第33話 5-b】火星会戦:老兵

〔 地球:2081/02/05 〕


 コムが鳴った。

 井坂は突っ伏して寝ていた机から飛び起きた。

 三日間の徹夜の後に、十五分間だけ仮眠するつもりがもう一時間経っている。またレイチェルが管理AIのアイへの目覚まし命令を上書きしたのだと理解した。

 髪を整え、鏡アプリを通して顔をチェックする。大統領という職務にある以上はだらしない姿を見せるわけにはいかない。実際にはアイが通信映像を修正するのであまりひどい姿が向こうに送られるわけはない。だがそれでも基本は大事で、どんなに修正された画像でもこちらの身だしなみの乱れは向こうに伝わるものなのだ。

 髪は整えられても目の下の隈だけは隠しようがない。これだけは顔修正アプリに期待するとしよう。

 アイの秘書としての防衛線を突破して通信が来るぐらいだから、生半の相手ではないはず。

 井坂は心して通信回線を開いた。


 そこに映ったのはブルマン中尉だった。皺こそ深いが精力が有り余っているという顔に、井坂は心底羨ましいと思った。今の自分に必要なのはこの元気だ。

「お疲れのところ済まない。井坂大統領。頼みがある」

 この人はいつも単刀直入だなと井坂は思った。

「はい、何でしょう?」

「この間の会議の内容をサント大将から聞いた」

「会議内容は極秘のはずですが」井坂の声が険しくなる。

 秘密は漏れる。絶対に。それは全宇宙を貫く最強の法則なのだ。

「気にするな。サントがその昔に戦闘機隊にいたときの教官がワシだっただけだ」

 言い訳になっていない。だがこの人が本気で迫ってきたら自分でも秘密を守れる自信はないだろうとは感じた。この精力的な老人を中心に宇宙は回っているのだ。そう感じさせるだけの何かがブルマン中尉にはある。

 これではサント大将を責めらない。

 スクリーン下部にテロップが出る。通信に加えて何等かの余分な情報が送られてきていることを示すものだ。

 それは粗雑に綴られた作戦立案書だった。

「井坂。この作戦をどう思う?」

 ざっと目を通してその内容に井坂は絶句した。

「あり得ません。無理です」

「だが不可能ではない」

「ですが大変に困難。いや、事実上不可能です」

 ブルマン中尉はにやりとした。

「だから作戦の軸にしろとは言わない。あくまでも、もしものときの保険だ」

 急に井坂の胸に何かが沸き上がってきた。それが命を粗末にするものへの怒りなのだと井坂は気付く。

「あなたはどうして毎回毎回命を捨てようとするんですか!? 我々はその命を救うために頑張っているんですよ」

「ワシだってそうだ。だから自分の命を使って全人類という命を救おうとしている」

「これは作戦ではありません。自殺です」

「そうかも知れんなあ」

 初めてブルマン中尉は本音を漏らした。

「だがな、井坂。それでも勝つ可能性が少しでも増える。それが大事なんだ」

 井坂にとって何よりも遣る瀬無いのは、ブルマン中尉の言葉が正しいということである。今の人類が気軽に支払うことができるものは自分たちの命だけなのだ。

「自分はこの作戦を認めるつもりはありません」

「なあ、井坂大統領。ワシの命は誰のものかね?」

 一瞬井坂は言い淀んだ。

「もちろんブルマン中尉。あなたのものです」

「物を持つということはな。井坂大統領。それを持ち続けるのも自由、そしてそれを捨てるのも自由ということだ。そうしてこそ初めて所有していると言える。ワシの命がワシのものならば、それをいつ捨てるのかもワシの自由。そういうことだ」

「そんな勝手な」

「ワシは二十世紀生まれだ」いきなりブルマン中尉は話を切り替えた。

「一度アメリカ空軍に在籍し、退官するまでそこにいた。空軍に進んだのはそのときはまだ人類は宇宙に進出していなかったからだ。そしてせれから奇跡の時代が始まった」

 奇跡の時代と呼ばれるものは2030年から始まった狂ったような宇宙開発の時代だ。ようやく実用可能となったAIロボットと宇宙技術に関する地味なブレークスルーにより人類は地球を出て月ー火星ー木星へと自動形成プラントを送りこんだ。

 そんな時代だ。

「ワシは強引に宇宙軍に参入した。年齢的には不可能であったが、それでも海賊騒ぎのために使える人間は最後の一人までも必要とされているという事情があり、この歳まで宇宙に居ることができた」

 聞きながらも井坂は絶句している。

「死ぬならば宇宙で死にたい。そう考える者は多い。ワシもその一人だ。地上でくたばり果てるなど冗談ではない」

 井坂は心の中で嘆息した。

「まあ、どうこう言ってもこの作戦に必要な資源が無ければどうにもならんがな。反物質はあるのか?」

「あります」

 井坂はつい答えてしまった。これで自分が負けを認めてしまったことは理解している。

「ショットガン方式反物質爆弾の一発分だけは確保してあります」

「ならばこいつを作ってくれ。できるな?」

「多少の手直しは要りますができます」

「そう言ってくれると思っていたぞ」

 井坂は慌てた。

「ちょっと待って。まだやるとは・・」

 通信が切れた。

 なんて強引なんだ。この人は。

 井坂は壁を殴りつけ、そのときできた傷のことで後でレイチェルに怒られることになった。

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