第9話 心を射貫く背負い投げ
僕らは逃げた。必死に逃げた。
しかし闇のマッチョ軍団は僕らに対して数の利がある。そして奴らの筋肉は見掛け倒しではないようで、どいつもこいつも身体能力がやけに高い。撒いても撒いてもまた現れてきやがる。
クソ! 一体どこにこんな沢山のマッチョが隠れてたっていうんだ? 日本中のマッチョが今このショッピングモールに集結しているのではないだろうか。
そんな恐ろしい想像が脳裏を掠めたとき。
「ッ…………!」
僕らはついにマッチョ達に追い詰められてしまった。逃げていたつもりが、奴らの包囲網に絡めとられてしまったようだ。マッチョ達はへへへ……と口元に悪い笑みを浮かべながら、ジリジリと距離を詰めてくる。万事休すか――?
背中に隠した志島さんの様子をちらりと伺い見る。突如姿を見せた悪しきマッチョ達の姿に目を丸くしている。「え……? 嘘、なんで……どういうこと……?」そりゃそうなるわな。僕もそう思っている。
しかし僕は折れない。だって僕は志島さんの騎士(と書いてナイトと読む)なのだから。そして守るべきものを勇気づけることもまた騎士(と書いてナイトと読め)の役目だ。
「大丈夫です志島さん。安心してください。僕が必ずあなたを守ります」
「え? う、うん……」
既にこの状況。こいつらから逃げおおせることは既に不可能だろう。しかし、僕はなんとしても志島さんだけは守らなくてはならない。例え僕の身体が汚されたとしても、この心と誇りが汚されることはない。
僕はマッチョ達に向けて一足歩みを進めると、スゥッと息を大きく吸い込んだ。
「お前らの狙いは僕だろう! もう逃げも隠れもしない! だから彼女には手を出すな!」
「は、花岡君……」
マッチョ達はなおもこちらに睨みを聞かせながら「へっへっへ……」「分かってんじゃねえか……」「覚悟しとけよ……あぁ?」などと言って僕ににじり寄ってくる。鍛え上げられた上腕二頭筋がピクピクと脈動するのを見た。
「分かってるさ……。ああ、よーく分かってるよ……」
僕は覚悟を決めると、タイル調の床へその四肢を投げだした。無抵抗のポーズだ。
「さあ来いよ! 覚悟はできてる! その歪んだ欲情を思う存分僕にぶつけるがいいさ!」
「は、花岡君……?」
マッチョ達は急に困惑したような顔つきに変わり、「は、はあ……?」「何言ってんだコイツ……」「頭おかしいんじゃねえのか……」などと口にする。なんだなんだ、その反応は。
「お前ら、僕の身体が目当てなんだろう?」
「はあぁっ⁉」
マッチョ達はじりじりと僕から距離を取りながら「オイ……誰か説明してくれ。何がどうなってる?」「はっ、はあ? べっ、べべつにそんなんじゃねーし!」「待てやめろその反応! なんか真実味が増してる気がする!」などと口々に言う。
「あれ? 僕の勘違い? てっきり、僕の身体に見惚れて心の底から湧き上がるリビドーを抑えきれなくなってしまったのかと」
「んなワケねーだろ!」
「気持ちわりーこと言ってんじゃねえ!」
「あんま適当言ってっとただじゃおかねえぞ!」
「ああいいさ! たとえどんなことでも僕は受け入れる覚悟だ!」
覚悟決めてんじゃねーよ! とマッチョは頭をかきむしる。
「は、花岡君……あのね……」
「志島さんは大丈夫です。だから安心して下がっててください。いや、むしろ僕を置いて逃げてください。奴らがこれから僕にする行為を、あなたには見せたくない……!」
なんもしねーよ! いや、するつもりだったけど、そういうことじゃねーよ! とマッチョ達は地団太を踏みながら叫ぶ。
うるさい奴らだなと思って見ていると、奴らの当惑の表情が明るく変化していくのが分かった。視線は僕の背後に。その顔はまるで救世主の登場を見ているようだ。
マッチョが嬉しそうに言う。
「し、師範!」
しはん……? と内心思いつつ、男たちの視線に従って背後を振り返ると、そこには先ほど僕がケツを仕留めたはずのボスマッチョが立っていた。なるほどやはり僕の勘は正しかった。こいつこそ、この悪しきマッチョ軍団の紛れもないボスってわけだ。
ボスマッチョはじりじりとこちらに歩みを進めてくる。その眼差しは僕を捉えて離さない。僕も心を決めて立ち上がると、その射すくめるような眼差しを切り裂くように正対して歩き出した。
お互いの距離を詰めていく僕とボスマッチョ。男たちは「師範! やっちまってくだせえ!」「俺らの分まで! 師範!」「師範さえ来てくれりゃこっちのもんだ!」と、口々に歓喜の声を上げる。
永遠にも感じた十数秒。そして、僕とボスマッチョはついに目の前に向かい合った。こうして見ると、僕よりも頭一つ分以上も背が高い。丸太のような腕は内包された筋肉でパンパンに張っており、血管がドクドクと脈打っている。胸板は優に僕の倍はあるだろう。銃弾だって防げそうだ。
大地に響くような威圧感のある声でボスマッチョは静かに語る。
「小僧……覚悟はできているんだろうな……」
「ああ。とっくにな……」
ボスマッチョは勝ち誇ったように口元を歪める。鳴り響く「師範!」コール。僕はそっと瞳を閉じた……。
「さあ小僧! ケツを出せ! ケツを出すんだ! その貧弱なケツに、今度は俺の強烈なモノをぶち込んでやる! 分かったらとっととケツを出せ!」
「師範んんん!?」
ギャラリーと化したモブマッチョ達は一瞬でわたわたとうろたえ始めた。
「師範、一体どうしたというんですか!」
「落ち着いてください師範!」
「黙れ! 落ち着いてなどいられるか! コイツは……コイツはな……」
わなわなと怒りに震えるボスマッチョ。こめかみに立った青筋がぴくぴく跳ねる。
「コイツはな……! コイツは……、俺の……俺の、け、ケツを……」
「ケ、ケツを……?」
「ダ、ダメだ! これ以上は……俺の口からは言えん!」
「ちょっとお! その濁し方はマズいでしょ! 確実になんか誤解されるでしょ!」
「誤解じゃねえだろうが! 貴様、まさか俺に何をしたか忘れたというのか?」
「わ、忘れたわけじゃないですけど……」
さっきまでは口やかましく応援していたマッチョ達も今やすっかり縮こまり、怯えた目で僕を見ていた。あいつらあんなに小さかったっけ? パンプアップが足りてないようだね。
「ヤ、ヤリ捨て……?」
「しかもそれを覚えちゃいないんだってよ……。こんなインパクトの強いオッサンもそうそういねえだろ……」
「や、やべえ……。オッサンハンターだ……。百戦錬磨のオッサン切りだ……。天下に轟くオッ三国無双だ……」
う~ん、なんだか洒落にならない方向に誤解をされている。どうすればこの状況をまとめられる? というかどうしてこうなった?
混迷を極める状況の中、僕は必至に脳みそをフル回転させて逆転の一手を考えたが、このわずかな時間ではそんなものも浮かばない。
その隙をボスマッチョは見逃さなかった。瞳に狂乱の輝きを灯し「貴様のケツを寄越せぇぇ!」と僕に向かって突進してくるのに僕は全く反応できなかった。
あ、終わった――。
僕は観念したその瞬間。
「やめなさい!」
涼やかで、それでいて痺れるような一声がこの状況を切り裂いた。
僕も、マッチョも、その場にいた全員がビタっとその動きを止める。そしてゆっくりと声の出た方向に視線を向けた。
そこにいたのは志島さんだった。
「もうやめて……お父さん」
お、お父さん? どこに? 誰が? そんな僕の疑問はすぐに解決された。
馬鹿野郎! 男がここまでコケにされて、黙っていられるか! と、ボスマッチョが志島さんに言い放ったからだ。つまり……えーと、そういうことか? このキレキレに仕上がったごつくて人相の悪い極限のマッチョが、志島さんのお父さんだと。そういうことだな? なるほどなるほど……。
「お父さんんん!?」
そう簡単に納得できっか! この極マッチョが、志島さんの父親だと⁉ この可憐な美少女の中に、この特濃マッチョエッセンスが流れているだと⁉
僕は志島さんとボスマッチョとを交互に指さしながら戸惑いの目線で志島さんを見つめる。彼女はそんな僕の視線に気づくと、ゆっくりと頷いた。
「う、嘘だあ! 嘘だと言ってくれ! なあ! なあ!!?」
わけが分からなくなり半狂乱になった僕はボスマッチョの分厚い両肩を掴んで揺さぶりながら喚いていた。
「やめんか! この……!」
ぐるり、と世界が回った。
眩しい照明の光が視界を一杯に包むと同時に、背中に鈍い衝撃が走った。
僕はマッチョに右腕を掴まれたまま、地面に横たわっていた。どうやら……ぶん投げられたようだ。師範と言われていたのは伊達じゃない。こいつ、格闘技をやっている。
タイル調の床材は固い。だけど、僕の身体に加わったダメージは大したことがない。どうやら手心を加えられてしまったらしい。屈辱ではあるが、同時にその技量の高さを感じた。並の実力者だったとしたならば、今頃僕は普通に死んでる。
ようやく状況を整理できた僕がはほーっと一息をつく。その瞬間だった。
「安心するのはまだ早い。本命は……こっちだ!」
身体の芯を稲妻が駆け抜けた。右半身と左半身が真っ二つに引き裂けたかのような衝撃。なにか物凄いエネルギーが僕のケツから潜り込み、一瞬にして口から飛び出していったような、そんな感覚だった。
僕は声も出せず、ただ口をパクパクさせることしかできなかった。辛うじて目線だけを上にずらすと、人差し指だけをピンと立てて両手を組み合わせたボスマッチョの姿。そして奴は雷に打たれたような顔で僕を見る。
「こ、この生々しすぎる感触……まさか……お前は……」
そう呟いた刹那。その巨大な身体が宙を舞った。
その状況を作り出したのは志島さんだ。彼女は、その華奢な身体をマッチョの下に潜り込ませ、見事にぶん投げてみせたのだ。
自分の倍はあろうかという体躯の相手を投げ倒した志島さんは、乱れた髪をかきあげ、ふーっと息を吐いた。
その横顔はそれまでの柔らかな雰囲気も残しつつ、ピンと張った弦のような空気をまとっていた。
鋭く細められた瞳はいつもよりも暗い深海色に染まっている。しかし、その虹彩を興奮の眩い火花が一瞬駆け抜けたのを僕は見た。
普段とは空気感の全く違う、凛とした表情。しかし、今まで見てきた志島さんのどの表情よりも素敵だと思った。体の一番深いところを稲妻の光線で射貫かれたような、そんな衝撃だった。
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