第19話 天賦の才
潮さんはハァと深いため息をつく。
「少し試すだけのつもりだったのだが、まさか本当に三人を打ち倒してしまうとは……。手段には納得できないが、負けは負けだ。よかろう、話を聞いてやる。貴様の質問にも可能な限り答えてやろう」
「試すだけって……最初から突破させるつもりなんてなかったでしょ。こんなの正攻法じゃ絶対勝てないですよ」
咎めるように言うが、潮さんは一切表情を崩さない。
「いや、本当だ。貴様の挑む姿勢を見たかった。どうせ海香のことを聞きに来たのだろう? ならば、中途半端な男に話すことなどできないからな」
たまに武道の指導者らしい顔になるよなこの人は……対応が追い付けない。
「あと、弟子たちの鬱憤が溜まってたからそれを晴らさせてやろうと思った。ボコボコにされる貴様を見て俺も楽しむつもりだったのに……」
と思ったらこんなことを歯噛みしながら抜かしやがる。本当に追いつけねえな。
潮さんは「さすがに場所を変えるぞ」と言って、道場奥の扉を示す。
ガラガラとノスタルジックな音を立てて扉を開けると、そこはこの道場の事務室みたいな空間のようだった。デスクが二つ向かい合わせに設置されており、壁にずらりと並んだ棚には意外なほど整然と書類や書籍が並んでいる。
潮さんは椅子を二つ持ってきて一つを僕に寄越すと、残る一つにどっかりと腰かけた。
「……で? 何が聞きたい」
ふう、思ったより手間をかけさせられたが、ここからが本番だ。
僕は潮さんを真っすぐ見据えて聞く。
「志島さんが武道をするのを辞めさせた理由はなんですか?」
潮さんは目を閉じてしばし天を仰ぐと、覚悟を決めたかのようにゆっくりと口を開いた。
「あの子のためを思ってのことだ」
「それだけじゃ分からないですよ。武道を辞めさせることが、どう志島さんのためになるんですか? 僕は素人ですけど分かりますよ。志島さん、凄く強いですよね。なのにどうして?」
「海香は……あの子はな……」
天才なんだ。と潮さんは重々しく言った。
「天……才? 志島さんが?」
「そうだ。強いなんてもんじゃない。海香は武道の神に愛されている。天賦の才とはまさにあのことだろう」
「なら、なおさらどうして? あなたは親であり、指導者でしょう? なら、志島さんに武道の才能があるのは喜ばしいことでは?」
そう言うと、潮さんは黙ってかぶりを振る。
「そうだな。少し前提の話をしてやろう。俺の妻……つまり海香の母親は、海香が3つの時に病で亡くなっている。それ以来、俺は男手一つで娘達を育ててきた」
そう……なのか。そういえば、志島さんから母親の話を聞いたことがない。亡くなっていたのか。
……ん? 娘達?
そんな僕の疑問に気が付いたのか、潮さんが言葉を付け足した。
「海香の下にもう一人娘がいる。貴様には絶対に会わせんが」
どえらい信用のなさだ。それより、志島さんに妹がいたとは初耳だ。やっぱり僕は、志島さんのことを全然知らないのだなと実感する。
潮さんの視線が窓から差し込む光へスッと流れる。遠い過去を思い出すように目を細めた。
「妻は亡くなる前に言った。娘達を頼むと。元気に、そして女の子らしく可愛く育ててくれと。軽い口調だったが、半分は本気だったと思う。俺がこんなんだからな」
潮さんは少し自嘲気味に笑う。
「俺は男四人兄弟に生まれ、武道一辺倒で生きてきた。当然若い娘が何を好むのかなど全く知らない。故に俺は努力した。勉強した。キャラ弁を作り、裁縫も勉強し、女児向けのヒーローアニメを視聴し、振り付けも覚えた」
正直、こんなごついオッサンが太い手と指で可愛いを作ったり、女児向けアニメのダンスを完コピしてる様なんてお笑い以外の何物でもない。
だけど僕は笑えなかった。それは、潮さんが真剣そのものであり、心の底から娘達を思うが故の行動だからだ。きっとそれまでの潮さんにとって、全く未知の世界だっただろう。その世界に躊躇なく全力で挑むには相当のエネルギーが必要だったはずだ。
娘たちの前でダンスを披露した時は……あまり喜んでくれなかったがな……と悲しそうに言う潮さんを、ここにきて僕は初めて人として尊敬することができた気がする。
「それと同時に、やはり俺は武道家だからな。武道を通じてしか物事を教えることができん。だから武道にも触れさせた。もちろん強制などしていないが、海香はずっと続けてくれた」
厳格さを示すばかりであった口元に、ふっと僅かな喜びが滲むのを見た。
「嬉しかった。妻の願い通りに可愛らしく育った娘が、真剣に武道に打ち込んでくれている。その上才能豊かときた。嬉しくないわけはなかった」
だが……と続ける。
「海香は例えるなら、少年漫画の主人公なのだ」
「どういうことですか?」
「花岡。お前は水泳部と聞いた。お前が水泳を始め、今なお続けている理由はなんだ?」
僕が……水泳を始めた理由? 改めて聞かれると困るけど、そうだな……。そもそも僕は水が好きだ。水中は孤独な世界だ。自分の息遣いしか聞こえない。その中で死力を尽くすこと。
そして何より……自由だ。水中では重力がない。いや正確にはあるけれども。地上では考えられない動きができる。その爽快さがたまらなく好きだ。
だけど、これは今の話。僕はなぜ水泳を始めようと思ったのか。原初の記憶に、今再び触れる。
「水着の女子と合法的にお近づきになれるからだ」
「少しは隠せ貴様は!」
急に大きな声を出したせいか、潮さんはゴホゴホと咳き込んだ。ドンドンと胸を叩いて喉の調子を整える。
「……まあ、貴様はいささか欲望に忠実すぎだが、そういうことだ。大抵の人間は何かを叶えるために努力をする。痩せたい、大会で優勝したい、もちろん異性にモテたいとかな。俺が武道を始めたのだって、若いころ喧嘩で負けた相手に復讐したかったからだ。今では俺も指導者だが、初期衝動なんてのはそんなものだ」
「話の流れからすると……海香さんは違う、と?」
「そうだ。あの子は何かのために強くなろうとはしていない。何かの大会で優勝するとか、相手に勝つとか、そのようなことは一切気にしない。ただ強くなることだけが、あの子の原動力なのだ」
なんとなく言わんとしていることが分かってきた。そして、志島さんを少年漫画の主人公と称したことも。
彼女はどこまでもピュアなのだ。それこそ筋斗雲にも乗れちゃうんじゃないだろうか? 名誉も栄光も求めず、ただひたすらに己の強さを磨き続ける様は、さながら求道者のようだ。
「だから海香は強い。強さへの欲求が、他の誰よりも純粋だからな。十歳を過ぎたあたりから、道場内で海香の相手をできるような存在は減っていった。そして中学一年の時、ついにこの俺も超えた」
「え……? 潮さんよりも強いんですか? 強いだろうとは思っていたけど、まさかそれほどとは」
「ああ、恥ずかしながら相手にならん。気づいた時にはいつも仰向けに転がされてる」
フフンと誇らしげに言う潮さん。しかしすぐに顔を暗くする。
「時に花岡。そんな海香の、好みの異性のタイプは何か知っているか?」
「いや、聞いたことないです。知りたいんですけど」
そう答えると、なんだ貴様はまだそのステージなのか。まだまだだなと煽られる。
少しだけ腹を立てつつも大人な僕は何も言わず、視線で先を促す。なんでも答えるっていう約束だったよな?
「分かってる。約束だ、ちゃんと教えてやる。海香の好きな異性は……自分より強い男だ」
う、うん?
「冗談だと思うだろう? 幼さ故の憧れだと思うだろう? だが違うんだ。いつだってあの子は本気だ。そしてその条件に合う男なぞ、存在するのかも分からん」
幼少の頃からヒーロー物の創作物を妙に食いつきよく見ていたと思ったが……と潮さん。なるほど、どうやら志島さんのヒーロー好きは、趣味ではなく恋愛対象としてのそれらしい。ヒーローショーを観る志島さんのキラキラした眼差しと紅潮した頬を思い出す。僕のライバルはテレビの中のヒーローだったんだな。
「このあたりで、俺は海香が普通の女子から逸れて行ってるのではないかと感じた。妻との約束をたがえるわけにはいかない。俺は海香に、普通の女子として幸せに生きてほしかった。だから、迷いはしたが、武道と距離を取らせることにした」
潮さんはとうとうと語り続ける。
「反発されると思った。そうなった時は命を懸けてでも止めると決めていた」
「命を懸けてでもって……」
「凡人の俺はそこまでの覚悟を決めないと、海香と渡り合えないのだ」
マジかよ志島さんどんだけ強いのよ。どう見ても目の前にいる潮さんは、成人男性の中でも戦闘力上位数パーセントに入る猛者だろう。そんな人がそこまで言うなんて……いったい何者?
「だが海香は意外なほど素直に俺の言うことに従ってくれた。海香は友人や妹と遊び、よく買い物に出かけた。動きやすさを重視した格好だったのが、徐々に今時の女子らしい装いになっていった。友人と日々楽しそうにしていたので、俺は内心ほっとしていた」
この時期が、ゴーレム先輩の言う「海香が段々と変わっていった時期」か。武道一辺倒だった志島さんを先輩が買い物に連れ出し、服や髪をコーディネイトしていたという時期だな。
「そして俺は同時に不安になった。海香によからぬ男が付きまとうのではないかと。そこで俺は考えた。家訓を制定した。これで海香を守れると思った。……結果は貴様も知っての通り。露出狂の変態野郎の一本釣りだ」
ん? それってひょっとして僕のことかな? という顔をしていると、呆れた顔の潮さんが「貴様以外にいないだろう……」と呟いた。
「俺は本気で海香のことを考えていたつもりだった。だが、間違っていたのかもしれない。武道を始めさせて、辞めさせて、家訓を押し付けて……。結局は俺のエゴを押し付け、振り回していただけだった。その結果が……これだ」
「これだ、で僕のことを見たら、まるで僕との出会いがバッドエンドみたいじゃないですか」
違うのか? と問うてくる潮さんの目を真っすぐ見据えて僕は答える。
「違います。何故なら僕と志島さんはまだ出会ったばかりだから。仮にバッドスタートだったとしても、エンドはどうなるか分からないですよ」
まあ見ててください。あなたには散々な目にあわされましたけど、志島さんの大切な親であり、あなた自身も志島さんのことを心から大事に思っている。
志島さんを幸せにするのなら、必然的にあなたのことも幸せにすることになる。その迷い、後悔……。僕が吹き飛ばしてあげます。
「色々教えてくれてありがとうございました。自分のやるべきことが分かった気がします」
僕はできる限り礼儀正しく、真摯にお礼を言って頭を下げる。そして退室するため身をひるがえしたが。
……言うかどうか一瞬考えたが、まあいい、言ってしまおう。
「さっき、自分は間違っていたのかもしれないと言っていましたけど、間違いなんてことはないと思います」
「なんだ、藪から棒に」
「志島さんのことを本気で考えてのことだったんですよね? それが伝わったからこそ、志島さんもすんなり受け入れたんじゃないかと。納得できないことならきっぱり言うでしょう。言ってだめならぶん投げるんじゃないですか」
潮さんは何も言わず、口を固く結んで僕の言葉を受け止めている。
「でも、間違いではないけれど、僕とは好みが違いますね。僕は武道をやっている志島さんの方が好きです。だから僕は、もう一度志島さんに武道の道を歩んでもらいたい。みんなとは違ったとしても、僕はその海香さんを推したい!」
ちなみにこのことは本人にも言いました。今後も言い続けて、志島さんにはその気になってもらいたいんです。
そう付け加えると、潮さんは「海香は、なんて言ってたんだ?」と聞いてきた。
「日本は民主主義だから、マイノリティの意見は大切にしつつも従えないって言ってました」
あの子らしいな。バカ真面目で、意味が分からん。と潮さんは苦笑した。
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