第25話 道のりは険しい

 このような経緯があり、僕は今日こうして志島さんと道場にやってきたのだ。人頼みと言われればその通りだが、僕は文字通り命をかけてこの状況に繋げたのだ。

 うーんと唸り続けていた潮さんは次に志島さんに向き直る。


「そもそも海香。この男がなぜこの道場に入門しようと考えているのか、その理由を知っているのか?」

「ああ、うん。それは知ってるよ。私に勝つためでしょ? それが目的なら、確かに合理的な選択だと思うな」

「合理的……。合理的か……まあ確かにその通りではあるんだが……」


 腕を組んで考え込む潮さん。たまに見せる志島さんのこのドライな考えには僕も少し驚く。やっぱり武道になると人が変わるんだろうか。


「海香、お前はそれでいいんだな?」

「私は……私が決めることじゃないよ。真尋君が武道を学んで強くなりたいというのなら、誰にも止める権利はないでしょ? だからお父さんも変な意地張ってないで教えてあげなよ。来るもの拒まずがうちの道場の方針だったはずでしょ?」


 そうだったのかよ。思い切り拒まれた気がするんだけど。

 さて、志島さんに頼りっぱなしでいるわけにもいかない。もちろん奥の手として一緒に来てもらったけれど、僕自身の口から改めて言わなくては。


「僕、本気で強くなりたいんです。志島さんに勝ちたいんです。勝って、胸を張って志島さんに告白したいんです!」

「こ、こくはっ……!? 貴様、そんな邪な気持ちで武道を学ぶつもりか!」

「邪なんかじゃありません、僕はマジです! それに、大抵の人は武道を始めた理由なんて俗っぽいものだって、この前言ってたじゃないですか」


 直も潮さんは納得いかなさそうな表情を見せる。このオッサンも強情な人だ。仕方ない……。志島さんにも明かしていない、真の奥の手を出すか。僕も鬼ではないので、できればこの手は使いたくなかったのだけれど……。こうなっては是非もなしだ。

 僕はススっと潮さんの隣に歩み寄ると、志島さんには聞こえないくらいの声量で話しかける。


「そういえばですが……。この前来た時に差し入れした、あの本。口では拒否するようなこと言ってましたけど、しっかりと受け取ってくれましたね。どうでしたか?」

「なっ、あれは! 貴様が勝手に置いていったんだろうが。受け取ったつもりはないぞ!」

「でも、それならば突き返すはずですよね? でもあなたはそれを最後まで手放さなかった……。うっかりしていたんでしょうか? ならば、今日ここで返却してもらっても良いですか?」

「き、貴様……! まさか、そのために海香を……? どこまで外道なんだ……!」

「言ったでしょう。僕は本気なんです。そのためならばどんな手でも使う所存です。さあ、どうしますか? あくまでも僕の入門を拒むのなら、この前の贈り物を返してください。娘さんの、目の前で」


 ぐぬぬ……と歯噛みをする潮さん。そして、きょとんとした顔で僕らのひそひそ話を見守っている娘の姿を見て……。


「貴様には……呆れた」


 ついに顎の緊張を解き、ほぉーっと深いため息を一つついた。


「海香には、勝てんぞ。なぜならこの子は俺よりも強い。俺が勝てない相手への勝ち方を、俺は教えることはできん」

「問題ありません。確かに、ここで学んだことをそのままぶつけるだけじゃ勝ち目はないのかもしれない。でも、僕自身がこれまで培ってきたものを加えることができれば分からないでしょう? 志門流武術は、様々な要素を融合させて破壊し、自分だけの武道を見出す……でしたね?」

「そこまで分かっているのなら……いいだろう。花岡真尋、貴様の入門を認める」


 あくまでも不承不承といった空気ではあったが、確かにそう言ってくれた。よし、よし! ようやく第一関門突破。僕の計画はここからだ。

 志島さんはもしかしたら僕以上に喜んで「やったね真尋君!」と声をかけてくれる。


「ありがとうございます志島さん。僕はここで修行して、必ずやあなたを倒しにいきます」


 頑張ってねと笑う志島さん。その明るさが、僕を全く敵とみなしてはいないようで少し歯がゆい。


「ふむ、まずは軽く貴様の実力が見たい。どのくらい動けるのかくらいは確かめておかないとな。……とはいえ素人をいきなり門下生達と組ませるわけにもいかん。怪我でもされたら大変だからな」

「この前思いっきり門下生と戦わさせられた気がするんですがそれは……?」

「あれは稽古でもなんでもなく、ただの復讐だったからよしとする」


 はっきりと言いやがってこのクソ親父が! と思ったが、今やこのオッサンは僕の師範。グッとこらえて、口の中で嚙み殺した。


「ちょうどいい。海香、お前が相手してやりなさい。ある程度ブランクのあるお前なら、組み手のいい相手になるだろう」


 ちょちょちょっ、何言ってんだこの人。話聞いてたか? 志島さんになんとかして勝つためにここで修行しようとしてるのに、その志島さんがちょうど良い相手なわけないでしょうが。

 志島さんもこの指示には面食らったようで、「わ、私が……?」と困惑していた。そらそうなるよ。

 僕は師匠となった潮さんの脇腹を遠慮なく小突く。


「あの、どういうつもりですか? 今の僕が志島さんに挑んだところで、実力を見るとか以前の問題になりますよ」

「そんなことは当然分かっている。俺にも考えがあるのだ。貴様も我が志門流に入門したのなら、俺の指示には従ってもらうぞ」


 キッパリとそう言われてしまったので、僕と志島さんは「どうする?」「どうしましょう?」と顔を見合わせる。


「私は……大丈夫だよ。真尋君さえ良ければ、だけど」

「いや、僕のほうこそもちろん。断る選択肢なんてありませんよ」


 じゃあ、やる? じゃあ、やりますか……? となんとも微妙な空気のなか、僕と志島さんはここで模擬戦を行うこととなった。


 潮さんから押し付けられるようにして道着を渡された僕は、更衣室に移動してそれに袖を通す。素肌に触れる生地が普段着と比較するとゴワゴワとしていて丈夫な質感だ。

 普段は柔道の授業の時くらいしか着ないけれど、いざこうして身にまとってみると心が引き締まるような気持ちになるのは、僕の遺伝子に刻まれた大和魂のせいだろうか。


 そんなことを思いつつ道場内に戻ると、志島さんは変わらず制服姿のまま正座をして待っていた。

 先程までは稽古に明け暮れていた門下生たちは志島さんを囲うようにして、遠巻きにその姿を見つめている。


「ああ、お嬢が……。お嬢が再びこの武道場に足を踏み入れる時がくるとは……!」

「俺、武道続けてて良かった……!」

「お嬢……あの日俺にかけてくれた言葉を覚えていますか? 約束通り俺は強くなりました。あなたに相応しい男になるために……」


 目尻には涙すら浮かべながら、門下生たちは口々に歓喜の言葉を紡ぐ。制服姿の志島さんでも、彼らにとっては待ち望んだ帰還だったようだ。ひょっとして、潮さんの狙いはこれか?

 当の志島さんといえば、そんな空気感はどこ吹く風で、


「おお真尋君、なかなか似合ってるね。やっぱり身体を鍛えてると道着が映えるよ」


 などといつものテンションで話しかけてくる。


「ま、真尋君……だと!?」

「俺、武道続けてて良かった……。あいつをこの手で捻り潰してやれるのだから……」

「両手足と首を捻じ切り、五大大陸それぞれに捨ててやる」


 ほーらほらほら! 歓喜の声が一瞬にして怨念のこもった呪詛に変わっちゃったよ! 今度こそ僕生きて帰れないんじゃ?


「あ、あはは、ありがとうございます。志島さんは……道着じゃないんですね?」

「うん、私に合うサイズがなかったし、それに長居するつもりもないしね。用が済んだら速やかに退散するよ」

「なるほどそうですか。でも、志島さんの胴着姿も見てみたかったですねー」


 二言三言、そんな会話を交わしていると、奥の部屋からヌッと出てきた潮さんが道場内の中央部、僕らの間に立って言う。


「よし、二人とも準備はできたようだな。それでは所定の位置について、向き直れ」


 よく通る声だ。その声に従い、僕は臨戦態勢を取る。志島さんは……いつもと変わらずだ。


「はじめ!」


 合図と共に飛びかかる僕。そして、いつものように余裕の敗北を喫した。




「ふむなるほど……。大体現状が分かったように思う」


 いとも簡単に僕をぶち転がした志島さんが「じゃあ私そろそろ帰るね。真尋君、頑張ってね」と涼しい顔で退散したのを見送ると、潮さんはそう言った。


「本当ですか? 正直、何かを判断させる間もなくやられちゃった気がするんですけど……」

「ああ、貴様のことではない。そもそも素人の動きなど見ても無駄だ。身体能力の如何にかかわらず、我が道場では一から教えていくからな」


 ええ……じゃあ今のはなんだったのよ……。

 そんな僕の表情を察してか、潮さんが続けて言う。


「今の海香が武道に対してどのような想いを持っているのか……それを確かめたくてな」


 だから正直貴様はどうでも良かった、と続ける。随分な扱いだ。


「この前貴様に言われたこと……腹立たしいが、その通りだったと感じる。海香にとっての幸せは、武道を続けることだったのではないかと。俺が思う、"普通の女子の幸せ"を押し付けるのではなく、な」

「そのこと自体は別に間違いとは言い切れないと思いますけど……。で、見てみてどうでした?」

「……貴様は既に何度か海香に挑んでるのだったな? 海香はいつもあんな調子か?」

「えーと、まあ……今日も、いつも通り……でしたね」


 その返答を聞いて、潮さんは「そうか……」と小さくため息をついた。


「花岡真尋、道のりは険しいぞ」

「それは分かっているつもりです」

「貴様が考えているよりもずっとだ。恐らくだが、あの程度のことなら勝負の範疇にも入らんと思っているのだろう。だから貴様の挑戦も受け続けたのだと思う」


 潮さんから告げられた衝撃の事実に、思わず愕然としてしまう。次元が違うとは思っていた。勝負になっていないとも思っていた。だけど、そもそも勝負の土俵に上がってもらえてすらいなかったのか。これでは負けたことにすらならないじゃないか。


「道着を身に着けなかった時点で怪しいと思っていたが、やはりあの子は今武道を再開するつもりはないのだろう。一度決めたら頑固な子だ。……そう決めさせてしまったのは、他ならぬ俺だが」


 というわけで、と言って潮さんは続ける。


「相当努力せねばならんぞ。海香に再び武道の世界に戻ってもらいたいのならば。まずは勝負相手として認めてもらうところからだな」


 こうして第三者から、それも武道の専門家たる人から意見をもらうと、自分が結構な無茶を通そうとしていることが分かる。でも、それが諦める理由にはならない。無茶できるのであれば、いけるところまでは無茶したい。

 改めて僕は「よろしくお願いします!」と腹の底から声を出す。


「うむ、とりあえず威勢だけは一人前だな。結構なことだ。幸いここには、主に貴様に対して特別血気盛んな者で溢れている。手合わせをする一戦一戦が、心を削るような厳しいものになるはずだ。半面成長も早いと言える。心してかかれよ。気を抜くと死ぬぞ」


 はい! ともう一発、声に気合を込める。潮さんの言う通り、この道場内で気を抜いたら冗談ではなく僕は死ぬ。ここの連中ときたら、稽古にかこつけて僕の息の根を止めようとしている連中ばかりだ。


 ……考えてみれば学校も僕の命をつけ狙う連中で溢れてるよな。ひょっとして僕ってば国際的な要人なのかもしれない。その割にはSPがいないのが気になる。クールで美人なお世話係兼ボディーガードのお姉さんとかいないの? でも僕は志島さん一筋だからごめんね。嫉妬させちゃうかもなあ。

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