第3話 「もう少し詳しくお聞きします」

「本を買うのに読まないって、どうして?」


 我ながら、書店員さんに言う台詞ではなかったと思うけど、言われた岡崎さんはあくまで冷静だった。

 ブッコローは、このカラフルなミミズクは、つぶらな瞳でただこちらを見つめている。

 あるいはそれは、喋るタイミングを見計らっているのかもしれなかった。


「だって、時間の無駄なので」


 下を向いたまま私は答えた。


「本なんて読んでたら、友達のメッセージに返信できないし、流行ってる映画だって見れないし、見なきゃいけないテレビが見れない。だから、読んでいる時間なんてないんです」


 今の時代は娯楽で溢れかえってるって何かの番組で知らないおじさんが言ってた。たぶん、その通りだと思う。

 楽しいことが増えたのはいいことだ。だけど、問題は人付き合いで見なきゃいけないコンテンツもまた、莫大に増えたということ。

 

「見なきゃいけないテレビを見てないと、SNSのグループで発言できないし、学校の休み時間で友達との会話に入れないんです。だから作文は適当に人気な本を買って、パラパラめくって読んだってことにして、あとはレビューサイトの感想をコピペするんです」


 私は手を差し出した。


「だから、このお店で一番売れてる本、ください」


 重くて冷たい沈黙があった。

 岡崎さんはただ真っ直ぐ私を見つめていた。何かを我慢しているような、あるいは何かを待っているような、そんな表情だった。

 やがて耐えきれなくなったように岡崎さんが口を開き──そして、

 先に言葉を発したのはブッコローだった。


「いいんじゃない? 岡崎さん、教えてあげなよ」


 それは淡々とした口調だった。


「ポーズで人気な本を買って、本棚の肥やしになってたけど、ある時読んでみたら面白かったってなるかもしれないじゃん」


「…………」


 岡崎さんは答えない。

 単に無視しているわけではなく、会話の主導権を敢えてブッコローに渡しているような、そんな沈黙だった。


「まあいいや。じゃあ代わりにボクが教えちゃおうかな。今一番売れてる本ってやつ」


「えっ」


 私は思わず声を上げていた。


「ボクは親切だから、困ってる人には特に優しくしちゃうよー。だから売れてる本も教えてあげるし、なんならアドバイスもしちゃう」


「アドバイス?」


 ブッコローの表情は変わらない。つぶらな瞳。カラフルな羽。

 ただ声のトーンがほんの少しだけ低くなった気がした。


「嘘を吐くのは、やめた方がいいと思うなー」


 店内の気温が二度くらい下がったのかと思った。

 私は慌てて言い返す。


「う、嘘なんてついてません。あなたたちに言ったのは全て本当のことです。本当に時間がなくて本が読めないし、だから感想を書くために適当に人気な本が欲しいんです」


 ブッコローはあくまで冷静に言葉を紡ぐ。


「うん、それは知ってる。ボクも最近の若い人たちは大変だなって思ってる。動画を倍速で見たりする人とかいるらしいよね。だから郁ちゃんの言葉は疑ってない。言いたいのはさ、自分に嘘ついちゃダメってこと」


「どういうことですか?」


 うってかわって、今度は少し抑揚をつけて喋り出すブッコロー。


「だって本当に人気な本が欲しいだけなら、学校の課題で作文があって、なんてこと、話す必要ないじゃん。黙って一番人気な本は何か聞けばいいし、なんだったらさ、もう言っちゃうけど、今売れてる本ランキングならそこにあるし」


 ほら、とブッコローが指した棚には、ジャンルと順位ごとに本が並んで立てかけてある。

 総合ランキング一位はこの前何かの賞を取ったミステリー小説だった。


「だから郁ちゃんは本当は人気な本なんて欲しくない。本当は──」


 ブッコローはそこで一度言葉を区切った。


「どんな本が好きなのか、自分でもよくわからないんじゃないの?」


 私は俯いた。

 そうすることでしかブッコローの推測がすべて正しいと認められなかったから。


 小さい頃は浴びるほど本を読んでいた。

 だけど中学生になり、高校生になり、自分のために使える時間は少なくなっていった。

 それよりも優先しなければならないことが増えていったからだ。

 すなわち、友達との共通の話題作り。

 身につけるものは友達がつけているものとおそろいになった。

 そして私は段々、私が本当は何が好きで、何がしたいのか、自分でもよくわからなくなっていった。

 見たい映画もない。着たい服もない。つけたいキーホルダーもない。

 いや、もしかしたら──


「もしかしたら、私にはもう、本当に好きなものなんてないのかも」


 好きな服も、好きな映画も、好きなテレビ番組も。

 あるいは好きな本も。

 それが明らかになるのが怖かった。

 だから岡崎さんが本を探してくれると言った時に、怯えた。

 私には読みたい本なんて、好きな本なんてないってわかるのがとても怖かったから。


 ブッコローの声色は、言葉とは裏腹に優しかった。


「郁ちゃんはさ、考えすぎなんだよ。うちの社員を見てみなよ。みんな自分に素直な人ばっかりだよ。『書店をプロレスで私物化した男』、『書店の一角を食品物産展にした女』、あとはまあ、お店に売ってないティッシュを紹介する文房具バイヤーとか?」


「それを言うなら、つい本音ばっかり言っちゃうミミズクも」


「……岡崎さん、最近ツッコミのキレが良くなってない? まあともかくさ、もっと素直に生きていいと思うよ。有隣堂の個性的な人たちもさ、結果的にお客さんの話題になったり、お客さんのためになってるわけだしさ」


「でも、私にもわからない好きな本なんて、どうやって見つければ……」


「わからないなら、探すのを手伝うよ。えっと、なんだっけあれ、有隣堂のブックカバーに書いてあるやつ。『おやつはいつも三時?』」


「『本は心の旅路』です。わかってて言ってますよね?」


「それそれ、『本は心の旅路』ならさ、書店員さんは道先案内人みたいなものでしょ。困った時は頼っていいんだよ。それじゃあ岡崎さん、あとよろしくー」


「はい」


 岡崎さんの眼鏡がキランと光った。


「それじゃあ、好きな本のジャンル、タイトル、好きなセリフ、シーン、どんなことでもいいので教えてください。

 可能な限り、力になりますから」

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