第5話 昨日の友は今日の敵
死っていうものは僕が思っていたよりもずっと身近に潜んでいて、共に日常を過ごしていたりなんかするらしい。
決して大げさに言っているつもりはない。少し考えてみれば分かるはずだ。
例えば食べ物が喉に詰まったとき。階段から足を踏み外した瞬間。横断歩道のごく手前まで走ってくる右折車。様々な場面で、死は僕らの生活の中にひょっこり顔を出す。
そう、昼休みに体育準備室へと拉致され、こめかみや腕に浮いた血管をピクピクと動かし、血走った眼を爛々と光らせるクラスメイト達に取り囲まれた僕は今まさに肉薄する死を感じている。
なんだこれ。何が起こった。つい先ほどまで同じ教室で共に授業を受けていたクラスメイト達が、突然僕を縛り上げ取り囲み目を血走らせるなんてことが起こりうるのか。何か変なウイルスにでも感染したというのか? ここから命がけのサバイバルが始まるというのだろうか? だとしたらこの状況はまずい。武器を何も持っていない。銃は? せめて丸太を!
見下ろす包囲網の中からすっと一歩前に出てきたのは安井君だ。実直な性格でクラスメイトからの信頼も厚い彼の頬は涙で濡れていた。世界の名水に数えられてもいいくらいに混じり気のない、美しい涙だった。
「花岡……真尋くん。君は素晴らしい学友だった。それだけに、僕はとても悲しく思う。今日限りで一年三組のクラス名簿から、君の名前を消さねばならないことに……」
「ま、待って! お願い待って待ってくれ! 話し合い! まずは話し合いを!」
冷たい死刑宣告を受けた僕はいよいよ焦って身をよじるが状況は好転しない。跳び箱に縛り付けられているからだ。感服してしまうほどの緊縛技術の高さ。全く力が入らない。こんなこと一体どこで学んできたというのだろう。
「話し合い……? 花岡くん、まさか君、まだ自分は助かる見込みがあると思っているんじゃないだろうね?」
「た……助からないんすか?」
花岡真尋十五歳。その命が、今燃え尽きようとしている。
最悪だ。最悪の事態だこれは。僕と志島さんのことを一番知られてはならない連中に知られてしまった。
僕は例外として考えて、基本的にこのクラスの男連中は女性に全くもって縁が無い。各々に様々な理由はあれど、ひっくるめて言うとコイツらマジでモテないのだ。
クラス分けをする際はそれぞれのクラスが大体同じくらいの力を持つように生徒を割り振るらしいが、我がクラスのモテ力の枯渇っぷりは半端ない。この項目って評価対象外なのかな? いやもしかしたら、コイツらのマイナスを丸ごと全てひっくり返す美男子の僕という構図でバランスが取られているのかもしれない。うん、その説が濃厚だな。
冷や汗をドバドバ分泌しながら黙り込んでしまった僕を、安井君は哀れみに満ちた目で見た。
「君のした行為は僕らに対する重大な裏切り行為だ。僕たちは君を信じていた。同じ志を持つ仲間だと思っていた。それだけに僕らの傷は深い。心に受けた傷はそう簡単に癒えるものではない。故に君の罪は重い。だからぶち殺す」
言った。ついに直接的に言いやがった。
「……まあ突然のことで頭が混乱しているのかもしれない。僕らだってそうだ。ここは一度冷静になって状況を整理してみよう」
安井君がパチンと指を鳴らすと、誘われるように坂本君が四角い眼鏡をクイっと上げながら前に出てくる。
「花岡と付き合っていると言われた志島海香さんについてですね。二年五組所属。身長百五十九センチで血液型はAB。本校でもトップクラスの美人です。部活には所属していない。出身中学は大葉中学校で電車通学。仲の良い友人は同じく二年五組所属で女子水泳部部長の剛田玲夢さんです。先ほど教室で花岡の裏切りを告発してくれた素敵な女性です。二人は幼少からの付き合いのようですね」
「おい待てお前詳しすぎないかどうなってんだ」
怖! こいつ怖! まだ入学から一ヶ月あまりだぞ! なぜこの短い期間でそこまで詳細なパーソナルデータを入手することができるんだ? しかもなんかゴーレム先輩のデータまで出てきたし。二人は幼馴染だったのかよ。初めて知ったわ!
よく分かったよ、ありがとう。と安井君がねぎらいの言葉をかけると、坂本君は恭しく礼をしてまた集団の中に戻る。と同時に、堰を切ったようにそこから僕へ口々に罵声が飛んでくる。
「ふざけるな花岡ァ!」「それでもお前は人間か!」「どういうことか説明しろ!」「セツメイ イラナイ。オレ ハナオカ マルカジリ」……などなど。皆の怒りは相当なものだ。あと最後の奴誰? マジで怖いんだけど……。
ヒートアップする群衆。その熱量は止まらない。僕はここに飲み込まれ、星になってしまうのだろうか……。
暴徒と化しかけたクラスメイトを押しとどめたのは、やはり安井君だった。
「皆、落ち着くんだ。怒りの気持ちは分かる。しかし感情のままに動いてはいけない。僕たちは人間だ。理性と思考の力で戦う人間だ。決して冷静さを失わず、極めて理知的に、花岡の処刑方法を検討しよう」
なるほどこいつらマジでヤバいな。安井君の凛とした眼差しが逆に怖い。サイコみを感じるよ。まだ隣で血走った眼をギョロギョロさせてる工藤君とか、涎を垂らしながらへへへと締まりのない顔で笑ってる馬場君の方がマシに見えてくる。いやそんなこともないか。
しかし、どうだこの状況は。僕は今、全方位を最高にガンギマった男たちに囲まれている。逃げ場はない。
志島さんごめんなさい……。約束、守れそうに……ありません……。
全てを諦め、僕は天を仰いだ。体育倉庫の薄汚れた天井が見える。最期に空と、志島さん……あなたの笑顔が見たかった……!
諦めちゃダメ!!
声が、聞こえた気がした。これは……志島さんの……声?
何があっても約束を違えないのが花岡真尋君なんじゃないの? 私、ずっと待ってるから……。花岡君が来てくれるまで、あの約束の中庭で……ずっと、待ってるから!!
……そうだ。そうだった。僕は何をしていたんだ。
自分の都合だけで勝手に諦めて、後に残す人のことを考えもしていなかった。大体、僕はベストを尽くしていないじゃないか。目の前の状況に絶望するばかりで、僕はまだ何の行動も起こしていない。挑戦をしていない僕に、諦める資格なんてない。
ごめんなさい志島さん。僕が間違っていました。必ず、必ず僕はあなたの元へとたどり着き、美男美女カップルとして中庭で甘いランチタイムを過ごします。だから、少しだけ待っていてください!
僕は覚悟を決める。
生き残るための道は一つだけ。この集団のうちの誰か一人を迅速に抹殺し、空いた隙間から逃げ出すこと。これしかない。しかし問題はこの拘束だ。どういう原理なのかは知らないが、全く力が入らない。
だが連中が僕を抹殺するその瞬間、必ず僕との距離を詰めるはずだ。狙うならその瞬間しかない。
扉は……あそこか。出入口を塞ぐようにして川上君が仁王立ちしている。少なくとも奴は抹殺しなければ、ここからの脱出は叶わない。さてどうするか……ん?
なんか……殺意が消えたな。どうしたんだ? 焦ってる? というかワタワタしてるな。その上「フ、フシュー」と気持ちの悪い笑みを浮かべている。
包囲網に生じた突然の綻びに、安井君も状況を測りかねているようだ。
一体何が……? との疑問は、次に聞こえてきた声で吹き飛んだ。
「花岡君、いる? ここだって聞いてきたんだけど……」
こ、この声は……!
「し、志島さん!?」
「あ、やっぱりいたんだ。良かった良かった」
そう言いながら無謀にも志島さんは僕の方へやってこようとする。こんなトチ狂った男たちの集団をかき分けてくるなんて無謀すぎる!
「ダメだ志島さん! ここは危険だ! コイツらはヤバい奴なんだ! 僕のことは放っておいて、早く逃げてください! なに大丈夫です。ちょっとばかし遅れちゃうけど、僕も必ず後から追いつきます! だから、約束の場所で、待っていてください……!」
喉が枯れんばかりに叫んだが、志島さんはスイスイとこちらの方にやって来てしまう。くそ、なんてこった。志島さんにまで危害が及ぶようなことがあれば、僕はもう腹を切るしか……。
ん? 妙にスイスイ来るな?
よく見ると「ごめんね、ちょっと通してね」と言う志島さんに男連中は「フ、フヒ! スマセン!」とフシュフシュ言いながらあっさり道を明け渡していた。お、お前ら……。
そして何の障害もなく、志島さんは僕の目の前まで到達する。
「玲夢に聞いたら、お友達と一緒にここへ向かったって聞いたから」
「友達と呼んでいいのかはもう分からないですけど……」
そう? と言いながら志島さんはスルスルと僕を縛る縄を解いていく。
その手際を見て坂本君が「ば、バカな……。古来より伝わる捕縛術の武芸書を読み込んだ俺の縛りをいともたやすく……」と愕然とした様子で呟いたが、驚くのはそこじゃない。なぜこの状況に疑問を持たない。
そうこうしている間に志島さんは僕を縄から解放してくれる。確かに手先は器用なようだ。
「これでよし、じゃあ行こっか。お昼休みも終わっちゃうし」
志島さんが安井君に「ごめんね、少し花岡君借りるね」と断りを入れると、安井君は「シュ、シュ! アハイ! ドゾッス! フシュシ!」とニヨニヨ芯のない笑みを浮かべながらペコペコ等間隔で頭を下げるロボットと化してしまった。さっきまでとは偉い違いだ。何が彼をこんなにしてしまったのか。
こうして花岡真尋の尊い命は守られた。志島海香さんの手によって。
「しかし、よく入ってこられましたねあの中に。男まみれでヤバかったでしょ?」
僕は純粋な疑問をぶつける。志島さんは欠片の曇りもない純粋な顔で「ん? 何が?」と言った。
……なんだかんだこの人も結構ヤバいよな。
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