第23話 何度でもその門を叩くぞ

 この週末は朝から水泳部の練習だった。元々僕に対して当たりがきつかったゴーレム先輩は、最近の僕の行動を特によく思っていないらしい。腹いせ半分といったところでとにかくハードな練習を課してきた。もう死ぬほど泳がさせられた。後半は半分溺れていたような気がする。

 たまらずプールから上がろうとする僕をゴーレム先輩は容赦なくビート板でしばき倒し、水の中に叩き落とした。


 そんな僕を見た松岡は羨ましそうに「いいなあ……。いったい何をしたら先輩にビート板でスパンキングしてもらえるんだ?」と聞いてきた。どうやら志島さんにアプローチすればその望みは叶えられそうだが、そんなことをされたら僕は松岡を殺さなければならないので黙っておいた。


 鬼軍曹と化したゴーレム先輩が言うには「このくらいで根を上げるような奴は海香に相応しくないんだよ!」とのこと。

 流石に耐えきれなくなって「じゃあゴーレム先輩はどうなんですか? 志島さんの親友を努める資格はあるんですか?」と煽ったところ、「ああ!? ナマ言ってんじゃねえぞ!」とバチ切れでプールにダイブ。そこからはお互い一歩も譲らず、常軌を逸したスパルタメニューを煽り合いながらこなすこととなった。泳ぎながら煽っていたので水をしこたま飲んだりした。


 最終的に見かねた久方先輩が制止するころには、僕とゴーレム先輩は虫の息だった。お互いプールサイドに転がってゼェハァと荒い息をする。僕は水を飲んだせいで盛大にえづいてしまった。


「さすが……やりますね……先輩……」


 忘れがちだがゴーレム先輩は県内でもトップクラスの水泳選手だ。


「こ、こんくらい……朝飯……前……よ。うぷ」


 うぷって言うてるやん。

 部員たちは半死半生の僕らを心配してか続々と差し入れをくれた。ゴーレム先輩にポカリを。ゴーレム先輩にタオルを。そしてゴーレム先輩にチョコレートを。

 ……僕には?


「花岡……お前、人望ないなあ……。そんなやつに海香は相応しくないなあ……」


 う、うるせえやいうるせえやい! 僕は、誰の施しも受けねえんだい! とでも言い返してやりたかったがその元気がない。

 何も言えずに伸びていると、顔の隣にスッとポカリが現れた。ちらりと視線を横にやると、大丈夫? と心配そうな顔をした久方先輩がいた。先輩はとても優しいんだ。


 せ、先輩……! 僕、もし仮に志島さんがいなかったなら先輩と結婚してたかもしれないです……! でも今の僕には志島さんがいるので……! すみません……!


 そんなことを言いつつポカリをグビグビと喉に流し込むと、身体中に水分と塩分とエネルギーが戻っていくのを感じる。萎んでた浮き輪に空気が充填されるような感覚だ。しみるぜぇ……。

 木管楽器のようなアルトボイスで「あ、あはは……。僕、なんか振られちゃった……?」と苦笑いする久方先輩。

 そんな様子を見てゴーレム先輩は大きなため息をついた。


「ちゃんと花岡を教育しとけよ……」


 そう言って僕に個包装のチョコレートを二つ三つ投げて寄越す。

 水分と塩分を補給し、今とにかくカロリーが欲しい僕はそれに飛びついた。


 ありがとうごふぁいまふ、とモグモグしながら言うと「ここで死なれると廃部になっちゃうからな」と返ってきた。んもう、素直じゃないんだから。


 久方先輩は僕が元気よくチョコレートを咀嚼する様子を見て少し安心したのか、「じゃあ二人とも、しっかり体を休めること。今日はもう泳いじゃ駄目だよ」と言い残して去っていった。

 それを見送ると、ゴーレム先輩は僕の方へ鋭い視線を向けてくる。


「……で、アンタは最近何がしたいわけ?」

「海外旅行とかしてみたいっすね」

「ん? もういっぺん泳ぐか?」

「嘘です嘘です冗談です! 分かってますて」


 ゴーレム先輩から僕に聞いてくることなんて、文脈的に考えても志島さんのこと以外にありえないだろう。


「あれは僕なりの熱烈なアプローチであり、志島さんの魅力を最大限引き出すための活動なのです」


 返答はないが分かる。あれは「お前何言ってんだ?」の顔だ。


「ゴーレム先輩だって、志島さんと買い物に出て服を選んだりしてるでしょ? それと同じです。志島さんの魅力をもっと深く知りたいんですよ」


 志島さんに惹かれる人は沢山いる。その中で、僕は他の人があまり見ていない志島さんの一面に惹かれた。その意味で僕はマイノリティだ。でも僕は負けない。


「それがなんで海香に決闘を挑むことに繋がるんだよ……」

「それは……今のところ、秘密ですが。そのうち分かってもらえるように頑張ります」

「いいよ頑張らなくて。よく分からないけど、海香にケガさせたりしたら殺すからな」


 ギロリと睨まれる。志島さんに傷をつけられるようになれば他の人間に屈することはそうそうなさそうだが、このゴーレム先輩ならやりかねない。目がキマっている。志島さんのこととなると先輩はおかしくなるようだ。


「決闘を挑んでいる以上中々難しい問題ですが、僕だって志島さんに怪我なんてさせたくありませんよ。……でも、ちょっと意外ですね。ゴーレム先輩なら怪我をさせるさせないの前に、次に果たし状を渡した時がお前の命日だ、とでも言ってくるかと思いました」

「いや、最初はそうしようと思ったよ。当然」


 当然のように抹殺されるのはちょっと困っちゃうなー僕。


「でも海香に止められたんだよ。大丈夫だから、そんなことしなくていいよってさ。それに……」


 ゴーレム先輩は少しだけ遠い目をする。


「なんだか海香、ちょっと楽しそうなんだ。小学生の頃の、ヤンチャだった雰囲気があってさ。ひょっとして海香、今でも武道をやりたいのかな。だとしたらあたし、海香に悪いことしちゃったかな……」


 それは海香のみぞ知るってやつだ。だけど、僕が感じた直感は、今ゴーレム先輩が感じている疑念と同じだ。僕はこの直感を信じて行動する。


「志島さんの武道への思いは分からないですけど、少なくとも言えるのは、ゴーレム先輩は悪いことなんかしてないってことですね」

「なんだよ偉そうに」

「いや、だって分かりますもん。志島さん、ゴーレム先輩にいつも感謝してたから。一緒に遊ぶのは楽しいって言ってましたよ。だからそんなことありえないですよ」


 そう伝えると、ゴーレム先輩は一瞬面食らったような表情を見せる。だが、またすぐに不機嫌そうな顔に戻った。


「フン、生意気言うな。それに、海香が本当に武道のことを今でも好きなんだとしたら、あたしはそれを否定したことになる。悪いことじゃないとしても、間違ってたってことだろ」


 うーん。潮さんと話した時も感じたことなんだけど、誰が正しいとか間違ってるとか謝らなきゃとか、そういう話じゃない気がするんだよな。


 だけど、現状はこれも僕の推論に過ぎない。

 全てを明らかにするためには、僕が引き出すしかないんだ。志島さんが胸に秘める本当の想いを。

 そのために僕は強くなると決めたのだ。どんな手段を用いてでも。




 そして午後。

 非人道的なオーバーワークでヘトヘトの身体に鞭打って足を運んだのは志門流道場の前だ。


 この前は潮さんと話をするためにここにやって来た。今日の目的はそれとは違う。むしろ、道場に来る理由としては今日の方が正統派だ。

 僕はここに、稽古をつけてもらいに来た。つまりは志門流道場に入会をしに来たのだ。


 志島さんからも指摘されたことだが、僕にはとにかく武道に対してはずぶの素人だ。このまま闇雲に身体を鍛えたとて、達人である志島さんにはまず太刀打ちできないだろう。


 だけど、それならば武道を学べばよいのだ。そして修行をするのならば、やはりここしかないだろう。ここには志島さんの武道の全てが詰まっている。それを学ぶことで見出だせる道もあるはずだ。……よし!


 こんにちはーと挨拶をしつつ引き戸をガラガラと開ける。ちょうど門下生の方がいたので「あのーすみません」と声をかける。


「あん? ……ひ、ヒエッ! 花岡真尋!?」

「ん? ああー! 確か、遠山さん?」


 この前来たときに対花岡三番勝負の大将を努めた遠山さんだ。理由は全く分からないのだけど、なんだか酷く怯えているような気がするな。


「潮さんいらっしゃいますか?」

「ヒ、ヒィ……! お、奥の個室にいる……! います……!」


 遠山さんは小鹿のような目で僕を見ながら筋肉をプルプルと震わせる。なんでこんなに僕にビビってるんだろう? 何かしたかな。全く分からない。

 その様子を不思議に思いつつも、案内に従い奥の部屋を目指す。稽古中の門下生たちが鬼のような形相で僕をにらんでくるので「こんにちはー」と朗らかに挨拶を返しておく。

 ノックして入ると潮さんが椅子に座った状態でくるりとこちらを振り向いた。


「ん、誰だ? ……って花岡か、何をしに来た。貴様に話せることはもうこの前話したはずだが」

「その節はどうもありがとうございました。今日はまた別の用があってお邪魔させてもらったんです」


 潮さんは訝しげな顔をしつつ、目線の動きで僕の先を促してきた。

 こほんと咳払いをひとつ。

 ここだ。ここで僕は心身ともに鍛え、志島さんを超えるんだ。


「僕を、この道場で修行させてください!」

「あ? お断りだが」


 どうやら僕の計画はいきなり暗礁に乗り上げたようだ。一応、念のためにもう一度聞いてみる。


「ごめんなさい。ちょっと聞き取りにくくて。もう一回言ってもらってもいいですか?」

「お断りだ、と言った」


 憮然とした表情で潮さんは告げる。

 これはアレか。「俺は簡単に弟子を取らない主義だ」というやつか。いやでも門下生沢山いたしな。門戸はガバガバに開かれているはずだ。


「理由はなんですか?」

「貴様が気に食わんからだ」


 めちゃくちゃ私情! 確かに最初は揉めたりしたが、それは前回の訪問である程度清算できた……と、思っていたんだけど、僕の勘違いだったようだ。


「どうしてもお願いできませんか?」

「できん」

「僕、真面目に武道を学びたいんです。なんとかなりません?」

「ならん」

「ふっざけやがってクソゴリラ親父が! 人が下手に出てりゃ!」

「それそれ! そういう態度がダメなんです! 顔洗って出直してこい!!」


 潮さんはフゥーっと深く息を吐く。


「なぜ急に武道を学びたいなどとのたまい始めた? それに、学ぶなら我が道場でなくても良いはずだ。探そうと思えばこの街にだって道場はあるぞ」

「それではダメなんです」


 眉をひそめて「どういうことだ?」と潮さん。


「志島さんに勝つためには、志島さんが学んだ武道を僕も学ぶ必要があると感じました。だからここへ来たんです」

「貴様っ……海香に勝つつもりなのか? 悪いことは言わんやめておけ。素人には分からんかもしれんが、今から簡単に追いつける次元ではないぞ」

「ああ、それは分かります。何度か戦って瞬殺されてますから」

「なにぃ? もう既に! 戦っているだと!?」


 話にならんとばかりに手をひらひらさせながら潮さんは怒鳴る。


「帰れ帰れ! どこの親が、娘を打倒そうとする男の手伝いをするんだ! 諦めろ!」


 取り付く島もないといったところだ。今日のところは一旦引き上げたほうがいいだろう。しかし、


「分かりました。だけど、僕は諦めませんからね」


 それだけは宣言して、僕は道場を後にした。

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