第17話 ここは地下格闘技場か?

「ここか……」


 とある週末。

 築何十年だろうなとつい考えてしまうほど趣のある家屋の前に僕は立っていた。

 暗い木造の壁はところどころ割れたり穴が空いたりしていている。かなりの年季だ。


 横開きの扉には「志門流道場」と筆文字で書かれた立札がかかっている。だけど、これを見て分かるのは流派だけでどんな武術を学べるのかが分からない。もうちょっと表記を工夫した方がいいかも。

 志門流の師範は志島潮。つまりここは、志島家が運営する道場だ。ネットで名前を検索したら一発でヒットした。


 そして僕は今日、一人でここにやって来ている。

 志島さんは僕のかたわらにも、家の中にもいない。そもそも今日はゴーレム先輩と出かけているという情報を得ているのだ。


 というよりは先輩直々にマウントを取りに来てくれたおかげで知ることができた。志島さんが家にいない日はないかな~とタイミングを見計らっていたので助かった。先輩のマウント癖に感謝だ。


 今日僕がここに来た目的。それは道場に入会するためでも、「娘さんを僕にください!」と挨拶するためでもなく、ただ単純に潮さんと話がしたかったのだ。


 志島さんは武道を辞めた理由を「みんなに止められたから」と言っていた。

 まあ、心情的なところを考えればゴーレム先輩はじめ周りの人が止めるのは分からないでもない。怪我でもしたら大変だと思うのは自然な感情だろう。


 しかし解せないのは潮さんだ。

 はじめから武道には近づけさせなかったというのならば、教育方針ということで理解できる。しかし志島さんはそうではない。幼いころから当たり前のように武道に触れてきたと言っていた。潮さんも当然それを容認してきたということだ。

 それを突然百八十度方向転換し、武道禁止令を出した。きっとそこには何か理由があるはずだ。僕はそれを聞くために今日ここにやってきたのだ。


 とはいえ突然殴り込みするほど僕は非常識ではないつもりだ。そもそも行ったところで肝心の潮さんがいなかったら意味がないし。事前にしっかりと電話でアポを取っている。


 電話の主が僕だと分かった潮さんは間髪入れずに「何の用だ。潰すぞ」と朗らかに挨拶をしてきたが、とにかく直接聞きたいことがあると言ってお願いすると、ぶっきらぼうながらも自分が道場にいる時間を教えてくれた。

 歓迎されないだろうが今回は別に揉めにきたわけじゃない。この前のような、互いが互いのケツを突き合う血みどろの争いにはならないだろう。


 こんにちはー、連絡しました花岡ですーと挨拶をしつつ、やや建てつけの悪くなっている扉をガラガラと引いた。


 ……瞬間、僕の顔を掠めて何かが飛んできた。


 何が起きたか分からずゆっくりと視線を横にやると、木刀が壁にぶっ刺さってビンヨヨヨーンと小刻みに揺れていた。

 前方を見やると、今まさに全力で投擲をした後の格好で潮さんが立っている。


「よくぞやってきたな花岡真尋……。今日がお前の命日だ」

「はっ、話が違う! 今日は聞きたいことがあるだけだって言っただろ!」

「そんなことは分かっている。約束通り話は聞いてやる」

「じゃあこれはなんですかね……?」


 ドン引きしながら横の木刀を指さすと、のしのしと歩いてきた潮さんがそれをフンッと引き抜いた。


「脅しだ」

「やることがシンプルにクソ!」


 このオッサン、本当に武道の師範か……?

 そう訝しんでいると、今度は僕の前にどさりと道着が投げ出された。


「これは?」

「神聖な武道場に私服で足を踏み入れることは許さん。しかるべき格好に着替えなさい」


 急に武人らしい表情でもっともらしいことを言われる。人としての徳が乱高下している。

 まあ、ここで無駄に揉める気はないし、僕の知らない世界の作法を踏み荒らす気もない。僕は大人しく渡された道着に着替えた。


「よし着たな」


 瞬間、潮さんに腰帯をむんずと掴まれて持ち上げられ、そのままずんずんと運ばれる。


「お、おいやめろ! どういうつもりだ!」

「いいから黙っていろ」

「ま、まさか! 僕を本気で辱めるつもりか!? この前のことだったら、お互いにケツを攻め合って、それであいこなはずだ! 一勝一敗で終わっているはずだ!」

「馬鹿野郎! デカい声で誤解を生むようなことを言うな! 俺が弟子たちの誤解を解くのにどれだけ苦労をしたと思っている! 皆俺に怯えて、しばらくまともな修練にならなかったんだぞ!」


 それはあなたの言い方が良くなかったのもあると思うんですが……!

 ほんのりと貞操の危機を感じつつジタバタ抵抗するが、いかんせん床まで手足が届かないので効果がない。いとも簡単に連行されてしまう。


 そして放り出されたのは。


「ヒェーイ! 待ってたぜ花岡真尋ォ! ここがオメェの処刑場だぜェ!!」


 狂気に血走った目で僕を威嚇するヤバそうな方々の前だった。

 へへへ……グヘヘ……と舌なめずりをしながら、鍛え上げられた筋肉を隆起させている。道着じゃなかったら完全にアッチの人にしか見えない。いや着てても変わんないか。


 周りを見渡すと、道着姿の男達が僕を取り囲んでいるのが分かった。その瞳を見るにギリギリのラインで正気は保っているようだが、場は異様な熱狂に包まれていた。

「やれ!」「花岡殺せ!」「二度と表歩けねえようにしてやれ!」なるほどどうやらこの熱気は僕への憎悪によって生み出されているらしい。


「なんすかこの世紀末感あふれた人達は……」

「見ての通り、我が志門流の門下生たちだ。皆お前への憎しみに駆られているぞ」


 ここは本当に道場か!? 地下闘技場みたいな匂いがすんだけど!


「で、僕に何をやらせようってわけ? 空気感でなんとなく分かるけど、もしかして……」

「察しが良いようで何よりだ。これからお前には我が道場の弟子三人と組み手を行ってもらう」

「な、なんのためにそんなことを?」

「俺はお前の話を聞いてやると約束した。だが、それに対して回答するかについては約束していない。いいか? ここは武道の腕を磨き、強さを極める道場だ。そして、我が道場の掟は……」

「掟は……?」


 潮さんの代わりにギャラリーの叫びが答えを教えてくれる。


「求めよ、力によって!!!」

「おい! やっぱり世紀末じゃねえか!」


 僕の非難を聞いて潮さんは不快そうに太い眉をひそめる。


「人聞きの悪いことを言うな。手に入れたいものがある。だが手が届かない。そこで諦めるのではなく降ってくるのをただ待つのでもなく、確かな研鑽をもって自らを高め、つかみ取りなさいという意だ。何もおかしなことではない」

「その教えのもと体を鍛えたあなたの弟子たち、ヤバい顔つきになってますけど」

「それはそうだ。こいつらが求めているのは貴様の始末だからな」


 どうやらこの道場では精神面での鍛錬をサボっているらしい。心身共に鍛えてこその武道ではないのか……?


「今日相手してもらう三人は、門下生のなかでも特に海香を慕っており、それ故に貴様への憎しみが深い精鋭を選抜した」


 なるほど、だから「お嬢……。俺が必ずや……!」とか「俺がこれまで体を鍛えてきた理由。それが分かりました。今日この日のため、そしてお嬢のためです……!」とかなんとか涙を流しながら言っているわけだ。要は志島さんの熱狂的ファンなわけだ。


「花岡……! わずか数週間程度しかお嬢を知らない貴様なんぞに、お嬢を奪われてたまるか!」

「俺たちはな! お嬢がまだ小さかったころからここで共に時間を過ごしてきたんだ!」

「それにな! 小さかったお嬢は、大人になったら忠岡さんと結婚するー! って約束してくれたんだぞ!」

「は? 俺は明確に吉野さんみたいな強い人が好きって言われたんだが?」

「いや、子供の頃のお嬢は遠山さんみたいな人になりたいって宣言してたろ。これってつまり、将来的には俺と同じ苗字になりたいってことだよな?」


 は? ん? え? なに? やんのか? 殺すぞ? と、海香ファン三人衆に不穏な空気が流れ始める。よしよし、この流れで三人とも潰し合ってくれればいいんだけど。それにしても幼い志島さん、罪な女だな……。


 これは黙って見てるだけでも片が付くかもな……と考え始めたが、そこはさすがに指導者である潮さんが見過ごさなかった。


「落ち着けお前達! そんなことで争っている場合ではないだろう! 過去に海香から言われたことなど、今はなんの意味も持たない! 重要なのは、今現在発生している障害をいかにして排除するか! そうだろう!」


 おい排除って言ったよ。情報が欲しければ力を示せ……! みたいなニュアンスで偉そうに語ってたけど、結局は僕の処刑じゃねえか。


「ですが師範!」

「分かっている。それでは気が収まらないのだろう。そんな状態で戦っても動きに迷いが生じる。ならばこうすればいい。忠岡は吉野を殴り、吉野は遠山を殴り、遠山は忠岡を殴る。これでチャラだ」


 とんでもねえことを言ってると思ったが、三人は少しも迷いなく立ち上がって三すくみの状態を作ると、各々標的の顔面を思い切りストレートでぶち抜いた。

 衝撃で同時に吹き飛ぶ三人。しかしすぐに立ち上がると、今度は互いの肩を力強く抱き、がっちりとスクラムを組んだ。


 その瞬間、会場のボルテージはマックスに達する。皆こぶしを固く握り天につき上げ「ウオオォーッ!」と思い思いに叫んでいる。意味のある言葉ではない。これは感情の発露なのだ。


 弟子たちの姿を見て、潮さんはうんうんと満足そうに頷いている。お前たちを誇りに思う……そんな笑みを口元にたたえ、目には光るものすら浮かべながら。


 道場を席巻する感動の渦。肌をびりびりと焦がすような熱気。


 そのさなかにあって、僕は「この道場本当にヤバいな……」と内心ドン引きしていた。高校のクラスメイト達も相当ヤバかったけど、こっちの方がヤバいかも。上には上がいる。世界は広い。


 こんな環境で志島さんは育ってきたのか……と心配になったが、考えてみればあの人もあの人で結構普通じゃないところがあるよなあ……。ちょっと納得だ。

 

 

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