!」

「だってこれからもあなたは、一人じゃない」

「っ!」


 一人じゃない。そんな嘘のような言葉はだが真実。

 誰だって、生きているからには孤独ではなく、何より恋しい関係性が友美にはまだ残っている。

 そして、それだけではなく、これから途切れるだろうチームの皆との関係だって、消えてしまうものではない。


 だから、と。とっくに泣いていた伊都は化粧崩れることなんてこれっぽっちも気にせず不格好に笑って。


「ふふ。あなたの愛する人に、よろしくね」


 それだけを物分かりの良い分からず屋に伝えて、両手で涙を拭うのだった。



 そして、その日一つの輝きがこの世から消える。




 トゥインクルチアーズの解散からひと月近く時は流れて二月十四日。

 学校にてファンや友達からチョコを大量にいただいた百合は、少し食べてお腹がいっぱい。

 夕飯も喉を通らないだろうそのハイなカロリーを消費するためにも、エムワイトレーニングセンターにてダンスの復習を行っていた。


「ふぅ……まーまー、疲れたですねぇ」


 しかし、今まで習ったことをはじめから終わりまで殆どこなしたというのに、時間は大して経っていないし、疲れも程々。

 これは、上達したのだろうと、ようやく事実を飲み込めた百合も鼻高々になる。

 思わずふんふん綺麗な鼻歌を奏でる彼女。響いていた音楽をスイッチオフにすれば、それだけ少女が届いた高みの美声はよく聞こえて。


「お疲れ様、百合」


 それこそ、ソロアイドルとして活躍中の吉野友美の心和ませるに充分なものだった。

 ぱちぱち手をたたく彼女は、本心から少女の今までを労って、お疲れ様と口にする。

 だが、当の百合はそんなこと知らず、むしろ相手のことばかりを慮ってこう返すのだった。


「お。久しぶりですねぇ友美。友美こそ大変だったみたいですがぁ……」

「チーム解散のことかな? それともその後の醜聞についてかい?」

「……両方、ですぅ」


 汗をタオルで拭いて、百合は悲しそうに眼帯の上眉だけ降ろす。

 そう。明らかにこの人は大変な目にあったようである。自殺未遂したメンバーに、それを止めなかったというリーダー達。

 考えられないくらいに、トゥインクルチアーズというチームはひどいものだったと、好き放題に書かれていた。

 勿論、百合はそこに真実があるとも思えない。でも、チームが消滅したところで、取材の累が及んだ残った一人である友美は大変だっただろうと、考える。


 真に、見当違いの思いやり。でもそれがとっても嬉しいから、愛は酷い。つい笑顔に成ってしまった友美は言う。


「ああ、百合は優しいね……」

「そ、そんなことはねーですぅ! ただぁ……」

「ただ?」

「先輩が、先に潰れて欲しくなんかないんですよぉ」

「そっか」


 先輩。百合が言ったそれは、アイドルとしてのことだろう。

 そう、驚くべきことになんとこの目隠しちびっこは、誰の手も借りずにスカウトされて大手芸能プロダクションからアイドルとして売り出されるように成った。

 彼女がずっと望んでいたことだろうが、それでも心配に違いない。本当は、他人のことなんて気にしている場合ではないのだ。


 でも、気遣わしげにしながら、百合は眼帯越しに友美を下から見上げる。


「大丈夫。頑張るよ」

「なら、いいんですがねぇ……」


 勿論、卒業生であり瑠璃花とは密に連絡している友美は知っていた。

 百合の眼帯の奥にある死を。親しみなんかではどうしようもない、最悪の断絶のことだって。


「そういえば、百合。瑠璃花さんと喧嘩したらしいけど……もう仲直りしたって?」

「うぅ……喧嘩とはちょっとちげーですけどぉ。まあ、今は面と向かえずとも話せてますぅ」

「そう」


 だが、もう一人の親のつもりでしかなかった程度の愛に覚悟の薄い瑠璃花ですら、乗り越えられたものなんて怖くない。

 勿論、それだって容易くは克てないかもしれないが、でも諦めることさえないだろう。


「良かった。今日はね」

「そういや、何用ですぅ? 友美は忙しーですからぁ、何かないと基本来ないはずですぅ」

「それはね」


 だって、こんな目に痛くない、そんな可愛い子。

 死んだって、離れてやるものか。


「私はずっとこうしたかったから」

「えっ?」


 抱く。ああ、そのためには、きっと。


「百合……ん」

「あ」


 唇重なる。友美は地獄に堕ちたって構わないのだった。




 少女の地獄が、どろりと燃える。





「嘘」


 やがてぽとり、という何かが落ちた音。

 視線の先にて、星を見失った少女が口を開いて二人を望んでいた。

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