第29話 エピローグ ~あたしの親友~
これは自慢なんだけど、あたしの親友は世界一可愛くて綺麗で素敵な女の子だ。
あの勝負の翌日、学校での海香は驚くほどにいつも通りだった。「これも本当の私だから」と海香は涼やかに笑って言った。
だけど変わったこともある。海香は学校の空手部に入部した。海香の実力は既に学校中の知るところとなっていたので、空手部の子達は両手を挙げての大歓迎だった。
てっきりあたしは海香の家の道場でまた稽古をするものだと思っていたんだけど、どうやらお父さんの勧めがあったらしい。海香なりに最大限の渋い声で物真似をしてくれたところによると、
「道場にはいつでも入れるが、部活の中で武道を学べるのは学生でいる限られた時間だけだ。そこで得る経験は一生物になるぞ」
ということのようだ。私個人としてもこの意見には大賛成だ。やっぱり武道の指導者をしている人って、人間としてもできてるよなって思う。学校の……特にうちの水泳部のバカ男子共とは大違いだ。奴らもいずれはああいう大人になれるんだろうか。心配だよあたしは。
ちなみに部活では期待通りの即戦力っぷりで、稽古の際のキリッとした雰囲気に女子のファンが急増中なんだとか。海香の魅力が広まるのは良いことだ。
それから海香は髪を短くした。約束通りあたしも着いていって、馴染みの美容師さんと二人でああでもないこうでもないと相談のうえカットした髪は、今は海香の華奢な肩に触れるか触れないかくらいのところで揺れている。
私の職業人生でも最高傑作のショートヘアーだわ……! と会心の出来に美容師さんが打ち震えるほどの仕上がりだ。プロの腕と最高峰の素材がかけ合わさった結果だ。
海香は少しはにかみながら「なんだか、玲夢とちょっと似たスタイルだね。お揃いみたいで、嬉しいな」と言った。あまりの眩しさにあたしは卒倒しそうになった。
だけど、困ったこともある。
あのクソバカ変態露出野郎がしでかしたことのお陰で今の海香があるのは事実なんだけど、そのせいで愚かにも海香に挑む連中がちらほら現れているのだ。
ちょっとしたら勝てちゃって付き合えるかも? という甘い考えの間抜けもいれば、どちらにしろ一体一の時間が作れるし、試合中に密着できるかも! という不届者もいるらしい。
あたしがその噂を聞きつけた時はもう怒りが収まらなくて、プールの底に沈めたろかと思ってたんだけどその必要はなくなった。
海香は殺到する挑戦を、全てすげなく断ったのだ。
これにはあたしも少し驚いた。海香はどちらかというと押しに弱くて、頼まれると断れないタイプだと思っていたからだ。
この前もサッカー部の三年生に申し込まれてたけどきっばり断ってたっけ。顔はなかなかかっこよくてサッカーも上手いので、女子に人気の先輩だ。態度が軽いのと襟足がうざったいのとで、あたしはそれほど良い印象を持ってないんだけど。
「海香ちゃんに勝てたら付き合えるって本当? じゃあ、俺も試合を申し込みたいんだけど、いいかな?」
いかにも女慣れしてますって態度で三年生は言った。それを受けた海香は、
「うーん……。それ、私に何かメリットありますか……?」
と真顔で答えた。
期待していた反応と違ったのか三年生は一瞬戸惑ったが、すぐに軽い笑いを取り繕うと冗談めかして言った。
「そうだな……。じゃあ、俺が負けたらデートに付き合う……とか?」
海香は少しだけうーんと考えると、平坦な表情のまま言った。
「それ、メリットですか?」
この反応にはさすがの笑顔も凍り付いていた。
武道に対しては海香はかなりドライな考えをしているようだ。これもまた真剣に向き合っているということなんだろう。また一つ海香のことを知れた気がした。
だけどそれならば気がかりなこともある。他の挑戦はあっさりはねつける海香だけれど、あのバカからの挑戦は受ける気満々らしいのだ。
これはどう受け取ればいいのだろう……うーん、あまり考えたくない気がする。腹が立つから。
そんなことを考えながら通学路を歩く。ここ最近はめっきり暑くなってきた。半袖をさらに二回三回と巻いて涼しさを確保する。冷感スプレーフル稼働で汗とは可能な限りの距離を置くのだ。
暑さのことも花岡のことも考えるのはやめた。だって、ほら。向こうに立っている超絶美少女は海香だ。海香の周りだけ涼しそうに見えるのはなんでなんだろ。
「海香ー、おはよう」
「玲夢おはよう。今日も暑いね」
今日一日を頑張るための海香成分をしっかり補給しつつ、あたし達は並んで学校へ向かう。一限から数学って辛いね、とかリップ変えた? とか、そんなとりとめもない話を嬉しく感じる。
だけど、この日の喜びの時間は長くは続かなかった。
「あっ、志島さーん! と、ゴーレム先輩、おはようございます!」
朝から聞きたくなかった声が後ろから聞こえてきたのだ。というかアイツ、完全にあたしを添え物扱いしやがって。一応部長だぞ。
「あ、真尋君。おはよう、奇遇だね」
「いやー朝からお二人の顔が見れるなんて、今日はいい日になりそうです」
「何がお二人のだ。海香だろお前の目当ては。見るな見るな! お前の目線で海香が汚れる!」
汚れは全部私が受け止めてやる! という心意気であたしは花岡の視線を体でふさぎにかかるが、奴は生意気なフットワークの良さを発揮してそれをシュッシュッと避けてきやがる。
「甘いですよゴーレム先輩。僕は鍛えてるんです。最近は特に動きにキレが増してきちゃって」
たっはっはとアホっぽく笑う。くそむかつくな。しかもお前のせいで汗かいちゃったよ。女子高生の天敵だっていうのにどうしてくれんだ。
「そう、だからそろそろいけると思うんですよね。……志島さん、また僕の挑戦、受けてくれますか?」
「ほんとかな? 臨むところだけれど、あんまり前回から進歩がなかったら承知しないよ? 稽古サボったらすぐに分かるからね」
やっぱり海香は花岡の挑戦は断らないんだ。それはつまり、花岡との試合は海香にとって何かしらのメリットがあるってこと。だけど素人のあたしから見ても、花岡の実力は海香には遠く及ばないと思う。良い修行相手になるってこと以外にメリットがあるとするならば、それは……。
やめだ、やめ。考えれば考えるほどストレスが溜まってくる。
代わりにあたしは花岡の肩をバシンと叩く。「フハハ! びくともしませんよ! もっと頂戴もっと頂戴!」うーん余計にイラついてきた。やめとけばよかった。
「じゃあ志島さん、また後日改めて挑戦状をお持ちします。それじゃまた!」
そう言って花岡はあたし達を抜かして、速足で学校へ向かう。
……そして、気付いた。海香も気づいたようだ。
「あれ? 真尋君の背中……なんか黒い痕が付いてない?」
言う通り、奴のワイシャツの背中には真ん中あたりが焦げ茶色に染まっていた。……というか、文字通り焦げてない?
その答え合わせはすぐだった。
後ろから原付の音と共に「真尋ー」と花岡を呼ぶ女の人の声がする。花岡は振り返って声の主を確かめると、少しびっくりした顔で「姉貴?」と言った。
それに釣られてあたし達も後ろを振り返ると、今まさに原付から降りてきた女の人がヘルメットを脱いで乱れた髪を直しているところだった。
海香とはまた別ベクトルの美人だ。大人のお姉さんって感じ。なんだろう、仕事のできる女の人って、こんな印象の人だ。こんな綺麗な人が花岡のお姉さん? ほんとに? 何か間違ってない?
「どうしたんだよこんなところに。会社は逆方向だろ?」
「いやーちょっと気になったことがあってね。あ、二人は真尋の……彼女なわけないか。お友達?」
「学校の先輩だよ。志島さんと、ゴーレム先輩。こちらは僕の姉です。花岡千尋」
紹介するときくらいちゃんと本名を言えよと突っ込む間もないまま、千尋さんは「おはよー志島ちゃん、ゴーレムちゃん」と手をひらひらさせて朗らかに挨拶してきた。花岡のせいであたし、本格的にゴーレムになっちゃいそう。今日の部活で殺そう。
「こんな美人二人が朝から真尋と一緒にいるなんてもったいない。人生の無駄遣いはだめよ」
「うっさいな。ところで何の用?」
花岡が不満そうに言うと、千尋さんはああそうだった! と手をポンと叩く。リアクションが分かりやすくて、なんだか面白い人だ。
「あのね、昨日真尋のワイシャツをアイロンがけしてた時なんだけど、ちょっと目を離しちゃって、それでシャツに焦げ跡つけちゃったのね」
なるほど、それで? と花岡は先を促すが、あたしと海香には既に事の顛末が読めていた。
「あーこりゃダメだと思って避けておいたんだけど、いつの間にか混ざっちゃったみたいで。で、さっき見たらその焦げたワイシャツがクローゼットに入ってなくてさ」
「もしかしてそのワイシャツって……」
「今真尋が着てるわよ」
千尋さんは花岡の背中をパシャリと写真にとると、「ほら」と言ってそれを見せた。
「うおお……! これはこれは……見事な」
「ね? 綺麗に焦げてるでしょ。ごめんねやっちゃった」
「いやまあ、それは良いよ。アイロンかけてくれたんだろ? なら文句は言えないよ。それより、追いかけてきてくれて助かったよ」
そう言って花岡は千尋さんから何かを受け取るように手を差し出した。
「ん? 何この手」
「え? 替えのシャツを届けてくれたんじゃないの?」
きょとんとした顔で花岡が言うと、千尋さんは「ああ!」と口に手を当てて目を丸くした。
「その手があったか!」
「持ってきてないのかよ! じゃあ何しに来たんだ! ただお知らせに来ただけってこと!?」
「まあ、そうね。知らないよりは知ってた方がいいと思って」
「そうだな! ありがとよ!」
頭を抱えてガシガシやる花岡。このバカがこんなに追い詰められるのを見るのは初めてかもしれない。千尋さんさすがだ。伊達に花岡の姉をやっていない。
言いたいことだけ言うと、千尋さんは「それじゃ若者たちよ。今日も一日青春に励むのよー」と言い残して颯爽と原付で去っていった。
残された花岡はハァ……と深いため息をつく。
「まあまあ真尋君。確かにちょっと背中は焦げちゃってるけど、穴が空いてるわけじゃないし。それに椅子に座ってればほとんど見えないよ」
「そうだぞ。それにお前、服着てる時点で普段よりマシな格好じゃんか」
そう慰めてやったが、花岡は不服そうに「別に僕は全裸がデフォルトじゃないんですが……」と文句を垂れた。
まあ仕方ない、今から家に帰っても遅刻だし、今日はこのまま乗り切りますと花岡が再び学校方面に足を向けたその時。
「待ちたまえ、花岡真尋君……」
複数人の男子生徒が花岡の進行を阻んでいた。花岡は驚愕の声色で「お、お前たち……ここで何を?」と言っている。なんだか異様な雰囲気だ。
「あ。あの人たち、真尋君のクラスメイトだよ。前に顔を見たことがある人が沢山いる」
この状況を訝しんでいるあたしに、海香がそっと耳打ちしてくれた。
花岡のクラスメイトの中から一人の男子生徒が一歩前に出ると、政治家のような口調で言った。
「花岡君。先ほどの美しい女性が君の姉君であるという話は本当かい? そして、君の衣服は彼女がアイロンをかけたものであるということも」
「本当だけど……だったらどうなるんだ?」
「正直に答えてくれてありがとう。それが聞けて良かったよ。ならば僕らのすることは決まった」
男子生徒がパチンと指を鳴らすと、それを合図に他の男子達が一斉に花岡に襲いかかった。嵐のように花岡の周りを取り囲み、ごそごそと何かをしたかと思うとすぐに散会する。
「な、なんっじゃこりゃあ!」
そこに残されたのは、まるで手品のように制服を剥ぎ取られた下着姿の花岡だった。その制服は、今は花岡のクラスメイト連中の手にある。
「フハハハハー! 獲った獲ったぞ! 美女がアイロンがけしたシャツとスラックスを!」
「早く! 早く持ち帰るんだ! そして中身と外身に分けるんだ! 中は花岡によって汚されてしまったが、外側はまだ間に合う!」
「俺に任せてくれ。裁縫部期待のエース。人呼んでまつり縫いの貴公子と呼ばれるこの俺を」
連中は口々にそう言うと、ワッショイワッショイと花岡の制服を祭り上げながら学校へと一斉に走っていく。
「ちょっ、待っ、学校の外はまずい! 捕まる! 本当に捕まる! 待てコラァァァ!」
連中の後を追って、下着姿の花岡は疾走していく。
あいつ、ロクな知り合いがいないんだな……。未だかつてありえないことだけど、あたしはちょっぴり花岡に同情してしまった。
そんなあたしの横で、海香は笑っている。
普段のイメージからは想像もつかないくらいに大口開けて、手を叩いて笑っている。
海香がこんな風に笑うなんて知らなかった。だけど現に海香はこうして笑っている。ここ最近で何度かこの笑いを見たことがある。
そして、そしてだ。いずれの場合も、この笑いを引き出したのは花岡だった。
なんだかむしゃくしゃしてきて、先ほど花岡に感じたちっぽけな同情はすぐに捨て去った。今日の部活で絶対に虫の息にしてやろうと思った。
けれど――。
目尻の涙を拭いながら今なお笑いが収まらない様子の海香を見て、確かにとっても素敵な笑顔だ、とあたしは思った。
お前の裸を見せてみろ 荒矢田妄 @arayadamou
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