第28話 お前の心を見せてみろ

 えっ、海香が……? 知ってた? 知らない……。でもあれだけ強かったならそれもあるのかも……。いやそれより今問題なのは……。


「万が一にでも花岡が勝っちゃったらまずくない!?」


 満場一致の声が上がった。ちなみに僕から言わせてもらえば、何もまずいことはないね。

 海香頑張れ! 絶対負けないで! と口々に志島さんへ応援の声が上がる。その渦中で志島さんは、


「えっ、ちょっ、真尋君……! こんな皆いるところで言わなくたって……!」

「それについてはほんっとうにすみません! どうしても志島さんの本当の心が知りたくて……!」


 そこまでは本当に言うつもりはなかったのだ。だけど、ついヒートアップしてしまって口に出してしまった。申し訳ないれけど、副次的効果もある。


「そうは言ってもね……! 私にも、羞恥心ってやつがね……!」


 見るからにあわあわしている志島さん。これも、短い付き合いの中で見出した彼女の弱点。不測の事態に弱い。明らかに動揺が見える今、卑怯かもしれないが畳み掛けるチャンスかもしれない。

 僕は一気に距離を詰めると志島さんに掴みかかった。イヤーっと観衆から悲鳴が上がる。


「自分勝手なのは分かってます! でも言わずにはいられなくて……! 志島さん、僕の思ってることはもう全部あなたに伝えたつもりです。僕の心は丸裸です。でも志島さんの本当の思いはまだ分からないんです。だから分かりたいんです、知りたいんです! 僕は志島さんのことが好きだから!」

「私の……私の、本当の、気持ちは……」


 志島さんの瞳が不安げに揺れる。そして組みかかる力にもブレが見られる。

 グググッと力を込めて押し込む。この日初めて、僕は志島さんに対して優位に立っていた。


 志島さんへ向けられる観衆の声援が大きくなる。そして僕への罵声も。気分はヒール役レスラーだが、今はこれでいい。

 一人の男子生徒が悲痛な声で叫ぶ。


「お、俺……もう見てられねえよ! こんなことあっていいはずがない! 待っててください志島さん! 今助けに行きます!」


 それを合図にして「そ、そうだ! 何も律儀に見守ることはないじゃないか! 俺たちが花岡を始末すればそれで済む!」と勇気ある何人かの生徒が僕を引き剥がそうと観衆の中から飛び出してくるが、


「そ、それはだめ! やめて!!」


 焦りを含んだ大声が志島さんの口から発せられたので、皆は驚いて動きを止めてしまう。その声はいつもの涼やかさを持ちつつも、ビリビリと武道場内の空間を揺らした。


「それだけは……だめ。これは一対一の勝負だから……! そこに手助けを認めたら、だめ……! だって、私は……」


 グッと、歯を食いしばりながら志島さんは続ける。


「私は、武道家だから……!」


 誰に伝えるのでもなく、自分に言い聞かせるようなぽつりとした声だ。しかし、弱々しく紡がれた武道家という言葉が志島さんの身体に染み渡り、その心をじんわりと満たしていくのを感じた。だって現に、組む力が徐々に増してきている。


 だけど、まだ僕でも抵抗できるくらいのレベル。それは、もう一枚破れる殻があるということを示している。

 声量で吹き飛ばさんばかりに、腹の底から叫んだ。


「まだまだぁ! もういっちょ! もう一声!!」

「も、もう一声……!?」

「そうです、もう一声です! 志島さんが、武道家なのは、事実です! その先が知りたいんです! その先に、あなたが、思っていることを! 教えてください! 見せてください! それができないのであれば、あなたは、僕に勝てません!」


 声を張り上げると、僕は一層組む手に力を込める。そして、真っ直ぐに志島さんを見つめた。

 彼女の瞳は迷いに揺れている。その瞳が再び平静を取り戻し、そして武人としての炎を宿すことを祈る。僕の心に宿る炎を、この視線を通して今度こそ燃え移らせてやる。


 志島さんの膝が折れる。観衆のボルテージはマックスに達していた。悲鳴、怒号が上がる。その喧騒の中を切り裂く、一人の女子生徒の叫びがあった。


「頑張れ、海香!!」


 その声は僕の耳にはっきりと聞こえた。きっと志島さんにも聞こえただろう。

 ハッとして僕らは同時に声の方向を振り向いた。


 その先にいたのはゴーレム先輩だった。手でメガホンを作りながら叫び、腕を振りかざして志島さんへの声援を飛ばしている。


「海香! 思い切りやっちゃえ! もう花岡なんてバラバラにしてもいい! 処理はあたしがするから!」

「バラバラにはされたくありません!」

「うっさい黙れ花岡! ……海香! どんな海香でも、変わらず海香はあたしの憧れで、一番の親友だよ! だから、海香のやりたいようにやっちゃって!」


 あたしは、海香の全部が、大好きだよ!


 その叫びは、志島さんの胸を貫いたように見えた。彼女の胸の奥から沸々と熱いものが湧き上がるのを感じる。長い眠りについていた獣が、目覚めの咆哮を轟かせるのを聞いたような気がした。


「……そうだね玲夢、真尋君、ありがとう。私は、武道家だ。でもそれ以上に、私は、武道家でありたいんだ!」


 爛々と煌めく鋭い眼光を目にした次の瞬間だった。


 一瞬、重力から解放されたのかと錯覚した。ふわり、と身体が浮き上がり、周り、そして落ちる。一切の衝撃はなく、スローモーションのように過ぎゆく視界を見ただけだ。


 気がつくと僕は床に仰向けになって転がっていた。

 僕を見下ろすのは、深海のような瞳をギラつかせて頬を紅潮させ、不適な笑みを浮かべる志島海香さんだった。


 これまでのようにいなすだけでなく、明確に相手を地に打ち倒すために繰り出された技に観衆は沸いた。

 ゴーレム先輩が両手をブンブン振り回して「いいよ海香最高にカッコいいよ! 次は八つ裂きだよ!」と叫んでいるのが聞こえる。うーん、過激派サポーターだね。


 僕の心臓もまた喜びの鼓動をハイテンポで刻んでいた。

 間違いない。今目の前にいるのは、あの日僕の心を思い切り鷲掴みにした、武道派清楚系美少女の志島海香さんだ。

 志島さんは目にかかる一房の髪の毛を荒々しく振り払うと、余裕の笑みを崩さぬまま言った。


「もう終わり?」

「んなわけないでしょ! まだまだ!」


 いつにない志島さんの煽りを受け、僕は弾けるように飛び上がる。ようやくお目当ての対面ができたんだ。命尽きるまで、やってやる!

 僕の様子を見て、志島さんが口元を綻ばせる。


「ありがとね真尋君。色々とお節介を焼いてくれて」

「や、やっぱりお節介でしたかね……」

「そりゃもう。普通の人ならとっくに諦めてるよきっと。でもそのお陰で、私が大切にしていたはずのものを思い出せたよ。だから本当にありがとう。全身全霊で、真尋君を叩き潰します」


 思わず見惚れてしまうくらいに晴れやかな笑顔で、志島さんは続ける。


「私、人をぶん投げるのが大好きなの」

「言いましたね! 言い切りましたね! 最高です志島さん! 僕は、志島さんが人をぶん投げる姿が好きです! ……あと!」


 スゥッと一呼吸入れて、今の志島さんに負けないくらいはっきりと言った。


「志島さんの、喉ちんこが大好きです!」

「喉……えっ?」


 形の良い瞳をまん丸にして、志島さんが固まった。

 え? あいつ今なんて言った? 喉……ちんこ? 噓でしょ? そんなことある? そんな告白ってある? 


 っていうか……海香の喉ちんこをアイツは見たことがあるってことぉ!?


 同様にフリーズしていた観衆の間にも、徐々にざわめきが広まっていく。誰もが戸惑っている。ここがラストチャンスだ。


 えっえっえっ、とワタワタしている志島さんへ身を屈めて一気に距離を詰めると、その華奢な身体を腰に乗せる。体育でも習った基本の投げ技、大腰だ。

 志島さんの足が浮く。腰に体重がかかるのを感じる。乗った。いける、投げられる。勝てる――!


 確信したのも束の間だった。志島さんは僕の背中を土台にして、ハンドスプリングの要領で身体を跳ね上げた。

 背負っていたものが突如としてなくなり、投げにかけていた運動エネルギーは僕自身のバランスを崩させた。

 よろめき傾く視界で、志島さんは僕に正対する形で百点満点の着地を決める。その勢いのまま僕の右腕を捉え、前に流れる僕の身体を背にした。

 ふわり、と再び僕の身体は重力から解放される。そこからはまるでスローモーションのようだった。


 天地が逆さまに見える。まるで水の中で揺蕩うような感覚だ。腕を引かれてるのに、今まさに投げられようとしているのに、まったくそのエネルギーを感じない。

 驚くほど優雅な弧を描き、僕の身体は回った。


 気づいた時には床に大の字になって転がっていた。着地の衝撃すらなかった。

 音が戻ってくる。観衆の息を呑む音が聞こえる。声をあげる人は誰もいなかった。皆が見惚れていたのだ。物事は極めれば全てが芸術の域に達する。志島さんの武技は、まさにその領域にあったのだ。


 もう終わり? と再び志島さんが挑発的な笑みを浮かべてくる。まだまだ! といきたいところだったが、不思議なくらいに闘争心が湧いてこなかった。

 完膚なきまでに心を折られたのかと言えばそれも違う。負けた悔しさはもちろんある。しかしそれ以上に胸を満たすのは、恍惚とも言うべき眩しい感情だ。


 ……それもそうか。僕はこの場にいる誰よりも近くで志島さんの技を目にし、全身をもって味わったのだ。大作映画を見終わった後のように、全身が満足と疲労のブレンドされた充足感に包まれていた。

 ずっとこの感情を味わっていたくて、僕はなんだか立ち上がりたくなかった。


「……いや、完敗です。さすがの技です。身体の全てが魅了されました。もう戦えません」


 僕の敗北宣言を聞き、観衆は志島さんの勝利にどっと湧いた。自然と発生する「海香、最強! 海香、最かわ!」のコール。おっと、「くたばれ! 花岡!」コールもあったか。

 ゴーレム先輩はどこかから持ってきたタオルを振り回しながら叫んでいる。人目もはばからずに大号泣だ。ガチファン過ぎて周りも若干引き気味だが、僕はその熱さを好ましく思う。

 志島さんは「そっか」と呟くと、大の字のままの僕を見下ろしながら言う。


「それより、大丈夫だった? 怪我してない?」

「いえ大丈夫です。全くなんの問題もありません。というかあれだけ見事に投げられたのに、衝撃がほとんどなくてビビりました。さすがですね。……それより志島さん。改めて言いたいことがあるんです」

「ん? なに?」

「僕、志島さんのことが好きです。僕と付き合ってもらえませんか?」


 志島さんは一瞬目を丸くしたが、やがてフフッと笑って言った。


「ごめんね。私、自分より強い男の人がタイプなの」


 無垢な少女を思わせる、いたずらっぽい笑みに僕はまた心を惹かれてしまった。太陽の光が水面に反射するように、その瞳はきらきらと眩しい輝きを放っている。


 うーんいいね! その言葉が聞きたかった!

 そんなことを言いつつ僕はようやっと立ち上がる。その様子を見て志島さんは「変わった反応だ」と笑った。


「海香ー! お疲れ! 凄いよカッコいいよ最高だよ!」


 興奮冷めやらぬ様子でゴーレム先輩が駆け寄ってきた。ついでとばかりに僕をドンと必要以上に力を込めて押しのける。


「ありがとう玲夢。それと……ごめんね。私今まで玲夢に嘘ついてたんだ。ほんとは私、こんな感じなの」


 髪が乱れるのも構わずにゴーレム先輩はブンブンと首を横に振る。


「ううん、違う違うのそんなことない。海香は悪くないの。あたしが、海香の気持ちをもっと考えてあげられてたら……」

「私の気持ちは変わらないよ。武道が好きなのは本当だけど、玲夢と遊ぶのが好きなのも本当だもん。……私、今度髪の毛を切ろうかと思うの。短めにしたくって、ほら……動くには今はちょっと長すぎるから。一緒に、着いてきてくれないかな……?」


 頬をほんのり染めながら志島さんが言うと、ゴーレム先輩はブンブンと今度は首を縦に何度も振った。


「うん! うん! 海香なら、どんな髪型でも似合うよ!」


 じゃあ約束ね、今度の週末どうかな? と仲睦まじく予定を合わせる二人を、微笑ましい気持ちで見守る。


「花岡ァ……! お前、どさくさに紛れて海香の腕を掴んでたな……? 跡付いたらどうすんだ責任取れんのかお前の皮膚よこせ」


 と思っていたらすかさずゴーレム先輩が僕を恫喝しにかかってきた。オンオフの切り替えが凄いぜ。


「れ、玲夢……。勝負のことなんだから仕方ないよ。それより真尋君、短い期間なのに本当に強くなったね。びっくりしちゃったよ。ちゃんと頑張ったんだなって分かって嬉しくなった」

「学校でも道場でも常に命懸けの生活を送ってたおかげです」


 そんな大げさなと志島さんは笑うが、これが本当なのだから仕方がない。ちなみに僕の命を執拗に狙っていた一人は、今志島さんの隣で素敵な笑顔を浮かべている。


「でも、あの発言はびっくりしたな。ほら、あの……喉……ほら」

「ああ、喉ちんこですか?」

「そうだ花岡! お前なんだあれは! セクハラか? 純情な海香を動揺させようって腹か? やり口が汚いぞお前らしくもない。いつもの花岡なら、もっとこう……真正面から気持ち悪いじゃんか。しょうもない嘘つくなよ」


 うーん、判定が非常に難しいけれど、ぎりぎり褒められてると受け取っておこう。


「いや嘘じゃないですよ。ガチです。大真面目です。本気で僕は志島さんの背負い投げと、喉ちんこに心奪われたんです」


 はっきりとそう答えた。言葉の通りだ。この気持ちに嘘は一ミリも入っていない。だから、まっすぐ目を見て答えられた。

 アホかお前は……と呆れ顔を見せているゴーレム先輩の隣で志島さんは、


「あっはははは! 本当なの? なんだそりゃ!」


 ゲラゲラと大口を開けて、お腹を抑えて笑っていた。線のようになってしまっている目尻には涙すら見える。

 志島さんから発せられた豪快な笑いの爆発を、呆気にとられたような顔でゴーレム先輩は見ていた。


 そして僕は……その気持の良い笑顔の奥で蠱惑的に揺れるものに釘付けになっていた。まったく、この人は一体何度僕を惹き付ければ気が済むんだろうか。


 気づけば武道場内にはいつか見たオレンジ色が染み込み始めていた。そこに響き渡る志島さんの笑い声で、道場全体が揺れていた。

 それがなんだか喜びに弾んでいるような気がして、僕は自然と口元を綻ばせた。

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