第2話 予期せぬ呼び出し ~もしかして訴訟ですか?~

 その翌日のことだ。

 僕は競泳水着一丁でプールサイドに正座をさせられていた。冷たく固いタイルの感覚が膝小僧にゴリゴリと蓄積系のダメージを与えてくる。痛い。


「はーなおかあ! お前、またやらかしてくれたな!」


 頭上から怒気を孕んだ声が投げ下ろされる。その圧に押された僕は顔を上げることができず、スラりと伸びる二本の足をじっと見つめるしかない。程よく筋肉のついたしなやかなふくらはぎをツーっと落ちていく水滴を見つめ、こんな状況ながら新たなフェティシズムに目覚めてしまいそうになっていると、未だ収まらぬ怒りが漏れ出た声色で「顔上げろ」と言われてしまう。


 観念して顔を上げると、こちらを射すくめるような眼差しを向ける女子の先輩がいた。顔に張り付くキャラメル色の髪と、濡れたまつ毛に頬を伝う雫。水に濡れた女性というのは実に美しい。俗な言い方をすると、エッチだ。


 怒られている最中にもこんなことを考えてしまうのは男の性と言うほかない。いや、反省はしてるんだけどね? やはり、人間はどこまで行っても本能に逆らうことは出来ないんだなあ。

 己のY染色体に刻まれたスケベ心に思いを馳せると、僕を見下ろす先輩がため息をついた。


「聞いてんのか花岡」

「すみません、ゴーレム先輩……」

「だからゴーレム言うなって。シバくぞ」


 彼女はゴーレム先輩こと剛田玲夢ごうだれむ先輩。我が水泳部の女子部長という立場だが、男子部長の久方先輩はどうにも頼りがいがないということで、男女合わせてこの部活を取りまとめているような存在だ。


「何がどうなったら一年の五月で反省文を五回も提出する羽目になるんだよ……。しかも理由が毎度毎度……」


 カッ! とゴーレム先輩の目が見開かれる。来る。来るぞ。もう僕に分かる。


「全裸で校内を走り回ったとか、部室前で全裸で電話してたとか、全裸で逆立ちしてたとか! 毎回毎回全裸全裸全裸! そんで挙句の果てには女子生徒に全裸を見せつけたって? お前もう、逮捕されてないのが奇跡だぞ!」

「逆立ちは部室内でやってただけなんですけど……」

「窓が全開で丸見えだったんだってよ! 道行く生徒から! お前の……何言わせようとしてんだバカ! シバくぞ!」

「してないですしてないです! そうでした分かってますすみませんでした! 次はちゃんと窓閉めてやります!」


 いや窓というか、履けばいいだろ……せめて、パンツくらい……と先輩は呆れた顔で僕を見た。


「なんで花岡の起こす問題は毎回全裸絡みなんだ……? アンタ、やっぱりそういう趣味持ち?」

「違います。それは断じて違います。だからそんなにドン引きした顔をしないでください。危害を加えたりはしませんってば」

「もうこの学校の半分くらいは花岡の裸を目撃してるんじゃないの?」

「そうですよね……鍛えてて良かったです」

「そういう問題じゃないだろ……」


 ですよね。分かってます。そんなに分かりやすく頭を抱えられると流石に悲しいです。

 それに、僕とてこの状況は別に望んだものではないのだ。なんだよ学校の半数以上に全裸を見られてる男って。こんなのほとんどダビデ像だろ。花岡真尋の半分はダビデでできています。


「花岡のせいでうちの部活に変なイメージがついたらどうしてくれんの……というか、もううっすら付き始めてるんだよ露出狂の変態集団っているイメージが!」


 困ったことに、確かにそうなのだ。新学期始まってからこの五月下旬までの一か月半の間にしでかした不祥事により、この学校で「水泳部」というワードを出すと、「あ、ああ~。あの……」という煮え切らない反応をされてしまうようになってしまっている。その責任の一端は確かに僕にあるので、大変申し訳なく思っている。


「でも、やらかしたのは僕だけじゃないですよね。松岡と池田も全裸になって反省文書かされてますよ」


 僕がこっそりとゴーレム先輩に同期の罪を再確認させていると、それを耳ざとく聞きつけた二人が泳ぎながら器用に叫ぶ。


「オイ花岡! 先輩に余計なこと思い出させてんじゃねえよ!」

「俺らは一回だけだ! お前とは犯した罪の量が違うんだよ!」

「先輩が俺のことを変態野郎だと思ったらどうしてくれんだ!」

「お前はおとなしく俺たちのスケープゴートに徹してやがれ!」

「んだとコラ! 一回だろうが五回だろうが、罪を犯したという事実は変わんねえんだよ! もうお前らの身体は汚れちまってんだ! 僕一人の存在で誤魔化しきれるわけねえだろ! あと、多分ゴーレム先輩は松岡のことを変態野郎だと思ってるぞ!」


 負けじと言い返すと、最後の言葉にショックを受けた松岡が愕然とした表情で「嘘……だろ?」と呟き、ブクブクと水の中に沈んでいった。

 この応酬の一部始終を聞いていたゴーレム先輩はハアーと大きなため息をぶっかましつつ、やれやれと額を抑える。


「今年の一年男子は三人しかいないのに、なんで揃いもそろって三人ともバカなんだ……?」


 僕がバカであるということは百歩譲ってまあ良しとして、あの二人と一緒のカテゴリで括られるのは納得がいかなかったので反論しようとしたところ、


「あ、あのー……」


 涼やかな声がプール内に響いた。

 聴きなれない声に興味を惹かれてその出どころに顔を向けると、そこにはあの女子生徒がいた。僕の全てを目撃した、あの彼女だ。


「あれ海香……? どうしてここに?」

「あっ、玲夢。ごめんねいきなり押しかけて。ちょっと用が……」


 彼女はゴーレム先輩の陰で正座をしている僕を見つけると、ハッと目を丸くした。

 なるほど彼女は海香っていう名前なのか。ハハッ、素敵な名前だね……とダンディボイスで言おうと思ったが、問題は彼女が僕にとって恩人であると同時に被害者であるということだ。僕自身、昨日の今日で顔を合わせるのはなんとも気まずい所だし、彼女もそうだろう。


「ごめんね? 今……お取込み中?」

「ああ、いや大丈夫だよ。それで、用ってなに?」


 ゴーレム先輩が促すと、


「実は……彼に用があるの……」


 彼女は僕の方を見て言った。

 予想外の回答に、きっと僕は今世紀最大に呆けた面をしていることだろう。でも思い直してみればそんなに不思議なことではないのかもしれない。「昨日はなんか有耶無耶なまま帰っちゃったけど、改めて伝えますね。君を訴えます。はいこれ告訴状」くらい言われてもおかしくないのかも。生まれて初めて貰った異性からの手紙がラブレターでも果たし状でもなく告訴状になるとか、僕ってば希代の大悪党なのでは? 歴史に名、残しちゃう?


 ゴーレム先輩にとってもこの回答は予想外だったようで、「花岡に? なんで?」と困惑したご様子だった。

 それでも「ごめんね、でも、ちょっといいかな……?」と言うので、不審そうに僕を見るゴーレム先輩に促され、僕は彼女と連れ立ってプールの外に出ることになった。背中に先輩の「変なことするなよ……?」という不安そうな声を受けて。しませんてば。




 さて、僕にとっては生まれて初めて受ける女子からの呼び出しだ。普通なら超嬉しいことで、この喜びをサンバのリズムで表現しちゃうぞ~と狂気的な腰振りを披露するところだが、事情が事情なのであまり喜べない。だって下手すりゃ僕ブタ箱行きですし……。


 胸中は歓喜と不安が絶妙のバランスでせめぎ合う混沌とした状況にあったが、僕はしずしずと海香さんの三歩後ろを歩く。


 そういえば競泳水着のままだ。ということは、今のところ僕は彼女にパンイチ姿とキワキワの競泳水着姿と全裸姿の三コーデしか披露していないことになる。こりゃ捕まりますわ。


 この姿で外を歩かされ続けるのは流石に恥ずかしい。なぜか勘違いしている人が多いけれど、僕にだって当然羞恥心というものがあるのだ。


 そんなことを考えつつ、艶やかな黒髪が海香さんの背中ではらりはらりと色っぽく揺れるのを観察しながら歩く。ピシッと伸びた背中のラインに見惚れてしまいそうだ。美しい人は、その所作一つ一つからして美しい。


 恐らく彼女は人目につかないような場所を求めている。方向から察するに目的地は校舎裏、もう使われていない焼却炉があるあたりだろう。

 同じ高校の奴と訴訟問題を起こしたなんてことになれば当然噂になる。噂には尾ひれが付きまとって本来の姿をなくし、僕らの問題は関係のない周りの生徒達の娯楽に成り下がってしまうだろう。当然そのような事態は避けたい。だから彼女は、他の人にこの話を聞かれたくないのだ。


 しかし彼女はひとつミスを犯している。


 それは、後ろにピタピタ競泳水着一丁のナイスガイを引き連れているということだ。こんなん周りの人間から見られないわけがない。海香さんはすれ違えば二度見してしまうくらいの美人だし、僕は前述の通り、何かと有名な水泳部員丸出しの恰好をしている。その上肉体は程よく引き締まり、逞しい大胸筋を滴る雫が眩しいグッドルッキングガイだ。事実、少数ではあるが道中ですれ違った生徒たちは目を丸くして二度見三度見していた。そりゃそうだわな。


 全く、僕という存在だけでも溢れ出すフェロモンで人の目(特にレディ)を惹いてしまうというのに、水泳部というブランドまで加わったらもう注目浴び浴びだ。誰だ、うちの部活をこんな有名にしたのは。僕か。


 予想通り海香さんは僕を引き連れて校舎裏まで行くと、くるりとこちらを振り返った。


「ごめんね、突然呼び出したりして。自己紹介がまだでした。二年の志島海香しじまうみかです」

「あ、いえ全然大丈夫です。一年の花岡真尋です」

「今日は、花岡君に伝えたいことがあります」


 ここで志島さんは深呼吸を一つ。なんだか緊張している面持ちだ。僕も緊張してきた。ああ、ついに僕の肩書が高校生から被告人にジョブチェンジしてしまう時がやってきたのか……。もうおしまいだ。家族になんて言おう。僕は、これからどうすれば……。

 途方に暮れる僕。「訴えます。求刑は死刑。それじゃ、法廷で会いましょう」という言葉が脳内で再生される。


 しかし、彼女の口から紡がれたのは、僕がまったくもって予想だにしなかった言葉だった。


「私と付き合ってください。結婚を、前提に」

「…………は?」

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