第8話 映画とショーとカンチョーと
午後二時を過ぎたあたりのこと。
僕と志島さんは連れ立って、ショッピングモール内にある映画館の七番スクリーンから外に出てきていた。
「劇場から外に出る瞬間って良いよね。あ~現実に戻ってきた~って感じで」
「分かります分かります。上映前のCMが終わって照明がスーッと落ちていく瞬間も良いですよね。これから始まるって感じで」
誰かと映画を一緒に見ることの良さは、見終わった後に感想を言いあえることだろう。どこか落ち着けるところに座ってしっぽり感想戦と行きたいところだ。とにもかくにも一刻も早くここから離れたい。
そう、ここにもしっかりと"奴ら"が来ていたからだ。あの連中、どこまで僕らのデートを邪魔すれば気が済むんだ。
恐らく後方の席に座っていたのだろう。直接姿を見ることはなかったが、あの全身を包むような威圧感は間違えようもない。
暗闇に乗じて襲われたらどうしようと考えると正直気が気じゃなかったけど、危害を加えてくる様子はなかった。まあ上映中に暴れでもしたら迷惑だしな、うんうん。なんでそういうとこは無駄に常識的なんだ?
奴らがどういう目的で僕らをつけ狙っているのかは未だに定かではないけれど、まあ想像するにロクな理由じゃないだろう。
道を歩けば誰もが目で追ってしまうような清楚系美人である志島さんと、その隣を歩くナイスガイ。どう見ても女性に縁がなさそうなダークマッチョ達の嫉妬を集めてしまうのは避けようのないことだろう。
奴らにとって、僕の存在は目障り以外の何物でもないに違いない。僕を排除し、自らが志島さんの隣に納まろうと画策しているのだ。
そうはさせるか。あんな連中を志島さんに近づけさせはしない。
僕は決意を固めつつ、引き続き今日の大きなイベントであるデートをスマートに遂行させる。
「そういえば志島さん、アクション映画好きなんですか?」
「実はそうなんだよね。アメリカのヒーロー映画とかが大好物で。小さい頃は魔法少女よりも戦隊ヒーローが好きだったなあ。カッコよくてさ」
「へぇー、いいですねカッコいい。僕も昔はライダーベルト付けて近所の公園走り回ってましたよ。オリジナルの変身ポーズを友達と考えたりして」
そう、子供の頃は誰が一番カッコよく変身できるか、友達と競い合ったものだ。懐かしいな。
昔から遊びとなると凝り性で負けず嫌いだった僕は、単純にポーズを考えるだけでは飽き足らなかった。
ただポーズを決めて「変身!」と叫ぶだけで変身が成立するのか? 何も変わっていないじゃないか。
テレビで見るヒーロー達のように、戦闘時にはそれに相応しいスタイルに身を包むことが必要なのではないか。そこまでして初めて「変身した」と言えるのではないか――。
齢一桁にしてそこまで思考を巡らせた将来有望な僕は、なんとかして完璧な変身を実現する方法はないか必死に考えた。
幼き頭脳をフル回転させた思考の旅路の果て。僕はひとつの回答を得て、いつもの公園に向かった。
左手に変身衣装を詰めたナップザック。そして右ポケットには、爆竹と家にあった小麦粉をしこたま詰め込んだビニール袋を仕込んでいた。
爆竹による音で皆の注意を引くとともに小麦粉煙幕で身を隠し、その隙に早着替え。完璧な計画だった。完璧な計画だと当時は信じ込んでいた。
所詮は子供の浅知恵ということだ。皆の注目を集めると共に撒き散らした小麦粉煙幕は、風にのって僕の方へ直撃してしまった。素早くTシャツを脱ぎ去り、短パンに手をかけていた僕はそれを思い切り吸い込み、むせた。もう血反吐はくくらいむせた。
白い煙幕が薄まり、視界が開けたとき。皆の目の前にいたのは、白い小麦粉を頭から浴びた、白ブリーフ一丁の僕だった……。
遠い目をしてそんな幼きメモリーを思い返していると、志島さんはなんの疑いもなく「やっぱり男の子って感じだね」と笑って言った。このことは墓場まで持っておこう。ちなみに姉貴には速攻バレた。母さんにもこっぴどく叱られた。子どもの情報網というのはバカにならないもんだ。
「そういえばさっきポスター見たんですけど、今日ヒーローショーがあるらしいですよ。ちょっと見てみましょうか?」
「え、本当に? いいね、行こうか!」
パァっと顔を綻ばせる志島さん。この反応、街中でセクシーなお姉さんを見かけた時の池田や松岡と同じだ。本当に好きなんだな。
そわそわと足早に歩き始める志島さんを微笑ましく思いながらその後を追った。
ヒーローショーは中々の盛況ぶりで、ステージの周辺は人でごった返していた。
子どもたちはみなキラキラした眼差しで活劇を繰り広げるヒーロー達を一心に見つめている。
そして、壇上に注がれる熱のこもった視線の中には、志島さんから放たれるものも含まれていた。
幼子のような輝く眼差しと、少し紅潮した頬。華奢な両手は興奮によるものかギュッと握りしめられていた。
なるほど相当なファンらしい。無邪気にショーを観る志島さんはなんだかとても可愛らしかった。
うんうん、楽しんでいるようなら何よりだ。僕もそんな熱っぽい視線で志島さんに見つめられたいものだなあと思っていると、背後におどろおどろしい気配がスッと現れたことに気が付いた。
今日一日で散々味わった感覚だ。気配の主はもう分かっている。
幸にして志島さんはショーに夢中だ。これは好機かもしれない。奴らの目的は一体なんなのかを探るのだ。振り返らず、視線はステージへと向けたまま、僕は闇のマッチョとの対話を試みることにした。
「お前たちの目的はなんだ? 一日中人のことを尾けまわして、あまりいい趣味とは言えないな」
暫しの沈黙。佳境に入るヒーローショー。
歓声と熱狂の渦の中で、僕とマッチョの二人だけは神経を冷たく凍てつかせていた。
一瞬たりとも気の抜けない張り詰めた緊張感。背筋を一筋の汗が滑り落ちたその時、重たい声が返ってきた。
「お前こそ……どういうつもりだ……?」
ドスの効いた重低音。鼓膜を震わせるようなしゃがれ具合が、背後のマッチョがただ者でないことを暗に主張していた。これまでのマッチョ達と格が、いやマッチョとしてのレベルが異なることはすぐに分かった。
ボスマッチョはなおも続ける。
「お前……俺を挑発しているんだろう……?」
分かっているぞ……!
その言葉が耳に届くと同時に、全身がゾワゾワっと逆立った。この瞬間、僕は多分全てを悟ったのだ。決して知りたくなかった真実を手にしてしまったのだ。
僕は、こいつらの狙いは志島さんだと思っていた。そして志島さんを連れまわしているナイスガイ(つまり僕)への個人的な恨みを募らせ、排除しようとタイミングを伺っているのだと……そう思っていた。
しかしそれは間違いだった。こいつらの狙いは、最初から僕だったのだ。
僕はあまりの恐怖に心の底から震え上がった。ガチガチと歯が鳴り出し、自然と肛門括約筋はキュッと閉まる。寒い。ここはこんなにも寒かっただろうか?
何より恐ろしいのは性別問わず惹きつけてしまう僕のフェロモンの強力さと、今現在僕がノーパンであるということだ。ケツ方面の防御力は普段の半分に落ちている。
現実から目を背けるように、ぎゅっと両目を閉じる。瞼の裏から差す照明で完全な暗闇にはならない、あの独特の空間が目の前に広がる。そこに、僕の大切な人達の顔が浮かぶ。父さん、母さん、そして姉貴。……この事態を引き起こした要因の半分くらいは姉貴なのでは? イライラしてきたな。消し去ろう。
大切な友人たち……は、どうでもいいとして、志島さんだ。
志島さんの屈託ない笑顔が網膜の裏に浮かんでいる。そうだ、僕は彼女の笑顔に誓ったのではなかったか。この世にはびこる悪漢どもから必ずあなたを守り抜きますと、そう誓ったのではなかったか。その約束を果たせずして、こんなところで倒れるわけにはいかない!
気づけば震えは止まっていた。心の炎が燃えている。生き抜くぞ真尋。守るぞ海香を。
僕は動いた。
素晴らしく滑らかに、それでいて自然な動きで身をくるりと翻しつつマッチョの背後を取る。それはまるで舞踏会で披露するダンスのように優雅で、しなやかだった。
虚をつかれたボスマッチョは動けない。しかし、僕は止まらない。
心の中で素早く十字を切ると、僕は両手をガッチリと組み合わせる。人差し指は天を突くようにピンと立てて。
慈悲はない。ここは弱肉強食の世界。名も知らぬ悪しきマッチョよ。僕が生き抜くため、お前はここで屠る!
修羅と化した僕はふっと息を吐きだすと共に、ボスマッチョのケツ目掛けて人差し指を思い切り突き立てた。
筋肉質で固いケツ。それをえぐるようにずぶぶっと、第二関節が埋もれるくらいに容赦なくぶち込んだ。手ごたえ、アリ!
声にならない悲鳴を上げながら崩れるボスマッチョ。この隙を逃してはいけない!
僕は前方で相変わらずキラキラした目でヒーローショーを観戦する志島さんの手のひらを、思い切りよくガッと掴んだ。
「志島さんすみません!」
「え? なになにどうしたの?」
「今は何も聞かないで、僕を信じて一緒に逃げてください!」
「な、何から……?」
「…………敵から!!」
敵って……と苦笑いしつつも、志島さんはそっと僕の手を握り返してくれる。ほっそりとしていてしなやかで、ぎゅっと力を入れたら砕けてしまうのではないかと思ってしまう。ガラス細工のようだ。しかし、確かな力強さをもって僕の手を握ってくれた。
行きましょう! と一声かけると共に、僕と志島さんは走り出した。ヒーローショーの歓声と、ボスマッチョの「ま、待て……」といううめき声を背にする。
「まだ途中だったのにごめんなさい! 今度必ず埋め合わせます!」
「う、うん……! それはいいけど……!」
走りながら謝罪をすると、志島さんも息を切らしながら返してくれる。
しかし、志島さんには本当に悪いことをしてしまった。埋め合わせるとはいったものの、見直しができる映画などとは違ってあれはヒーローショーだ。たとえ別の会場で同内容を開催してくれたとして、この時のライブ感は今この瞬間にしか味わうことはできない。
僕はその機会を奪ってしまったのだ。どう償うのが良いのだろうか。
半分の脳でマッチョ達の目が届かないような安全地帯を探しつつ、もう半分の脳でそんなことを考える。できる男はマルチタスクなんよ。
「でも……なんかね……」
走りながらのため切れ切れになりながらも志島さんは口を開く。
「なんか、こういうの楽しいかも……!」
頬を紅潮させ、息を切らしながらもそう答える志島さんの顔は明るく花開いていた。
思わず見惚れてしまい、足が若干もつれる。何をやっている僕。気を引き締めろ。今この瞬間にも、僕らにはマッチョ達のマの手が迫っているのだ。
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