第10話 怒る父と笑う娘

「というわけで花岡君。こちらが父の志島潮です」


 紹介を受けた僕は「は、はあ……」と煮え切らない返事を返す。


 志島さんの華麗なる背負い投げにより手の付けようがなかった状況はとりあえずの終息を迎え、今僕は志島さんと、ボスマッチョ……もとい、志島海香さんの父、志島潮さんと共にショッピングモール内のカフェにいた。

 その他のマッチョ軍団は潮さんに「あとは俺がなんとかするから、お前たちは帰りなさい」と言われしずしずと帰っていった。


 しかし、まさかこんな風に志島さんの親御さんと面会を果たすことになるとは。まあこのまま関係が続いていけば、いずれはこういう日がやって来るはずだ。早いか遅いかの違いでしかない。なら、別に今日でもいいよな。


「で、お父さん。今日はここで何してたの? 門下生の人達も付き合わせて……どういうこと?」


 門下生? という僕の表情を察したのか、志島さんが補足説明をしてくれる。


「私の家、格闘技の道場なんだ。お父さんはそこの師範で、さっきの人達はみんなうちの道場の門下生。だから、実は私も少し武道の心得があるんだ」


 とても言いにくそうに志島さんは語る。なるほど彼女は格闘家の娘だったわけだ。それならば先ほど披露してくれた見事な投げ技にも納得がいく。それを「少し」と評する辺りが末恐ろしいが……。

 潮さんは湧き上がる怒りを何とか抑えていると言った面持ちで、低く押し殺したような声で言う。


「お前が! ……男と付き合い始めたという情報を得た。何かの間違いだろうと思っていたが、朝出かけていくお前を見て胸騒ぎがした。なので修練を中止し、門下生全員で見張りにきたというわけだ。簡単なことだ」


 簡単なことだ、じゃないような気もするけどな。この返答にはさすがの志島さんも「そんな理由で……?」と若干引いている。


「お前が同級生の男と付き合い始めるなんてありえないだろう。何かの間違いか、よからぬ輩に騙されているのだと考えた。お前を守るためだ」

「ありえなくないよ。だって本当に付き合っているもの」


 志島さんがつらっと言うと、潮さんは我慢の限界だ! とばかりに怒りに任せて机を叩きつけ……ようとして辞めた。TPOをしっかり弁えているあたり、大人だ。


「おかしいだろう。見たところこの男は、多少鍛えてはいるようだが武道の心得はまるで持ち合わせていないようだし、何より……」

「何より、この男は変態だぞ」


 おい、人聞きの悪いことを言うな。


「う~ん、それはまあ……一応認識してはいる……かな」

「え、えぇ……」


 どうやら完全に志島さんに誤解されてしまっている。断じて僕は変態なんかじゃないんだ。普通の女性と普通の恋愛をしたいと思っている、シャイで実直で全校生徒に全裸姿が知れ渡っているだけの普通の男子高校生なんだ。

 潮さんは「それを知っていてなぜ!」と一瞬声を荒げるも、すぐにまた声を押し殺して続ける。


「お前、本当に分かっているのか。この男は本当に変態だぞ」

「それは分かってるって」

「こいつは今ノーパンなんだぞ!」


 矢継ぎ早に続けられた言葉。さすがに志島さんは「えっ……?」と目を丸くして僕の表情を伺う。僕は……うーん、平静を保てているだろうか。少なくとも冷汗がダラダラ出てきているのを感じるぞ。


 そうだよなー。そらバレてるよな! だってさっき思いきりカンチョーされたもんな! そりゃパンツ履いてないのバレるよな! あーもう志島さん引いてるよ! どうすんだこれ!


 いや、だが待て。ここまでの潮さんの発言、納得できないことが一つある。それを見落とすほど僕はもうろくしちゃいないし、見て見ぬふりをするほど魂も誇りも枯れ果ててはいない。

 僕は毅然とした態度で、潮さんを見据えた。


「確かに僕は今ノーパンだ」

「は、花岡くん……?」

「だけど、だからと言ってそれで僕が変態であるということにならないのではないですか? 先ほどからあなたは僕のことを指して変態だと言いますが、たかがパンツ履いてないだけで変態扱いされちゃ困ります。現に僕はズボンを履いている。なんの問題もないでしょう?」

「馬鹿野郎が! 履くべきもん履いてねえ時点で露出狂と変わらねえんだよ!」

「ですが、実際今日ここに至るまで、僕を露出狂として通報しようとする人は一人もいませんでした。もし僕がパンツを履いたうえでズボンを履いていなかったとしたら間違いなく通報されていたでしょうけど、ズボンを履いてパンツを履いていなかった僕を通報しようとする人は誰もいませんでした。つまりは……そういうことでしょう?」

「どういうことだ……?」

「別にパンツ履いてようが履いていまいが、どっちでもいいってことだ!」

「んなわけあるか貴様!」


 潮さんは鬼のような形相で僕を睨む。視線で殺されそうだ。だけどここは僕も引けない。これは僕の名誉を守るための戦いでもある。

 志島さんはくすりと笑って言った。


「花岡君らしい意見だね」


 どういう意味ですかね……。

 ハァ……とため息をつきつつ、潮さんはかぶりを振る。


「今日だけのことを指して言っているのではない。聞けば、学校でも幾度となく裸体を晒して回っているそうじゃないか。そんなやつを変態と呼ばずしてなんと呼ぶ」


 別に晒し回ってるわけじゃないんですけど……。とかなんとか思っていると、志島さんが拍子抜けしたように言う。


「なんだそんなことか。それなら知ってるよ。有名だもん」


 ならなおさらどうして! と言った瞬間に潮さんは何かに気がついたようで、「まさか、そういうことなのか……? いやでもしかし、さすがに……」などとブツブツ呟いている。やがてゆっくりと、恐る恐るといった面持ちで口を開いた。


「まさか、海香も見たのか? こいつの……裸を。それでか?」

「うん、そうだよ。私花岡くんの裸を見ちゃったから。お父さんいつも、男女が肌を見せ合って良いのは結婚してからだって私に教えてくれてるじゃない? じゃあ責任取らなきゃって」


 涼しい顔でつらつらと並べ立てられる説明を聞き終わる前に、潮さんは文字通りに頭を抱えた。


「なんっ……ということだ……! 娘を守るための教えが、逆に娘を茨の道へと進める要因になっていたとは……!」


 そうなんですよ。あなたの教えを忠実に守った結果、あなたの娘さん、相当ヤバい状況にあったんですよ。


「でも……でもっ……! そこまで、厳格に、一切の例外なく、ルールを適用するとはっ……思わないじゃない!」


 うんうん。それは僕もそう思います。

 あまりのショックからか、若干口調が怪しくなっている潮さんを見て、僕は思わず口を開いた。


「お気持ちお察ししますが、まあ、結果的に志島さんが露出趣味の変態に嫁ぐようなことにはならなかったわけですし、最悪の事態は回避できたのでは?」

「まさに娘が露出趣味の変態に嫁ごうとしているから頭を抱えているのだが」


 大体! と潮さんはギリっと歯噛みする。


「貴様、海香に裸を見せつけたというのか!? こんな汚れない純粋な瞳の前で、よくそんな蛮行ができたものだな!」

「違うよお父さん! それは誤解。花岡くんが私に裸を見せにきたわけじゃなくて、花岡くんが全裸でいる教室に私が入って行ったの」


 なんでお前は教室で全裸になっていたのよぉ! とまた潮さんの口調が怪しくなる。


 うーんこの説明、以前に先生方の前でしたけど全然理解を得られなかったんだよな。ここで同じ話を繰り返しても結果は同じだろう。花岡真尋、同じ轍は踏みません。


「まあそういうこともありますよ。最近の高校生は」

「そんなわけあるか! ……とは、言い切れない、のか? 近頃の若者が考えてることはさっぱり分からんからな……」


 ううむ……と唸りながら潮さんは黙りこくってしまい、場には気まずい沈黙が流れる。

 重たい雰囲気。それを打ち破ったのはやはりと言うべきか。


「ところで、花岡君はなんで今日パンツを履いてないの?」


 志島海香さんだった。この前のクラスメイトに拉致られ事件の時にも思ったんだけど、この人、ひょっとして空気読めないのでは……?


 しかし海香さんのこの瞳の美しさはどうだ。吸い込まれるような深海の神秘をたたえた虹彩には、純粋な好奇心の光が爛々と躍っている。

 その輝きを無視することはできず、僕は今朝起こった悲しい出来事をぽつぽつと話し始めた。


「……というワケで、焦って家を出たらパンツを履き忘れちゃったんです」


 言い終わるか終わらないかの言葉尻を「あっはははー!」という大爆笑がかき消した。


 目を思いっきり線にして、あごを上げて、大口開けて、志島海香さんが笑っていた。


 清楚な見目に似合わぬ豪快な笑いっぷり。そして僕は見た。志島さんの顔の角度的に、潮さんには見えなかっただろう。これでもかと開かれた志島さんの口、綺麗に並ぶ真っ白い歯と、健康的なピンクの舌。そして、その奥でぷらりと揺れるものを、恐らく僕だけが、見た。


 普段決して人前には晒さないであろう彼女の部分。それを僕は見てしまったのだ。なぜだろう、決してそういうものではないはずなのに、ものすごくドキドキする。この一瞬を、僕は生涯忘れることはないかもしれない。


 ひとしきり笑い終えた志島さんはひー最高だねと言いながら目じりに溜まった涙をぬぐった。

 娘の豪快な大爆笑を目にして、潮さんは呆気にとられて固まっている。そんな潮さんに、志島さんはいつも通りのテンションでさらりと告げる。


「じゃあ、私達もう行くからね。お父さん、もう着いてこないでね」

「ま、待て……! いや、いい。今日のところはとりあえず分かった。行きなさい」


 どっと疲れた、という顔で潮さんは目元を抑える。


「それじゃ行こうか花岡くん」


 席を立つ志島さんに僕は戸惑いつつ「ど、どこにですか……?」と尋ねた。


「ん? 買いに行くでしょ? パンツ」


 い、行きます行きます!

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