第4話 幸福の朝と致命的なミス
というワケで、人生初の彼女ができた。彼女ができた。彼女が、できた。
……彼女が! できた!
なんていい響きなんだろう! 何度でもリフレインしたい! たったの一文でこんなにも人の心をときめかせることができるなんて、言葉の力って凄いね。思わず足取りも弾むよ。最寄り駅から学校までは僕の足で徒歩十分だけど、今日は五分くらいで着きそうな勢いだ。
最初は面食らったところもあるけれど、冷静に見て志島さんはクッソ美人。こんなの嬉しくないワケがない。控えめに言って最高だ!
告白してくれた理由に完全に納得がいっているわけではないが、案外恋の始まりってこんな感じなのかもしれないしな。これから本気で志島さんを惚れさせて、「家訓なんて関係ない……真尋くんが欲しい……! 私の心がそう叫んでるの!」と言ってもらえるようにすればいいのだ。そんでシルクのベッドに赤いバラを敷き詰め、朝まで二人で愛を語り合えばいいのだ……グフ。
なんて考えていたら、ぴしっと背筋の伸びた後ろ姿が見えてきた。志島さんだ。ようし、カレカノになって最初の朝だ。気合入れて挨拶しちゃうぞ~。
「志島さん、おはようございます!」
「あ、花岡くん、おはよう」
にっこりと笑って挨拶を返してくれる志島さん。その流れで、僕の頭のてっぺんから爪先までをじっくりと見る。そ、そんなに見つめられると、照れちゃうよ、ムホホ。
「制服……着るんだね」
「僕をなんだと思ってるんですか……?」
「えっと……裸族?」
外でも裸な裸族は……う~ん、それはもう露出狂ですね!
困ったことに志島さんは僕に対してだいぶ歪んだイメージを持っているようだ。これはなんとかしなくちゃいけない。僕の紳士っぷりをじっくりねっとりと身体に教え込んであげる必要がありそうだな……グッフッフ。
そんなことを考えつつ志島さんと軽快な朝のトークを交わしながら通学路を歩いていくと、脇のコンビニからすらりと健康的な脚の女子生徒が出てきた。
「あ、ゴーレム先輩。おはざーす」
「げ、朝から花岡……と、海香じゃん。おはよ」
「おはよう、玲夢」
「…………あれ、二人で登校?」
「うん、そうだよ」
「な、なんで?」
なんでって……もう! ゴーレム先輩てば、野暮なことを聞かないでくれよ! それは、僕と志島さんが固く深くズブズブに愛し合っているから……さ!
と、僕が答えるよりも先に、志島さんが返した。
「さっき会ったから、折角だから一緒にって」
「う、海香……」
ゴーレム先輩は「こんなに恐ろしいことはない!」とでも言いたげな顔で僕と志島さんの顔を見比べると、志島さんの手を取って僕から距離を取らせた。そして両肩に手を置くと、真っ直ぐに目を見据えて諭すように言う。
「あのね海香……。あんたが凄くいい子なのは知ってる。あんたは人の善性を信じてる。でもね海香……花岡だけはダメ」
「ちょ、先輩。本人を前にしてそんなこと言わないでくださいよー!」
「花岡は、海香が一番近づいちゃいけないタイプのやつなんだよ。……いや分かる。あいつは別に悪い奴じゃない。でも変態だ。獣なんだよ」
「あれ? 僕のこと見えてます? その花岡がここにいるんですけど!」
「あいつが入学してからの一ヶ月で何回、公衆の面前で真っ裸になったか知ってる? 五回だよ五回。ゴールデンウィークとかの休みもあったから、考えてみればあいつは一週間に一回のペースで露出してることになるわけ。冷静に考えてヤバいよ。いや冷静に考えなくてもヤバい」
「ち、違いますぅ~! 確かに反省文は五回書きましたけど、裸になったせいで問題になったのは四回だけですぅ~!」
「え、そうだっけ? ……ちなみに残りの一回は?」
「校内をパンイチで全力疾走しただけです」
「大差ないわこのアホ!」
なんでや! たとえパンツだろうが、布一枚履いてれば全裸にはならんやろが!
そんな感じのことをゴーレム先輩にまくしたてると、先輩の横にいる志島さんが口に手を当ててくすくすと笑っていた。
「ふふ……。花岡くんって、やっぱり変わってるよね」
「そ、そうですか……?」
「いや、変わってるというか、変なのよ。頭が。クレイジーなのよ」
「ゴーレム先輩は黙っててください!」
あくまでもゴーレム先輩は志島さんに僕に対する悪しきイメージを植え付けるつもりのようだ。そんなことを目の前で断行されて黙っていられる僕ではない。徹底抗戦だ! これは、名誉を守る戦いなのだ……!
先輩と舌戦を繰り広げようとした僕を止めたのは志島さんの「そんなことより二人とも、そろそろ時間危ないよ」という一言だった。
バーロー始業時間なんて知ったこっちゃねえや! そんなくだらねえことよりも、男の意地の方がずっと大事なんでぇ! と叫びたい気持ちは山々だったが、実行に移すほど僕はヤンチャでもないので、おとなしく学校に向かって再び歩き出すことにする。
残りの道中はそんなに長い距離はなかったが、ゴーレム先輩が僕と志島さんの間に入って女子得意のマシンガントークを志島さんに向けて放ち始めたので、硬派で不器用な僕は口を出せず、結局志島さんともほとんど話すことは出来なかった。
ゴーレム先輩には要注意だな……。先輩はどうにも僕に対して歪みに歪んだイメージを持っているようだ。いずれ先輩にも、僕がどれほど素晴らしい「男」なのかをしっかりと教えてあげる必要がありそうだ。じっくりねっとり、十七時間くらいかけて、身体に教え込んでやろう。そうだな、まずは先輩のしなやかに引き締まった脚をこうしてだな……。
グッフフフと妄想しながら上履きに履き替えていると、ふわりと甘い匂いが鼻をくすぐる。ん? と思って目線を上げると、志島さんの御尊顔が目の前にあった。あまりの美しさに面食らった僕は思わず「ぅお」と、だいぶおっさん臭い声を漏らしてしまう。
「ど、どしたんですか?」
志島さんはその問いに答えず、口元を隠しながら僕にしか聞こえないくらいの声量で言った。
「お昼、一緒に食べようね」
じゃあまた後でねと言って二階へ向かう彼女を僕は棒立ちで見送った。
心臓がバックンバックンと全身に血液をこれでもかと送り出している。首筋の血管からもドクドクという音を聞いた気がした。顔が熱い。
それは……それは、ずるいですわ! 志島さん!
胸を押さえながら悶える僕を落ち着かせたのは、金髪の女子生徒が僕に向けた、潰れた芋虫を見るような目線だった。
午前中の授業が手に着くはずもなかった。
いや授業内容が頭に入ってこないのはいつものことなのだが、今日はことさらにそうだった。その理由はもちろん、今朝志島さんと交わした約束にある。
スマホには志島さんからの「中庭で食べようか?」とのメッセージが入っている。本日はお日柄も良く、外でランチを楽しむにはうってつけだ。
中庭でお昼を共にするカップルは多い。今までは歯噛みしながらそれを窓の外から眺めるだけだった。しかし今日、僕はその聖域に足を踏み入れようとしている。真尋、大人になります!
ああ、お昼はまだだろうか? こんなにも時間が経つのを遅く感じるだなんて! まあ授業中に時計の進みが遅く感じるのもいつものことなんだけど。
まだかな~まだかな~とソワソワウキウキしながら授業を右から左へ聞き流していると、待ち望んだ瞬間がついにやってきた。午前の授業終了の鐘だ。僕を祝福しているかのような音色だった。
僕は爆速で授業道具を片付けて立ち上がる。昼休みの時間はたったの五十分しかない。一分たりとも無駄にしたくない。
よっしゃ行くぞと一歩踏み出したその時だった。
「花岡ァ! 花岡はいるか!?」
すらりと長い手足の女子生徒が髪を振り乱しながら教室に駆け込んでくる。部活で聞き慣れた声色。ゴーレム先輩だ。
先輩の顔色は異常だった。顔面蒼白で唇はわなわなと震え、かと思えば額には青筋が浮かんでいたりする。普段はしなやかに動く先輩の体が、今はなんだかガチガチだ。
一体どうしたというのだろう?
「どうしたんすか先輩。顔色悪いですけど」
「そりゃ悪くもなるわ! お前……海香が……海香が……!」
先輩はギリっと歯噛みして、叫ぶように言った。
「海香が! 花岡と付き合い始めたって! そう言ったんだよ!!」
あーなるほどなるほど。バレちゃったのか。
「いやー実はそうなんですよ。あはは」
「あはは、じゃねーだろ! あの可憐で清楚な海香と、ド変態露出狂の花岡が付き合うなんて……ありえない! 一体どうやって海香をたぶらかしたんだ? 脅したのか?」
「ひ、人聞き悪いな……」
まあゴーレム先輩は志島さんと仲が良いみたいだし、親友を僕に取られてしまって寂しいのだろうか。
だけどなぜ僕と志島さんが付き合うに至ったかについては語るわけにはいかないので、ここは上手いこと誤魔化すべきだろう。
「いやまあ、特別何かがあったってわけじゃないんですけどね。でも気づいたら、お互い惹かれあっていたというか……」
「なるほど。それでお前は志島海香さんと付き合うことになったんだな」
「そうなんですよーあはは。……ん?」
今のは……ゴーレム先輩の声じゃないな?
僕の脳裏によぎった疑問。それと同時に僕はサーっと青ざめた。肝が冷える感覚。冷や汗が噴き出す。
僕は……僕は、とんでもないミスを犯している。そのことに、今の今まで全く気が付かなかった。
突如降って湧いた幸運。志島海香さんという存在に目が眩み、僕は地に足がついていなかったのだ。あまりにも盲目だった。
がしり、と僕の肩を掴む手があった。節くれだった大きな手だ。
僕は振り向かなかった。全てを悟ってしまっていたからこそ、振り向くことができなかった。心の底から恐怖心が湧き上がってくる。僕は震えていた。
眼前に立つゴーレム先輩は呆気に取られていた。先程見せた怒りも今は別の感情に上書きされたようだった。
ああ、ゴーレム先輩……。普段は怒られてばっかりで、怖い先輩だななんて思ったこともあったけど。それでも、先輩の中にはいつでも優しさがありました。
ほんのひとさじ、ともすれば知覚できないくらいの分量ではあったけれど、呆れ、怒る先輩の口ぶりの中には、僕の身を思いやる心が確かにありました。
先輩の厳しい暖かさが、今はとても懐かしいです。
僕の背後に挟む気配。ひとつやふたつではない。数にして約二十。
そう、このクラスは三十九人のクラスで、男女比はやや男子の方が多い。やはり僕の背後にいるのはそのくらいの人数になるだろう。
「花岡……クゥゥン……。ちょっト……オ話……シヨウカ……」
気配の主たちの雰囲気が人ならざるものへと変化していくのを肌で感じた。
掴まれた僕の肩が、みしりと嫌な音を立てた。
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