第47話 5-B】火星会戦:サルベージャー
〔 火星の衛星フォボス:2082/11/02 〕
小惑星鉱夫ベルターの専用宇宙服は通称棺桶服と呼ばれている。その中でベルターたちは何か月も生活し続けるし、その大部分を薬による休眠状態で過ごすからだ。
今その棺桶服の中でアラームが鳴った。血中に解毒剤が流れ込み休眠薬の効果を打ち消す。宇宙服の隙間に詰め込まれているミリマシン級の無数のビーズが全身の筋肉をマッサージして目覚めに備える。
コバヤシは静かに目を開いた。
二週間の疑似冬眠から目覚めたのは定期起床かもしれない。あるいは何か緊急事態が出現したのかも知れない。
焦って動くのが一番よくない。それぐらいなら眠り続けた方がまだマシだ。寝ぼけてやったたった一つの行動が死を招くことをベルターは誰よりもよく知っている。
体はピクリとも動かさずにバイザーに映る情報を目だけで追う。
良かった。定期起床だ。周辺に敵はいない。そこで初めて身じろぎをした。体をほぐしながら、偽装シートの外に配置しておいた監視機器からの情報を確認する。
火星会戦から六カ月。邪神母船アザトースはすでに月との会合地点目指して進軍を開始している。
火星周辺の邪神兵はほとんどがいなくなっていた。
火星軌道上に何かの塊。恐らく木星に設置されたのと同様の邪神兵の休眠巣だ。内部には生体艇や邪神兵が詰められていて仮死状態で待機している。人類の艦船を検知したら覚醒して襲ってくるだろう。巣の規模自体は大きくない。戦艦クラスなら問題なく処理できる。
もっともここには戦艦はない。あるのは構造材にスラスターをつけただけの宇宙漂流筏のベルター・ラフトだけだ。
ラフトには最低限度の武装しかついていない。それはつまり絶対に邪神兵に見つかってはいけないということを意味している。
火星軌道上にあった人類の構造物はすべて沈黙している。レーザー破孔だらけの外観を見れば、内部の様も想像がついた。
望遠鏡に映る眼下の火星の地表も廃墟が並ぶばかりだった。
あれほど苦労して作った火星のドーム都市もすべて破壊され、水耕栽培ドームも黒く変色した塊へと変じている。
地表のあちらこちらには邪神兵の死骸の山があった。これは人間に殺されたものではない。見つけた人間を殺し尽くした後に寿命が来て死んだものだ。邪神兵は死ぬときには一か所に固まる習性があるらしい。
宇宙空間の少し離れた所に邪神船イタカの破壊された残骸が漂っている。あの後に火星の重力に捉えられて遠い周回軌道に入ったものだ。
技術局の予想通りにそれは回収されてはいなかった。
損傷の度合いが激しすぎてスクラップ以外の何物でもなく、また残骸を回収するという当たり前の行為が逆に人類へ与える恐怖を和らげてしまうと考えるためらしい。この辺りは説明されたが理解はできなかった。どんなものでも回収して再利用するベルターの考えとは真逆のものだったからだ。
そしてこれこそが、ベルターで構成された特殊回収部隊が、ここフォボスで偽装シートに隠れて長期の眠りについた理由でもあった。
技術局はイタカを撃滅した後の行動を何もかも考え抜いていた。
今ここで目的のものを回収できるかどうかが今後の戦いを大きく左右する。コバヤシはそう教えられている。
コムを叩き、他のベルターたちに起床命令を出す。
総勢二十人。全員がベルターだ。棺桶服に身を包み、ここで眠っていた。
「野郎ども。起きたか。そのまま聞け。あれから六カ月。周囲にやつらはいない。ただし、やつらの巣が一つ、目の前に置き土産として浮かんでいる。電波は出すな。光も漏らすな。常に暗視装置を使え。派手な動きはするな。ベルト税関のやつらに見張られていると思って行動しろ」
通信機から小さな声でいくつもの応答が入る。声を小さくする意味はないが、それが密かにサルベージするときの共通の気分というもの。
ベルターはほぼ全員が小惑星帯での鉱石の密採掘に関わった経験がある。ステルス装備をつけて税関船の目を掻い潜るプロである。
遮蔽シートの下からやはりステルス処理したラフトを引き出す。低速噴射で静かにイタカの残骸目掛けて進む。すべての注意は邪神兵の巣に向けてある。
イタカの残骸は微かにしか光を反射しないので計器を見ながらの航行だ。漂流するイタカに近づくとベルターならではの腕前で正確にラフトを操作し、その影に回り込む。
「皆注意しろ。やつらがどこかに隠れているかも知れないぞ」
コバヤシが言うと、四本腕の一つの作業腕に装着したレーザー砲のエネルギー残量を確かめる。少なくとも邪神兵を五匹は殺せるはずだ。
戦える手段があるというのは心強いものだ。コバヤシは自分自身に言い聞かせた。だができれば戦闘は避けたい。戦闘で余分な熱を発すれば邪神兵たちが休眠巣から飛び出て来て襲ってくるだろう。
恐ろしい爆発により裂けた船殻の破れ目から中に潜り込む。
船殻はところどころ超高熱で熔け落ちている。コバヤシはその後側をハンマーで軽く叩く。衝撃で金属の一部が脆くも剥離した。反物質による対消滅反応の超高熱が仕事をした後だ。
「ここが良さそうだ。クジの負け組は外から装甲を剥がせ。俺たちは内側から船殻を焼き切る。邪神装甲は虹色がついているのが生きている。色が無くなったのは無視しろ」
言うなりコバヤシは単分子チェーンソーを金属の壁に押しつける。
小さな火花が飛ぶ。それが単分子カーボンの糸が切れて蒸発している印だ。だがそれでもチェーンソーの刃は確実に壁に潜り込んでいく。
「くそっ。何て硬い金属なんだ」コバヤシが毒づく。
「これ売ったらいくらぐらいになるんだろうな」
横で機械を操作していたアードが感想を述べる。
「目的は外側の邪神装甲だ。そっちの方が高く買い取ってくれる約束だ。だから真面目にやれ」
コバヤシが叱る。
「仕方ない。掘削用レーザーの使用を許可する。カッターと併用しろ」
あまり望ましくない展開だ。熱による赤外線はどうしても外に漏れる。どのぐらい作業すれば邪神兵たちはここで何かが起きていることに気づくか。そこのところは賭けでしかない。
時間が経てば経つほど、不利になる賭けだ。賭けに負ければ残虐ショーへの出演が約束されている。
しばらくは全員が無言で作業をする。
壁の内側を剥がすと邪神装甲を外部に繋ぎとめているヒンジが見えるようになった。それを切断すると鱗状の邪神装甲が丸ごと剥がれ落ちる。
運搬用のボックスを組み立て、集めた邪神装甲の欠片をできるだけ詰める。
そのうち箱の一つが満杯になるとそれをラフトに括りつけた。
「クジ引きの一番は誰だ?」
「俺です」黒い肌をしたジョーイが答えた。
「よし、先に行け。分かっていると思うが命令がでるまではステルス駆動だぞ」
荷物を満載したラフトが静かにイタカを離れる。行き先は公転している地球との邂逅地点だ。ラフトの出力では地球到着までほぼ半年はかかる。その間操縦者はまるで吸血鬼のように棺桶服の中で長い眠りの時を過ごすことになる。
低温ガスを噴射しながらラフトは遠ざかり、すぐに星空の中に紛れ込んでしまった。
背景の星を横切る所を見られなければその存在がばれることはない。敵が眠る休眠巣から離れれば離れるほど発見の確率は減少する。一番ラフトが一番安全なのだ。時間が経てば経つほど邪神軍が気づく可能性は増していく。
また黙々と作業する。やがて二番クジのラフトが出発する。
だんだん働き手が減るとともに作業が遅くなる。
十名が出発した所で警報が鳴った。
「邪神兵の巣に熱源反応」監視を任せていたAIが報告する。
「みんな急げ。そろそろ尻に火がつくぞ」
邪神たちがどんなセンサーを持っているかは知らないが、それが高性能であることは間違いがない。
努力を倍にしてさらにもう三人を送り出した。
「コバヤシ。そろそろ打ち切ろう。ノルマは果たしている」
アードが心配そうな声で弱音を漏らした。
「まだ大丈夫だ。四の五の言わずに働け」コバヤシは取り付くしまもない。
こうなるとコバヤシを説得する方法はない。
コバヤシも強欲で粘っているのではない。この仕事を受けたときにこの邪神装甲の使い道について井坂大統領に話を聞いているのだ。だからここで手に入る邪神装甲が今後の作戦の肝になることを良く分かっている。
おいそれと逃げるわけにはいかない。後一箱、それがすめばもう一箱。あればあるほど良い。
さらに二人を送り出す。残るベルターはコバヤシを含めて後五人だ。
「熱源反応強くなりました」AIが警報を出す。
「AI。巣から何か出てきたら教えろ。みんな、それまで続けるぞ」
恐怖の感情を薬物で押さえながらイタカの船殻を切り続ける。コバヤシは一人離れて周囲のガラクタの中から比較的に原型が残っている部品を切り出し、一台のラフトの中に積み込む。
こちらの狙いが邪神装甲だと悟られないための偽装工作だ。最初からラフトの一台はここに置いていく予定だった。
次のパッケージが邪神装甲の破片で満杯になる。もう一人送り出し、残り四人。
努力を倍化する。この邪神装甲があればあるほど人類が生き残る確率は上昇する。
さらにもう一人送り出したところで最後の警報が鳴った。
「ハチが出て来ました」AIが報告する。
休眠巣の周りにハチが三十匹ほど出現していた。群れの中央では一匹のトンボが観測専用兵である大目玉の化け物を抱えている。
そいつらはイタカ目掛けて真っすぐに飛んで来た。
コバヤシは舌打ちした。大目玉はまずい。あれがいてはこちらのステルスの効果が半減する。
「よし、ここまでだ。全員ラフトに乗れ」
邪神装甲が半分詰まった箱を括りつけてラフトを発進させる。
「動きから見てこちらを確実に捉えているわけではない。今から囮を動かす」
コバヤシはヘルメットのコムを作動させた。
フォボスの表面で爆発が起った。派手な閃光が周囲を彩る。ハチたちの注意が逸れ、群れの大部分がフォボスへと変針した。
こちらに向かって来たのは三匹だけだ。その中に大目玉を抱えたトンボがいないのは幸運だった。
四人はハチから離れる方向に静かにラフトを変針させる。できれば真っすぐに地球に向かう経路を取りたかったがそうもいかない。この軌道だと地球に着くのに一年はかかるだろう。
背後で三匹のハチがさきほどまで作業していた場所にたどり着く。そのうちの一匹がラフトの噴射の痕跡を見つけた。触角を振り立てて、真空の臭いを嗅いでいる。
その視線の先にあるのはラフトだ。
化け物め。コバヤシは毒づいた。再びコムに命令を出す。
ハチが追跡しようと羽を広げる。
その瞬間、もう一つの爆弾が炸裂し無数の散弾と毒針が広がった。後を追おうとしていたハチたちが広がる死のコンボを受けて四散する。
巣から追撃のハチの群れが飛び出したときにはすでにラフトは探知範囲外にいた。
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