第30話 4ーD】逃走:強奪(1)
〔 地球:2080/11/07 〕
執務机の周囲に並べた通話用スクリーンは五つにも上った。
スクリーンはどれも技術局の部門に繋がっている。すべてカルネージAIの監視下にあり的確な分析支援が行われている。でなければさしもの井坂にもどうにもならなかっただろう。
濃く入れた熱いコーヒーをレイチェルがそっと差し出す。この時代、コーヒーを入れる程度のことはAIロボットに任せればよいのだが、頑なにこの作業を自分でやりたがる人間は多かった。レイチェルもその一人だ。
彼女も激務のはずなのにと、井坂はその心遣いに感謝した。
「何か問題が出てる? 手伝おうか?」
手にしたタブレットにチェックを入れながらレイチェルが訊ねる。
「いや、いい。まだ何とかなってる。それよりも君も少しは休め」
ふふっとレイチェルは小さく笑う。
「十分休んでいるわよ。カルネージのAIはもの凄く優秀ね。簡単な指示を出すだけで間違いなく動いてくれるもの」
それは君だけだ。井坂は心の中で思った。レイチェルは美人に加えてとんでもない才女だ。この異星の癖のあるAIを見事に使いこなしている。
井坂は少しだけ休むことにした。
五分だけ休んだら製造部門の進捗をチェックし、兵器部門に連絡する必要がある。資源部門は深海底鉱山の自動採掘システムがようやく軌道に乗り始めたところだ。最終検査に目を通してGOサインを出さなくては。
カルネージの技術支援をふんだんに盛り込んだ新型の超大型レールガン『バシリスク』の火星での建造は順調だ。ただしあまりにも大きいのでこれだけの資源を注いでも一門だけしか作れないのが苦しいところだ。
小惑星帯に新たに設置されたカール所有の自動採掘工場群は、金属ペレットを地球と火星に向けてマスドライバーで次々と投射している。
邪神軍は人間は一人も見逃さなかったが、自動機械の類は自身が攻撃されない限りはまったく無視した。
邪神軍の行動のすべてはより多くのマナを得るための劇場戦略に沿っている。そのためには人類は可能な限りの抵抗を見せた後に、打ち砕かれた希望と共に滅びる必要がある。それが最大量のマナを絞り出す最良の方法なのである。
「一番の問題は反物質の生産だ。こちらの唯一の切り札なのに、生産量が少なすぎる」
疲れていた井坂は思わず心の中の考えを言葉にしてしまった。それに対してレイチェルが答える。
「木星の核融合炉プラント群が無くなったのが痛いわよね。月面プラントだけじゃとても追いつかない。いくら核融合炉の効率が上がってもそれだけじゃ全然足りない」
「せめて邪神技術が使えれば、反物質は作り放題だ。だがそれは・・」
井坂は嘆いた。
「・・麻薬の誘惑ね」レイチェルが言葉を継いだ。「そして人類は生き延び、邪神技術に食わせる生贄を求めて銀河に旅立つ。いつの日か他種族はあたしたちを見て、邪神軍が来たと悲鳴を上げるようになる」
レイチェルは首を横に振った。
「生きるのは大事だけど、そんなものになるほど大事ではないわ」
「ごめん。つい愚痴ってしまった。別に答えが欲しいわけじゃないんだ」
井坂が恥ずかしそうに言う。カルネージ人による技術支援があったとしても、戦力差は絶望的だ。特に邪神母船アザトースをどう倒すかは井坂には見当もつかなかった。だがレイチェルの前では弱音は吐きたくない。
せめてカルネージ人が彼らの重力子レーザーの秘密を明かしてくれたらと井坂は思った。だが彼らの危惧も分かる。地球人類を助けるために自分たちが破滅するような真似をカルネージ人がするわけがない。
そして最大の問題は邪神技術を使うかどうかだ。それについては何度も技術局で動議が出された。
ファイン技官長が技術局に出てこなくなったので、残り九人の技官長での投票となり、五対四での否決が長い間続いている。
一度でも邪神技術賛成派が優勢になればその時点で邪神技術は解禁される。そして一度でもその情報に触れれば二度とそれを忘れることはできない。
そのことは十分に分かっていた。だから技術局は危ういところで邪神技術の汚染を免れていたと言ってもよい。
それほどまでに邪神技術のもたらすアドバンテージは大きかった。この強烈な誘惑にいったいいつまで抵抗することができるのだろう。そう井坂は思った。
少なくとも次の火星会戦に負ければ、邪神技術を取り入れる以外に手はなくなる。
そして人類は止めることもできずに自ずから怪物へと変貌するのだ。
「大変だ! 井坂!」
ドタドタと足音を立てながらデュラス技官とライズ技官が部屋に飛び込んできた。
どこかで見た光景だなと思いながら、井坂技官長は手にしたコーヒーを飲み干す。恐らく二人の報告を聞いた後では何かを飲んでいる余裕はなくなるだろう。レイチェルとの二人だけの時間も終わりだ。それが一番残念だった。
デュラス技官がリスト・コムを叩き、強制割込み命令を出すと、井坂技官長のスクリーンに映像が出た。
一目でどこかの宇宙工廠だとすぐに判った。枠組みだけの宙港ドッグの中に巨大な船が浮かんでいる。AIによる画像強調で人間の目でも詳細が見て取れるようになっている。
その船の先端はデブリ防御用の三重円錐の帽子になっていて、その先は今は外宇宙に向けられている。その後ろに基幹部となる三本の長い棒が並び、その後端は巨大な噴射コーンとなっている。棒の周囲には物資と人員を格納するための幾つもの球が並んでいる。ただし今はそれらハードポイントのかなりの部分が空きになっている。
オーソフォックスな設計のこの船こそが地球脱出船だ。全長十二キロもある地球最大の巨大輸送船である。
ということはこれはラグランジェ・ワン、つまり地球と月の中間の重力平衡点にある宇宙工廠ということになる。
脱出船からは幾つもの光が漏れている。
宇宙船に窓をつけることは構造上の弱点となるが、これをつけるとつけないとではいざという時の安心感が異なるという結果が出ているので、この種の船にも内部が見える位置に窓がついている。そこから明かりが漏れているのだ。
この段階ではまだ艤装中なので、ここまで内部照明が点いているわけがないと井坂技官長は気づいた。
推力コーンからも微かに光の帯が伸びている。本来の出力ではないが、船がイオン噴射をしていることを示している。
「どうして船が動いている!?」
ハイパーリンクを通して宇宙工廠のデータを引き出す。
いくつものパラメータが表示されるが、その中で注意すべきはただの二つ。
核融合動力炉とイオン推進エンジン。
どちらも待機運転状態の表示が出ている。
外から見た脱出船の状態と報告されてくる状態が一致しない。
「馬鹿な!」
最高優先度の通信を宇宙工廠を通じて脱出船に繋ぐ。船管理AIに対する自己診断命令だ。
地球からラグランジェ・ワンへの通信は片道1秒、往復で2秒のタイムラグがかかる。
すぐに船管理AIから応答が来るはずなのに、驚いたことにしばらく待たされた。
やがて通信画面が明るくなると、大勢の人影がその中に映った。
そこはどこかの広いホールの中だ。脱出船の周辺部に設置されている円形ホールだと説明がついている。駐機状態の場合はこのリングを回転させてその遠心力を疑似的に重力としている。
「脱出船。何をやっている? 出航許可はまだ出ていないぞ」
井坂技官長はそう告げ、そこで絶句した。
スクリーンの中に映る人影の正体に気づいたためだ。
宇宙軍大将フェルディナント。さらにはアンドリュー大将にホーブ大将がにやにや笑いを浮かべながら並んでいる。
「あらあら、三バカ大将の勢ぞろいね」レイデェルが小さく呟く。
それだけではない。彼らの周囲を取り巻く人々を見て井坂技官長は呆気にとられた。
そこにいたのは各国の首脳陣だ。すべての国の主要メンバーが一塊になって騒いでいる。その中には新統合連合のお歴々まで混ざっている。
デュラス技官が慌ててリスト・コムをチェックする。
「そう言えば、脱出船でお歴々による観閲式があると聞いたぞ。だがこの人数は何だ?」
「観閲式じゃない。デュラス。脱出船の警備兵たちのバイタルはどうなっている?」
通信タイムラグで少し間が空き、続いてデータが表示される。
「全部平常だ。心拍、呼吸数も正常。ただしヘルメット内蔵監視カメラの映像が出てこない。警備兵全員が同じだ」
「嫌な予感がするぞ」井坂技官長は呟いた。
何が起きたのか薄々と分かってきた。
顔に満面の笑みを浮かべながらフェルディナント大将が口を開いた。
「ああ、よかった。井坂。出発前に君に一言挨拶をしておきたくてね」
「そこで一体何をしているんですか!」
「おや、聞くまでもなかろう。我々は一足先に地球を脱出する」
フェルディナント大将は背後に並ぶ面々に手を振ってみせた。
「何を馬鹿なことを言っているんです。船の出航はまだ先です。植民者の乗り込みもまだ行っていないんですよ」
「乗り込みなら終わったよ。ただしそちらの名簿ではなくこちらの名簿でな。総勢で四万人ほどになったが、いや、これだけの人間をこっそりと積み込むのは苦労したよ」
「船を奪うつもりですか」井坂技官長の声に怒りが籠った。
「勘違いしているようだな。井坂。奪うも何もこの船は元から我々のものだ。我々こそは人類の代表であり、この船が人類の所有物である以上、この船は我々のものという理屈になる」
「いい加減にしろ!」
井坂技官長は机を殴りつけた。
「ただちに全員降りろ!」
「断る」
満足そうな笑みを浮かべてフェルディナント大将は答える。
「君が怒る顔を見るのがこれほど楽しいとは初めて知ったよ」
「将軍。よく聞いてください。その船には十分な燃料が積まれていません。燃料の積み込みは最後の段階で行われるんです」
「おや、そうかな? こちらの計器では十分あるとなっているがな」
井坂技官長はスクリーンの下に脱出船のパラメータを出して、目を剥いた。たしかにフェルディナント大将の言う通りだ。
レイチェルが素早くタブレットを操作し、AIに命令を出す。一秒も経たずに結果が報告された。
「ファイン技官長の権限で燃料積み込みが優先されています」
「ファイン! 出てこい!」井坂技官長がスクリーンに向けて怒鳴る。
フェルディナント大将の後ろからファイン技官長が出てくる。
「やあ、井坂くん。つまりはそういうことだ」
ファイン技官長はへらへらと笑う。
「こちらの方が待遇が良いんでね」
「自分が何をやっているのか分かっているのか」
怒りを押し殺した声で井坂技官長が問い詰める。
「もちろん、分かっているさ。自分の輝かしい未来を選んだと思って欲しい。君たちは邪神軍と死ぬまで戦えばいい。私は私で新天地で新しい生活をするさ」
「その船には物資はまだ二割も積んでいないぞ。建造を優先したからな」
井坂技官長は指摘した。
「脅しても無駄だ。この船は本来百万人乗せる予定だった。その二割なら二十万人分。対して今乗っているのは四万人。一人当たりで五人分の物資が使える。十分以上のものがある」
「それはすべて人類のものだ。そしてその船は人類の希望だ。そのすべてを盗んで逃げようというのか」
「何とでも言え。すでに船は稼働状態になっている」
ファイン技官長が合図をした。
スクリーンの半分に映っている宇宙工廠のあちらこちらで閃光が閃く。船体を止めていた構造材が爆発ボルトで切り離されたのだ。
スクリーンの中の脱出船の中で出航警報が鳴り響いた十秒後、脱出船の後方から眩い輝きが噴射される。
最初はゆっくりと、そしてやがて船は宇宙工廠を後にして虚空に向けて真っすぐに進み始めた。
「停止指示の用意ができたぞ」
デュラス技官が合図する。井坂技官長が頷くと、デュラス技官は指示を入れた。
何も変わらない。脱出船は相も変わらず加速を続けている。
「くそっ。最高優先度の停止命令にも反応しない。奴ら、船のOSを海賊版に置き換えやがったな」
海賊版OSとは宇宙海賊華やかなりし頃、海賊たちが自分たちの船を技術局の管理から解放するために作った違法OSだ。これには技術局の優先命令が通らない。
通信スクリーンが復活した。背景はこれも大きな別のホールに切り替わっている。脱出船中心部のレセプション用大ホールだ。ここは回転ではなく推進で疑似重力を作り出す設計だ。つまり推進エンジンは巡行時加速度である1Gで加速を続けているということ。
背後に見えるいくつものテーブルの上には料理が並び、そこにいる全員がグラスを手に大騒ぎをしている。
ファイン技官長がスクリーンの正面に現れるとカメラを覗きこんだ。それに被せるようにして彼のリスト・コムが警報音を鳴らした。
ちらりと横眼で何かの表示を見てファイン技官長が笑った。
「駄目、駄目。井坂くん。この船の管理AIは私たちにしか従わない」
ファイン技官長は何かを操作した。
「偽装プログラムを解除した。これでそちらにも本当の情報が流れるだろう」
その通りだった。デュラス技官が脱出船の情報をピックアップする。
注目すべきは脱出船を警備していたはずの警備兵のパラメータだ。すべてのバイタルが停止、つまり死んでいる。いくつかは通信自体が成立していない。戦闘服ごと破壊されたということだ。
「くそっ! みんな殺されている」デュラス技官が唇を噛んだ。
レイチェルも自分のタブレットで情報を精査した。
「現在の搭乗者四万二千八百人。その内、各国政府関係者が二万六千二百十一人、残りは全部特殊部隊員のようね。それに各国で誘拐されたと届け出が出た人々がかなり混ざっている。ほとんどが女性ね」
セックス目的の誘拐か。その意味に気づいて井坂技官長は奥歯を噛みしめた。
この政府関係者のクズどもは地球脱出のドサクサ紛れに、自分の愛人にするための女性たちを誘拐してきたのだ。
どうせ駄目だろうと思いながらも井坂技官長はもう一度説得を試みた。
「今すぐ引き返せ。邪神母船アザトースはその気になれば超光速飛行ができるんだ。脱出船が逃げる前に捕まるのがオチだぞ」
それに対する答えはファイン技官長の後ろでどっと沸き上がる笑い声だった。周囲で聞いていた人間たちだ。今の言葉を井坂技官長の下手くそな脅しだと受け取ったという意味の笑いだ。
井坂技官長は怒りで我を忘れそうだった。
せっかく天から蜘蛛の糸が降りて来たのに。
か細いとは言え生き残るチャンスが出て来たのだ。なのにそれを教えてやることはできない。この通信は邪神軍も傍受している可能性が高い。人類がカルネージ星人と接触したことだけは知られてはならないのだ。
こうなれば最後の手段だ。
「アイ。今の脱出船に追いつける船をピックアップしろ」
ここの管理AIもアイと名付けてある。観測艇イシュタールのAIとは情報を共有してある異体同心のAIである。
少し間を置いて、アイは技術局の巨大サーバーのデータの中から条件に合うものを算出する。
各艦船データの中から、位置や加速、搭載燃料、脱出船との会合予定位置などの必要な軌道すべてを膨大な計算を通じて算出した結果だ。超がつく高性能のコンピュータが支援して初めてできる技である。
「月軌道に駐留している駆逐艦アドラが到達可能です」アイが返事する。
「よし、アドラに繋いてくれ」
通信を構築するのにしばし間が空く。
その機を捉えてアイが報告を行う。
「マスター・イサカ。先ほどの軌道計算に使用した情報ですが」
「何だい。アイ?」
「演算要求記録簿の中に同様の膨大な演算要求を見つけました」
それを聞いて井坂技官長の目が険しくなった。
「詳しく」
「一週間前にファイン技官長が今回とほぼ同じ内容の演算要求を出しています。そのときの結果も駆逐艦アドラでした」
井坂技官長の体を冷たいものが駆け抜けた。
「いかん! アドラに繋げ。今すぐだ。最優先緊急コードを使え」
「通信確立しました。アドラが出ます」
スクリーンにアイリーン艦長の姿が映る。
「井坂技官長。どうしました?」
「アイリーン艦長! ただちに全乗組員に退艦命令を出せ。君もだ。すぐにアドラを放棄せよ」
「いったい何が?」
「アドラに爆発物が仕掛けられている。余裕はない。ただちに命令に従え。アホウ大将の仕業だ」
「あらまあ」アイリーン艦長が驚きの声を漏らす。「了解しました。ただちに」
スクリーンの向こうで何か激しい振動が起きた。アイリーン艦長の顔が歪む。スクリーンがノイズで埋まり、続いて消えた。身構えた井坂技官長にアイが報告を行う。
「駆逐艦アドラ。報告途絶。艦の生存信号も消滅。爆発を確認。駆逐艦アドラはもう存在しません。計測されたエネルギー量を考えると、弾薬庫のIECM爆薬がすべて起爆されたものと思われます」
スクリーンに今までアドラがいた月軌道宇宙工廠の姿が投影された。そこではまだ爆発が続いている。青と紫の閃光が周囲に飛び散ったデブリを照らし続けている。
井坂技官長は椅子に崩れ落ちた。
「しまった。アホウ大将にやられた」
レイチェル技官も額に皺を寄せている。友達がたったいま宇宙のチリにされたのだ。その胸の内が煮えかえっているは井坂技官長にもわかる。
「こうなれば俺たちにできることは何もない。脱出船はお空の彼方だ」とデュラス技官がいつもの軽口を叩く。
「後は邪神軍が何かの気まぐれで脱出船を見逃してくれることを祈るだけだ」
「ブーンブーン」とライズ技官。首を横に振っているのでその意味は明白だ。
部屋の入口に影が現れた。アンドロイドのカールだ。
「その可能性はありませんね」
カールは各自のブレスレッドと直接接触している。というよりはブレスレッドも含めてすべてで一つの意識なのだ。
「脱出を認めるということは、相手種族に希望を与え、結果として収集できるマナの量が減ってしまいます。そんなことを邪神軍が認めるはずがありません」
カールは断言した。
果たしてその言葉通りに、一時間後に邪神母船アザトースに動きが生じた。
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