第35話 5】火星会戦:再戦:猫とネズミ

〔 火星植民地:2082/04/11 〕


 アレクセイ技師は宙に浮いていた。

 目の前にあるのは超特大レールガン通称『バジリスク』だ。砲身長八キロメートルという信じられない大きさだ。長さだけなら邪神船イタカに匹敵する。

 その砲身の上に立ち前を見渡すと、ハイウェイを思わせる金属の道がどこまでもどこまでも延びているように見える。現に砲身の上を移動するときは磁気カートに乗ってドライブをする形になる。

 砲身の所々から伸びるケーブルが特異な形状をした超コンデンサのネオ・バタシターへと繋がっている。その先にはさらに球状の核融合動力炉が浮かんでいる。核融合炉で生成された電力は一度ネオ・バタシターに蓄積され、砲弾を投射する際に一気に放出される。このケーブルの一本の中を流れる電力だけでも地球での最大級の落雷を遥かに越える規模となる。

 連射性能は冷却を繰り返しながら30秒毎に1発。砲弾速度は秒速40キロメートル。マッハ117に達する。まさに人類の科学力の結晶である。


 眼下には赤い火星が見える。その砂漠から抽出した鉄などの金属と、小惑星帯から送られてきた重金属ペレット、そして火星ドーム都市のパーツからバジリスクは作られた。

 この高度からでも火星の地表にできたいくつもの大きな穴はよく見えた。すべて金属鉱床の掘削痕である。

 そこを起点に赤道付近に視線を移すと、白く輝く巨大な山が見える。これはもう三十年も前に水資源調達計画に沿って小惑星帯から運ばれてきて落とされた氷隕石である。最初の頃よりもすでに半分の大きさになっている。

 軌道上に設置された太陽反射衛星からの光を受けて氷塊は融けて水になり、さらにその場で沸騰して水蒸気になり、周囲の薄い大気に溶け込んでしまう。その結果、真空に近い火星の大気はほんのわずかだけ濃くなり、長いテラフォーミングの道を辿る。

 大氷塊の周囲には宇宙港を中心にしてドーム都市が広がっている。

 最も大きな三つのものはそれぞれバレノス、ムード、ホープと名付けられている。

 だが今はドーム都市のほとんどが地球への退避計画により無人となっている。邪神軍の侵攻によりこの五十年の火星での計画がすべて水の泡となってしまった。

 火星衛星軌道上に浮かんでいた太陽風収集衛星も分解されて転用されたし、きらめいていた太陽反射衛星も兵器転用されて今はすべて無くなってしまっている。


 かって数百万人を数えた火星開拓者たちのほとんどが地球への避難を終えている。

 史上最大の脱出作戦と名前がつけられていた。わずかに残るのはここを離れたがらない老人たちで、全員が施設を守る決死隊に志願することで居残りを許されている。


 この後に及んで人類は真逆の二つに分かれていた。雄々しく戦って死のうという者と、他人の背中に隠れてでも何としても生き残ろうという者にだ。いま火星に残っている者はすべて戦って死ぬ覚悟をした者たちだ。

 アレクセイ自身はこの職場を離れる気は無かった。女房子供も持たぬ身だ。自殺嗜好は無いが、それでも誰かがこの機械を保守しなくてはいけないのだからという理由だけで残ることにしたのだ。

 周囲では他にも何人かが忙しく立ち働いている。

 全員が覚悟の上で小型爆薬を宇宙服に装備している。誰一人として邪神軍の残虐放送に出演するつもりは無かった。


 今日、俺はここで死ぬ。だがそれは明日の人類の道を切り開く。何と言っても今日は死ぬには最高の宇宙日和じゃないか。

 言葉にはしなかった。だがアレクセイ技師はその言葉を胸の中に止めておいた。これがある限り、最後まで自分の勇気は挫けることはないだろう。その確信があった。



 ドラゴン級戦艦。全長888メートル 重量1728キロトン。人類が今までに作った最大級の戦艦である。

 今までのものとは異なり円筒状の本体の先端に斜めに交差したリングが二つぶら下がっている姿をしている。

 その新造戦艦オー・ライドJrの中でサント大将は壁を拳で叩いて音を聴いていた。

 サント将軍は宇宙軍大将でもあるが、戦艦の艦長は辞めていない。どちらかを辞めろと言われたら躊躇わずに大将の地位を捨てる。生粋の宇宙船乗りである。

「新品は良い」サント艦長は独り言を呟いた。「だが少しばかりヤワだな。こいつは」

 自分に話しかけられたと勘違いした戦闘士官のバーティが答えた。

「仕方ありません。あくまでもこれ一回の使い捨てですから。強度も耐久性も最低限に作ってあります」

 戦闘士官は縁の下の力持ちだ。戦艦が戦闘している間のあらゆる船内の状態を調整し、火器管制士官が最大の効率で攻撃できるようにエネルギー経路などを操作する。無慮数百にも及ぶ数値を制御するのが仕事なので、戦闘中は一切喋る余裕がない。それ故に『無言の帝王』と呼ばれる職務でもある。

「そんなので殴り合いができるのか?」とサント艦長。

「十分です」バーティ士官が請け合う。

 細かい数字を並べることもできるが止めておいた。いつも細かく説明するとくどいと言われるのだ。

「ならばよい」

 サント艦長は視線をスクリーンに戻した。

 技術局の想定通りに敵の先鋒はやはり邪神船イタカだ。その船体や砲門のあちらこちらに今は大きなコブがついている。

 このコブは過熱対策用の冷却剤の増加タンクだとみられていた。もちろんコブの表面も邪神装甲で覆われている。

 人類軍がこの日のために用意できた戦艦は十八隻。木星会戦よりも数は少ないがすべて新造艦だ。

 さらに離れた所にはビホルダー級揚陸型巡洋艦が二十隻控えている。その中には宙兵隊が満載されている。

 ワイバーン級対空特化駆逐艦は三十三隻ある。だが今回の戦場では主役とは成りえないと考えられている。

 作戦は三つのフェーズで構成される。その一つ一つを間違いなく進めて初めてイタカの命に手が届くことになる。

 どの一つも失敗すればその場で作戦は破綻し、人類は敗北し、ただ滅びを待つことになる。

 今回の作戦の許容幅は少ない。サント艦長は制御盤を指でコツコツと叩く。

 だがこれほどまでの戦力差があっては自由にやるわけにはいかない。技術局が必死に見つけ出した勝ち筋を各艦は全力で推し進めるだけなのだ。

 チェスと同じだ。ただの一手も差し間違えるわけにはいかない。



 邪神船イタカは夢想から目覚めた。

 今見ていたのは過去のベラトリックスでの戦いの記録だ。

 強い敵だった。特に彼らが使う重力子レーザーは邪神装甲にも穴を開ける能力があった。だがその兵器には大量のエネルギーを消費するという弱点があった。結果としてこの超兵器が戦況をひっくり返すことはできなかった。残念ながらカルネージ人は重力子レーザーに自爆装置を組み込んでいたので、邪神軍がその技術を手に入れることはできなかったが。

 もしわれわれの邪神技術による無限のエネルギー生産とカルネージ人の重力工学技術を融合していれば恐ろしい兵器ができていただろうにと考えると後悔の一言に尽きた。

 超新星爆発でこちらの子船はことごとく破壊されてしまったのだ。

 だがまだ遅くはない。この人類相手の戦いにより手に入る潤沢なマナがあれば、失われた護衛艦隊を丸ごと再建できる。そうすればカルネージ人を再び滅ぼしに行けるのだ。

 栄光なる銀河の覇権への道。その第一歩がこれから始まる戦いなのだ。


 白昼夢から覚めたイタカは周辺警戒に入った。

 人類軍は戦闘機にさえ反物質爆弾を搭載する。この兵器は邪神装甲を傷つけることができるので、警戒しないといけない第一の武器だ。

 そのため今度は最初から全力で行くつもりであった。

 全搭載生体艇に発進命令を出す。直衛隊まで含めて一匹残らずすべて送り出す。

 その数、およそ十万匹。今回は木星会戦での倍の数を用意した。

 イタカを中心に生体艇の雲が球状に広がる。その地獄の雲の中に入ったものはすべて無数のレーザーで焼き殺される。

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