第24話 最終兵器志島さん
「また来たのか貴様は」
「諦めないって言ったので」
翌日も僕は志門流道場に来ていた。連日姿を見せた僕を潮さんは嫌そうな目で見る。
「何度来ても答えは変わらないぞ」
相変わらず表情の固い潮さんを「まあまあ」となだめつつ、僕は用意して来たものを差し出す。
「なんだこれは……?」
「プロテインです」
「バカにしてるのか貴様はぁ!」
「なんでだ! マッチョの大好物といったらプロテインじゃねえのかよ!」
「アホ抜かせ! 身体を鍛えるといっても、それは単に筋肉をデカくすることが目的ではない! 自然の食事で十分だ、持って帰れ!」
く、クソ! 完全に目論見が外れた! 水泳部の同期で筋トレが趣味の池田君は常にプロテインを携帯してるしうんちくも語ってくるから、てっきりマッチョは漏れなくプロテインに目がないものだと……。
仕方ない、ならば奥の手を出すか。できればこれは使いたくなかったのだが……。
僕は懐から秘蔵の品をスッと差し出す。家で丁寧に包装してきたものだ。
「なんだこれは?」
「厳選した最高級品です。ご確認ください」
訝しげな顔をしつつ潮さんは包装紙を剥がしていく。中から出てきたのは一冊の本。
「これは……これは……エロ本じゃねえか!」
「気に入っていただけました? ならば、僕を入門させてください!」
「させるか愚か者! こんなもので一流の武道家は絆されんぞ!」
そんな……嘘だろ? 僕の選んだ珠玉の逸品だぞ。姉貴の苛烈な捜索網から隠し通し続けた、僕の秘蔵っ子だぞ。
「武道家だって一人の男じゃないですか! 特に運動してる男は皆漏れなく喜ぶ品のはず!」
「高校男子と分別ある大人を一緒にするな! 本能を律してこその大人だ。舐めるなよ!」
「でも僕の父さんは家の離れに秘蔵書庫を作っていました!」
「そりゃいくつになっても男はロマンを追い求めるものだ! だが表には出さんし贈り物にもせん! そうだろうが!」
「そう……だったかな。親戚の見舞いに行ったとき、クソ真面目な顔でセクシービデオを差し入れるのを見たような……」
「そうだとしたら、お前の周囲が変わってるんだぞ……」
「だとしても、僕はたとえいくつになっても喜びたいし好きを公言したいし、良いものは人に勧めたりしたい。自分にだけは嘘をつきたくないんだ!」
啖呵を切ると、勢いに気圧されたかのように潮さんはグッとたじろぐ。そしてコホンと咳払いを一つして言った。
「……そうだな。貴様の言い分にも一理ある。それもまた一つ芯の通った生き方だろう。だが俺は武道家だ。心身共に極める道に生きる者だ。だから俺は自分を律する。俺と貴様は生き方が違うのだ」
胸を響かす低い声で、ずっしりと重みのある言葉をぶつけてくる。そこにあるのは高校生男子としょうもない言い争いをするオッサンではなく、道場を背負って立つ師範の顔だ。
「今日のところは……僕の負けのようです。大人しく引き下がります」
「そうしなさい」
「ですが、僕はやっぱり諦めません。あなたが首を縦に振るまで何度でも門を叩きます」
「それはやめろ。……と、言いたいところだが勝手にしろ。貴様くらいの年齢には壁にぶつかる経験が必要なのだろう。ならば、人を教え導く者として、俺が貴様の壁になろう。何度来ようと、答えは変わらんがな」
その言葉をしかと心に受け止め、僕は大きく頷く。そしてくるりと踵を返し、胸を張って堂々と退室した。
結果としては今日も空振りだった。しかし得るものは大きかったように感じる。僕はまだまだ前に進める。やるだけやってみるさ。
そんな気持ちで家路に着こうとして、
「…………あっ」
ふと気がついた。
僕のエロ本、ちゃっかり回収された。
「また来たのか貴様は……」
「諦めないって言ったので」
そのまた翌日、懲りずに姿を見せた僕を見て呆れたように潮さんは言った。
暇人なのかと言われたが決してそんなことはない。平日放課後は普通に部活がある。
ならなぜ今こうしてここにいるのかと言うと、久方先輩とゴーレム先輩に頭を下げて休ませてもらったのだ。
男子部と女子部を預かる二人の部長は声を揃えて言った。
「そんな、いいんだよ別に用があるなら。強制参加じゃないんだから」
「逃げるつもりか花岡……? 明日のメニュー三倍にするからな」
う〜ん。両者共に僕への思いやりに溢れた優しい言葉だ。良い先輩達をもって僕は幸せだなあ。
「今日の僕は一味違うんです。奥の手を用意してきました」
「奥の手?」
眉をひそめながら潮さんは言う。それを聞いて、僕は扉の向こうに「お願いします!」と声をかけた。
ガララと引っ掛かりのある引き戸が開けられる。
「…………は?」
「や、やっほーお父さん」
入室してきたのはぎこちない笑みを浮かべる志島海香さんだった。
僕が「お付き合いいただきありがとうございます」と頭を下げると、「いえいえそんな」と志島さんもぺこりと頭を下げる。
状況について来れていないのは潮さんだ。口をぽかんと開けて、僕と志島さんの顔を交互に見比べている。
「う……海香……? お前、どうしてここに……? 花岡、貴様は一体どういうつもりなんだ?」
「どうしたもこうしたもない。これこそが僕の奥の手! さあ志島さん、お願いします!」
さあさ、ずずいと。
恭しく誘うと、志島さんは若干戸惑いつつも前に出てくれる。
「え、えーと……。別に、入門くらい許してあげてもいいんじゃないかな? なんて思ったり……」
「花岡貴様ァ! プライドはないのか! 奥の手が代行ってどういうことだ!」
「いかなる困難に対しても、あらゆる手を尽くして突破する方法を模索する。それこそが僕の信念です!」
だからって手段を選ばなさすぎじゃないぃ!? と潮さんは固そうな短髪をガシガシとかきむしる。
そりゃもう、目的を達成するためにはあらゆる手段を用いるって決めてたからな。
あまりにも潮さんが頑なだったので、正攻法での突破は少し諦めていた。ならば次はどうするのが良いか。コネを使うしかない。そして、僕が持っている志門流へのコネは一本しかない。
次に相まみえる時はあなたに勝つ時です! などと心に誓った手前少し恥ずかしかったが、でも直接口に出したわけじゃないしなーと開き直り、今朝僕は志島さんのもとを訪れていた。
当然苛烈な妨害にあったが、今回は別に争いに来たわけでも果たし状を突きつけに来たわけでもなかったのでいったん大人しく拘束されることにした。そして、とにかく話がしたいだけなんだ、絶対に危害は加えないからという旨を切に伝えた。……けど、頑として話を聞いてくれなかったのでアプローチ方法を変えることにした。
「いいのかそんな態度で。僕は今すぐにでもここで裸になれる男だぞ。知っているだろう?」
それがどうしたんだと言いたそうな顔の群衆。僕は重みのある声で続ける。
「集団に囲まれた中に、真っ裸に剥かれた男子生徒が一人。こんな光景を見たら、先生方は何を思うだろうか……?」
連中は顔を見合わせて答える。
「普通の男子生徒ならこっちが問題視されるだろうけど、花岡だったら花岡が自分から脱いだだけだと思われるんじゃないか?」
ぐっ……。痛いところを突きやがる。
そもそもなんだけど、僕への評価がおかしすぎない? この状況で本当に裸に剥かれたとしても僕を擁護してくれる声は出ないってこと? 人生ハードモードすぎるだろ。グレるぞ。
かくなる上は全裸になってお前らの机の上でブレイクダンスしたろうかという方向性で脅してやろうと思ったところ、どこか聞き覚えのある声が「ちょっと待ってほしい」と、この喧騒に待ったをかけた。
周囲をゆっくりと見渡しながら歩み出てきたのは我がクラス委員長の安井君だ。
「皆、落ち着いて聞いてくれ。ご存じの通りこの男は普通じゃない。そして、こういう人間を無理に突っぱねると何をしでかしてくるか分からない。ここはある程度要求を呑むのが最も平和的な解決が望めると思うのですが、どうだろうか」
おい、無敵の人扱いかよ。
ああ見えて無駄に論理的で説得力のある安井君の言葉に群衆がざわつく。
「君の言うことには一理あると思うけれど、でもやはり危険すぎないか? 志島さんへの危害を考えると、やはり徹底的に排除しておくべきでは……」
「僕に考えがあります」
そう言って安井君はパチンと指を鳴らすと、同じくクラスメイトの坂本君が忍者のようにシュバっと出現した。
「こちらの坂本君は高校一年生でありながら、日本のありとあらゆる緊縛術をマスターしている拘束の達人です。彼の技なら、確実に自由を奪うことができるでしょう」
安井君が説明をしているなか、坂本君はスッと僕の方に近づいてくる。何をするのかと見ていると、どこからか取り出した縄を新体操のリボンのように躍らせ、瞬時のうちに僕を椅子に縛り付けた。
「えっ、えっ、えっ。なにこれどうなってんの? 縛られた感覚もなかったのに、全然力入んないんだけど!」
「さらに、この首元から垂れた縄をグッと引っ張ると……」
「引っ張ると……?」
「首の骨をへし折ることができます。女性の力でも、いとも簡単に」
「付けるなそんな危険なもの! 何かの間違いで引っかかったらどうするつもりだ!」
「その時はその時だ」
その時が発生したら、僕死んでしまうんですけど……。
坂本君の鮮やかな技に「おお、凄い……!」「これなら安心ね!」「いっそ首の紐引いてしまったほうが良いのでは?」と群衆は口々に賞賛の声を挙げた。何人かが僕の処刑を提案しているような気がしないでもない。
こうして僕はようやく志島さんへの面会を果たした。椅子にガッチリと縛り付けられた状態で、ゴロゴロと台車に乗せられ登場した僕を見て、さすがの志島さんも目を丸くした。
「やあ真尋君こんにちは。今日は……どうしたの?」
「ここに来るために色々とありまして……。ところで志島さん、今日は果たし状を持ってきたわけではなく、単にお願いがあって来ました」
志島さんは目線で「なあに?」と先を促す。
「今日、僕に付き合ってくれませんかァっ!??」
言い終わるが早いが、そばに付いていた安井君に首元の縄をグイっと引っ張られて「うっ」と息が詰まる。
「何を言うか貴様! 恐れ多くも、志島さんと放課後デートを画策するだとォ!? 許されると思ったのかそんなこと! 羨ましい!」
「ちょっ、危ない危ない! デートってわけじゃないから! ちょっと用事に付き合ってもらいたいだけだから! あと、その縄は僕の命と繋がってるからぁ!」
やめろ! やめろ! と必死に抗議をするが、一度ヒートアップした群衆は止まらない。暴動とはいつもこのようにして起きてしまうのだ。ああ、僕はここで儚く散ってしまうのか。心半ばにして……。
覚悟を決めたその時。いつかのように絶体絶命の僕を救ったのは、志島さんの涼やかな声だった。
「あ、その縄あんまり引っ張ると危ないよ」
そう言って縄を握る安井君の手をそっと握って止める。決して強くは握っていないようだったが、その柔らかな静止で安井君の暴走はピタリと止まる。
「ア、ア、ソッスネ! こりゃウッカリ! フシュシュ!」
「うっかりしてるうちに真尋君が大変なことになっちゃうよ」
苦笑いで収めつつ、志島さんはスルスルと僕の拘束を解いていく。以前クラスの連中に拉致された時も、僕を開放してくれたのはそういえば志島さんだった。
いとも簡単に縄を解いていく様子に驚いたのを覚えているが、今考えるとなんとなくしっくり来るような気もする。
「ああッ……! 俺の珠玉の拘束を、またもやいとも簡単に……。自分の全てが涼しい顔で破壊されていく感覚……! なんだ……? なぜ俺は今こんなにも高揚しているんだ……?」
ウホァアアとトリップする坂本君を尻目に、志島さんは僕だけに聞こえる声で囁いた。
「さっきの件、今日いいよ。あとで集合場所送ってね」
くすりとささやかな笑顔。その表情に僕はキュッと胸を掴まれたような気持になる。
僕は武道をしている時の凛々しい志島さんが好きだ。でも、こうして学校で見る志島さんも……やっぱり好きだ。この人、綺麗すぎるよ。
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