第46話 5-A】火星会戦:クラフト


〔 火星周回軌道宇宙工廠:2082/04/11 〕



 ほとんどのハチは諦めて引き返したが、最後の二匹だけはしつこかった。

 対空ミサイルも短針砲も残弾ゼロだ。レーザー砲はまだ生きているが、残念なことにこれは前方にしか撃てない。ハチたちはこちらの死角を理解していて、レーザーが届く範囲に入らない。

 ハチは見た目は怪物だが、その実態は戦闘に関する本能を組み込まれたサイボーグ体なのだ。人間ほどではないが十分な知性を持っている。

 こいつらに無数の虫弾を撃ち込まれた。その多くは潜り込んだ先で対スマート弾用の充填剤に囲まれて動きを封じられたが、運の良い少数が電装系にたどり着いた。生命維持装置がいきなりシャットダウンした。素早く戦闘機に接続されている多機能ヘルメットを頭からむしり取って後ろに放り投げる。酸素パイプから虫弾に潜り込まれたら堪ったものじゃない。改めて宇宙服のヘルメットを被ると酸素供給系を切り替える。

 機体を回転させてハチを照準にいれればよいのだが、問題は推進剤がぎりぎりだということだ。余計な機動をすれば減速用の推進剤を使い切ってしまい、宇宙工廠に到着する代わりに激突してしまう羽目になる。

 おまけにそろそろ減速を開始する頃合いだ。最悪機外に飛び出して携帯兵器でハチを撃つという手もあったが、減速に入る以上機外には出られない。そんなことをすれば減速が始まった瞬間に慣性で前方に吹き飛ばされてしまう。

 焦りながらも大人しくハチに撃たれ続ける。虫弾が尽きたのか、今はレーザーをこちらに浴びせてくる。このままではやがて機体に大穴が開く。

 予定時刻だ。

 メインスラスターを前方に向けるために機体が回転を始める。

 その瞬間を捉えてクラフト中尉はレーザー砲を撃った。ハチの触角を吹き飛ばしたがそこまでだ。ハチは素早く機体の背後側に回り、再びレーザー砲の死角に入る。

 残ったすべての推進剤を噴射する。反物質をほんのわずかに含んだエネルギーパイルに氷の微細な粒を押しつけて爆発的に気化させる。強烈な加速がクラフトをシートに押しつけた。

 3・・2・・1・・推進剤が尽きた。

 今や回避行動すらできなくなったクラフト機にハチが最後のトドメを刺しに来る。

 もう終わりかと思われた瞬間、ハチの体がバラバラに引き裂かれた。危険を知ったもう一匹が慌てて離れようとするが、その体をレーザーが撃ち抜く。

 今や目の前に大きく広がる宇宙工廠の対空レーザー砲台が火を噴いたのだ。

 巨大な磁場のネットが機体を包み、ゆっくりと、だが容赦なく戦闘機の速度を殺す。

「あんちゃん。大丈夫か?」レーザー通信が入った。老人の声だ。

「助かったよ。だけどここは無人のはずだぞ。退避していないのか」

「まあ色々あってな。今収容するよ」

 伸びて来たウォルドウ・ハンドが戦闘機を掴んでハンガーに収容する。


 クラフト中尉を出迎えたのは老人組三人だった。

「ようこそ。火星宇宙工廠三番ドッグへ」老人の一人が言った。

 クラフト中尉は背筋を伸ばして敬礼した。

「人類軍宇宙戦闘機隊第34部隊クラフト中尉です。援護射撃に感謝します」

「いいってことさ。あんたの戦いはここからずっと見ていたよ。感心したね」

 背の高い老人が言うと、クラフトを奥へと案内した。

「逃げなかったんですか?」とクラフト中尉。

「いいんだ、どうせ俺たちゃ、ここ以外にはどこにも行けん。ジタバタしてもしょうがない」

 一行が着いた先は宇宙工廠を見渡すことができる管制室だった。分厚い三重強化ガラスの向こうに入り組んだ巨大構造物が見渡せる。かっては賑わっていたこの宇宙工廠も今では係留されている航宙船もなくガランとしている。

 老人たちはそこから広い宇宙工廠を目を細めて見つめる。

「俺たちはここで生きて来たんだ。だからここで死ぬのがいい。今更一度捨てて来た地球になんか戻れない」

 隣の老人が笑いながら口を挟む。

「ヤマグチよお。恰好つけんな。地球では借金取りが待ち構えているんだろ。そりゃ帰れんわな」 照れ隠しにこほんと一つ咳をしてヤマグチと呼ばれた老人が話を続ける。

「コーヒーを飲むかね? 地球産のだよ」

 それは火星ではご馳走だ。クラフト中尉は有難く貰うことにした。

「実はあんたに頼みがあってな」

「その前にアルトマン大尉からバンカー1783に行けと言われたんだ。案内してくれないか?」

「そこに何があるかは知っておる。それも含めての頼みだ」

 ヤマグチ老人が合図するともう一人の老人が別の部屋から一人の子供を連れてきた。十歳ぐらいに見える白人の子供だ。

「撤退の混乱のせいで、一人取り残された。誰も使っていないはずの部屋でこの子を見つけたときには驚いたよ」

「迷子か!?」

「身元はもう分かっておる。往還船の中では母親が半狂乱になっておる。あんた、この子を地球まで届けてくれんかね?」

「しかし、届けたくても船が無い。俺の戦闘機はあちこち壊れていてもう飛べない。ここにももう船はないんだろ?」

 クラフト中尉は窓の外の空っぽの宇宙工廠を指さす。

 ヤマグチ老人はにやりと笑ってみせた。

「ある。とっておきのヤツが。バンカー1783に。アルトマンの秘蔵っ子が」

 ずんぐりした方の老人がその言葉の後を引き継いだ。

「コーヒーを飲み終えたら案内しよう。邪神船ヨグから出て来た虫どもの大群が近づいている」

 悪いなと思いながらもクラフト中尉はカップの中のコーヒーを味わいもせずに一気に飲み干した。


 バンカー1783。個人用の船舶ロッカーだ。暗証番号に応じて防爆扉が重々しく開くとその中に鎮座しているものの姿が明らかになった。

「これは!」クラフト中尉が絶句する。

「凄いだろう。アルトマンのお大事な船。第12回から第17回までの太陽系スピードレースで優勝し続けてきたスピードボート『偉大なるプレデター』号だ」

 それは針のように尖った船首を持つ シャイニング・レッドに塗られた超合金の塊だった。後尾には先がやや広がったスラスターがこれでもかとばかりに付いている。内部には巨大なエンジンと圧縮水を貯える超高圧タンクを持っている。乗員はわずかに二人。そして太陽系内で一番速度が出る化け物ボートであった。

 ありていに言えばこれは速度という名の狂気の産物であった。

「美しいだろう」

 老人の問いにクラフト中尉は頷いた。実際には戦闘機以上に頑丈なのだがそれを感じさせない美しさがある。武装は一切持たない。だがそれ故に速さだけに特化した鋭利なナイフを思わせる美しさがある。

 老人たちはプロの動きで整備を始めた。エネルギーパイルを新品に換え、推進剤を満杯に詰め込む。チェックリストに従い手際よく最終検査を行っていく。

 その間もヨグの生体艇の群れが宇宙工廠にたどり着き始めた。構造物各部に備え付けられた対空レーザー砲台が狂ったように撃ちまくる。わずかだが対空ミサイルもあり、戦闘AIが様子を見ながら慎重に発射する。

 ワイバーンによる砲撃がたまに着弾して、微かに床が揺れる。

 老人たちは外で起っていることは完全に無視して黙々とプロの手つきで作業を進める。

「チェックリスト。オール・グリーン」ヤマグチ老人が宣言した。

「ふう。よし、終わったな」

「さあ、乗り込みなさい」

「あなたたちは」とクラフト中尉。答えはもう知っていたが。

「残ると言っただろう。最後に良い仕事ができて良かったよ」

 そこまで言ってからヤマグチ老人はニヤリと笑った。

「外はやつらがびっしりと埋めている。後はあんたの腕次第だ。だが心配はしていない。こいつは宇宙一速い船だ」

 ガンと硬い音を立ててスピードボートの機体を叩く。

「覚えておいてくれ。ワシの名はイズラ・ヤマグチ」

「俺はバリボルト・アバナン」

「アズラ・W・ハーン」

「クラフト・パイル中尉です」クラフトは敬礼した。

「では行け。ゴッド・スピードを!」

 ヤマグチ老人は手を振ると、二人を連れて消えた。

 これから管制室で酒でも飲みながら最後の時を迎えるのだろう。


「坊主、乗れ」

 クラフト中尉は子供を連れてスピードボートに潜り込んだ。この種の船は居住区画が恐ろしく狭い。

 後ろの座席に子供を押し込めてネットで固定すると、クラフト中尉は操縦席に収まった。子供の心配そうな顔は敢えて無視した。クラフト自身も不安ではあったが、表には見せない。

 巨大なクレーンが機体を掴むと、まだ生体艇がたかっていない外部ゲートへと導く。

 スクリーンに外部の状況が投影される。宇宙を埋め尽くすかというほどの数の生体艇が周囲を十重二十重に封鎖している。

 火星からは一人として逃がさないという執念の陣容だ。それが同僚を撃破された邪神船ヨグの怒りのせいなのかどうかは分からなかった。


「舌を噛むぞ。歯を食いしばれ。いいと言うまで喋るんじゃないぞ」

 一つ子供に警告すると、クラフトは操縦桿を握りこんだ。武器システムがないだけで操縦方法は戦闘機と同じだ。戦闘機パイロットのアルトマンの秘蔵っ子だけはある。

 スピードメーターには信じられない数値が刻まれている。加速計も推進剤残量計も同様だ。これなら天王星にまでだって往復できる。

 どこのキチガイが設計したにしろ、こいつは最高の機体であることは間違いない。

 地球へと先行する駆逐艦に追いつくまでに約八時間というところか。クラフトマンはそこでようやく、老人たちがサンドイッチを座席の横に用意してくれていたことに気づいた。

 心の中で感謝しながらも発進ボタンを叩き込む。

 爆発的なガス噴射に乗って、スピードボートは生体艇の海のただ中へと飛び込んだ。

 獲物が飛び出して来たのに気付いてハチの群れが一斉に前方を塞ぐ。

 宇宙工廠のすべての対空砲台が唸りを上げ、スピードボートの前方を薙ぎ払った。

 無数のレーザービームがハチ数百匹をまとめて吹き飛ばす。

「やらせるもんかよ」

 宇宙工廠の管制室の中で老人たちが大笑いをする。

 老人とは思えないほどの素早さでAIに命令を下し、密集したハチたちの群れの中にレーザー砲で狭い回廊を一つだけ描き上げる。

「飛び込め!」通信機が叫ぶ。

 クラフト中尉はエンジンを全開にして、その間隙に飛び込んだ。

 凄まじい加速で座席へと押しつけられる。後部座席の子供はあっという間に気を失った。

 スピードボートは人類最速の乗り物だ。当然ながら宇宙デブリにぶつかっても大丈夫なように、その船体は戦車よりも頑丈だ。

 進路に出て来たハチを体当たりで引き裂きながら、長い長いスラスター炎を残して『偉大なるプレデター』号は敵の中へと突進した。

 ハチたちがレーザーを撃ったときにはもうその機体は通り過ぎた後。

 すべてのハチを置き去りにして、スピードボートは彗星のように地球への長い航路へとついた。

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