第3話 家訓と告白と騎士の誓い

 なんだ? 何を言ったんだこの人は今? 僕を裁判所へいざなう言葉ではなかったような気もしたけど。あ、ダメだ、理解できない。海香の言葉に導かれ、思考回路はショート寸前だ。

 僕があまりに呆けた顔をしていたため、どうやら志島さんは心配になってきたようだ。


「あれ? 花岡君、大丈夫? 聞いてる?」

「あ、いや……大丈夫です。すみません、ちょっと頭がハッキリしてなくて、あんまり聞いてなかったです。もう一度言ってもらってもいいですか?」

「え? あー……。わ、私と、付き合ってください」

「法廷までですか?」

「どういう思考回路?」


 困惑する志島さん。でもそれはお互い様だ。この人、なんで僕に告白してきたんだ? しかも、結婚を前提に? ……どういう思考回路?


 落ち着け、冷静になれ。思考を巡らせろ花岡真尋。僕と志島さんの接点は思いつく限り一つだけ。昨日の全裸騒動だ。それ以外で僕は彼女と関わったことはない。あの出来事を経て、翌日僕に告白をしてきた。この二つの事実から導き出される回答……。ハッ! そうか! そうだったのか!


 志島さんは、筋肉フェチだ!


 なるほどなるほど、それならば納得だ。どうやら彼女は、昨日目撃した僕の身体に悩殺されてしまったのだ。ギリシャ彫刻の如くに美しく均整の取れた、僕の肉体に。なあんだ、そういうことか。そういうことなら、たっぷり見せてあげるよ。君だけのた・め・に。


 僕はクッと身体に力を入れて筋肉の陰影を美しく浮かび上がらせると、普段よりもワントーン低めのダンディな声質で問いかける。


「理由を……聞いても、いいですか?」

「え? ああ、そうだよね。えっとね……。花岡君の、裸を見ちゃったから……」


 ビンゴ! ビィンゴ! 楽しいビンゴ!!

 表向きは鷹揚に微笑みながら彼女の言葉に頷きで返事をしつつ、僕の脳内はパレードだった。クルクルと片足で回りながらダンスを踊り、破壊的なハイテンションで料理を作る。品目はお好み焼きとたこ焼きだ。異国の王子も大満足の逸品! しかし、この狂喜乱舞は決して表には出さない。何故なら僕はナイスガイだから。


「実は、この件にはうちの家訓が関わってきているんだけど……」


 …………うん? なんだか雲行きが変わってきた気がするぞ。

 筋肉美を保つのも忘れ、僕はいつもの調子で問う。


「か、家訓?」

「そうなの。志島家家訓」

「家訓があるって凄いですね。ウチとか何にもないですよ。結構名家だったりします?」

「うーん、どうなんだろ……。お父さんが作ったみたいだから……」

「い、意外と新しいんですね。それで、どういう家訓なんですか?」

「えっとね。『恋愛はプラトニックであれ』なの。婚姻前の男女は、安易に肉体的な愛の形を求めるのではなく、精神的な愛を育て、深めていくべきだと」


 なるほど。なんとなく分かった。小難しい言い方をしていはいるが、要は付き合ってからすぐにキスしたりまぐわったりするのはダメよ~ダメダメというワケだな。厳しいというか、今時古風だなと思うけど、目の前に立つ人が仮に自分の娘だったならば僕も間違いなく同様の指導をしていることと思うので、お父さんの気持ちは分かる。


 もし彼女に近づいてくる男がいるなら全力で阻止するし、そいつがチャラッチャラしたいかにも軽薄そうな奴だったなら、熱した砂に一日一万回の手刀を打ち込んで拳を鍛え、夕日の海岸で一方的にタコ殴りにしちゃうレベル。ちなみにそいつが真面目で誠実そうな年収一千万の男だったとしても同じ話だ。海香は渡さんぞ!


「つまり、結婚前の男女が肌を見せるのも禁止……ということなの」

「なるほど……。話が読めてきました」

「私は花岡君の裸を見ました。なので、花岡君と結婚します」

 

 つまりは、そうしないと家訓に背くことになってしまうから。

 

 なるほどなー……。なんだろうこの感情は。複雑だ。こんな綺麗な人が、僕と付き合いたいと、それどころか結婚までしたいと言っている。こんなの嬉しくないわけがない。わけがない……のだが。


「志島さんは……それで、いいんですか?」

「ん? うん、大丈夫だよ?」


 月並みな言葉だが、人の価値観なんて人それぞれだ。ここで僕が志島さんの判断基準に物申す気はないし、あなたは間違ってますなんて言う資格もない。第一、志島さんは間違っているわけではない。社会のルールの中に、彼女の判断を咎める一文は無いはずだ。


 しかし、僕の心は「それは間違っている」と叫んでいる。それは他でもない、僕自身の中にあるルールに則って叫んでいる。僕が志島さんの考えを認められないのは、それが間違っているからじゃない。僕が嫌だから、嫌なのだ。


 これは単に僕の意地だ。ちっぽけなプライドだ。そんなものを守るため、こんな美人とお付き合いできる権利を手放すのか? 男としてそれはいかがなものか。より優れた遺伝子を後世に残すという使命を、僕は背負っているのではないのか。……否。僕は生物であると同時に、人間なのだ。いや正確には、僕は人間でいたいのだ。そして、僕を生物ではなく人間たらしめているのは、このささやかなプライドなのだ。このプライドが、生物として僕が背負った使命よりも上にあるからこそ、僕は人間でいることができる。だから、僕はコイツを失うわけにはいかない。


 腹は決まった。それを伝えるための言葉も。


「志島さん」

「……はい」

「ごめんなさい!」


 僕は九十度頭を下げる。


「僕は、あなたと付き合うことはできません」


 志島さんみたいな素敵な女性を付き合うことができたなら、そりゃ当然嬉しい。

 でも、それだけでは僕は足りないのだ。僕は、世界中で僕だけが、志島さんの隣にいていい理由が欲しい。他の誰でもなく、僕だからこそ、志島さんと共にいることを許される理由が。


 だから、志島さんの要望は、受け入れられない。


 全くどうかしてる。五年後くらいには今日の出来事を思い返して、毎日毎日鬼のように後悔し、決して戻らぬ時間を呪っては枕を濡らすのだろう。でも、未来の僕のことなんてどうだっていい。大事なのは今だ。今現在、ここにいる僕が「嫌だ」と思っているのだから、やっぱりこの告白は断るべきなのだ。


 ああ、志島さんはどんな顔をしているだろうか? 何を思っているのだろうか? 悲しんでいるだろうか、驚いているだろうか、怒っているだろうか? 例えどんな理由であれ、異性に自分の気持ちを伝えるというのはとても勇気のいる行為だ。僕はそれを踏みにじったのだ。だから、僕は志島さんのどんな感情も受け入れる責任がある。

 僕は恐る恐る顔を上げ、志島さんの様子を見た。彼女は……。


「えっ……ちょっ……うそ……どうしよ……やばい……うわわわわ……」


 めっちゃくっちゃに困っていた。


「こっ、困ります!」


 そ、そのようですね……!


「そう言われましても……、僕としてはどうにも……」

「そこをなんとか!」


 ずずいっ! と志島さんが僕ににじりよってくる。顔が近い! ふわりと鼻腔をくすぐる、ナチュラルないい匂いは、志島さんの髪の匂いだろうか? この香り、香水にしたら売れるでぇ……。


 それにしても、九割五分裸の僕に懇願する美少女とは、なんて背徳的なシチュエーションなんだ! でも今はそんな悠長なことを言っている場合ではない。こんなところをもし誰かに見られでもしたら、少女の弱みを握った変態男性が、己の性欲を満たすためによこしまな命令をしているというシナリオが組み上げられてしまうのは言うまでもない。そうなれば今度こそ僕は終わりだ。早く志島さんの豹変を止めなくては。


 僕は手のひらを広げて志島さんストップをかけながら、「ちょ、ちょちょちょっと待ってください!」と言って距離を取る。志島さんに触れないように細心の注意を払いつつだ。


「私と、付き合ってもらわないと、困るんです!」

「わ、分かりました分かりました! でも、ちょっと待ってください! まだお互いのこともよく知らないわけですし、いきなり付き合うっていうのは違うと思うんです! だからとりあえず、友達から、始めませんか?」


 とりあえずこの場を納めるためにはこの言葉しかないだろうという必殺の言葉を口にする。いやはや、先人は便利な言葉を残してくれたものだ。保留にも断りにも使える魔法の言葉。言われた側は「あ、ああ……うん!」としか言いようがない、真綿で締められるようなやんわりとした強制力。僕も何度聞かされてきたことか。


 それにしても、一体なんで僕は美少女からの告白をこんなに一生懸命躱そうとしているのだろう? 人生というのは時にどう転ぶか分からないものだ。まあ、とりあえずはこれで大丈夫だろう……。


「こっ、困ります!」

「なんでだよ! なんで引き下がらないんだよ! おかしいだろ!」


 思わずタメ口になって返してしまうが仕方ないと思う。だって、どう考えてもおかしい。なんだ? なんなんだこの人? だんだん怖くなってきたぞ……?

 志島さんはハッとした表情になると「ご、ごめんなさい……」と言って僕から離れる。しょうきに もどった! のかと思ったが、「でも、花岡君に断られたら、私……」らしい。


 僕はどうするべきだろう? 少なくとも、志島さんに対する認識は改めるべきだ。どうやら彼女は、僕が当初想像していたよりもずっと、家訓に重きを置いているようだ。


 正直に言おう。この家訓を発令した志島父には共感しつつも、「今時家訓とか(笑)」と思っていたのも事実だ。僕は、僕の自覚よりもずっとこの家訓を軽んじていた。

 しかし志島さんにとってはそうではないのだ。彼女にとって、父からの教えは全ての判断基準の礎となる大切なものらしい。そのこと自体は、別にいい。


 問題があるとすれば、彼女が忠実に家訓を遵守した結果、今のこの事態が引き起こされたという点にある。つまり彼女はこれまでの人生を、自分に全裸姿を晒してきた変態男性に結婚を申し込まねばならないという、非常に苛酷な使命を背負って生きていたことになるのだ。ああ、なんて危うい!


 志島さんは道を歩けば誰もが振り返るような美少女だ。そんな彼女を世の中の変態達が放っておくはずがない。彼らは皆彼女に全裸を見せたいと思うはずだ。夜道でそっと近寄り、ロングコートの前をおもむろに開けて「ほ~らほらほら。大きなのっぽの古時計だよ~」と、蠱惑的な腰振りで揺れる振り子を見せつけたいと、そう思うはずだ。


 今日この瞬間、彼女が清らかなままでここに立っていることはそれ自体が奇跡だと言ってもいい。よくここまで無事で来てくれた。良かった。彼女に最初に全裸を見せつけたのが、僕のような紳士で本当に良かった!


 そう考えてみると、僕は彼女にとって、世間にはびこる変態達から身を挺して彼女を守った、いわば騎士といってもいい存在なのかもしれない。やっぱ僕ってナイスガイだわ。


 ここで僕が告白を断ってしまった場合どういうことになるか? 考えるまでもない。志島さんを、無防備で純真で清廉な彼女を、魑魅魍魎渦巻く魔界に再び放り出すことになる。そんな……そんなことは、できない! 男として、いや、彼女の騎士として!


「…………分かりました、志島さん」

「……! ほ、ほんとに?」

「僕が、志島さんを、この世にはびこる悪鬼共から、守ってみせます!」


 固く握りしめた拳を裸の胸にドンと叩きつけ、僕は猛々しく決意表明をする。志島さんは僕を見て、形の良い瞳を丸くした。


「え、えーと……。花岡君って、変わってるよね」


 いや、アンタがそれを言うんかい。

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