第15話 姉貴も木から落ちる
「今振り返っても分からないんだけどさ、なんで急に木登りなんかしようと思ったの?」
「もうすぐ大学卒業して社会人にならなきゃいけないのかと思うとさ、気が狂いそうになっちゃって。働きたくなくて。そんで自由を求めて木に登った」
「なんじゃそりゃ。……いやでも、そういうものなのか? よくツイッターでも働きたくないがトレンドに入るしなあ」
働くという行為はそれほどまでに人の心を蝕むものなのか……。そんなことをこの先何十年も続けながら生きていかねばならないのか。それは恐ろしいな。社会人って辛いわ。
でも、どうせ働かなきゃいけないなら少しでも楽しく、それでいて誰かのためになるような、やりがいのある仕事がしたいよな。例えば僕は傾国の美男子と称されてもいいほどの男前だから、俳優になって世の中の女性を喜ばせるのがいいかもしれない。それだな。それしかない。
さて、僕という極上の素材を一番生かしてくれる芸能事務所はどこだろうか、この後ネットで調べてみよう……と将来に向けて着々と考えを進めていると、姉貴がぷっと噴き出した。
「真尋……! あんたって、ほんとバカだよね」
なんだその言い草は、と視線でその非礼を咎めると、姉貴はおかしそうにクックックと笑いながら、
「だって今、『働くのって辛いんだな。どうせ働くなら楽しいほうがいいな。そうだ、僕はイケメンだからアイドルなんかがいいんじゃないか?』とかなんとか考えて、アイドルプロダクションの選定でもしてたんでしょ?」
ほぼほぼ完璧に思考をトレースされた僕は二の句が継げずに黙りこくってしまった。
「そ、そんなに僕って分かりやすい?」
「まあ、真尋がおむつ履いてる頃から完璧に見てるからね私は。それにしてもあんたは分かりやすいと思うけど」
「でも、真尋はそれでいいんじゃない? 昔から変わらない、分かりやすいバカのまんまで」
「それ、ディスってるよな?」
「いや褒めてるよ。最大限の評価よ」
姉貴はこの先を少し言いにくそうな様子で髪先をくるりと弄ぶ。が、結局口を開いた。
「あたしが木登りしようと思った理由って、真尋なんだよね」
ぼ、僕……?
「僕、何かしたっけ?」
「いや、あんたは何もしてないね。でもさ、あんた見てると、大人になる途中で捨てちゃったものを思い出すんだよね。別に後悔してるってわけじゃないんだけどさ。変に考えながら生きるのがアホらしくなってくる。あんたがあまりにもバカすぎて。だから、昔のピュアな気持ちを追いかけたくなるんだよ」
やっぱバカにしてるだろ……と僕はじっとり抗議の視線を向ける。
それを「まあまあ」と手で払いのけつつ、姉貴は聞いてきた。
「で、そもそもなんでこんなこと聞いてきたわけ? もしかして本気でキャラ変考えてる? やめなって真尋は今のままが一番よ」
「考えてねーわ。……いやね、最近会った人なんだけど、僕が見るその人と僕以外の人が見るその人の印象が結構違っててさ」
「それ、真尋の目が腐ってるだけなんじゃ?」
「そんなわけない! と、思うんだけど……。やっぱり明らかに違う気がするんだよな。学校で見るその人は、なんていうか……。自分を抑えてる、みたいな。そんな感じがするんだ」
ふーん、と姉貴は胸の下で腕を組む。
「でもさ、場所によって振る舞いを変えるのって、別によくあることじゃない? あたしだって、こう見えて会社では期待のホープなんだよ? ……マジだからな? 外でも家でも変わらず裸になる真尋が変わってるんだって」
フーン……。まあ確かに、言われてみればその通りだ。TPOに合わせて立ち振る舞いを変えられない人間の方が幼いといえる。
でもなあ……とむっつり考え込んでいると姉貴が追加で聞いてきた。
「真尋はさ、なんでそんなに気になったの? その人のキャラが学校とそれ以外で違うことに。その人は望んで変えてるのかもしれないよ。でもなんで?」
正確には僕の前と、僕以外の人の前だけど……そうだなあ。
「僕が見たその人のほうが……綺麗でカッコいいと思ったから」
口に出して思ったが、これって志島さんの望みを一切考慮していない、ただの僕のエゴだよな……。志島さんに背負い投げと喉ちんこを求めているのは僕だけで、僕以外は誰も、志島さんでさえもそれを求めていないのかもしれない。
あまりくよくよ思い悩むことがないと自負している僕だが、思わず自己嫌悪に陥りそうになる。そんな僕を、姉貴がいつもの顔ですくい上げる。
「いいんじゃないそれで」
「いいの……か?」
「いいっしょ。多分大丈夫よ。下手に考えたりしないで、そのまま伝えてやりな。バカが頭回すとロクなことにならないよ」
いちいちバカ呼ばわりされるのが気にならないわけでもないけど……姉貴の言うことも一理ある。伊達に僕の成長を全て見てきていない。
考えすぎても仕方がない。だって、志島さんが本当は何を思っているのかなんて誰にも分からないんだから。
ゴーレム先輩は清楚で純粋な志島さんが好きだ。だけど僕は志島さんのカッコよさと豪快さに惹かれた。どこまで行ってもこれは、志島さん本人の意向には関係のない、僕らのエゴだ。だけど、僕達にできることはそのエゴをストレートにぶつけることだけ。そうすることでしか、僕たちは関わりを持つことができないんだ。
ふう、なんだか気持ちがいい。頭の中に詰まっていたドロドロしたものが流れ落ち、今僕の思考はとてもクリアだ。自分が何をしたいのか。それが明確になっている。
「ありがとう。さすが、僕より十年長く生きてないな。なんだかすっきりしたよ」
「そーかそーか。それは良かったよ。真尋が悩んでる姿なんて見たくないからね。不気味だし、気持ち悪いし」
「おい、そういう理由かよ。……まあなんにせよ助かった。今はとても爽快な気分だよ。悩みが解決するって、こんなに気持ちがいいものなんだな。まるで体の中心を草原の風が吹き抜けていくような、そんな実感があるよ」
「うんうん。そりゃ、タオルが落ちてるからじゃない?」
「うん? ……おおお!??」
な、なぜ! なぜ、僕のワイルドかつダンディかつピュアピュアな僕自身がコンニチワしているんだ!? 確かに僕はタオルを巻いたはず……いや、途中で落ちてしまったのか! 話に夢中で気が付かなかった……!
僕は姉貴に背を向けるようにして前を隠しつつ、そそくさとタオルを巻く。
「い、いつから落ちてた……?」
「ん? 『「姉貴ってさ、自分のキャラ変えようと思った時ってあったりする?』のところからかな」
「最初も最初じゃねーか! 巻いてすぐに落ちてたってことね! なるほどね!」
「真尋の巻き方が甘いからね」
「だ、と、し、た、ら! 教えてくれよ! つーかなんで顔色一つ変えずに会話できてたわけ? 結構真面目な話してたと思うんだけど!」
「だからすっごい面白かったよ。コイツ……真っ裸で真剣な顔して何語ってんだ……? って思ってた」
は、恥ずかしい! ただでさえ慣れないお悩み相談を実の姉にしちゃってたのに、それもフルヌードだなんて! なんだろう、高校入学後の露出イベントで、一番恥ずかしい!
「まあまあ、伝えたことに嘘はないからさ。元気出しなって」
お気楽な姉貴は僕の肩をピシャピシャと叩いてくる。裸なので痛い。
んじゃ、面白いものも見れたし行くわー。さっさと風呂入らないと風邪引くよ? と言い残して姉貴は脱衣所から出ていった。
ちょっと見直そうと思ったがやめた。いつでもテキトーな女だよほんとに。
さて気を取り直して風呂に入るかと腰のタオルを解くと、
「あ、そーだ。今ボディーソープ切れてるから、継ぎ足したほうがいいよ」
「そうかよ! ありがとよ!」
ひょっこり顔を出した姉貴に、今度は振り返らずに答えた。まさかこいつ、僕の裸を狙ってる……? いやいや、まさかね。
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