第20話 決意の果たし状

 潮さんが志島さんを武道から遠ざけた理由。それは、潮さんなりに娘を思ってのことだった。そのことは重々分かった。

 それが正しいか誤ってるかなんてのは結果論に過ぎないことだし、そもそも結果なんてものはまだ出ていない。だから、そんなことは考えたって無駄だ。


 できることはただ一つ。僕のしたいように関わり、僕の伝えたいことを伝える。僕のエゴをぶつけるだけだ。

 大勢のエゴの中から僕のエゴを、たとえそれが他の大多数と全く異なるものだったとしても、選んでもらえるように努力するだけ。それだけしかない。


 僕は、僕の推したい志島さんを全力で推す。


 だがその結果生まれる問題がある。潮さんが言っていたように、志島さんの好みの異性が「志島さんよりも強い男」であるならば、強さにおいて右に並ぶ者のいないと称される志島さんが理想の相手と巡り合うことはほぼなくなる。


 加えて、僕の誓いもある。

 志島さんと付き合うことになった当初、僕は何を心に決めたか。

 たまたま裸を晒したという偶然によってではなく、僕自身の力と魅力で、志島さんの心を射止めてみせると。そう誓ったのではなかったか。


 ならば、僕がすべきことはもう、決まっている。




「やあ真尋君、こんにちは」


 今日も志島さんは朗らかな笑顔で僕に挨拶をしてくれる。出会う人全てを心地よい気持ちにさせてくれるような柔らかさだ。


 とある昼休み、僕は志島さんを校舎裏に呼び出した。僕が志島さんに衝撃の告白を受けた、あの校舎裏だ。

 今日は抜けるような青空で、肌に感じる空気も暖かく気持ちいい。


 こんな日に校内カップルが向かう場所といえば中庭が普通だろう。そんな中で校舎の影がこの場所に志島さんを呼んだ理由は、二人の思い出で心を温めたかったわけではなく、ここならば他に人がいないからだ。


「すみません志島さん。こんなところに呼び出して」

「ううん大丈夫。ところで、会って話したいことがあるってことだけど……?」


 これからする話は、誰かの前ではできない。

 あまり口には出したくない言葉だ。しかし言わねばならない。覚悟を決めて、スゥっと息を吸う。


「僕と……別れてください」


 志島さんは目を丸くすると、驚きを誤魔化すように頬をぽりぽりかいて言った。


「えーと……。それは、どういう……?」

「恋人関係を解消したい。という、意味です」

「私、何かしちゃったかな……?」


 悲しそうな顔でそんなことを言われると心がキューっとなる。誰だ、志島さんにこんな顔をさせたのは! 僕だ!

 そういうことじゃないんです、と僕は首を横に振って否定の意を表す。


「志島さんに何か問題があったわけじゃありません。これは僕の問題で、こうしないと前に進めないと思ったんです」

「でも……」

「家訓のことなら大丈夫です。志島さんはその責を果たそうとしましたし、実際果たしました。相手方である僕がそれを拒絶しているだけなので、志島さんは何も気にする必要はありません」

「そういうわけじゃなくて……」

「ところで」


 志島さんの発する言葉に被せるようにして僕は続ける。志島さんごめん。でも一気に伝えたいんだ。


「僕は志島さんのことが好きなんです。僕と付き合ってくれませんか?」


 志島さんは一瞬、僕の言ったことが理解できなかったようで、綺麗な瞳をぱちくりとさせた。


「えっ? どういうこと……? それなら、私たち付き合っていたんだし……」

「でも、その関係は先ほど解消させてもらいました。……僕の方から一方的で本当に申し訳ないですが。つまり今の僕たちは、ただの知り合いです。だから、言えるんです。僕と、付き合ってください」


 って、要望を伝えるだけじゃダメだよな。僕が、志島さんのどこに惚れ込んだのか。それもちゃんと伝えなきゃって決めてたのに。さすがに気持ちが先走っている。


「初めて会った日のことを覚えていますか? 夕暮れの教室に立つ志島さんはとても綺麗でした。一目で心惹かれました」

「それは、私の見た目が好きだからってことかな……?」


 ええい、こんな時でも冷静に一目ぼれの痛いところを指摘してくるんじゃない。


「最初はそうでした。でも今は違うんです。初めてデートしたショッピングモールで見せてくれた背負い投げが強烈なインパクトだったんです。あの姿がもう心に焼き付いて離れないんです」

「志島さん……。武道、もう一度始めてみませんか。僕は武道に打ち込む志島さんを見たいんです。見せてほしいんです」


 志島さんの顔にスッと薄暗い影が落ちる。


「真尋君がそう言ってくれるのは嬉しいんだけど、でも」

「でもじゃない。皆がどう言うとか関係ない。僕が、見たいんです。志島さんは……どうしたいんですか?」

「私……? 私は……」

「皆を喜ばせようと、志島さんが自分を変えたのは分かりました。でも、志島さん本人の気持ちはどうなっちゃうんですか? 志島さんの『好き』を、志島さんが大切にしてあげなかったら、可哀想じゃないですか……!」


 懇願するように言うと、志島さんは優しく笑いながら「それは違うよ」と首を振った。


「私は、皆が喜んでくれることが嬉しいの。それが私の望みなの」

「じゃあ……僕を、選んでください! 僕は、武道家の志島さんを見ていたいんです!」


 そうだ。皆じゃないんだ。志島さんには、僕を選んでほしいんだ。沢山いる皆の中で、僕だけを見ていてほしい。このエゴを受け止めてほしいんだ。


 しかし志島さんは困ったような表情を作るだけだ。何か言いたそうに口を開くが、特に言葉が発せられることはない。僕の願いを断るための上手い言い方が思いつかないのだろう。


 だからこそ僕らは付き合っていちゃいけないのだ。志島さんは心から僕を選んだわけじゃない。その資格は、僕がこれから勝ち取らなくてはいけないものなんだ。

 だから、一度この関係に終わりを与えた。そして次は僕が挑戦者として挑むのだ。


「ところで志島さんは、志島さんより強い男がタイプだと聞きました」

「なっ……!」


 分かりやすく顔を赤らめて「なっなっなっ、どっ、どこでそれを……?」とうろたえる志島さん。告白を受けたときも思ったけど、結構不測の事態には弱かったりするのかもしれない。可愛らしいね。


「玲夢……には言ったことない気がする……。そうか、道場の人だね? ……お父さんだね?」


 気のせいか語尾が普段よりもワントーン低かった気がする。強く生きてくれ潮さん。

 しかし、この反応を見る限りタレコミは真実だったようだ。この情報が無いと僕としては動きようがないから、助かった。

 僕は制服のポケットから用意してきたものをスッと取り出し、志島さんへ差し出す。


「これを受け取ってください」


 困惑しながらも素直に受け取ってくれる。

 僕が渡したもの、それは封筒だった。表面に書かれた文言を志島さんはゆっくりと読み上げる。


「果たし……状?」

「そう! 果たし状です!」


 僕が志島さんよりも強いことを示す方法。そんなもの、直接挑む以外にない! ……とはいえ夜襲するわけにもいかないので、ここは正々堂々勝負を申し込む。当たり前だけど、誠実に勝利を掴まなくてはいけない。

 勝算はあるのか? ……正直、分からない。ほぼゼロ、といっても差し支えないのかもしれない。でも、挑んでみなきゃそのことすらも分からないじゃないか。


「えーと……。拝啓、志島海香様……果たし状にしては丁寧な書き出しだね」

「え? いや、まあその……。初めて書いたもので作法が分からず……」

「海原のように煌めき、深海のように神秘的な瞳のあなたに……って、これ私のこと? 恥ずかしいなあ……」

「あー、いや、まあその……。個人的に綺麗だなと思っていまして……。というかそれ全部音読するつもりですか?」

「あ、あれ? マズかった? 真尋君が書いたことなんだから、問題ないかなとてっきり」


 あぶね! あっぶね! 危うく羞恥心で殺されるところだったわ。志島さん、無自覚でやっているんだとしたらなかなか恐ろしい子だぞ……。


 ところでこういう文章って、文字に書く分にはまだマシなんだけど口に出すと途端に恥ずかしくなるよね。僕相当イキったこと言ってるな。くぅ〜筆が乗りすぎたか?

 僕が耳たぶをカッカと熱くさせているのにも構わず、志島さんはふんふんとその先を読み進める。声に出さなくなってくれたのはありがたいけど、目の前で熟読されるのも中々な羞恥プレイだな……。


「そういう訳で、花岡真尋は志島海香に決闘を挑みます。僕が勝った暁には、志島さんは武道を再開すると共に、僕の強さを認めて交際してください。敬具 花岡真尋」


 興味深そうに読み上げた志島さんは顔を上げて「これ、果たし状というよりはただのお手紙だね」と冷静な講評を寄越した。


「し、しょうがないじゃないですか。あまり強い言葉を使うと弱く見えちゃうのは人間界の摂理ですし」


 もっと言えば死神界の摂理でもある。

 それに、志島さんへの想いをしたためると僕の場合はどうしても普通に恋文っぽくなってしまうのだ。でも、これが僕の心の声なんだから仕方ないよな。なので雰囲気を誤魔化すため、全文字筆ペンで書くことで男らしさを演出しています。


 で、どうだ……? 志島さんは何を思っただろうか? 勝負を受けてくれるだろうか? 武人としての神経を逆なでしてはいないだろうか?

 ハァ、何言ってんだこの野外裸族は? などと思われていたとしたらならばもう終わりだ。きっとこの先はないだろう。


 でも、僕はその点志島さんを信頼していた。本気の想いを込めれば、志島さんは必ず汲み取ってくれる。そして、それを決して無下にすることはないだろうと。

 志島さんは口元に浮かべた笑みを崩さぬまま聞いてきた。


「ひとつ、いいかな」 

「はい、なんでしょう」

「真尋君が勝負に勝った時のことは分かったんだけど、私が勝った場合は? どうなるのかな」


 ……考えてなかった。


 僕はどこまで愚かなんだ? 出来の悪い自分の脳みそが憎らしい。僕はこの決闘に志島さんに交際と武道の再開の二つを要求している。だが僕は、何も差し出していないじゃないか。こんなのフェアじゃない!


 勝負のテーブルに上がってもらうためには、当然僕も何かを差し出さなくてはならない。水泳部の連中と勝負をする時は大抵全裸で逆立ちスクワットとか、全裸リンボーダンスを賭けるんだけど、この場でそんなものは何の価値も持たない。


「それが決まってないのなら、この勝負は受けられないかな……ごめんね」

「ま、待ってください!」


 僕は志島さんと結婚まで見据えて交際する所存だ。つまり、志島さんの人生をもらう覚悟でいる。これと天秤の皿を釣り合わせるためには、僕も人生をかけるのだ。


「ぼ、僕が負けたら……裸で校庭を十周します」

「……どういうこと?」

「生活指導の田宮先生が言っていたんです。次僕が校内で裸になったら、今度は容赦なく警察を呼ぶと」

「べ、別に私は真尋君に逮捕されてほしいわけじゃないけど!」


 考え直したほうがいいんじゃ……? と逆に心配されてしまう。まずい、八方塞がりだ。僕は思わず頭を抱えてしまう。


「その様子を見るに、もしかして裸で校庭走りますっていうのも本気で言ってた……?」

「当たり前です! 僕はいつでも……! とは断言できないですが、志島さんのことなら全て本気です! だって……!」


 僕は、志島さんのことが好きだから。なりふり構ってなんかいられないんだ。

 絞り出すようにそう言うと、志島さんはう~んと天を仰ぐと、「よし分かった!」と頷き、真っすぐ射貫くように僕を見据えてきた。


「真尋君の本気に答えます。その勝負受けました」

「い、いいんですか? まだ志島さんが勝った時のことが決まってないですけど……」

「いいよ。それは私が勝った時に決めよう。……じゃあ、早速はじめよっか」

「今からですか? 休み時間、あと十五分くらいしかないですが……放課後にしません?」

「それでも構わないけれど、多分すぐ終わるから大丈夫だと思うよ」


 むっ、それは聞き捨てならないな。舐められたものだ。


 僕だって、武道は素人とはいえ運動部でそれなりに身体は鍛えている。同年代と比較しても、間違いなく身体能力は高い方だ。武道の達人である志島さんからすれば取るに足らないかもしれないが、さすがに瞬殺されることはないのではないだろうか?


 どこからでもいいよ、おいでと余裕の表情を見せる志島さん。

 僕は思うままに戦闘の構えを作る。女性に対して挑みかかるのに抵抗がないわけではないが、そんなことを気にする余裕がある相手ではない。

 ここは躊躇せず、まず背後を取って――。


 じり、と足を動かした瞬間、視界が暗転した。

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