第50話 6-a】月迎撃戦:選抜
〔 月:2082/10/03 〕
火星会戦で生き残った戦艦たちが次々と月の軌道に侵入する。
戦艦は機動バーニアを使えば最大で2Gの回避機動を行うことができるように設計されている。
それはつまり起動バーニア噴射だけでそのまま月面に着陸することが可能だということを意味している。
だがもちろん普通はそんなことはしない。着陸脚の問題があるし、大重量を支えるだけの高出力バーニア噴射を受ける側にはそれだけの設備がいる。何の防備もない地表でそれを受けると悲惨なことになってしまう。
だがそれらの問題も今は考慮する必要はない。
荒っぽく月面に降りた戦艦はそのまま放棄される。どのみち邪神空母ヨグ=ソトホートと戦うには戦艦では相性が悪すぎるのだ。
着陸した戦艦にはすぐに作業者が率いる建設ドローンたちが群がり、解体作業を始める。
あっと言う間に装甲外装が剥がされ、構造材が剥き出しになる。核融合炉はそのまま地面に埋められると放熱板が接続され、休む間もなく電力の供給に入る。
カルネージAIによる完全自動組み立て工程である。一切の無駄なく作業が進む。
見る見る内に戦艦は形を失い、その横に細かいパーツが積み上がる。どの戦艦も最初からそれを計算に入れた設計で作られているのだ。
核融合炉からのエネルギーを受けて流用できない細かなパーツはその場で熔かされ精錬され新しい金属インゴットになる。自動製造機械がそれらを新たなパーツとして生まれ変わらせる。
それほど間を置かずに、そこには巨大な塔が伸びあがった。
その塔は全長四キロメートルの威容を誇る巨大マスドライバーである。
マスドライバーはレールガンとは異なる。
マスドライバーはチェンバーに送り込まれた物質に電荷を与え、コイルガンの原理で投射するシステムである。主に精製された鉱石などを小惑星帯などから撃ちだすのに使われている。
レールガンほどの投射速度は生み出せないし、精度の問題から兵器には向いていないが、投射するものを選ばない安価な輸送手段でもある。
今では急ピッチで月のあらゆる場所でマスドライバーの建設が行われていた。
もう一つ目立つのが月軌道上に浮かぶ急造の宇宙工廠の中で建造されている一隻の巨船であった。
対ヨグ用ロック級弩級突撃艦である。
全長1、616メートル。重量10、222キロトン。名前はまだ無い。
人類にはすでに大艦隊を作り上げるだけの資源も時間も無かった。
これこそが巨大邪神空母ヨグに対するたった一つの対抗勢力である。
*
地球上にある宇宙軍本部の大会議場では今まさに争議の真っ最中であった。
話の発端はサント大将である。
ヨグ迎撃戦のために用意されたのがロック級突撃艦一隻だけだと判明し、会議に集まった艦長たちの間に緊張が走った。
一つの艦に乗ることのできる艦長はただ一人。
問題は誰が乗るかだ。
サント大将は自分の権力を使うことには躊躇いを感じる性格だが、このときばかりは違った。
「宇宙軍大将の権限により、私サント・ギリアヌは宇宙軍大将サント・ギリアヌにロック級突撃艦の艦長の任につくことを命令する」
この宣言に会議場のすべてから抗議の叫びが上がった。叫んでいるのは居並ぶすべての艦長たちだ。戦艦から始まり駆逐艦の艦長までの総てだ。
一気に会場の空気が熱を帯びた。
「クソ親父。ずるいぞ!」この声を先陣にあらゆる罵声が飛んだ。
「俺にも乗せろ」
「老体はひっこんでろ」
「くじ引きにしろ」
喚き声。叫び声。怒号。懇願。いきなり混沌の海が生じた。
最後に全員の視線が同じく会議に出席していた井坂大統領に向けられた。
人類大統領は宇宙軍統括総帥の位を兼任し、大将の上の権限を持つ唯一の人間だからだ。サント大将の命令を無効化できるのは今や井坂しかいない。
無数の視線の圧力に井坂はたじろいだ。しばし考えて慎重に口を開く。
「やはりクジ引きが・・」
山のような怒号・悲鳴・懇願が湧き上がる。その中には脅迫まであった。
井坂はこほんと一つ咳をしてみせる。会場がふたたび静かになった。
「では艦長全員の投票で・・」
またもや山のような怒号・悲鳴・懇願。
状況を監視していたAIのアイが井坂の耳の中の通信機で囁いた。
「マスター。彼らは皆自分に一票を入れます。それでは決着しません」
「ああ。もう。どうしろと言うんだ!」
井坂は叫んだ。
「みんな分かっているのか? この任務は帰還不能に分類されているんだぞ。生きては帰れないんだぞ」
「もちろん承知している」
サント大将が答えると、背後を振り返って呼びかけた。
「そうだな? みんな?」
一斉に同意の叫びが上がる。
「くそったれ!」ついに切れた井坂は怒鳴った。
「どいつもこいつも死にたがりの大間抜けめ! いいだろう。じゃあ腕相撲で勝負をつけろ。一番強い奴が艦長になれ!」
普段冷静な井坂の怒りの迫力に全員がたじろいだ。
「それじゃあ駄目よ」井坂の横で立って聞いていたレイチェルが割って入った。
「レイチェル?」何を言い出すんだという目で井坂がつぶやく。
「腕相撲ぐらいじゃ優劣は付かないわ。それにそれだと体が大きい方が有利になってしまう」
レイチェルは手を挙げた。
「兄さん。モダル兄さん?」
艦長の中の一人が手を挙げ返す。フェン家の次兄に当たる人物だ。
「我が家ではこういうときはどうするの?」
モダル艦長が答えた。
「兄弟で殴りあう。最後まで立っていたヤツがすべてを手にいれる」
レイチェルの家系は代々軍人一家だ。この解決方法が一番後腐れが無い。それにこれだと単純な体力だけで決着がつくわけではない。
「そういうことよ。参加者全員で殴り合い、最後まで立っていた人間が艦長になる。そしてその艦長が残りのクルーを指名する。それで恨みっこなし。後腐れもなし。ただし当然だけど大統領とあたしはそれには加わらない」
モダル艦長の顔に少しだけほっとした表情が走ったことに気づいたのは井坂一人だけだ。
「それは良い。すごく良い」
サント大将が賛同した。
他の者たちも考えていた。サント大将は大柄で喧嘩も強い。色々な武勇伝も聞き及んでいる。
素手で海賊が使っていた戦闘ロボットを殴って壊したなどというヨタ話まである。サントの執務室に飾ってあるロボットの頭はそのときの戦利品だと言われている。
だが何にせよ彼はこの中で一番年寄りだし、他の艦長と組んで真っ先に潰すという手もある。
これなら自分たちにも十分にチャンスはある。
栄えある死出の旅。邪神空母ヨグを撃滅する艦の艦長となるのだ。
「それでいいか?」
そうサント大将が宣言すると全員が賛同した。
サント大将が上着を脱ぐと、みなそれに倣って制服を抜ぎ始めた。つけたままだと不利になるのでネクタイも取り外す。シャツを腕まくりし、中にはシャドーボクシングを始める者もいる。
そうしながら誰かが訊いた。
「しかしモダル。君の家ではいつもこうしているのかね? その、レイチェル嬢もいれて?」
「そうです」
モダル艦長は服を綺麗に畳むと装具一式と一緒に会場の隅に置く。金属物もすべて外す。つけたままだと怪我が深くなるからだ。
「では彼女に不利ではないのか?」
「まさか」微かにモダル艦長は笑った。
「いつも最後まで立っているのは妹だよ」
その言に全員が目を剥いた。井坂の横で澄ました顔で立っているあの美女にそんなことができるとはとても想像できない。
だがモダル艦長は質実剛健で嘘を言わない男だ。
会議室の中央に即席のリングが作られた。椅子などの武器になりそうな物はすべて遠ざけてある。
「よし。カウント・スリーでゴングだ」サント艦長が宣言した。
「スリー」
全員が目くばせをして誰と誰が手を組むかを探す。最初の標的はもちろんもう決まっている。
「ツー」
それぞれが相手に気取られないように素早く位置を入れ替える。
サント大将の前からは皆が身を引いた。ゴング早々のサント大将のパンチ一発で床に沈むのを避けるためだ。
「ワン」
それぞれがじりじりと間合いを詰める。奇襲こそが命だ。
「それ!」
全員が一斉にサント大将に飛び掛かった。
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