第6話 まさかのノーパン初デート

 日曜、朝八時、自室。

 僕は全裸で思案していた。


 悩める僕の肉体を照らす朝日が、その鍛えられた筋肉の陰影を美しく浮かび上がらせる。傍から見れば、実に芸術を感じさせる光景になっているだろう。


 もしこのまま大理石の彫刻と化したならば、以後数千年以上に渡って世界最高の芸術作品ともてはやされて美術館に飾られ、幾人ものインテリ美女が僕の肉体美にメロメロになることは想像に難くない。その時、僕の野性味溢れる恥部もまた必然的に美女の眼前に晒されることになり、美女はそれをまじまじと見て「オゥマイガ……」と呟くのだろう。なんだか興奮してきた。

 ところで、僕が朝っぱらから真っ裸で何に悩んでいるのかと言えば、身につけるものに悩んでいるのだ。


 何を隠そう、今日は志島さんとの初デートの日。

 前日は夜九時に就寝し、朝五時に起床。一時間ほどの走り込みで汗を流すと共に肉体にエンジンをかけたら、熱いシャワーで心と身体を清めてしっかりと朝食を取る。そして現在、自室、全裸だ。


 さて、どのパンツを履いていこうか。


 僕はじろりと、己を取り囲むように並んだパンツ達を見渡した。

 着ていく服自体は決まっているのだ。昨日寝る前に考え、下手に凝るよりもシンプルに、それでいてややかっちり目に。まあ、迷うほど僕は服を沢山持っているわけじゃない。すんなりと白系のTシャツに黒のテーラードジャケットに決めた。


 しかし僕は大事なことを一つ忘れていた。そう、パンツだ。

 パンツとはすなわち、建物で言うなら地盤に当たる部分だ。上っ面の服がいくら決まっていようと、ここがしっかりしていないとコーディネートというものは成り立たない。


 普段の僕は気分によってボクサーパンツとトランクスを使い分けている。僕の気分だけで言うなら、今日はなんとなく股間を楽にしていたいのでトランクスといきたいところだ。


 しかし今日は志島さんが一日隣にいる。当然僕のムスコが暴走機関車と化してしまう確率は高まり、そうなったときにトランクスでそれを押さえつけておけるかどうかは不安なところである。ここはやはり心身共に、いやシンチン共に引き締めるべく、ボクサーパンツを履いていくのが正解だろうか。


 慎重な判断が求められる。トランクスか、ボクサーパンツか。情熱の赤か、クールに青か。いっそのこと何も履かずに、フリーランスに揺れ動く僕をさらけ出して志島さんの前に参上するのもアリか。……アリだな。

 いやいや落ち着け僕! 何を考えているんだ僕! そんなこと、たとえ社会が許しても、この花岡・ジェントル・真尋が許さないぞ! ぷんぷん!


 さてどうしたものかと思案していると、ドアの向こうから足音が近づいてきた。姉貴だ。

 姉貴は廊下を歩いてきて、僕の部屋を通り過ぎ……ない! マズい!


「真尋、入るわよー」


 コンコンガチャ! と流れるような動作でノックからのドア開けを行う姉貴。そのスピード感は、部屋主への意思確認を犠牲にして生み出されたものだ。当然僕は動けなかった。


 生まれたままの姿で正座をしながら、呆けた面で姉貴を見上げる。


 スーツを着れば優秀なキャリアウーマンにも見える姉貴だが、家ではダサメガネにダサトレーナーと、とにかく「楽」を追求している。社会人になってから妙に大人びた感を醸し出してはいるが、部屋着姿を見ると、制服でリビングに寝そべり煎餅を食いながら昼寝をしていた姿を思い出す。

 そんな姉貴が、メガネをかけると強調されるタレ目をまん丸にして全裸の僕を見ている。


「真尋アンタ……何……やってるの……? 裸で……パンツに囲まれて……」

「う、うるせえやめろ見るな!」

「ひょっとして何かしらの召喚の儀? 世界にはびこるパンツ達の頂点たる存在、アルティメット・パンティ・ドラゴンを召喚するの? そしてギャルのパンティを貰うの?」

「違えわ! いいからとりあえず出てってくれよ!」

「あ、この前借りた漫画返そうと思ってきたんだった。面白かったよこれ」

「それ、今じゃなきゃダメ!? つーか、勝手に部屋入ってくんなよ!」

「えーでも、ちゃんとノックしたじゃない」

「早すぎんだよノックからドア開けるまでが! 僕返事してないだろ!」


 僕の必死の訴えもどこ吹く風で、姉貴は「あらら、またこんなに部屋を散らかして。まったく手間のかかる弟なんだから」と、涼しい顔で昨日僕が食べ終えてそのままにしておいたチョコの袋を片付けにかかりやがる。


 なので僕は両手で股間を押さえ、慎ましく正座状態で待つほかなかった。姉貴が部屋の中をあっちこっちに移動するもんだから、パンツを履くに履けない。こんな僕だが、実の姉に観察されながらパンツを履くというのは中々どうして恥ずかしい。


「あの、ホントにすみません……そろそろ出てってもらえませんか……?」

「真尋、今日女の子と出かけるんでしょ?」

「な、なななななんでそんなこと分かるんだよ」

「あ、ホントにそうなんだ。昨日の夜から妙に浮かれてたし、目ギラギラしてたし顔もテカテカしてたから、そんなところじゃないかと思った」


 こ、このアマ、カマかけやがったな!


「服どんなの着てくの? ここ大事よ。お姉ちゃんが見てあげよう」

「い、いや、とりあえずもう、出てって……」

「ははーん、これか。綺麗にまとめてある」

「耳、聞こえてる?」

「上がこれなら、下はもう少し細身のほうがいいんじゃない?」

「……マジ?」

「ほらほら、こっちの方が合うわよ」

「ほ、ほんと?」

「ちなみに、デートの約束は何時からなの?」

「え? 十時だけど」

「もう九時十分だけど、大丈夫?」

「何ィ!?」


 九時! 十分ん!? マズい! いつのまにこんなに時間が経ったんだ!?

 この女が僕にちょっかいを出してる間にヤバいことになった! 待ち合わせ場所へは九時二十二分発の電車に乗らないと間に合わない! 駅まではチャリを全力でぶっ飛ばしたとして十分以上はかかる距離! それも赤信号に引っかからないという条件付き!


 ま、間に合うか……? 


 股間を隠すということも忘れ、僕は超速で服を着て、財布と携帯を引っ掴んで家を飛び出した。「焦るんじゃないわよ真尋ー」という、姉貴の呑気な声を背中で聞きながら。




 という騒動がありつつ、なんとか僕は予定の時間に約束の場所にいた。志島さんの姿はまだ見えない。初デートから相手を待たせるという愚行を働かずに済んだわけだ。

 あー良かったと胸を撫で下ろしたいところだったが、また別の問題が発生していた。


 パンツ、履いてくるの忘れた。


 自宅から駅まで移動してるときは気が付かなかった。必死だったからだ。

 異変に気付いたのは目的の電車に転がりこんでからだ。いつもよりダイレクトに座席の感触がくるなあとケツを撫でると、鍛え上げられた僕の臀部の感触が艶めかしく手のひらに伝わってきたのだ。


 僕は頭が真っ白になった。家を出る時に焦りすぎて、結局肝心のパンツを履き忘れていた。中腰状態で自分のケツを撫でたまま固まった僕を、向かいに座ったお姉さんが怪訝な目で見ていた。


 パンツのために家に戻れば遅刻は必至。ならば、到着先のコンビニかどこかで買ってしまえばよかろうと、駅前に降り立ってすぐ向こうに見えた店舗へ向けてダッシュ! ……と同時に急停止。


 向こうの横断歩道で信号待ちをしているのは、間違いなく志島海香さんその人だ。あ、目が合った。手を振って笑ってくれた。可愛い。


 こうなった以上、彼女を無視してコンビニに走るのは不自然だ。事情を話して買いに行くことも当然考えたが、ただでさえ志島さんの中には僕イコール裸というイメージがある。今回の件でそれを決定的にしてしまうことは避けたい。


 もはや僕に残された選択肢は、ノーパン状態であることを志島さんに悟られないように今日のデートをクールにスマートに遂行する。これ以外になかった。つーか初デートにノーパンで参上する男ってどうよ。


 いや平常心、平常心だ。言うても見た目は普段と変わらない。むしろ、気合を入れたぶんいつもよりカッコいいと言える。ただ少々股間付近のラインが生々しいだけだ。落ち着いて、普段通りにふるまえばいい。

 深呼吸をして心を落ち着けていると、横断歩道を渡った志島さんがこちらにやってきた。


「ごめんね、待たせちゃった?」


 駆け寄りながら言う志島さん。ほんのり息を弾ませている。

 清楚の象徴、ふんわりした感じの白いワンピースに薄ピンクのロングカーデ。艶やかな黒髪は、男の僕から見るとよくわからない感じに編み込みが作られていた。

 凄く、いい。何がいいかとかは具体的にあげて言ったらキリがない。でも一番いいのは、簡単には膝を見せないスカートの長さだ。やっぱり、短ければいいってもんじゃないよな。


 しみじみ考えていると、志島さんが顔を覗き込んできた。


「どうかしたの?」

「あ、や、ごめんなさい。何でもないです。いっきましょうか!」


 志島さんを先導して、僕は元気よく歩き出す。本当は手でも繋いでいきたいところだったけれど、そんなことしたら僕の股間に巣食うモンスターがその鎌首をもたげるであろうことは想像に難くない。本日の僕の脆弱な下半身の装備では、荒れ狂う真尋を押しとどめておくことは不可能だ。ここは仕方ない。思考を凍てつかせ、現実を見据えて判断しろ。決して欲望に踊らされてはいけない。


 ちらりと振り返ってみると、志島さんは戸惑ったように笑いながらも僕の後をついてきてくれる。デートで彼女を置いてずんずん歩いていくなんて、彼氏失格だ。出だしは良くない。でも気を落としてはダメだ。勝負はここからだ!

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